Column

白と黄色

  Column 「星の陵にて」 2009

ボケのとりこ     (2009/04/25)



▼コンデジから一眼レフデジカメに移行して、その発色のよさや奥行き感のある出来上がり、また、ファインダーを覗くことの楽しさやシャッターの切れ具合・音など、感動した点はさまざまにあるのだが、私の場合「ボケ」の美しさが最も感動したポイントといえようか。
印象派
 とはいっても、コンデジからの移行であるから、ズームがあって当たり前という感覚だったわけで、一眼を買った当初に揃えたレンズは、広角にしろ、望遠にしろ、ズームレンズばかりであった。(唯一の例外はマクロレンズ)。もちろん、初心者は手持ちのレンズが少ないわけだし、ズームを選ぶのは当然だろう。そもそも私の場合、一眼を買った当初は、レンズ交換をするようになるとは思ってもおらず、ボディとともに購入したのは高倍率ズームであった。ズームレンズであっても、一眼のボケは十分に美しいと感じられた。
桜登場
曇り空の下

▼ところが、レンズ交換にも慣れ、レンズ沼にもすっかりはまり(笑)、ある程度本数が揃ってくると、今度は個性的なレンズに手を出したくなる。ますますのレンズ沼である。ははは…。
 その辺はカメラ業界もうまいなぁと思うのだが、数年前までのカメラ雑誌の特集記事でレンズが採りあげられる場合は、ズームレンズが対象になっている場合がほとんどだったのに、最近は単焦点レンズのみの特集も目につくようになってきた。ズームレンズ・キットとともに一眼入門を果たしたユーザーに、次の一歩を、つまり、次の消費行動を目指させようというのだろう。(運動会シーズンが近づくと、望遠ズーム特集になったりする。)
 そう知りながら、それに載せられている自分はどうなのだろうとは思うものの、やっぱり雑誌などを通して紹介されるその魅力には、なかなか抗しがたいものがあるのである。
 で、カメラ業界の思惑通り、私が手を出したのは、
  ●α900用がCarlZeissのPlanarT*85mm
  ●D700用がSIGMAの新しい50mmF1.4
  ●5DMk2用がCarlZeissのPlanarT*50mm
である。
白と黄色

▼最近、高感度に弱いα900は、すっかり出番がなくなってしまった。一方、D700と5DMk2は、その日の気分次第で大活躍しているのだが、花やカワセミなど、マクロや望遠を使って大写しする(=被写体を限定して大きく捉える)ことになれてしまった身としては、50mmの画角、しかも、最短撮影距離が45センチという、大写しできない状況にとまどってしまい、どのようにこれらのレンズを使いこなしてイイのか、今一つきっかけがつかめないまま、その魅力にも気づかずに過ごしていたのである。
ミヤコワスレ
 それが、3月末に大きな転機?を迎えた。前のコラムに掲載した「親バカ写真」である。この写真を撮る時に、明るい単焦点のボケを生かしたいと思い、久しぶりに50mmを使ってみたのだが、もうこれがバッチリだったのである。そして、すっかりF1,4のボケの虜になってしまったわけである。
窓辺
朝の光

▼単焦点は、当然のことながら画質がよい。そして、開放が明るい、つまり、よりボケる。一方、画角が決まっているので、その感覚になれなければならないし、撮りたい構図を意識してこちらが動かなければならない。その上、PlanarT*50mmは(フォーカスエイドがあるとは言え)マニュアル・フォーカスなので、ローガン(老眼)になりつつある身としては、薄いピントを捉えることが難しいということもある。それでも、あの美しいボケを求めて、マニュアルでフォーカスするのも楽しいと感じつつある。
印象派その2
白に包まれて

▼というわけで、現在修行中ではあるのだが、もう単焦点のボケには、自己満足ながらただただ「ウットリ」である。例えば下の写真、ピントが合っていないのだが、自分としてはかなり気に入っている。「写真など所詮自己満足の世界である!」と開き直って、その美しさを楽しんでいる今日このごろである。
 ちなみに、最近のズームレンズの性能の向上はずごいらしく、むしろプロの世界ではズームが標準になりつつあるのだそうだ。だから、アマチュアに買わせようというのかも知れない。資本主義とは恐ろしいものである。
おぼろ色