2020.04.30 (木) 晴れ
YouTube でZoom関連のビデオなどを見ていると、必要な機材ということで、Webカメラやマイクなどの紹介をしているものが結構あるのだが、そこで紹介されている機材を検索してみると、ほぼ「入荷待ち」とか「入荷未定」とかになっていて、会議にしても学習にしても、オンラインが付け焼き刃的に採り入れられていることが伺われる。ちなみに、同僚の先生で、上記のWebカメラやマイクを当然として、照明器具や大型のホワイトボードまで、約10万円くらいかけて揃えた方がいらしてビックリである。まあ、10万円の配布も決まったようだし、教員としてはイイ使い方と言えるのかも知れない。
(↓色々な企業がZoom用の背景画を用意したりしている。HONDAのホームページより)
2020.04.29 (水) 晴れ 昭和の日
イイ天気。久しぶりに家の敷地内から出る。手紙(X-T4予約宣言キャンペーン応募)を出しに行って、ついでに買い物をしてきた。ということは、つまりX-T4が届いた!というわけである。ははは…。しかし、本当はこのカメラでこの時期の美しい花々を撮るつもりだったのに(ポチッたのは3月1日で、まさかこんな事態になっているとは想像できなかった…)、外出自粛でまったく身動きできないのだから、宝の持ち腐れといったところか。しかも、人混みを避けるために、せっかく花をつけたチューリップや藤などを刈り取ってしまったというニュースもやっていて、可哀想なことである。こういう年もあるのだなぁ。
2020.04.28 (火) 晴れのち雨
主人に協力してもらい、Zoomを使った授業の実践をしてみる。モニター用のPC(タブレット・スマホ)を用意して、そのPC(タブレット・スマホ)もミーディングに参加させることで、生徒の見ている画面状況を確認しながら授業を進めることはできるのだが、実際に生徒は自分のPC(タブレット・スマホ)を視聴しながら、どんな操作が可能なのかなどを、確かめてみたかったのである。まだまだ分からないことだらけだが、スピーカー・ビューとギャラリー・ビューなども分かったし、iPadの画面をAirPlayを使って共有するやり方も何とかマスターした?感じである。その後、YouTube で、ブレークアウトルームのやり方や「投票」の使い方などを勉強する。Zoomでの授業を受けた学生の感想を聞くと、Zoomの機能をうまく使いこなしている先生方に対する評価が高いようなので、もちろん授業内容を充実させるのが先決であるとしても、うまく機能を使いこなせるようになりたいものである。
2020.04.27 (月) 曇りのち雨
検温はずっと35度代で推移して、明日からいよいよシャバ復帰の許可が出る。とはいっても、外出自粛期間でもあり、副校長に連絡して、今週は自宅勤務ということにする。
久しぶりにテレビを見たら、「ステイ・ホーム週間」なるものが話題になっていて、英語使用が多すぎると揶揄されている都知事が、それを逆手にとったのか、意に介さないのか、かなり笑えた。しかしまあ、実際笑い事ではないわけで、営業しているパチンコ店を公表したところ、案の定混雑しているとのことである。10万円の使い道で物議を醸しているN国の議員もいるし、この程度の危機意識で平穏が回復するなら幸せなものなのだが、医療従事者に対する感謝の気持ちを表すとすれば、先ず自らの行動を律して、自らが患者にならないことが第一だろう。このきわめて当たり前のことを確認して、自らの行動が及ぼす影響に対する想像力を働かせたいものである。
(↓庭のブルーデイジー)
2020.04.26 (日) 晴れ
火曜日以降更新できなかったのは、コロナの疑いがあったからである。
21日(火) 午前中から体調が今一つだったので、気分を変えようと昼過ぎにヨガを1時間ばかりやり、その後本を読みながらウトウトする。ところが、夕方になると熱っぽい感がしてきて、検温してみると何と37.7度。この時期でもあり、高齢の母や叔母がすぐ近くにいるし、主人の仕事がない時は休校中の孫たちを預かったりしていることもあって、早速「隔離」されることになる。具合の悪い私はジッとしていたが、主人が大急ぎで使っていない息子の部屋を掃除して寝具一式を持ち込み、以後、この部屋と1階のトイレのみに行動範囲を制限することにしたのである。モバイルパソコンがあったので、スマホとそれで何とか外部とは接触が取れる状態だったが、メインのパソコンは主人と共用の勉強部屋にあるので、重要な仕事は一切できなくなってしまった。寝る前に測った検温では38.2度で、いよいよヤバいかと覚悟し、ロキソニンを飲んで就寝。
22日(水) 朝の検温も37.7度で、副校長に状況を連絡して休暇をとり、部屋で寝ている。ただし、味覚とか嗅覚が変になるということもないし、咳が出るとういうこともない。食欲に変化はなく、便通も通常通り。寝ていたせいか、昼頃に改善の兆しが感じられ、熱も36.3度となって一安心。そのまま様子見で部屋で過ごし、就寝前の検温も35.3度であった。
23日(木) 朝の検温36.3度。ちょっとホッとしたが、少し頭痛が残っていることもあり、もう一日様子を見ることにして休暇を取りつつ経過を副校長に報告。このまま回復するかなぁと思いながら、午前中PrimeVideoばかり見ていたところ、目が疲れたせいか、再び体調が悪い感じがしてきて、検温してみたら再び37.3度。が~ん! 昼食後、また横になってジッとしているが回復せず、16時の検温ではなんと38.0度で悪寒もし始めた。軽食をとってロキソニンを飲んで一眠り。が、これがよかったのか、大汗をかいて、19時には36.5度になる。風邪の時の私の回復パターンではあるが、コロナの疑いがある際にはロキソニンは止めた方がよいという記事もネットにあったので、今後は熱が出ても薬は飲まないことにする。就寝時の検温は35.8度。咳はなく、食欲・便通などにも大きな変化なし。
24日(金) 朝の検温37.0度。微妙な数字であるが、勤務日ではないので、今日も部屋でジッとしている。しかし、頭痛もなく、昨日までとはちょっと違う感じ。ただし、昼食後の検温も37.1度と微妙なところ。夕方も36.9度。そこで、練馬区の保健所の相談窓口に電話して、今後どうしたらよいのか聞いてみることにする。まあ、つながらないだろうなと思いながら電話すると、何と一発でつながった。体温の変化や体調、ロキソニンを飲んだタイミング、隔離の状況などを報告し、担当者からいくつか質問される(海外渡航とか、周囲に感染者がいるかとか…)。ただ、担当の方も、夕方は体温が上がることもあるし、今は様子を見るしかないでしょうとのことで、近所の相談できる病院に関する情報をいただいて電話を切った。しかし、その電話の途中くらいからいつもの調子が出て来た感じで、その後の検温は36.7度。庭でテニスの素振りをする。夕食後の検温36.8度。寝る前に入浴し、就寝時の検温は36.4度。
25日(土) 朝の検温36.4度。個人的な感じとしては、もう完全に普段と変わらない感じ。庭で体操。ただし、37度以下が48時間継続したら登校・出勤してもよいということになっているようなので、今日も様子見ということで、基本的に隔離部屋で過ごす。オンライン授業に向けて、モバイルパソコンを活用して教材作りを再開する。昼36.0度。夜35.7度。よしよし。合間に、スーザン・ネイピア『ミヤザキ・ワールド 宮崎駿の闇と光』(早川書房、2019)を読んだが、著者はアメリカのタフツ大学教授だそうで、鋭い分析に「なるほど~」と感心する。一方、あまりにナイーブに作品世界と作者の実人生を結びつける部分もあって、ちょっと大学の先生(研究者)の書くことではないだろう…という印象も強かった。
26日(日) 朝の検温36.3度、昼の検温35.3度。まったくいつもの体調だが、48時間の夕方まで様子見ということで、引き続き隔離部屋で過ごす。昨日に引き続き、オンライン授業に向けた教材作りと、Zoomの使用実験などに取り組む。夕方の検温35.5度で、とりあえず隔離終了。当分は家の中でもマスクを着用するつもりだし、寝る時には隔離部屋に行くことにしているが、やっと仕事用パソコンの前に座れるようになってやれやれホッ!である。
結局、熱が出てそれに伴う頭痛があっただけで、37.5度以上が4日以上続くことも、咳の症状や味覚などの変化といったこともまったくなかった。コロナの症状も様々らしいので、何ともいえないといったところだが、3密になったのは、火曜日のちょうど2週間前の生徒登校日くらいなもので、あとは出勤するにしても始発に近い電話で空いているし、自宅勤務がほとんどだったし、ましてや余計な外出などはいっさいしていない(買い物のスーパーくらいかなぁ)。また、周りの家族や、幸いなことに何日か主人が預かっていた孫たちにも症状が出ていないことを考えると、単なる風邪だったのではないかと思いたいところではある。
明日は自宅勤務。空き時間に保健所の電話窓口に再度連絡をとり、今度の行動についてアドバイスをいただく予定である。
この間、食事はすべて主人に部屋まで(正確には、部屋のドアの前まで)運んでもらっていたし、いつもの皿洗いはないし、ゴミ捨て・掃除もないし…で、まあ主人には大変感謝しなければならないところである。昨晩の夕食のお盆には、久しぶりにビールが載っており、大好きな春巻きがメインだったことに加え、そろそろ回復してきたようだし、それなら少し引きこもりの気分を慰めてやろうか的な配慮が感じられてうれしかった(ちなみに、隔離された息子の部屋は、今は物置として使っているので、ビールやワインや酒やウィスキーがたんまり?あって、追加でこっそりコップ酒も一杯楽しんだのであった…笑)。初日夜は、消化しやすい鯖の味噌煮だったし、好物の筍ご飯や筍の煮物、筍のスパゲッティなどを用意してくれたりと、(濃厚接触になるので…笑)口には出さないが感謝しているのである。そのうち、期限なし(つまり、使える時がない…笑)肩たたき券でもプレゼントすることにしよう…かなぁ。
2020.04.21 (火) 曇り・晴れ
今日は自宅勤務。クラッシーに3年生の課題をアップする。本当は先週の予定だったが、やっと安定したクラッシーが活用できたというわけである。3年生諸君、遅くなってしまって申し訳ない。ただ、アップする際にも書いたけれど、基本をしっかり身につけていれば大丈夫。だから、逆に、単語や文法などの基本が身についていない人は、この機会に今までの教材をやり直し、覚えていないことがあったら、どんどん覚えることにしよう。覚えた知識をどう活用し、どう読解に結びつけるのか、それを今後の授業で扱っていくので、今のうちにキチンと知識を身につけておけば、力は必ず伸びてゆきます。お楽しみに!(…って、別に楽しくはないだろうなぁ…笑)
2020.04.20 (月) 雨
今後の授業の準備で出校する。校内では、配信授業だけでなく、職員の打ち合わせや会議にもZoomを活用するテストが行われていた。8701歩。
2020.04.19 (日) 晴れ
庭のランチがすっかり気に入ったらしい実家の母の要望で、2回目のピクニック風ランチを実施する。暑かった前回の反省?を生かし、ちょっとだけ木の陰になる場所にテーブルを移したり、クルマで外からの目を遮るようにしたりして、今日も2時間ばかり憂さ晴らし。ちょっと風があったが、イイ天気で楽しめた。これも前回の反省を生かし、ワインは1本にしておいたので(笑)、午後も昼寝にはならず、それなりに有効活用?できた。
最近、YouTube で「大悲呪 (chorus and string quartet ver.) 【MV】× 一休寺・京都 / 薬師寺寛邦 キッサコ - Japanese Zen Music 」なるものを寝る前によく見て(聞いて)いる。ループ再生にして2~3回聞くと、よ~く眠れるのである。自宅にいがちで眠れない方にお勧めいたします。(「大悲呪」で検索するとヒットします)
2020.04.18 (土) 雨・晴れ
朝からひどい雨だったが、夕方から青空に。しかし、チューリップはすっかりやられた(泣)。
「「緊急」の魔力、法を破ってきた歴史 ~憲法学者の警鐘~」という記事が面白いので、一部を引用。語り手は、憲法学者の石川健治東大教授。(朝日DIGITAL 20200417)
「新型コロナウイルスの蔓延を理由とする今回の緊急事態は、(何が緊急事態かを問題にし、独裁権力を想定しない)客観的緊急事態論の筋で理解され、また運用されなくてはなりません。例外的措置を正当化する客観的緊急事態の存否については、まず何よりも事実に基づく医学的判断が尊重されるべきです。医学的に決着がつかないため、政治判断に委ねられる局面はありえますが、『諮問』という位置づけの専門家会議が客観的な判断を示すことが重要です」
「無論、法の例外としての緊急事態は起こり得るし、それに対処する法理は古くから存在します。問題は、主観的緊急事態条項を憲法に書き込むことを通じて、例外状況が常態化(ノーマル化)される危険性です。今回の特措法が原則2年間という時限を切っているのは、緊急事態を理由とする例外的な措置が、常態化するのを恐れているからです」
「ただ気になるのは、その医学的判断で、感染者数や死者数といった統計上の数字が躍っていることです。数としてのみ人間を捉える見方が、前面に出てきている。コロナウイルスという共通の『敵』に対する『戦争』のなかで、『人類』が結集して闘おうとするとき、仕方のない側面もあります。しかし、そのようにして先の戦争中『全体』に奉仕した日本人が、戦後、それぞれかけがえのない『個』としての存在を取り戻したのが、『すべて国民は、個人として尊重される』と定める日本国憲法13条です」
「ドイツのメルケル首相は、テレビ演説で、国民に『これは抽象的な統計の数の話ではなく、父親や祖父、母親や祖母、配偶者、つまり人々の問題だ』と呼びかけました。危機であっても、最大多数の最大幸福という功利計算のなかに個人を埋没させてはいけない、というメッセージで、日本の憲法13条とも呼応する問題意識です。カルネアデスの板(注=船が難破して皆が溺れかかっているとき、目の前に舟板が流れてきたとする。2人つかまれば板ごと沈んでしまう状況で、自分が助かろうと他人を突き飛ばした人間を、殺人罪として処罰できるか。どちらにも生きる理由がある。正しい利益と正しい利益がぶつかっている。それらが両立せず、しかも決断に緊急を要するときに、殺人罪で処罰されるリスクを冒し、やむを得ず他人を突き飛ばして難を避けた行為。これを『緊急避難』であったことを理由に、裁判所が事後的に無罪とすることは、認められている)の状況であっても、かけがえのない存在としての一人ひとりの痛みをどう引き受けるのか、政治、そして市民社会の想像力が試されています」
――「緊急」という言葉には魔法のような力があります。
「『必要』や『緊急』が、法を破ってきた歴史がある。日本国憲法のいう『公共の福祉』は、それらと親戚関係にある言葉です。居住、移転の自由は、職業選択の自由とともに、憲法22条において『公共の福祉に反しない限り』で保障されているわけですが、今回はどちらの自由も、命と経済を天秤にかけ、『緊急事態』を理由に大幅に制限された状況にあります。『公共の福祉』のために宙づりになっているわけです」
「今回の緊急事態宣言に強制力はないけれども、平時なら違法な行為を、正当化する根拠として、公式に『緊急事態』が表明されたこと自体は、極めて大きい。緊急事態の典型は戦争です。実際、どの国の元首も、第2次世界大戦以来の出来事だと言っています。『緊急』が政治的なシンボルとして使われるようになると、権威主義的支配が忍び寄ってきます」
「権威主義の下で政府を支配するのは、もっぱら指導者に対して責任を負うという論理です。国民に対してではありません。『緊急』がアリの一穴になり得ることを自覚し、政府に国民への説明責任を求め続けることが、権威主義へ舵を切るのを防ぎ、自由を守る手立てになると思います」
――海外をみると、ハンガリーでは強権的なオルバン首相を支える与党が非常事態法を成立させ、政府が無期限に超法規的権限をもつことも可能にしました。権威主義的な動きが表面化しています。
「オルバン首相は、ドイツのメルケル首相の立憲民主主義と対立し、『民主主義に自由はいらない』と言い放ちましたが、移民に排斥的な姿勢をとり、かえって人気を博しました。危機が続くと権威主義的なリーダーを求める声が強まり、調整型でなく強い指導力を求める人が出てきます。現に、緊急事態宣言を政府に出してほしいと思っている人は多いのです」
安倍首相は会見で、対応のまずさの責任は全面的に自分にあると言っていたが、責任を認めながらもその責任に対して何のアクションもおこなさいのがこの人である。説明責任しかり、任命責任しかり、そして、今回の迷走の責任しかりである。この重大な時に、この人が首相であることが、日本の最大の災難であると語った政治評論家がいるが、まさにその通りといったところではなかろうか。
2020.04.17 (金) 曇り
いつも通り自宅勤務開始のメールを送って、オンライン学習に備えた教材をつくったり、それをクラッシーにアップしたりしていたら、副校長から「先生は今日は勤務日ではないので、自宅勤務の報告は必要ない」旨のメールが届く。そこでやっと今日は休みの日だった!と気づく。やれやれ…。途端に気が抜けて、午後からは本を読みながらウトウト…。夜、明日の大雨に備えて、大切な鉢植えを雨があまり当たらない場所に移動する。
2020.04.16 (木) 晴れ
今日はクラッシーの調子がよく、2つの授業を試聴する。今日くらいの感じでオンライン学習が活用できれば、まずまずと言えそうなので、このままより安定したサービスになってもらいたいものである。試聴した授業の一つでは、電子紙芝居=パワポではなく、紙芝居そのものを使っていらっしゃって、つまり、説明に合わせて、板書風の紙を画面に出しながら授業を進めるやり方をなさっていて、ソフトの不具合などによる混乱が回避できるという面でも、なるほど「マニュアルはイイなぁ」と感じた。
外出自粛でどこにも出かけられないので、「TODAY'S SHOT」には、2010年のベトナム旅行の画像をピックアップしてアップすることにした。一枚目は、ホーチミンで訪れた戦争証跡博物館での一枚。撮影禁止ではなかったが、展示してある写真の写真なので、今となっては著作権的に問題があるかも。
2020.04.15 (水) 晴れ
昨日よりは改善したとはいうものの、今日もクラッシーが不安定で、オンライン学習が試聴できず。やれやれ…。クラッシーに入れない、また入れても、次の段階に進むのに時間がかかるというのは、私のように単に試聴してみようといった軽い気持ちの人間にとってもかなりのストレスなので、キチンと視聴しようと思いながらもうまく接続できなかった生徒たちは、相当なストレスを感じているのではないだろうか。ましてや、一部の生徒は視聴できているのに、自分はできなかったなどという事態が続けば、真面目な生徒ほど追い詰められた気持ちになってしまうのではないかと心配である。ちなみに、今日配信予定だった講座のうち、配信できたのは半分強くらいだそうで、さらに、視聴できた生徒は、予定されていた数にははるかに及ばなかったようである。学校としては、配信に関する情報を、クラッシーを使わず、かつ、セキュリティに不安なく生徒たちに届けるための方法を、模索しているとのことである。いやはや、「オンライン学習(Zoom配信)体制のクラッシー崩壊」であるなぁ…。
2020.04.14 (火) 晴れ
昨日のクラッシーの不具合は新聞にも掲載されていたが、不安定さは改善されないままで、今日のオンライン授業も中止となる。さて、明日こそは3度目の正直で実施できるのだろうか?
(↓自宅勤務しながら、色々試しています)
2020.04.13 (月) 雨
今週はオンライン試行週間ということで、早速今日からの配信に備えて準備しておられた先生もいらっしゃったのだが、配信に関わる情報を生徒に一斉連絡するためのクラッシ-が不安定で(…というか、アクセスできない状態が続いて)、今日の実施は見送ることに。そもそも、クラッシ-が土曜日から整備のため今朝まで使用不可になっており、今朝久しぶりにアクセスすると、不正アクセスが確認されたからパスワードなどを変更してほしいという画面が現れたため、多くのユーザーがその作業に殺到したのだと思われる。私はいつも通り6時半には学校についてすぐにアクセスしたから、まだ空いていて何事もなく簡単に済んだが、8時頃には「クラッシ-につながらない」とか「パスワードを忘れてしまった」とかいう生徒からの電話が学校に殺到し、職員室は大変な騒ぎであった。
午後から、国語科の教員3名で、教室に設置されたパソコンを使ってオンライン授業の実地訓練?をしてみる。使用するパソコンを教卓の上に置くのではなく、黒板の2/3くらいが映る位置に離して設置すると、教室に誰もいないせいか声も聞き取れて、顔が大写しになる状態よりははるかに見やすい(笑)映像になることが分かり、何となくできそうな感じがしてきた。生徒諸君も、何度か受講しているうちに操作にも慣れて、オンラインでの学習もスムーズに進行するようになるだろう。ただ、学校で実施する場合には回線の幅が心配なことに変わりはないし、また、これから自宅勤務がより推奨されるようになって、自宅から各自で配信せよということになると、うまく行くのかどうか不安である。
2020.04.12 (日) 曇り
買い物は昨日出かけたので、今日は部屋でヨガをやったり、庭でテニスの素振りをしたり、YouTubeでビデオを見たり、本を読んだりして、敷地内から一歩も外に出ることなく静かに過ごす。
大林宣彦監督のご冥福を祈ります。尾道三部作もイイが、私は「ふたり」という1991年の作品が好きである。
2020.04.11 (土) 晴れ
テレビで、庭にテントを張って楽しんでいる…といった家族が紹介されていたので、真似をして?庭のチューリップ・コーナーの横にテーブルと椅子を出し、実家の家族と一緒にピクニック感覚のランチを楽しんでみる。天気もよかったので結構盛り上がり、赤・白2本のワインがなくなる(笑)。おかげで、仕事をするつもりだった午後は昼寝タイムに…。ただし、日なたはパラソルがないと暑いくらいで、今日は連休になったら本格的に楽しむための予行演習のつもりだったが、そのころには暑すぎて無理かも。
2020.04.10 (金) 晴れ
今日も自宅勤務。途中、学校からオンラインを使った学習の実験があるというので視聴する。初めてだから、色々な操作がスムーズに進まないのは仕方ないところだが、PCにちょっと重い作業(パワポから音声を再生させるとか…)を課すと、途端に画像が乱れてしまうのが気になった。PCの能力なのか、回線の幅なのか不明だが、今日は1講座だけの実施だったのに、来週からは同時間帯に複数講座の配信をすることになっているので、大丈夫なのかなという印象である。
で、ついでに述べれば、このようなオンライン学習は緊急のために仕方なくやっているのだということを確認しておきたい。今回のコロナ騒動を、オンライン学習のような形態が浸透するキッカケとして積極的に捉えたいというようなことを主張する識者もいるが、オンラインなどが「教育」の形態であるとはまったく思わないのである。ある意味、「密閉、密集、密接」こそが教育の原風景とも言えるわけで、安易にオンライン学習などへの移行を考えるとしたら、大きな誤りを犯すことになるだろうと警告しておきたい。
(↓昼に庭で撮影)
2020.04.09 (木) 晴れ
今日も自宅勤務。仕事そのものはかなりはかどる。ところで、来週からオンライン学習を試験的に開始することになったらしく、そのことに関する連絡が来たが、この試用期間中に国語科としてどう取り組むのか(例えば、映像授業にするのか or pdfを提示する形にするのかとか、学年担当が相談してやるのか or 個人的にやるのか…など)はこれから考えるようである。明日はその打ち合わせで、外出自粛にもかかわらず出勤しなければならないかも…と思っていたら、月曜日に国語科会ということになったので、とりあえず明日は自宅勤務。しかし、大学の方もオンライン学習に決まったので、その準備もしなければならず、ちょっと大変になってきた。
社会学者大澤真幸さんのインタビュー記事が面白いので、一部分だけ引用。(朝日DIGITAL 20200408)
――「メンタル面の崩壊」とは何ですか。
「たとえば、各国の医療現場で人工呼吸器の絶対数が不足し、高齢の重症患者と若い重症患者、どちらに呼吸器を優先的に装着するか、という選択を迫られる事態が多発しています。人工呼吸器を若者に回さざるを得ないとの判断。それは苦渋の決断で、社会を維持していく優先順位では、ある意味で正しいとも言える。しかし、その決断は『最も弱い立場にある人こそ、最優先で救済する』という、人間倫理の根幹をないがしろにしてしまうおそれがあります」
「そういう判断を重ねることで、倫理的なベースが侵され、『弱い人を見捨てても仕方ない』という感覚が広がり定着してしまう可能性がある。パンデミックの長期化・深刻化は、人心の荒廃まで招きかねません」
(中略)
――これまでさまざまな分野で「国家を超える連帯」が訴えられてきたが、ほとんど実現していません。「絵に描いた餅」では?
「新型コロナウイルス問題がそうした膠着(こうちゃく)状態を変える可能性があります。第一に、気候変動は非常に長いスパンで影響が表れるため、対応も進みにくかったが、ウイルスはあっという間に世界中に広がり、一人ひとりの命を直接脅かしています。気候変動問題の存在を否定したトランプ米大統領も、新型コロナウイルスについては『問題ない』との自説をすぐに引っ込め、真剣に取り組まざるをえなくなった。非常時には歴史の流れが一気に加速されます」
「第二に、政治的・経済的に恵まれた人々は、格差や貧困、海水面の上昇など従来の社会問題から逃れられたが、新型コロナウイルスには多くの著名人や政治家も感染しています。『民主的で平等な危機』であり、社会の指導層・支配層もわがこととせざるを得ない。その分、思い切った対策が進む可能性がある」
「第三に、今回のパンデミックが終息したとしても、新たな未知の感染症が発生し、広がるリスクは常にある。日常生活の背後に『人類レベルの危機』がいつ忍び寄るか分からないことを、私たちは知ってしまった。それが私たち自身の政治的選択や行動に大きな影響を与えるかもしれません」
――確かに、英国のブラウン元首相も3月末に、「一時的な世界政府の樹立」を呼びかけました。数カ月前には考えられなかったことです。ただ、現時点では、世界は「連帯」よりも「分断」へと向かっているようにも見えます。
「ポジティブな道とネガティブな道、どちらに進むかという岐路に私たちは立っています。持続可能な生存には『国を超えた連帯』という道以外あり得ませんが、危機的な状況ではかえって各国の利己的な動きが強まりかねません」
「人間は『まだなんとかなる』と思っているうちは、従来の行動パターンを破れない。破局へのリアリティーが高まり、絶望的と思える時にこそ、思い切ったことができる。この苦境を好機に変えなくては、と強く思います」
2020.04.08 (水) 晴れ
本来なら授業が始まっているはずなのだが、今日から週末まで自宅勤務。勤務時間が終わった後、買い物に出かけたが、自宅前の目白通りは通常の半分くらいの交通量しかなかった。スーパームーンがキレイだった。
2020.04.07 (火) 晴れ
いよいよ緊急事態宣言が発出されたが、入学式は昨日のうちから結局延期ということになり、担任団は電話連絡が大変だったようである。他校での状況は聞いていたが、日比谷では職員会議で職務命令も発令されたし、ギリギリ実施するのかと思っていたが、まあ仕方ないところであろう。その結果、午前中は、新入生に配布するはずだったプリントや教材、その他を新入生全員に郵送するための作業を手すきの全教員で行う。午後からは、オンライン学習に向けての職員会議。学校の機材は利用できるが、そもそも自宅勤務が推奨されていることもあり、教員が自宅から配信するのかどうかなど検討の余地も多いが、とにかく先が見通せない状況である以上、準備だけはしっかりしておかなければならないのである。13573歩。
2020.04.06 (月) 晴れ
放送で始業式と着任式。その後、新2年生はクラス分け発表と学級タイム、新3年生は学級タイムを行って、約2時間くらいで下校させる。教室や廊下の換気に気をつけているとはいえ、久しぶりに生徒が溢れている(…というほどでもないのだが)様子を目にすると、何となく感染が広がりそうな雰囲気があって、ついついマスクを付けてしまったりするから、ここ数週間の変化には我ながら驚かざるをえない感じである。しかし、夏休みまでの行事はすべて中止となってしまったので、最後の体育大会や合唱祭を楽しめない3年生は本当にお気の毒だし、海外研修に参加予定だった諸君も残念なことであろう。ちなみに、夏休みは8月3日から23日までになってしまった。今日になって、健康診断も当面実施しないことになったし、明日には緊急事態宣言がありそうだということで、今後さらに予定変更があるかも知れない。いやはや大変な事態である。9353歩。
2020.04.05 (日) 曇り・雨
昨日とうって変わって、雨もちらつく肌寒い一日、買い物以外は家で過ごす。
今日の記事から。(朝日DIGITAL 20200405)
中国から世界に飛び火した、新型コロナウイルスの脅威。各国政府がロックダウン(都市封鎖)などの強硬措置に踏み出すなか、欧米の政治思想に詳しい仲正昌樹さんは、歴史上における感染症と政治権力との「密接な関係」に着目する。国家による市民の「管理」や「隔離」、危機対応と民主主義のジレンマを、私たちはどう受けとめるべきか。
★
――感染症の発生で隔離された人々の不条理を描いたアルベール・カミュの「ペスト」が、たびたび重版するほど売れているそうです。この現象をどう見ますか。
「伝染病は古今東西の哲学・文学でけっこう主要テーマになっています。中国・武漢の封鎖というニュースを最初に見たとき、カミュや、エドガー・アラン・ポーの短編『赤き死の仮面』の世界そっくりだと感じました」
――そっくり、とは?
「人間の本質があらわになるのは、戦争や自然災害より、むしろペストに象徴される『未知の何か』が人間内部に侵入してくる状況だ、というのがカミュのメッセージです。『ペスト』の舞台はフランスの植民地だったアルジェリアですが、フランス政府はある限られた区画に人々を隔離し、人々を管理・監視できるようにした。こうした状況は、戦争や自然災害では想定しにくい。ペストも怖いが、このときの政治権力の方がもっと怖い、というわけです」
――仲正さんの専門は政治思想ですが、政治権力の怖さという点で、コロナ危機を考えるヒントを与えてくれる思想家はいますか。
「やはり公衆衛生と権力の関係を論じたフランスの哲学者ミシェル・フーコーでしょう。彼が1975年に出版した『監獄の誕生』で示したのが、看守が囚人を一望監視できるあの有名な施設『パノプティコン』ですが、その導入部でペストが出てくるのも、何やら符丁が合っています」
「パノプティコンは、中心に監視所があり、周りを取り囲むように独房が設置されている監獄のイメージです。照明などを調節し、囚人からは、誰に監視されているのか、そもそも監視されているか否かも分からない。こうした管理システムは監獄に限らず、病院、学校、工場などに拡張されうる。人々を規律正しく従順なものに導くという意味で、フーコーはこれを『規律権力』と名付けました」
――権力にとって、そんな管理システムの利点は何でしょう。
「統治の手間、コストが抑えられます。権力側が市民を抑え込もうと武力や強制力を行使すれば、市民が抵抗してその鎮圧に手間がかかる。近代の権力は、前近代のように人々の命を粗末に扱うのでなく、なるべく生かした状態で利用するという手段をとるようになった、とフーコーは指摘します」
――フーコーの権力分析は、現代の私たちにも有効でしょうか。
「フーコーはノーム(規範)/ノーマル(正常・普通)という概念も示しています。安倍晋三首相によるイベント自粛や一斉休校の要請に対する人々の反応を考えるうえで、示唆的かもしれません。政治権力は通常、立法や何らかの指導でノームを作りますが、そのノームが定着すれば、人々はいつの間にか『これが普通だ』と思い始める。人間は誰しも『普通』から逸脱し、異常扱いされるのは嫌です。こうして、権力から強く促されなくても、自分で自分を無意識に統制するようになります」
――安倍首相が打ち出したのはあくまで「要請」でした。感染者が出ていない自治体もあったのに日本の圧倒的多数が従いました。
「自分が逸脱していないかどうかを確認する手段は大抵、自分と他人を比べてみることです。あいつは『標準』から逸脱している、オレはあいつのような『逸脱者』にならない、などと思う。そうして自分で自分の逸脱を戒めたり、他人の逸脱をとがめたりする。そうなればさらに、権力による監視・管理の手間は省けるわけです」
――中国政府は、個人の「健康証明」をコンピューターでチェックしているそうです。AI技術の進展で、政府の管理は、より精緻でSF的になっています。
「そうですね。極小の機械を人の体内に入れ、一人ひとりの健康を管理するといった高度に医療化された社会という着想は、以前からSF小説にありました。早世した伊藤計劃の『ハーモニー』がそうですし、最近公開された邦画『AI崩壊』もその延長線上でしょう。ですが、最近のITによるチェックシステムを見ると、SFと現実の境界はもはやないかもしれません。ここでもポイントはやはり、権力による監視・管理が人々の意識を素通りしている点です。自分が管理されているという認識が薄いことなのです」
――国民の安全・安心を第一に考えれば、一定の「監視・管理」は避けられない気もしますが。
「気を付けるべきは、対応策がエスカレートすることです。私たちは健康の話となると、『イデオロギーの問題ではない。科学の話だ』となり、政府が進める公衆衛生政策をさほど抵抗なく受け入れがちです。つまり、価値中立のように思ってしまう。外交・安保といった、いかにもイデオロギーが絡みそうな政策に比べ、人々は権力に統治されやすくなる。そのことは、今回の改正新型インフルエンザ等対策特別措置法の成立にも表れたと思います。この特措法が国会でどのように成立したか思い出して下さい」
――立憲民主党など野党も軒並み賛成し、反対は共産党、れいわ新選組などに限られました。
「立憲などは『物分かり』が良すぎたのではないでしょうか。というか、もう少し抵抗するだろうと私は思っていたので、あっさり賛成に回ったのは意外でした。5年前の安保法制のときの国会はどうでしょう。衆参両院で審議時間は計200時間以上に達し、安保法制反対派は『それでもまだ審議時間が足りない』と言っていたのですよ。なのに今回、私権制限などに関わる重要論点もあるのに、わずか3日で成立しました。この違いは大きすぎます」
「オーストリアの哲学者イバン・イリッチが論じていますが、現代人の特徴として、人々は健康に過敏に反応し、権力の浸透を招きやすいとも言えます。前近代人は戦争や病死が日常茶飯事だったため、人の死が身近にあった。ところが現代は、医療技術の発達と長続きする平和のおかげで、死への文化的・社会的な免疫が落ちている。立ち止まって自省することが出来ないのかもしれません」
(後略)
2020.04.04 (土) 晴れ
一番下の孫娘と過ごす。休校措置の上二人(小学新2年と新4年)は、主人が休みの日に預かったりしているのだが、保育園に通っている一番下とはなかなか遊ぶチャンスがないので、今日は一人だけ特別待遇?ということで、多少の我が儘は見過ごしながら(笑)過ごさせる。
(ばーば撮影)
2020.04.03 (金) 晴れ
久しぶりに出校する。休校措置にともない、年間行事にも色々な影響が出て来るようだが、まだ正式な発表はできない。生徒諸君には、6日の始業式(放送で実施する)の際、休校中の課題とともに、今後の日程などについて連絡することになっているが、修学旅行に行けなかった新3年生諸君には、さらに残念な連絡があるかも知れない。7日の入学式は、来賓などの出席は見送り、生徒と保護者各1名のみということで実施する予定。3月いっぱいくらいで終息するのではないかと思っていたコロナだが、なかなかどうして、大変な状況である。連休明けには終息するのだろうか、それとも、さらに事態は悪化するのだろうか…。
2020.04.02 (木) 晴れ
晴れて春らしい天気だが、風が強いので、家で新学期の準備などをして過ごす。大学からは、休講期間中の課題を提出することが求められたりしているので、今年からテキストを変えたこともあり、それを読んで準備したりしているのである。高校の方は、今日までが個人的には春休みで明日から勤務なのだが、休校が連休明けまでとなったこともあり、どうなることやら。
しかし、一家に2枚のガーゼマスクを配布するというのは、飲み屋という密集した密閉空間での密接なおっさんトークではなくて、本気で政府が考えている政策らしい。いくら日本郵便を使ったって、届かない家庭が必ず出て来るだろうし、そういう家庭こそ必要としている可能性が高いような気もして、まったく何なのだろうという感想である。
2020.04.01 (水) 雨
パッとしない新年度の初まりである。都立高校の再開が連休明けになりそうだという報道もあるし、いったいどうなることやら。私としては、自宅勤務で課題を用意したり添削したりするよりも、教室で授業をする方がよっぽどイイのだが、教室で対話型の授業をすると、完全に「3密」になってしまうし…。ちなみに、講師をしている明治大学と二松学舎大学は、どちらも連休明けの開講となり、その分、レポートなどを課すことが求められることになった。教科教育法という講義の性格上、レポートではカバーしきれない、つまり、対話的な講義をしないと伝わらない部分も多く、困ってしまうなぁというのが正直な気持ちである。
追記 : 休校は、5月6日までに決まったようである。始業式・入学式は規模を縮小して実施らしい。3日(金)に職員会議があるので、詳しい情報はその時に分かるだろう。