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授業LIVE 『源氏物語』桐壺巻冒頭の授業


 日比谷高校の3年生文系必修選択授業「古典講読」では、前期中間考査前までに『枕草子』の回想章段を採り上げ、考査後はいよいよ『源氏物語』に取り組んでゆく。2年次には、桐壺冒頭は簡単に触れるだけで、若紫巻が学習の中心であった。そこで、1時間程度『源氏物語』の文学史について紹介した後、いよいよ桐壺冒頭に入ることになる。

基本情報

 ●日 時  :6月11日(●曜日)
 ●対 象  :3学年文系 必修選択 古典講読
 ●教 材  :桐壺「いづれの御時にか」
 ●教科書  :「古典講読」(三省堂)

教科書本文 (pp8~9)

 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。はじめより我はと思ひあがり給へる御方々、めざましきものに、おとしめそねみ給ふ。同じほど、それより下﨟の更衣たちは、まして安からず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよ飽かずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせ給はず、世の例にもなりぬべき御もてなしなり。上達部、上人などもあいなく目をそばめつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかることの起こりにこそ、世も乱れ悪しかりけれと、やうやう、天の下にもあぢきなう、人のもて悩みぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて、交じらひ給ふ。
 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ古の人の由あるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえ華やかなる御方々にもいたう劣らず、何ごとの儀式をももてなし給ひけれど、取り立ててはかばかしき後ろ見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。


授業LIVE

(H:私、 A~X:生徒  指名は、毎時多数を指名するので単純に座席順である)

●源氏とは?

H:では、『源氏物語』の本文に入ります。教科書○○ページを見て。冒頭は、
  「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、
  すぐれて時めき給ふありけり。」
 となっている。これが、全五十四巻、帝三代、七十数年に及び物語の冒頭です。この冒頭文は、そんなに簡単
 に読み飛ばせるものではないんです。そこで、今日はこの冒頭文にこだわって分析してみようと思います。
H:ところでA君、『竹取物語』の冒頭ってどうなっていたっけ?
A:「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。」
H:そうだね。ちなみに、『竹取物語』の主人公って、誰だっけ?
A:かぐや姫ですよね。
H:その通り。だけど、タイトルを見ると誰が主人公に思える?
A:あ~、竹取の翁ですね。
H:そう。だから『竹取物語』というのは、タイトルだけ見ると、ずいぶん変わった物語のような気がするね。
 ところで、Bさん、『源氏物語』の主人公って誰?
B:光源氏です。
H:そう。で、タイトルが『源氏物語』になっているから、当然この「源氏」は光源氏のことだと思うかもしれ
 ないけど、実はこの源氏は光源氏の源氏ではなくて、普通名詞の源氏です。Cさん、源氏ってどういう意味だ
 か知ってる?
C:え~、源氏って名前だと思ってました。
H:そう、名前なんだけど、正確にいうと何て名前だと思う?
C:・・・・・
H:ヒント。しずかちゃんといえば?
C:あ~、源(みなもと)ですか?
H:その通り。つまり、源氏というのは、源という姓をもった人のことを言うんだけど、歴史で「××源氏」と
 いうのを習わなかったかな? D君。
D:鎌倉幕府を開いた源頼朝の清和源氏ですか?
H:そう。では、その清和って何だろう?
D:清和天皇。
H:その通り。つまり、清和源氏というのは、第56代清和天皇の皇子を祖とするということになっている一族
 なんだけど、ちなみに、天皇家の姓は何だっけ? 雅子様の名字は何? Eさん。
E:小和田雅子さん。
H:それは結婚前ですね。結婚後は「雅子様」でしょ? つまり、結婚後は名字がないわけです。天皇家には名
 字がない。それなのに、源という姓があるのはどうしてかというと、これを「賜姓源氏」といいます。源とい
 う姓を与えることで臣下に下す、つまり、皇族の身分から離れるということなんです。直接は関係ないけど、
 源平合戦の平家、つまり平氏は何平氏だっけ? F君。
F:桓武平氏。
H:そう。つまり、桓武天皇の皇子を祖とする一族の誰かが、平という姓をもらって臣下となったというわけ。
 仁明平氏とかもあるらしい。
H:天皇の地位は、血によってのみ担保されるから、血が絶えないようにというので、たくさんの奥様がいらっ
 しゃった。でも逆に、子どもがたくさん生まれると、天皇の地位につける人の数は限られているわけだから、
 残りの子どもたちをどうしようかということになる。当然、朝廷は面倒を見続けることになるわけだが、その
 費用もバカにならない。国家の財政を逼迫させることになる。そこで、天皇になる可能性が薄くなってきた
 段階で、賜姓、つまり姓を与えて皇族の身分から離脱させてしまうわけだ。
H:まあ、今の説明は概要で、多少いい加減な部分もあるかも知れないから、興味のある人は歴史事典などで調
 べてみて下さい。要は、ここでいう源氏とは賜姓源氏、つまり、源という姓をもらって皇族としての身分を離
 れた人という意味だということです。
  ちなみに、清和源氏の源頼朝は清和天皇から十代目、それに対してこの『源氏物語』の光源氏は、お父さん
 が天皇そのものだから一世の源氏ということになり、源頼朝とは格が違うことになります。

源氏物語の意味

H:ところで、この源氏というのは、当時の貴族にとってはどんなイメージだったと思う? G君。
G:カッコイイ人とか?
H:どうしてそう思うの。
G:『源氏物語』の主人公だから。
H:なるほど、物語の主人公にわるわけだから、かっこよくなきゃまずいよね。ところが微妙なんですね。源と
 いう姓をもらって皇族ではなくなったということは、天皇という地位と関連づけるとどういうことだろう?
 もう一度G君。
G:天皇のなることができなくなったということですか。
H:その通り。では、天皇を中心とした平安時代にあって、元皇族でありながら、皇位継承権を失った人は魅力
 的だろうか?
G:う~ん、あまり魅力的ではない?
H:そうです。もちろん、政治の世界から解放されて優雅に過ごす文化人といったイメージもあり得るとは思う
 んだけど、『源氏物語』というのは「皇位継承権を失った者の物語」ということになるんですね。
H:ところが、この作品が偉大なのは、第33巻の「藤裏葉」の巻で源氏は「准太上天皇」という地位につきま
 す。准がつきますが、太上天皇というのはもとの天皇、つまり「上皇」とか「院」に相当するので、結局皇位
 についたというのと同じなんです。だから、紫式部の書いた『源氏物語』とは、「皇位継承権を失った者が皇
 位に就く物語」ということなんですね。ここがスゴいところです。しかもどうしてそれが可能になったのかと
 いうところに、この物語の第一部の一番の眼目があって、そこがまた面白いんですが、このあらすじの話につ
 いてはまたそのうち。ついつい面白いので、私ばかり話してしまいました。

冒頭の文

H:さて、冒頭の文ですが、この文には特色があります。とりあえず、訳してみようかな。「いづれの御時に
 か」と始まっているけど、まず「に」と「か」について文法的に説明してくれる? Iさん。
I:「に」は断定の助動詞「なり」の連用形、「か」は係助詞です。
H:正解ですが、「に」はなんで断定だと分かる?
I:「御時にか」の下に「ありけむ」が省略されていると考えられるので、この「に」は補助動詞「あり」の上
 の「に」ということになり、断定と判断できます。
H:今の中に正解が出ていますが、係助詞「か」の結びは?
I:省略されている「ありけむ」の「けむ」が過去推量の助動詞「けむ」の連体形です。
H:そうですね。「あらむ」の省略と考えてもいいです。ついでに「か」の意味は? もう一度Iさん。
I:疑問です。
H:では、とりあえず訳してみよう。 Jさん。
J:「どの天皇のご治世だったか」。
H:「時」に「御」がついていて、天皇の治世という意味ですね。では、「女御・更衣あまた候ひ給ひける中
 に」だけど、この部分の敬語を指摘してくれるかな、K君。
K:「候ひ」と「給ひ」。
H:「候ひ」は尊敬・謙譲・丁寧のどれ?
K:謙譲。
H:では、動詞、補助動詞?
K:補助動詞。
H:誰に対する敬意?
K:帝。
H:正解。では「給ひ」は、尊敬・謙譲・丁寧?
K:尊敬。
H:動詞、補助動詞?
K:補助動詞。
H:敬意の対象は?
K:女御、更衣。
H:その通り。訳して。
K:「女御、更衣がたくさんお仕えなさっていた中に」。
H:続きの部分を訳して。 Lさん。
L:たいそう高貴な身分というわけではないけれど、格別に帝の寵愛を得ていらっしゃる方がいた。
H:「いと~打ち消し」で「それほど~ない」の意。「時めく」は「時勢に合って栄える」の意で、ここは奥様
 のことだから「帝からの寵愛を受ける」の意。骨格は合っていますが、実は「が」の訳が違います。これは
 難しいから仕方ないんだけど、この時代の「が」には、接続助詞の用法がないことが分かっているんです。
 よってこの「が」は格助詞。では、どう訳したらいいですか? M君。
M:たいそう高貴な身分というわけではない方が、格別に帝の寵愛を得ていらっしゃるということがあった。
H:今の「が」は何格ですか?
M:主格です。
H:そうね、だから「時めき給ふ」の下に「こと」を補ったね。ちなみに、同格ととるとどうなるかな? もう
 一度M君。
M:たいそう高貴な身分というわけではない方で、格別に帝の寵愛を得ていらっしゃる方がいた。
H:そうですね。どちらでもいいけど、参考書では同格になっている場合が多いかな。さて、訳ができたけど、
 今の訳から分かるように、「いづれの御時にか」という冒頭の部分は疑問になっていますね。で、実は、この
 冒頭の一文は、さらに色々な疑問を読者に誘発するようになっているんだけど、例えばどんな疑問が浮かぶの
 だろう? 続きの部分を読んでちょっと考えてみて。では、N君。
N:分かりません。
H:急には難しいかもね。「女御・更衣あまた候ひ給ひける中に」の部分ではどうだろう?
N:・・・・・
H:「あまた候ひ給ひける」…「あまた」…
N:ああ、「あまた」が何人くらいとか?
H:その通り。「たくさん」ってあるわけだけど、そうなると何人くらい奥様がいらしたのかなと思いますよ
 ね。私の奥様はたった一人ですが、一人だって苦しんでいるわけだし(笑)。では、「いとやむごとなき際
 にはあらぬ」の部分はどうでしょう? Oさん。
O:「やむごとなし」が「高貴な身分」だから、そうでないとすると、どれくらいの身分なのかなという疑問が
 わくと思います。
H:そうですね。そして、最後の部分です。Pさん、どう?
P:どうして愛されているんだろうか。
H:そう。つまり、冒頭文には、読者がさまざまな疑問を思い浮かべるようになっている。だから、すぐに物語
 の世界に入っていけるようになっているわけ。で、一番大切な疑問がまだ出ていないんだけど、今出して
 もらった疑問のうち、本文を読むことですぐに解決できる問がある。それは「いとやむごとなき際にはあら
 ぬ」なんだけど、さて、どこを読むとわかるかな? Q君
Q:「同じほど、それより下郎の更衣たちは、まして安からず」とあるので、更衣と分かります。
H:正解。では、女御・更衣のところの注を見て。「どちらも天皇の夫人。「女御」は皇后・中宮に次ぎ、「更
 衣」は女御に次ぐ。」とあるね。女御と更衣では女御が偉いわけだが、この奥様の身分はどうやって決
 まるんだと思いますか? R君。
R:実家の父親の地位によるのだと思います。
H:その通り。だから、ちょっと注に書き加えておいて。女御は父親が大臣以上、更衣は大納言以下ということ
 です。さて、このことを踏まえると、もう一カ所、この「やむごとなき際にはあらぬ」身分が分かる箇所が
 ある。どこだろう? S君?
S:第二段落の「父の大納言な亡くなりて」だと思います。
H:そう。そこでも分かりますね。さて、一番大切な疑問がまだあるといったけど、それは今の「女御、更衣」
 の注と関係するんだけど、分かるかな? Tさん。
T:分かりません。
H:難しいよ。でも、注をよく見て。そこに本文に述べられていない要素があるでしょ?
T:皇后、中宮ですか?
H:その通り。ここで皇后、中宮についてはなぜ触れられていないのだと思う?
T:まだいないから?
H:その通りです。ちなみにTさん、皇后と中宮は同じと考えていいんだけど、一人の天皇に皇后または中宮は
 何人いるか知ってる?
T:一人。
H:そう、一人なんです。枕草子をやった時に、道長が自分の娘彰子を中宮にしたいがために、無理矢理定子を
 皇后にしてしまったという話をしたでしょ。奥様方である女御、更衣は「あまた」いても、中宮はそのうち
 の一人しかなれない。では、その唯一の中宮がまだ決まっていない現在、奥様たちはどんな状態にいると思
 う? U君。
U:みんな平等で幸せだとか。
H:U君はイイ人ですね(笑)。まあそうなんだけど、今後は一人だけが中宮になるわけ。どんな雰囲気だと思
 う?
U:みながその地位を狙っている状態とかですか。
H:そうです。つまり、多くの奥様方が唯一の地位を狙って暗闘しているといった状況だったと想像できるんだ
 ろうと思います。女の世界は怖いですからね(笑)。
H:ちなみに「あまた」については、何人くらいだと思いますか? Vさん。
V:十人くらいですか?
H:そんな感じですかね。一応、三十人くらいが想定されています。

純愛の物語

H:さて、中宮がまだ決まっていないわけだけど、常識的には女御と更衣、どちらの地位の奥様が中宮になりそ
 うかな? W君。
W:女御です。
H:どうして?
W:父親の地位が高いわけだから、天皇は政治をする上で、当然その人に協力してもらわなければならないと思
 います。
H:そうですね。当時は摂関政治の時代で、天皇一人で政権が維持できるわけではないから、やはり有力な政
 治家とは良好な関係を築く必要がある。とすると、有力な政治家のお嬢さんを大切にせざるを得ないことに
 なる。ところが、この帝が愛している女性の身分は?
W:更衣。
H:しかも父親は?
W:すでに死んでいる。
H:ね、常識では考えられない女性をこの帝は愛していることになる。中宮が決まっていないので、この天皇は
 若い?それとも年寄り? Xさん。
X:若い。
H:そうだよね。しかも多くの女御・更衣がいるということは、将来有望なの?それとも期待が持てないの? 
X:将来有望。
H:そう。そういう若くて将来有望だと周囲が期待していた帝が、まったくそのような周囲の思惑とは別に、常
 識に反する愛に走っているというのがこの物語の冒頭なんです。だから、当時の読者はこの冒頭を読んで
 大変びっくりしたはずなんですね。
H:帝に求められる帝王学をまったく無視して、一人の女性を女性として愛する。純愛の物語として源氏物語は
 スタートするのです。では、今日はここまで。

Last updated 2015-04-01

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