12月

2020.12.31 (木)  晴れ

 掃除(私)も終わり、料理(主人)も終わり、時間があったので、今日を水曜日だと思い込んだまま散歩がてら阿佐ヶ谷のカレー&地ビールの店に昼食に出かけたが、その店は木曜日定休で、つまり、今日は定休日なのであった。やれやれ…。まあ、替わりに入ったパン屋さんのランチプレート(820円也)が美味しかったし、分散初詣も出来たので、よしとするか…(笑)。では、皆さま、よい年の瀬を。
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2020.12.30 (水)  雨のち晴れ 2020年の10大ニュース

 昨日、今年の更新は終了と書いたのだが、大先輩から「今年の10大ニュース」といったメールを頂いたので、私も今年の10大ニュース!を。
1 オンライン授業 = 高校は5月いっぱい、大学は今年度いっぱい(1月も予定されている)、オンライン授業を実施した。おかげで Zoom というものの使い方を覚え、友人との飲み会まで経験できたが、一方で、いかに対面の授業が大切かも実感した。また、オンライン授業をするために、結婚独立した後で物置にしていた息子の部屋を掃除して「放送室」に改装。パソコン一式を移動した関係で、そのまま私の勉強部屋とすることにして、エアコンやLED照明を設置。これまで一緒だった夫婦の勉強部屋を別々にすることで、互いに快適な家庭内別居?を満喫している。なお、4月中旬に熱を出し、コロナではないかということで、家庭内隔離されたが、結局数日で熱も下がったし、咳や味覚・臭覚障害もなくて、結局何だったのかよく分からなかった。主人にはずいぶん心配をかけたり、手数をかけたりしたが、その後実家の家族や孫一家にも影響がなかったので、とりあえずよかったといったところか。
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2 孫とお家時間 = 孫たちの学校も5月いっぱい休校となり、仕事が休めないお父さん・お母さんに代わって、主人が孫たちの世話をする機会が増えた。私もオンライン授業のない日には、一緒に勉強を見たり遊んだりと、孫と過ごす時間がかなり増えた。夏休みには、プールに行けないので、通販で大きなビニールプールを購入し、「お家プール」?を楽しんだ。
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3 パソコン環境アップデート = 自分の勉強部屋を持てたこともあり、今まで使っていたメインパソコンを、iMac 27inch 5K から Windows パソコン(SufaceBook3)に買い換えた。ついでにモニター(BenQ SW271)も導入して、まったく新しい環境を構築。その後、エルゴトロンのモニターアームも購入して自在にモニターの位置を変えられるようにしたり、M1チップ搭載の新Mac mini を付け加えたりと、結構パソコンライフを楽しんだ。ソフトでは、Skylum の Luminar4 が最も活躍してくれた。年末には、Luminar Ai も導入。写真をやる人にはお勧め。
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4 リフォーム = リフォーム敢行。年内に、屋根の葺き替えや壁・手すりなどの塗り直しといった外装リフォームを実施。来年3月には、キッチンや浴室、壁紙、照明といった内装リフォームを計画中。
5 読書 = 一般書では佐藤直樹『加害者バッシング』(現代書館、2020)、古典関係では山口佳紀『伊勢物語を読み解く』(三省堂、2018)が勉強になった。最近、寝る前に新約聖書を読んでいる。
6 カメラ関係 = 今年新たに購入したのは Fuji X-T4 と XFF50mm F1.0 。Fuji のXシリーズをご愛用の方は、ぜひ購入すべき本体とレンズと言えるだろう。とはいっても、最近の出番は SONY α7RⅣが多い。というのも、SEL135mm F1.8 GM というレンズを使いたいからである。このレンズ、近くまで寄れる近接能力が高い上に、さすがGMレンズだけあってボケの美しさが素晴らしく、現在最も気に入っている一本である。
7 音楽 = 音楽では、ちょっと昔の曲だが、大橋トリオの「Lady」が最高! ちなみに、YouTube で「赤い鳥」の名曲などを聴き直したりしているが、コロナのせいで YouTube をよく見るようになったのも、今年の変化の一つかも。
8 映画 = 映画は、映画館に一度も行かなかったので、すべて Prime での視聴だが、中でも「ボヘミアン・ラプソディ」が評判通りよかった。その他、「ロケットマン」「Yesterday」といった音楽映画が印象に残った。
9 旅行 = 旅行にもまったく出かけず、東京から出たのは、3月に鎌倉・江の島に行った(5月の連休に孫たちを連れて行こうと思って実踏に行ったのだが、結局行かれなかった)のと、バラを撮影に行った横浜2回、埼玉の森林公園に3回、そして、9月に出かけた軽井沢のみである。この軽井沢の LakeGarden は素晴らしかった。バラの最盛期にぜひ再訪してみたい。それにしても、来年は海外旅行に行けるのだろうか…。
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10 付録 = 父から遺産として引き継ぎ、来年2月に車検を迎えるヴィッツを、新型ノート e-Power に買い換えた(1月上旬納車予定)。実は、同じく1月に車検を迎えるオデッセイを、マイナーチェンジしたばかりのハイブリッドモデルに買い換えるつもりでいたのだが、試乗したら印象が今一つで(e:HEVなのに静粛性が低い…)、急遽予定変更したのである。オデッセイの方は、更なる改善を期待して、もう2年待つ予定。
買い出しの途中で)
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2020.12.29 (火)  晴れ・曇り

 窓拭きをやってお正月準備終了。お姉ちゃんたちが宿題に専念できるよう一番下の孫を預かり、午後からクルマで石神井公園に遊びに行く。
モデル風のポーズを…と頼んだら、こんな感じでした)
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 さて、今年は旅行にもどこにも出かけませんが、当面(…って、最近はいつもであるが・笑)のんびりしたいと思いますので、年内の更新は今日までといたします。年明けは、4日(月)の学校開始(泣)とともに再開したいと思いますので、またよろしくお願いいたします。 では、感染対策をしながら、よい年末・年始を!

2020.12.28 (月)  晴れ

 門松や輪飾りを設置する。お正月に向け、第一回の?買い物に出かける。あとは、のんびり読書など。

2020.12.27 (日)  晴れ

 オンコの木に飾り付けていたクリスマスの電飾を片付ける。ついでに、モッコウバラのアーチに手を入れて、上に伸びるように育ててもあまりよろしくないようなので、横に茎を這わせる形にかえてみる。うまく行くか分からないが、なにせシュート伸び放題だったので、少し形を整えるようにしてみたのである。それにともない、チェリーセージやスイセンの苗の植え替えなども行い、すっかり疲れて、午後からはウトウトしながら過ごす…とは言っても、完成した年賀状を印刷して投函する。とりあえず年内にやらなければならないことは(窓拭き以外…笑)済ませて、ホッ!といった感じか。

2020.12.26 (土)  晴れ

 上の孫二人を預かり、午前中は家で冬休みの宿題をやり、午後からクルマで森林公園に出かける。関越の入口に近い我が家からだと、昭和記念公園よりも短時間で行けるのである。イイ天気だし、ガラガラだして、短い時間だったが楽しかった。
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2020.12.25 (金)  晴れ・曇り

 一番下の孫が、今年パー歳(手を広げた5歳…笑)になったと言っていたが、それに習うと、今日で60とチョキ歳になりました。まあ、この年になると、めでたいといったところか。
 内装リフォームを予定していない和室の電灯を、近所の電気屋さんに頼んでLEDのものに替えてもらう。せめて照明だけでも…といったところ。その後、年賀状のデザインを仕上げる。
 責任を感じているのかいないのか、まったく分からない答弁が続いているが、これだけの事態と不信感を招いたのだから、どう考えたって議員辞職すべきだろう。再び選挙で選ばれれば職責を全うしても構わないと思うが、道義的責任があると本当に認識しているなら、先ずは一から出直すべきである。

2020.12.24 (木)  晴れ・曇り

 今日で年内の勤務はおしまい! ばんざ~い!!! 8916歩。
 しかし、東京の感染者は過去最多の888人で、20代の感染者が240人で最大だそうだ。感染経路が不明で、どこに落とし穴が潜んでいるのか分からない(誰がかかってもおかしくない)状況である以上、家庭内感染のきっかけを作ることのないよう、そして、何より逼迫が懸念される医療現場の負担となるような事態を招かないよう、一人一人が自覚のある行動をしなければならないだろう。
 今日の新聞に、村上春樹さんがフランスのリベラシオン紙のインタビューに答えた内容が報じられていたので、その記事を一部引用。(朝日DIGITAL、20201224)

 最近気にかけていることとして、SNS上で交わされる言葉や言論が貧しくなっている、との認識を示した。「批判を受けたら(それには応えず)別の批判を投げ返している。方法として恥ずべきこと。日本の首相さえそうやってふるまっている」と嘆き、「自分の中に何をもっているのか、明確に説明しなければいけない」と注文した。

 まったくその通り…と思っていたら、同じ紙面に、土曜別刷りの「be」が行った「今こそ聴きたいクリスマスソング」アンケートで圧倒的1位になった「クリスマス・イブ」の作者、山下達郎さんへのインタビュー記事も載っていて、その答えが、まるで村上春樹さんが答えているのではないかとさえ感じられる雰囲気(もちろん、個別・具体的な細部はまったく異なるわけだが…)で面白かった。ちなみに、「be」のアンケートで「クリスマス・イブ」について、「これを聴かないと年を越せない」とか「聴くと、もう今年も終わりだな、と感慨深い。良い思い出も悪い思い出も、一つの区切りをつける永遠の曲」とかの感想を寄せている方々が、77歳だったり76歳だったりして、これまた驚きであった(笑)。

2020.12.23 (水)  晴れ・曇り

 東大に進学した卒業生が顔を出してくれたので、大学の様子を聞いたところ、ほぼオンライン授業であるとのことだったが、ちょうど今日の新聞に、文科省が対面授業の割合が5割以下の大学や高専の名前を公表したという記事があり、それを見てみると、日比谷生が受験する大学の多くが掲載されていた。こういう状況下ではなかなか判断が難しいだろうし、学生の中にも対面を希望する者とオンラインを希望する者とが混在しているようだ。実習系の授業の場合は、やはりオンラインだけとはなかなか行かないだろうと思うが、それだけでなく、やはり学生と直接向かい合って授業をするのは大切なことのような気がする。今年はオンラインが注目されたし、オンラインにはオンラインの良さがあるのは分かるが、やはり対面で学ぶことには、簡単には計り知れない重要さがあるのではなかろうか。8693歩。
 ところで、なんで卒業生が顔を出してくれたのかというと、年明けに予定されている20歳を迎えての同期会をどうしたものかという相談であった。すでに会費も集めており、今から止める(延期する)とキャンセル料が発生するとのことで困っている様子だったが、中止するように強く伝えておいた。自分たちは大丈夫だろう…ということで、自粛しない人々がいることが、高い感染者数の根底にあるのは明らかである。そのことを考えれば、現状では止めるという判断以外、あり得ないだろう。協力したい気持ちは山々だし、例年先輩方が行っている会を自分たちも…という気持ちは分かるのだが、ここは良識ある判断をすべきところである。開催を楽しみにしていた諸君も、幹事諸君の苦労を思いやって、ぜひ建設的な方向を打ち出せるよう協力してほしいものだ。

2020.12.22 (火)  晴れ・曇り

 今日の特別授業で、年度内の授業は終わりで、何となくホッとする。ちなみに、昨日の講座は大教室にも入りきらないくらいの超満員で、隣の教室から机を運び入れて実施したが、今日は同じ大教室にたった8名ということで、こじんまりと会話を交わしながらの授業で楽しかった。8559歩。
 財政健全化のために、予算規模を縮小する方向で来たはずなのに、来年度の予算案が過去最大になるという。コロナだから仕方ないと財務大臣は発言していたが、仕方ないで済ませていてはダメなのである。こういう時に予算配分の重みに差をつけて、財政規模を小さくすることこそが仕事だろうに。この人が働いたのは、まったくその任にふさわしくない首相を誕生させた時だけで、コロナ対策にしても、財政にしても、何一つ役目を果たしていないといっても過言ではない。この人にも税金から給与が出ているのである。

2020.12.21 (月)  晴れ・曇り

 冬至。朝晩は寒くなったが、日中は結構暖かい。いよいよクリスマスの週となったが、世の中コロナで今一つ盛り上がらない感じである。新聞に「ワクチン打ちますか?」という特集があって、結構「打つ」と答えている識者が多かったが、私はできるだけ時間稼ぎ的に打ちたくないかな。もし打つとしても、認可されたワクチンのそれぞれの治験が蓄積されて、最も安全とされるものがハッキリしてからといったところか。9076歩。

2020.12.20 (日)  晴れ・曇り

 外装のリフォームが終わり、引き渡しを受ける…って、住んでいるから、あまり感動はないが(笑)。引き続き、内装リフォームの見積もりをもらい、契約をする。こちらは家にいなければならないので、春休み直前から工事にかかってもらうことに決める。
 今日の新聞から。(朝日DIGITAL、20201220、「日曜に想う」から一部引用)

 2年前の8月、埋め立てを拒んできた沖縄の翁長雄志知事が亡くなった。10月には県民葬があった。基地問題で対立した当時の菅官房長官が安倍晋三首相のあいさつを代読した際、「帰れ」などと激しい声が飛んだのは記憶に新しい。
 在任中の翁長氏は、沖縄の苦難の歴史への理解を切々と政府に求めた。しかし菅氏から返ってきた言葉は「私は戦後生まれなものですから、歴史を持ち出されたら困りますよ」というものだったという(翁長雄志著「戦う民意」から)。
 歴史をこのように言う人が総理大臣であることは、覚えておきたいと思う。

2020.12.19 (土)  晴れ・曇り

 孫一家を呼んでクリスマス会。5人以上での会食だが、感染対策も施しての実施ということで?まあイイことにしてもらおう。
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2020.12.18 (金)  晴れ・曇り

 関越道は依然立ち往生が続いているようで、突然の事態に巻き込まれた運転手さんたちは大変だろう。練馬インターの側に住む者としても、また、それ故よく利用する者としても、あんな大動脈が…とちょっと信じられない気持ちである。早い開通をお祈りします。一方、私は、しなければならない家の用事を済ませた後、暖かい部屋で賀状のデザインを考えたりしながらのんびり過ごす。

2020.12.17 (木)  晴れ・曇り

 特別授業がなく、添削だけのノンビリ日。7704歩。
 感染者が822人と聞くと、かなり大きな数字になってきたなと思うが、もはやコロナとともに生活をしていかざるを得ない状況ということだろう。自分は大丈夫だろうなどと思わずに、一人一人が個人でできることを徹底して、医療体制に負荷がかからないように注意しないといけない。年末年始もジッとしているに越したことはなさそうだ。

2020.12.16 (水)  晴れ・曇り

 今日の新聞から作家の桐野夏生さんのインタビュー記事を。かなり長いが、とても重要なことが述べられているので全文引用。最後のセクションは、国語科の教員にとっても示唆に富む。(朝日DIGITAL、20201216)

若い世代の取材に「なぜ許せぬ」  ~桐野夏生さんが疑う正義~

    *
 小説家になって、26年という月日が経った。小説家という仕事は、それこそ「生産性」という意味で言えば、無駄な存在だが、違和感を糧として仕事をしてきた自分たちには、また別の感受性を培ってきたという自負がある。
 私には、「何か変じゃない?」という違和感がすべてだった。
 その違和感こそが、新しい扉を開ける鍵で、別の世界を創り出すと信じて大切にしてきた。
 しかし、今、その違和の質は大きく変容してきている。
 『OUT』という、主婦パートの物語を書いたのは1997年だ。
 当時は、夫がホワイトカラーという家庭で、なぜ妻はパート労働というブルーカラーになるのか、という疑問があった。
 パートは代替可能な単純労働で低賃金、景気調節の安全弁を担いもするから、労働者としては、まことに不利だ。つまり、家庭内の性別役割が税制にも反映され、そのまま主婦の労働形態になっていることへの違和であり、疑問だったのだ。
 ところが、10年後は労働市場の規制緩和により、女性だけではなく、若い男性の非正規雇用も進むことになる。
 『OUT』の取材当時、「娘のバイト代よりもパートの時給が安い」と嘆いていた弁当工場の主婦は、娘のバイト代も自分の時給並に安くなったことを嘆くだけでなく、娘世代や若い男性たちに、自分のパート勤務を奪われることも恐れなければならなくなった。
 新自由主義経済のもと、事態はさらに悪くなったのだ。富める国はますます富み、貧しい国は富める国に搾取され続けて、貧しさから抜け出すことができなくなる。 となれば、国家は富を維持しようと、コスパのよい労働力への管理を強め始める
 日本において、特に犠牲になったのは若い女性たちだった。
 若い女性労働者の6割が非正規雇用で低賃金。貧困層を形成しているにも拘わらず、次世代の労働力を産め、と強制されもする。
 医大の入試も、女性というだけで不利になる。まったくもって、ナメられたものである。
 コロナ禍の現在、若い女性の自殺率が上昇していると聞く。カフェで、ふと耳にした若い女性の「どうして12時間も働かなきゃならないんだろう」というつぶやきが蘇って、胸が痛む。
 しかも、企業に都合のよい規制緩和が進むと同時に、管理に都合のよい概念もちゃっかり生まれるのだから、始末に悪い。
 ご存じ、「自己責任」である。違和も疑問も、すべて自己責任という言葉に回収されてしまい、表には出にくくなる。同情とか共感というエモーショナルな言葉は消え、代わりに「共有」という曖昧な語がのさばり始めた。
■質疑応答で感じた「優生思想」
 文学や映像もまた、グローバリズムのくびきから逃れることはできない。
 かつて文学は、その国家、その民族の、固有の悩みや苦しみを描き、その深い井戸を掘ることで、互いに共通する普遍性を確保することができた。だが、それは牧歌的と言えるほど、幸せな時代だったようだ。
 今や文学ですらも、世界で通用するためには、市場原理主義の洗礼を受ける。人種差別、民族差別、性差別、児童虐待、あらゆる種類のクレームを避けるための検閲が働き、表現は刈り取られて、滑らかになった美しいものが供される。しかし、棘を内包しないつるつるの顔をした文学は、人の胸を打つことができるのだろうか。
 そして、つるつるの美しい顔は、同じ表情、同じ声で、あらゆる場所で「正義」を語り始める。
 「正義」は、あらゆる人間をねじ伏せることのできる、便利な言葉だからだ。
 ふと思い出したのは、東日本大震災の翌年に開催された、イタリア映画祭での光景である。
 私が見た作品は、『七つの慈しみ』という、東欧の貧しい国から、違法でイタリアに入国した若い女性移民の物語だった。
 彼女は病院で介護の仕事を手伝っているが、孤独で貧しく、どこにも行き場がない。身分証明書欲しさに、死体置き場に忍び込んで死者から盗もうとしたり、赤ん坊を誘拐しようとしたりする。まだ若い彼女の、目の下に出来ている隈がすべてを表しているような、何ともやるせない作品だった。
 終映後、映画監督が舞台に登場して、質疑応答の時間となった。すると真っ先に、一人の青年が客席から立ち上がった。彼は「自分も映画の仕事をしている」と自己紹介した後、「罪を犯した女性を、なぜ主人公にしたのか?」というようなことを問うた。
 聞かれた映画監督は絶句し、「彼女は追い詰められて、それしか方法がなかった」というような答えをしたと記憶している。
 私は、その質問に、それまで感じたことのないような違和感を覚えた。まさしく、これまでの違和とは質が変わった、と実感した瞬間だった。
 ジャン・バルジャンの昔から、罪と罰は、人間と社会との大問題だったはずだ。質問者は、罪を犯さざるを得ないほど追い詰められる、という状況に想像が及ばないのか、と驚いたのである。
 正しき者、正しき行いを描く作品には、確かにカタルシスがある。だが、人間の行いは正しいことばかりとは限らない。人間は愚かで、間違いを犯す。
 罪を犯した人間は主人公の価値がない、という発想は、虚構における優生思想ではないか。
 質問者の言わんとする「正義」は、想像力の及ばないところ、いや、無縁のところに堂々と鎮座して、周囲を睥睨している。まるで、自分が一番偉いかのように。
■正義と悪、右と左… 人間は単純ではない
 後年、似たような質問を、私も受けたことがあった。
 『夜の谷を行く』という連合赤軍事件に関わった女性のその後を描いた作品についての、雑誌取材での出来事である。
 インタビューに来た若い女性が、「なぜ、彼らは罪を犯したんですか? 何で法律を犯した人を書くのかわからない」と言う。
 その答えは、私にもわからない。わからないことだらけで、闇の中を進むのも、また小説を書くことなのである。そして、小説は正解を出すものでもない。その小説世界に生きる人間を描くことしか、できないのである。
 おそらく、この女性のような若い世代には、「思想」という概念すら消えてなくなっているのだろう、と思うしかなかった。イデオロギーが古びて消えてなくなっても仕方ないが、理念までが消えてしまうとしたら、人間には何が残るのか、逆に知りたいと思った。理念に突き動かされて、失敗や罪を犯すのも、人間の姿なのだから。
 正義と悪、右と左。二元論で語られるほど、人間は単純ではない。むしろビトウィーンな存在なのに、他人の曖昧は許すことができないらしい。その不寛容は、いったいどこからくるのだろうか。
 最近、連合赤軍事件の永田洋子の弁護をした、女性弁護士さんの講演を聞く機会があった。その女性弁護士さんは、おととし虐待されて亡くなった結愛ちゃんの母親の弁護も引き受けておられる。
 結愛ちゃんの母親は、毎日、夫に正座させられて、何時間も執拗な説教を受けていた。叱責され、反省文を書かされる日々が続くと、自信をなくして混乱し、どうしたら叱責されずに済むかしか考えられず、自分がおかれた状況すらもわからなくなったという。
 「50年ほど前に、若い人たちが、同じように仲間を苦しめ、死に至らしめたことがありました」
 弁護士さんの言葉は、私の心に沁みた。それはもちろん、連合赤軍事件のことである。連綿と続く、人間の愚かさ。そして、罪。
 そこには、「犯罪」という言葉だけでは、持つことのできない事実の重みがあり、手ですくおうとしても、掌からこぼれ落ちてしまう、水のように形を留めない事実の儚さがある。
 その重さや儚さを積極的に知ろうとしないと、人々は何度も同じことを繰り返すのかもしれない。だから、事実には普遍性があると、私は信じているのだ。事実を単なる「犯罪」という言葉で片付けて、慮ろうともしない人々は、傲慢で不寛容だ。
■小説は、自分だけの想像力を育てる
 しかしながら、現実は、またもつるりと身をかわしてみせる。フェイクニュースの存在である。
 事実の重みと儚さを積極的に知ろうとする、と書いたが、その事実が今や揺らぎを見せている。
 フェイクニュースは、あらゆるところに真実のような顔をしてのさばり、容易に人を信じ込ませる。
 ネットでひとつ読めば、アルゴリズムで同じような記事が供与されるから、さらに信じ込むようになる。かくして、彼らの信じる「事実」を楯にして、頑迷で差別的な人々が生まれてくる。
 この果てしない追いかけっこが、世紀末的な絶望をもたらして、暗い気持ちにさせる。
 しかし、絶望していても、仕方がない。私は小説書きなのだから、小説の話に戻ろう。
 たったひとつ、彼らの振りかざす「正義」と戦う方法がある。小説を読むことだ。
 小説は、自分だけの想像力を育てる。言葉は目に見えないものだから、読者一人一人が想像することでしか、その小説世界を堪能することはできない。従って、個々人が頭の中で結ぶ像は、それぞれ違っているはずである。そこが、ひとつのイメージを付与するビジュアル作品と違うところだ。
 他者と違うことが他者を認める礎となり、他者が取り巻かれている事実を慮る力を養うのである。それが想像力という力だ。
 不寛容の時代、自由な小説から力を得てほしい、と心から願うものである。

 全面的に賛成である。7784歩。

2020.12.15 (火)  晴れ・曇り

 夜の講義の対面授業は今日が最終回。たった4回しか対面授業ができなかったわけだが、それでも学生諸君とは親しくなれてよかった。遅い時間にも関わらず選択する学生は、みんなまじめで努力家である。ある女子学生は、コロナの影響で茨城の実家に帰っているのだが、この講義と明日のゼミのたった二つのために常磐線を使って通学してくるのである。GoToが使えた間は、この講義の後、2000円で近くのホテルに泊まったそうだが、そうもいかなくなったので、今日は午前様になるのを覚悟で帰宅し、明日またゼミのために通学してくるとのことである。いやはや大変である。しかし、私としてはそういう学生の期待に応える講義をしなければいけないわけで、責任を痛感といった感じである。13241歩。

2020.12.14 (月)  晴れ・曇り

 今年の漢字は「密」だそうだ。まあ、当然といえば当然か。2位が「禍」、3位が「病」だそうだが、ちょっと単純すぎませんかといった印象。私は「粛」がイイなと思っていたのだが、ちょっと難しい字かも。9884歩。

2020.12.13 (日)  曇り・晴れ

 昨日、我が家はぜいたくをさせてもらった訳だが、世界ではこんな風な仕事をされている方もいらっしゃるのである。ノーベル平和賞を受賞したWFPで活躍する日本人、焼家(やきや)直絵さんのインタビュー記事を引用。(朝日DIGITAL、20201213)

感染と偏見、そのど真ん中で  ~物資を届けて回った日本人~
     *
 WFPの職員約2万人のうち、およそ9割が支援の現場で働く。2015年から日本事務所代表を務める焼家直絵さん(47)も長く現場を経験してきた一人だ。13~15年にはアフリカ西部シエラレオネの事務所副代表を務め、エボラ出血熱の流行発生から収束まで、ウイルス禍のまっただ中で支援に取り組んだ。
 エボラ出血熱は致死率が高く、長く内戦を経験したシエラレオネの人々が「内戦よりも怖い」というほど、当時の状況は緊迫していたという。焼家さんたちは、命をつなぐための緊急支援として、感染地域で隔離された村やエボラ治療センターに、米や豆、植物油などの食料を支援。また、隔離地域に入れる人は限られるため、食料と一緒に、衛生物資や生活用品、携帯電話のSIMカードなども臨機応変に運んだという。
■「取り残されていない」ということ
 通常の支援では、決められた場所に食料を取りに来てもらうが、エボラ患者が出て隔離された家には、一軒一軒物資を届けてまわった。感染防止に必要な距離を保つために家の前でロープを張り、距離をとりつつ食料を渡す。そんな活動の中で、ある若い女性の言葉が印象に残っているという。
 「首都フリータウン郊外にある、トタン屋根の小さな小屋が密集するスラムを訪ねたときのことです。患者が出た家の女性から、『自分は忘れられ、取り残されていて、もうダメなんじゃないかと思っていた。だから、こうやってあなたが来てくれて、すごくうれしい』と言われました」
 地域ごと隔離され、さらに患者の家族は家から出られない状況だった。「食料という物質的な支援だけでなく、『取り残されていない』という精神的な安心感にもつながっているのだと、気づかされた
 現在の新型コロナ禍では、感染者や医療従事者らへの差別や偏見が問題となっているが、エボラ流行下のシエラレオネでも、同様の問題があったという。
 現地職員が、感染地域で食料支援をしているために感染地域外にある自身の地元で「近寄るな」と言われたり、ヨーロッパ出身の職員が自国での友人の結婚式に招待されていたのに、あとから「やっぱり来ないで」と言われたり。「患者が出た家というだけで、周囲から白い目で見られていたし、医療従事者や支援関係者に差別や偏見が向けられることもありました」
 日本政府から退避勧告が出され、民間航空機も止まった。自らも「取り残される」という感覚を体感した。現地職員からは「シエラレオネに残ってくれるなんて、思いもしなかった」と感謝された。一方で、「支援が必要な時だからこそ、逃げ帰るような人間ではありたくない。現地に残らないという選択肢はなかった」と話す。
 「最初はやはりスタッフの腰も重かったし、感染地域に入るのが不安だという人を無理やり行かせるわけにもいきません。外国人である私が現地に残り、一緒に支援の必要な地域に行きましょうと話し合いを重ねることで、最終的には、スタッフが一丸となって、『誰ひとり取り残さない』という信念のもと、活動できたのだと思います」
■日本も対岸の火事じゃない
 エボラ治療センターでは、隔離された患者が外の家族らと連絡をとれるように、通信手段の整備にも携わった。コロナ禍でも、面会ができない患者のためにタブレットを使ってコミュニケーションを図るなどの工夫がなされている。
 「人とつながりたい」「安心感を得たい」という気持ちは、「いわゆる人間の尊厳という共通項」と焼家さんは話す。
 「コロナが国境を越えて広がったように、世界はボーダーレスになっている。飢餓の問題も、対岸の火事ではありません。SNSやオンラインのイベントなど、インターネットを通じて様々な活動に関わることもできます。身近なところから、支援の輪が広がっていけばと願っています」

2020.12.12 (土)  曇り・晴れ

 東京都の感染者数が最大とのことではあるのだが、スミマセン、今月は我が家の誕生日月ということで、実家の家族がランチで祝ってくれる。夏に一度しか食べられなかったウナギざんす。うまかった~。
(↓「すきやばし次郎」のお隣)
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(↓誕生日プレゼントも頂きました)
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2020.12.11 (金)  曇り・晴れ

 リフォームの最終検査も細かな補修などを施して無事終わり、あとは足場を片付けるけるだけ…ではなく、残りの金額を振り込まねば(泣)。
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外壁はこんな色になった。積水さんの新色だそうです)
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2020.12.10 (木)  曇り・晴れ

 今日は特別授業がないので、添削を済ませ、次回特別授業の教材を作成したあとは、割とノンビリ過ごすことができた。午後、調査書を取りに来た浪人形が顔をだしてくれる。部屋に入ってきた瞬間、(マスクをしているとはいうものの)今年の頑張りが伝わってくるような引き締まった表情だったので、今年はイイ結果を出してくれそうな感じである。8804歩。
 家の外装のリフォームが予定通り今日終わり、明日は検査ということになった。塗装がはげていたところなども塗り直されてすっかりキレイになっており、とりあえずめでたい?ことなのであるが、なにせ外装なので、あまり「やった~!」という気がしないのが玉に瑕か。年明けは、いよいよ内装のリフォームである。

2020.12.09 (水)  晴れ・曇り

 3年生の成績提出日。教科会でちょっと議論しなければならないケースもあったのだが、結果として生徒にとってはイイ方向に決まったのでよかった。11491歩。

2020.12.08 (火)  晴れ・曇り

 夜の教育法は模擬授業の3週目で、さすがに上手くなってくるものである。今日の題材の一つに「近代アートの誕生」という椹木野衣さんの評論があったのだが、模擬授業をした学生は、実際の絵画作品のコピーを6点用意してきて、どれが近代アートでどれが近代アートでないかを考えて発表させるという導入を工夫してきて、生徒の積極的な姿勢を引き出す上でもとても効果的で上手な導入であった。ところが、その後、「近代アート」というタイトルについて考えさせたのだが、その際、「アートって何?」という発問はしておきながら、「近代」の方はいきなり解説に入ってしまって残念であった。確かに、「近代」というのは現代文単語集にも出てくる重要概念で、内容が難しく、すぐに解説したくなる気持ちは分かるのだが、こういう時こそ、グループワークなどを使って、生徒の知的好奇心に訴える工夫が必要になるのである……と、講評の際、学生にはアドバイスしたわけだが、こう書きながらも、そういうアドバイスが出来るのは、やはり私が普段日比谷で教えているからなのだろうなぁとも思うのである。「近代ってどういうことか話し合ってごらん」と言っても、まったく話合いが進展しない学校もあるに違いない。学生自身が有効なグループワークをした経験がなければ、なかなかパッとは実行しようという発想にならないのかも知れない。11347歩。

2020.12.07 (月)  晴れ

 3年生は金曜日から特別時間割になっていて、私は今日が初回。「東大古文記述対策」という講座の担当で、今日は40名ほど。全部で3講座あり、合計すると約160名の諸君が選択している。過去問を題材に、意見を出してもらいながら解答例を作成するということをやっているのだが、今日はあまり意見が出なかったので、次回からは答案を交換しあい、他人の答案を添削しながら考えるという授業展開にしてみたい。ちなみに、「今年の漢字は?」と聞いてみたら、「遠」「変」「新」「家」「鬼」とか色々出たが、なるほど!と思ったのは「君」。ご存知の通り、「コロナ」を組み合わせると「君」という漢字が出来上がるのである。「しばらくは 離れて暮らす 『コ』と『ロ』と『ナ』 つぎ逢ふ時は 『君』といふ字に」。大阪府内の百貨店で宣伝や広報を担当しながら、似顔絵を中心としたイラストを描いているタナカサダユキさん作の短歌で話題になったわけだが、そういうことをサッと思いつける日比谷生はなかなかスゴイなぁと思うのである。
 最後の担任学年が20歳になることを機会に来年早々集まることを計画していて、幹事役の諸君がコロナの状況を踏まえながら色々考えているようだ。旧担任団も出席できるかどうか問い合わせがあったが、この状況ではなかなか出席は難しいのではないかと伝えておいたのだが、今日、幹事長がやってきて、「オンラインでの参加は如何?」とのご提案であった。そうまでしてお誘いして頂いているので、日比谷に残っている他の旧担任の先生方のご意向も伺って、できる範囲で協力する旨お答えした。実際にどうなるのかは未定な部分も多いようだが、幹事の皆さん、がんばって下さい。11147歩。

2020.12.06 (日)  晴れ

 11月28日(土)のところに書いたオンコの木のイルミネーションだが、やっぱり寂しいので、アマゾンでLEDのものを購入(10mで1980円也)し、今までのものにプラスする形で飾り付ける。同じく、11月15日(日)のところに、車検を迎えるクルマの買い換えを考えている旨書いたが、買い換えることに決めて契約する。ちなみに、その時は7年目になるミニバンの方の試乗に行ったのだが、今一つピンとこなかったので、乗り潰すつもりでいた10年目になるコンパクトカーの方を買い換えることにしたのである。ちょっと瓢箪から駒の感じではあるのだが、いわゆる e-Power のクルマで、1月上旬の納車が楽しみ~!

2020.12.05 (土)  雨・曇り

 入学説明会ということで出校する。例年は各教科の先生方が図書室に集まって行うのだが、今年はコロナの影響で、教科別に教室を設け、受検生は聞きたいことのある教科の部屋を自由に回るという形で実施した。国語科では4名の教員で対応したが、1時半から4時半までひっきりなしに受検生が訪れ、主として独自問題の勉強法についてが中心だったが、どの受検生(とその保護者)も真剣そのもので、結構疲れた。非常勤教員は、土・日は基本出勤しなくてもよいのだが、普段国語科の先生方にはお世話になっているので、こういう時にちょっとでも恩返し(「イイ子貯金」?笑)をしておくのである。
 今日の記事から。面白いので、長くなるが引用。(朝日DIGITAL、20201205)

コロナに潜むバイアスの罠
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 新型コロナウイルスとのつきあいが続く中、私たちは知らないうちに様々な色眼鏡でものごとを見ていないだろうか。人は誰しも、偏見や固執、先入観や偏った見方など「バイアス」からは逃れられない。認知科学研究の第一人者で、最近「認知バイアス 心に潜むふしぎな働き」を出版した青山学院大の鈴木宏昭教授に、バイアスの怖さと、そこから逃れるためのコツを聞いた。
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■揺れる「GoTo」に悩む国民
――政府や一部の自治体が「Go To トラベル」事業の自粛を求めており、年末の帰省をどうすべきか多くの人が悩んでいます。
 「コロナ禍において政府は、国民を動かそうとする多くの耳慣れない言葉を使ってきました。わざわざなじみのない外来語を使い、翻訳語にない意味をつくりだす例が目立ちましたね。バイアスというわけではありませんが、こうしたやり方には人々の考え方に与える二つの作用があります」
 「その代表例の一つが『Go To トラベル』と言えるでしょう。これって直訳すると『旅行促進・推進事業』という意味です。いくらなんでもそんなこと言うと、多くの人から『こんな状況に何を!』という反論も出るであろうところを英語を使うことで、なんとなくあいまいに緩和する効果があったと思います
 「反対に『オーバーシュート』『東京アラート』などは、訳すとまったくインパクトがない言葉になりますが、外来語だと強く印象に残ります。『オーバーシュート』って直訳すると『的を外す』ということですよね。『東京アラート』も『東京警報』だととたんにインパクトが薄れます」
――確かに「的を外す」って、意味がわかりませんね。
 「いずれにしても、ちゃんとした説明をしないまま使われてきた印象があります。『Go To トラベル』については、政府が一貫性を維持しようとして間違ったやり方に固執すれば、国民にとっては迷惑なことです。間違ったと思ったらやめるのは、当然の判断だと思います。ただ、なぜやめたのかデータに基づいて説明する必要があります。トラベルが感染拡大につながったのであれば、それを裏付けるようなデータを示したうえで、方針について説明すべきでしょう」
■自分に甘く、他人は責める
――なるほど。私たちが持ついろんな考え方のクセが、コロナ禍の生活においても影響を及ぼしているのですね。
 「その通りです。さまざまな場面で、複合的にバイアスがかかっていると言えるでしょう。たとえば、同僚が仕事で遅刻すると、『ああ、あいつ、いつもルーズなやつだから』と思うのに、自分が遅刻したときは『昨日、仕事で遅かったから』と言い訳を考える人がいます。他者の行動の原因を、性格や態度、知能といった人の内面に求める一方で、自分の行動は状況のせいにする考え方のクセを『対応バイアス』と呼んでいます」
――それが他者へのまなざしを厳しくするんですね。
 「人は、日本人らしさとか、男らしさなど、その集団のエッセンス(本質)でカテゴリー化する傾向があり、『心理学的本質主義』と呼ばれます。たとえば、コロナ感染がそれほど広がっていない地域に住む人のなかには、『あんなところに住んでいるやつらだから』『東京の野郎どもは遊びまくっているからだ』などと考える人もいるでしょう」
――確かに、「個」ではなく「集団」として捉えてしまうことがあります。
 「そうした延長線上にあるのが『内在的正義』というバイアスです。何か不幸なことが起きるのは、悪行や不道徳の結果だという考え方で、コロナ感染は何かよくないことをしたからだという捉え方につながります。そして悪いことをしたやつには懲罰を与えようということになり、自粛警察やマスク警察、県外来訪者へのいやがらせなどにつながるのです」
■日本のコロナ対策は訓示レベル
――政府の唱える「新しい生活様式」も、みんなでやろうといった雰囲気が強いですね。
 「日本政府の対応は、訓示レベルのものが多いと言えます。『新しい生活様式』というおかしな言葉を振りかざして、個人の生活に干渉しようという態度には、強圧的なものを感じます。自分たちが失敗しても、『おまえたちのせいだ』と国民の生活態度が悪いのだという言い訳にもできます
 「国民の側にも、こうした考え方を知らぬ間に採り入れてしまっている人がいるので、『おまえたちのせいだ』と言われると納得してしまい、自粛警察がさらにはびこることになってしまいます」
――しかし、バイアスから逃れるのは非常に難しいことです。
 「認知バイアスがあること自体が悪いのではなく、得られる情報と判断する状況との相互作用により、誤作動することがあると認識することが大事です。たとえばクラスターが発生すると、まるでクラスターがコロナを発生させた原因のように捉えられがちです。しかしクラスターはコロナを『媒介』したのであって、コロナを発生させたわけではないのです」
――的確に判断するためには何が必要でしょう。
 「情報を比較することが大事だと思います。たとえば、ヨーロッパでは毎日万単位の罹患者が出ている国もあり、医療崩壊が起きている、起きつつあると報道されています。しかし日本の感染者は、千人単位のレベルです。それでも医療崩壊が起きると言われます。これはなぜなのでしょうか。医療システムに負荷をかけるような措置を講じたからではないでしょうか」
 「もう一つはリスクゼロ信仰をやめるということだと思います。私たちの中にだいぶ深く根づいている考え方だと思いますが、リスクはゼロにできません。交通事故が起こるから自動車の運転は禁止、オレオレ詐欺が起こるから電話は不可というのは、ありえませんよね」
 「『ゼロに近づけるためならばなんでもやる』という方針は、馬鹿げています。感染状況や感染の深刻さだけでなく、人の生活全般を見据えた政策と、個人の冷静な意思決定こそが今、求められるのだと思います」

2020.12.04 (金)  曇り・晴れ

 家でのんびり過ごす…というか、リフォームで外壁の塗装が始まっているので、いろいろ声を掛けられるかも知れないと思って待機しているわけである。ちなみに、職人さんにオヤツを差し上げているのだが、今日は歌舞伎揚げで、ついつい自分でも味見してしまったのであったよ(笑)。
 NHKの朝の連続テレビ小説はついつい見てしまうのだが、今週から始まった「おちょやん」の子役の女の子の演技も素晴らしくて感動モノである。今日は奉公に出される場面だったのだが、最後にオトーサンが追っかけてきて引き留めてくれるかと期待する表情と、一転、その期待が裏切られた悲しみを、怒りと寂しさにかえる演技が本当にスゴくて、ただただ感動であった。連続テレビ小説の子ども時代の場面は、どのタイトルのものも、涙なしでは見られない優れたものになっている気がするなぁ。

2020.12.03 (木)  曇り・晴れ

 後期中間考査第4日。やっと答案が出る。必死に採点して半分くらい終わる。まあまあ…なのであるが、東大実戦などの模試の結果を見ると、今年の3年生の国語の成績はかなりよいということになっており、個人的には大いに不思議である(笑)。前にも書いたが、周囲が地盤沈下しているなか、日比谷は何とか元の位置を保っているといったところなのだろうか。本当に不思議不思議。10989歩。

2020.12.02 (水)  曇り・雨

 後期中間考査第3日。明日の考査問題を点検し、印刷して金庫に納める。午後から、国語科の大掃除で、たまっていた段ボールや古い問題集などを紐でしばってゴミ出しする。台車を2台×2往復分の量があったが、だいぶ国語科室内に空きスペースが出来てよかった…かも(笑)。9708歩。
 流行語大賞が「三密」に決まったそうで、まあ、そうかなという印象。個人的には、信じられない愚策を記憶する意味でも「アベノマスク」がよかったと思うのだが…。あとは、「フワちゃん」が早くテレビから消えて、「ピークを知る人」になることを祈るのみである。

2020.12.01 (火)  曇り・晴れ

 後期中間考査第2日。今日は試験監督の予定もないし、リフォームの外装塗装工事開始日でもあるので、休暇をもらう。ただし、夜の講義は休むわけにはいかないので、夕方から出勤。そのため歩数が少なめで7042歩。
 大学は未だにオンライン授業の先生方も多く、対面授業を希望した場合も、実習系以外の講義は、4回しか対面授業をしてはいけない規定になっていて、校舎にはほとんど学生の姿が見られず静かである。特に、私の場合は夜の授業だから、本当に静まりかえっていて恐ろしいくらいである。こういう経験もなかなかできないだろう。