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回想章段の導入指導     (2008/04/20)


<実践の概要>

 2年生の『枕草子』は類想章段「かたはらいたきもの」から授業を始めたが、すでに一度『枕草子』学習をし終えている3年生の授業に関しては、回想章段から始めることにした。使用している教科書の関係から、最初の教材は第一二九段「頭の弁の、職に参り給ひて」である。

本文・私訳LinkIcon

 ところが、この章段、百人一首にも採られている「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ」という有名な清少納言の歌が登場する回想なのであるが、教材としてはかなり難しい部類に入ると思う。というのも、もう一人の主要登場人物である藤原行成との手紙のやりとりが話題の中心になっており、その二人の知的なやりとりを理解することが、当時の知的バックグランドや生活感覚を共有しない現代の我々にとっては、かなり難しいことに属するからである。そもそも、当時の知的会話のあり方は、現代の生徒たちにとっては別世界の出来事であろうし、それを無理矢理現代語に直そうとしても、省略の多い会話(手紙)のやりとりを一続きのものとして追跡すること、そして、二人の関係を踏まえながら、それぞれの表現に込められたニュアンスを読み解くことは、至難の業といえよう。仮に、形の上で現代語に置き換えることができたとしても、その現代語が何を伝えようとしているのかは、まったく分からないといった状態になってしまうのである。3年生といえども、久しぶりに『枕草子』に挑戦する生徒たちにとっては、かなり敷居の高い章段といえよう。
 4月の新しいスタートに当たって、せっかくやる気を出している生徒たちが最初に出会う教材が、一人で予習しようとするとチンプンカンプンになってしまうのでは、せっかくのやる気も減退してしまうに違いない。そこで、
 ①先ず、この教材が難しい理由を分析して納得させる 
 ②次に、難しい部分についてその背景的な知識を解説して伝える 
 ③その上で、読解のポイントを明示しながら、再度自力で予習に取り組んでもらう 
という、予習の前段階の指導計画を立ててみた。いくら文法知識を詰め込んでも、その作品場面の大枠(場面の雰囲気)が読み取れない限り(いわゆる「KY」である…)、正確に解釈することが難しいことを伝えることで、「木」に目がいってしまいがちは予習段階でも、常に「森」を意識することが大切だというメッセージも込めたつもりである。

<教材本文>

*pdfファイルで挙げたが再掲。(古典講読『源氏物語 枕草子 大鏡』三省堂より)

 頭の弁の、職に参り給ひて

 頭の弁の、職に参り給ひて、物語などし給ひしに、「夜いたう更けぬ。明日御物忌みなるに、こもるべければ、丑になりなば悪しかりなむ。」とて参り給ひぬ。
 つとめて、蔵人所の紙屋紙ひき重ねて、 「今日は残り多かる心地なむする。夜を通して、昔物語も聞こえ明かさむとせしを、鶏の声に催されてなむ。」(A1)と、いみじう言多く書き給へる、いとめでたし。御返りに、「いと夜深く侍りける鳥の声は、孟嘗君のにや。」(B1)と聞こえたれば、たちかへり、「孟嘗君の鶏は、函谷関を開きて、三千の客、わづかに去れり、とあれども、これは逢坂の関なり。」(A2)とあれば、
 「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ
心かしこき関守侍り。」(B2)と聞こゆ。またたちかへり、
 「逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか」(A3)
とありし文どもを、初めのは僧都の君、いみじう額をさへつきて、取り給ひてき。後々のは、御前に。さて、逢坂の歌はへされて、返しもえせずなりにき。いとわろし。
 さて、「その文は殿上人みな見てしは。」とのたまへば、「まことに思しけりと、これにこそ知られぬれ。めでたきことなど、人の言ひ伝へぬは、かひなきわざぞかし。また見苦しきこと散るがわびしければ、御文は、いみじう隠して人につゆ見せ侍らず。御心ざしのほどを比ぶるに、等しくこそは。」と言へば、「かくものを思ひ知りて言ふが、なほ人には似ずおぼゆる。『思ひぐまなく悪しうしたり。』など、例の女のやうにや言はむとこそ思ひつれ。」など言ひて笑ひ給ふ。「こはなどて。喜びをこそ聞こえめ。」など言ふ。「まろが文を隠し給ひける、また、なほあはれにうれしきことなりかし。いかに心憂くつらからまし。いまよりも、さを頼み聞こえむ。」などのたまひて、後に、経房の中将おはして、「頭の弁は、いみじうほめ給ふとは知りたりや。一日の文にありしことなど語り給ふ。思ふ人の人にほめらるるは、いみじううれしき。」など、まめまめしうのたまふもをかし。「うれしきこと二つにて、かのほめ給ふなるに、また思ふ人のうちに侍りけるをなむ。」と言へば、「それめづらしう、今のことのやうにも喜び給ふかな。」などのたまふ。


<指導過程>

<第一段階=全体の構成を理解する>
①音読する。
②実際に登場する人物を考えさせる。
 →頭の弁(藤原行成・能書家)、清少納言
③話題の中に登場する人物を考えさせる。
 →僧都の君(中宮の弟)、御前(中宮定子)、一条天皇、(孟嘗君)
④手紙部分の書き手を確認する。
 *敬語について、概略だけ触れて注意を促す。
 *行成3通(A1~A3)、清少納言2通(B1~B2)で、最後の行成の手紙(歌)に対する返信(B3)が
  ないことを押さえる。

<第二段階=手紙のやりとりの背景を理解する>
⑤第一段落を読解する。
 *「職御曹司」「内裏」の位置関係を便覧などで確かめ、それぞれの建物にいる人物や、行成の移動
  の様子を図示しながら、敬語の用法を簡単に復習する。
 *「頭の弁(特に「蔵人」について)」、「物忌み」、「丑の刻(翌日扱いになること)」などの語彙に注意を
  促し、古典常識が読解に重要な意味をもつことを伝える。 

<第三段階=手紙のやりとりと、それを支える二人の関係を理解する>
⑥二人の話題の移り変わりを単語レベルで指摘させ、中心は何か考える。
 →A1鶏の声→B1孟嘗君→A2逢坂→B2逢坂→A3逢坂
 →「逢坂(の関)」が話題の中心。
⑦「逢坂」の含意について考える。
 *百人一首「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」などをヒントとする。
 →男女が逢う(関係する)イメージがある。
⑧二人の話題が「関を超える」であり、その含意を伝える。
 →逢坂の関を超える=許されない男女が一線を越えること。
⑨このようなことを話題にする、行成と清少納言の関係を想像させる。
 →二人は男女関係にはないが、そのようなことを知的に話題にできる友であった
 *会話は、その会話をする人物同士の関係やスタンスが分からないと、ニュアンスがとらえにくいこと
  を伝え、この教材の難しさの一端もそこにあることを確認する。 
 ●「源氏物語」では、朝顔の君と源氏との関係の有無が問題になる。確かに「朝顔」という名や、二人の
  実事を前提とするような表現があることは事実であるが、男の源氏側にしてみると、さも実事があった
  ような言辞を弄することで、二人の関係を既成事実化しようとする企み(無意識的な思い?)があった
  のかも知れない。この場面での行成の発言には、それに近いものが感じられるのではないか。
⑩5通の手紙の趣旨を、簡潔にまとめさせる。
 →A1=話したかったが、鶏鳴(午前二時)だから帰りました。
   B1=嘘鳴きを理由に帰ったのですね(本当は帰りたかったのですね)
   A2=私が話題にしたいのは、あなたとの逢坂の関です。
   B2=逢坂の関のガードは固いのです。
   A3=逢坂の関のガードは固くないと聞いています。
 *孟嘗君の故事については、漢文本文(1年生向け教科書より)を配布し、音読しながら簡単な訳の紹
  介をする。
 *最初の行成の発言の背景にも、「鶏鳴=丑の刻」という機知があることに注意させる。 
 *A2が難しい。その場合、先に有名なB2の歌を解釈し、その「関は許さじ」の含意を考えることで、A2
  が「あなたとの関を開けたい」という趣旨であることを確認する。
 *A3の内容が失礼なものであることが分かると、それに対する返歌がないことも納得される。
⑪能書家行成の手紙がどうなったか、確認する。
 →A1=僧都の君のもとへ
   A2=中宮定子のもとへ
   A3=?
⑫こうして、「A3はどうなったのか?」「清少納言の手紙はどうなったのか?」という疑問点を提示して、
  後半の読解の興味に結びつける。
⑬二人の会話が一筋縄ではいかないことを前提に、できる範囲で予習するように伝える。

<考察>

 手紙のやりとりに関する骨格を理解させることで、この回想の全体像をつかませること、そして、行成と清少納言のやりとりのニュアンスを伝えることがこの指導の目標であったが、それがうまくいったかどうか、後半部(「さて、「その文は殿上人はみな見てしは。」とのたまへば~」)の読解に入る前に、以下のような確認問題を課してみた。

1 登場する人物を確認せよ。その上で、「」の発話者を確認せよ。
2 「その文」とはどれか?
3 「思しけり」は、誰が、誰を、どう「お思いになっている」のか。
4 「めでたきこと(言)」とは何か。
5 「見苦しきこと(言)」とは何か。
6 「等し」い「御心ざし」とは何を言っているのか。
7 どうなっていたら、「いかに心憂くつらからまし」なのか。
8 「思ふ人」とは、誰の「思ふ人」で、それは誰のことか。
9 「うれしきこと二つ」とは、何と何か。
  ヒント①「かの」とは誰か。
      ②「(誰の)思ふ人のうちに(誰が)侍りける」

 当然のことながら、後半部の二人の会話も、表面的な意味とは異なるニュアンスを考えなければならない。例えば新編全集は、「まことに思しけりと、これにて知られぬれ」の部分に、
  「私の歌はすばらしいので、殿上人にお見せになったのでしょう、の意で、どうして私の下手な歌を他
  人に見せたのか、そうした思いやりのなさから見て、本当は私のことなど思ってくださらないということ
  は、よく分かりました、という裏の意がある。以下の表現はすべて逆の意を表現している。」
と注している。
 大部分の生徒たちは、そのような状況を踏まえながら、上記の問題についてもほぼ正解に達することができたようである。また、新たな登場人物(源経房)との人間関係にも想像を働かせていた。おおむね、目標は達成できたといえるのではないだろうか。