かたかごのはな


古典文法の指導に正対する


「導入期に古文嫌いの生徒を作らない単元の試み」?

 今月号の「月刊国語教育研究」(2015年4月、No516)の特集は「単元学習における評価とその方法」というもので、長野県の高校の先生が「導入期に古文嫌いの生徒を作らない単元の試み」という論を書いていらっしゃる。タイトルは「なるほど」と思わせるものなので読んでみたが、「違っているのではないか」というのが正直な感想である。

 そもそもが「単元学習における評価」がテーマなので、「古文嫌いの生徒を作らない」という私が興味をもった部分に重点が必ずしも置かれている訳ではないのだが、当然のことながらそこには「古文嫌いの生徒を作らない」実践例も紹介されているわけで、その実践例が私にとっては「…???」なのである。

 論者は、ご自身の勤務校の現状を
   「大学受験に焦点を定めた指導が一年次より行われ、古文では特に古典文法指導に力を入れている。そ
   のためか一年次の早い段階から古文嫌いになり、古典の授業にも意欲的に取り組めなくなっていく生徒
   が少なくない」
と分析し、それ故に、
   「古典文法偏重ではなく、内容理解を中心とした「古人のものの見方、感じ方、考え方」に触れる学習活
   動を行い、生徒の「古典に対する興味・関心を広げ、古典を読む意欲を高める」授業(単元)に取り組んで
   みたい」
と考えたようである。
 そこで
 <第1次>1時間
  オリエンテーション(和歌の表現)
 <第2次> 9時間 
  説話を読み、古典の世界の人々の感じ方や考え方に触れる。
   ①検非違使忠明 3時間
   ②絵仏師良秀  2時間
   ③大江山の歌  3時間
   ④まとめ    1時間
という単元学習を計画し、調べ学習やグループ学習なども取り入れた工夫をして、生徒の興味・関心を喚起することを目指している。例えば、1時間目のオリエンテーションでは、和歌の修辞についてワークシートを活用したクイズ形式の授業を展開し、最後に「おめでとう」で折り句をつくるといった実践を紹介している。ちなみに、生徒作品として「おめでとう めでたいけれど 手を抜かず 東大目指して 上を目指して」が紹介されているが、このレベルの、しかもこのような内容の「作品」を掲載する論者の神経にも私的には???であるが…。


試みの結果

 さて、以上の実践を終えた「単元全体の評価」がどのようなものか、長くなるがそのまま引用してみよう。

 生徒が回答した質問シートの記述から、単元全体の評価を考える(記述の分析)。その中で特に注目したのは、生徒の学習前と学習後の古文に対する苦手意識の変化とその理由である(対象生徒159名)。
 その結果、学習前に苦手意識が「だいぶあった」「少しあった」と答えた生徒(132名)の約半数が、学習後の苦手意識が「だいぶなくなった」「少なくなった」と答え、「面白かった」「身近になってきたから」といった理由を挙げていた。
 つまり、導入期に今回の授業実践のように「古人のものの見方、感じ方、考え方」に触れ、調べ学習や意見交換等の学習活動を通して古典の世界に生きた人々と現代に生きる自分たちとの「つながり」や古文を読む面白さを実感できれば、生徒の古文に対する苦手意識は多少なりとも軽減され、その後の古文学習に興味・関心をもって意欲的に取り組んでいくことができるのではないだろうか。
 一方で、学習前の苦手意識が「だいぶあった」「少しあった」生徒(132名)の中で、学習後の苦手意識が「変わらない」、または「少し強くなった」と答えた生徒(67名)の多くが「中学に比べれて内容自体が難しくなった」こと、「文法の難しさ」「文法への不安」といった理由を挙げており、さらに学習前の苦手意識が「あまりなかった」生徒(22名)で、学習後の苦手意識が「少し強くなった」と答えた七名の生徒のうち四名の生徒が、「文法が難しくなった」ことを理由として挙げたことにも注視したい。
 本単元は、古典文法を内容理解の上で必要な知識として位置づけていた。実際には、古語辞典を引くために用言の活用に触れたり、授業で扱った文を例として品詞の説明を行うなど、本文に即した文法学習を心がけたが、結果的に古典文法に不安を感じたり、苦手意識を持つ生徒がいたことが分かった。
(中略)
 本校の場合、大学受験に向けて文法学習を避けて通ることはできない。それでは、どのような文法学習を行えば生徒が不安感や苦手意識を持つことなく、面白さを感じながら意欲的に古文学習に取り組めるか、ということが単元の終わり(評価)であり、次の単元の始まり(目標)となる。

 苦手意識のあった生徒132名の半数は66名である。とすると、
   「約半数が、学習後の苦手意識が「だいぶなくなった」「少なくなった」と答え、「面白かった」「身近に
   なってきたから」といった理由を挙げていた」
とあるが、逆に、
   「学習前の苦手意識が「だいぶあった」「少しあった」生徒(132名)の中で、学習後の苦手意識が「変
   わらない」、または「少し強くなった」と答えた生徒(67名)の多くが「中学に比べれて内容自体が難しく
   なった」こと、「文法の難しさ」「文法への不安」といった理由を挙げており、さらに学習前の苦手意識が
   「あまりなかった」生徒(22名)で、学習後の苦手意識が「少し強くなった」と答えた七名の生徒のうち
   4名の生徒が、「文法が難しくなった」ことを理由として挙げた」
ともあることも踏まえると、この10時間をかけた実践そのものは(とりあえず)「失敗」であったと言うことにならざるを得ないだろう。

 論者はこの結果を受けて、
   「どのような文法学習を行えば生徒が不安感や苦手意識を持つことなく、面白さを感じながら意欲的に
   古文学習に取り組めるか」
という次の目標が見つかったというのだが、そもそも
   「大学受験に焦点を定めた指導が一年次より行われ、古文では特に古典文法指導に力を入れている。
   そのためか一年次の早い段階から古文嫌いになり、古典の授業にも意欲的に取り組めなくなっていく
   生徒が少なくない」
という問題意識でこの単元学習を始めたのなら、根本的な課題は「古典嫌いを作らない文法指導の試み」とすべきだったのではなかろうか。


文法指導に正対する

 にもかかわらず、「文法指導」を正面から扱うことなく、「興味・関心」などといった学習指導要領風の「いかにも」な言葉に課題を転化してしまったが故に、生徒の10時間は大きな成果には結びつかなかったのである。確かに
   「古文に対する苦手意識は多少なりとも軽減」
されたかも知れないが、そもそもの課題はそこにあったのではない。苦手意識を根底にある「古典文法」に対する意識を変えなければ、この実践の意味は大きく損なわれてしまうに違いない。
 逆に、
   「古語辞典を引くために用言の活用に触れたり、授業で扱った文を例として品詞の説明を行うなど」
といった指導が、「古人のものの見方、感じ方、考え方」に触れるといった課題設定の過程で中途半端な形で触れられたことによって、かえって古典文法の持つ体系への基本的な理解が不十分となり、難しさを感じさせる要因になっているとも考えられるのである。

 この論者の学校は進学を目指す学校だそうである。ならば、文法指導に正対すべきである。そもそも
   「大学受験に焦点を定めた指導が一年次より行われ、古文では特に古典文法指導に力を入れている。
   そのためか一年次の早い段階から古文嫌いになり、古典の授業にも意欲的に取り組めなくなっていく
   生徒が少なくない」
という現状は、文法指導のそのものの改善によってしか克服できないことを認識すべきである。「古人のものの見方、感じ方、考え方」に興味を喚起するのではなく、文法そのものに興味を喚起する指導を工夫すべきであろう。
 古典の面白さに触れるために文法はある。同時に、進学を目指す学校では文法は避けて通れない。つまり、進学を目指す学校にふさわしい「面白い文法指導の実践」こそが求められているのである。


2016-03-30



XT1A8905.jpg


XT1A8422.jpg