10月

2020.10.31 (土)  晴れ

 首里城の火災から一年だそうである。美しい姿の再建が待ち遠しい。
 ところで、読書の秋、私はアメリカの作家ジョン・アーヴィングの大ファンで、初期の作品はだいたい読んでいるのだが、今日、20年かけてやっと「オウエンのために祈りを」(新潮文庫・中野圭二訳)を読み終えた。20年というのは、初めて本を手にした時からで、今まで何回も挑戦しては途中で投げ出していたのである。この作品は映画化されていて(「サイモン・バーチ」)、その映画が私は大好きなのであるが、映画と原作とではかなり違う部分があり、その違和感が最後まで読み通せなかった理由の一つ。同時に、「祈りを」というタイトルからも分かるように、宗教(キリスト教)に関する記事が多くて面倒くさいというのも理由であった。今回は、面倒くさくなった頃に読みたくなる別の本が出現しなくて、何とか最後までたどり着けたのである。しかし、最後まで読むと、やはりアーヴィングの作品だけあって、特に最後の2章(「指」と「シュート」)は感動的であった。読み終えたついでに、今度は「ホテル・ニュー・ハンプシャー」の四読(再読ではなく、四度目ということ)を開始したところである。こちらは文句なしの傑作で、冒頭の第一章から感動もの。もし読書好きでお読みでない方がいらしたら、ぜひ手にとって頂きたいものである。特薦である。
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2020.10.30 (金)  晴れ・曇り

 今日はテニス教室だが、腰の調子が今一つで、家を出るギリギリの8時半まで迷いに迷った。今までならおそらく「迷ったらな行け!」だったが、この年齢になると「無理はどうかなぁ~」なみたいな感じで、そもそも「どうかなぁ~」なら止めておいた方が無難かもと判断して、今日は休むことにした。とはいっても、違和感があるだけなので、ジッとしているのもつまらないと思い、そのまま横浜の山下公園に出かけてみる。風が強くて寒かったが、お昼頃からはたまに日もさすようになり、キレイな秋バラを楽しむことができた。
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2020.10.29 (木)  晴れ・曇り

 学校公開日第2日目。今日も例年に比べると少なめ。帰りがけ、13日の月がキレイだった~。9447歩。
 久しぶりに学校にやって来た卒業生(男子)との会話。
保:彼女できた?
卒:卒業間近ですから、焦ってるんですよ~。でも、今年はキケンなんです。
保:え、何で?
卒:だって、みんなマスクしてるじゃないですか。
保:あ~あ、なるほど。
卒:イイなと思っていたのに、マスク外した所を拝見したら…みたいな感じですよ。
保:でも、逆のパターンはないの? マスク外したら意外に…みたいな。ねぇ、楽しみじゃない。
卒:ないない、それはまったくない。ダメな場合はマスクしてても分かりますね。これだけは確か。
保:へぇ~。そうですかね…。 (さらに続くが省略)
 女性のみなさん、失礼いたしました。でも、女性から見た男の場合も、同じですかね(笑)。

2020.10.28 (水)  晴れ・曇り

 学校公開日第1日目。コロナで開催が危ぶまれていたこともあり、あまり周知徹底されていないのか、例年よりも来校されている方が少なめの印象。卒業生の保護者で、弟さんや妹さんが在校している方々から声を掛けて頂く。9134歩。

2020.10.27 (火)  晴れ・曇り

 曇りの予報だったが、日中は秋らしいイイ天気。今日も平和な一日であった。腰痛が今一つなこともあり、朝一駅歩いていないので、ちょっと少なめの8205歩。
 今日のニュースから。公明党も、人気取りなどしていないで、苦しい状況下にある方々に、キチンと助けの手が届く政策を、丁寧に提案してもらいたいものである。(朝日DIGITAL、20201027)

 公明党の山口那津男代表は27日の記者会見で、コロナ禍のなか大学受験や就職活動に臨む今年度の高校3年生や浪人生を対象に、政府が一律2万円を支給する「受験生等支援給付金(仮称)」の提案を取り下げたと明らかにした。自民党内から「所得制限が必要」などの異論が出ていた。
 山口氏は「給付の対象や方法、色々課題があることから、取り下げる」と述べた。この給付金をめぐっては、公明が6日に加藤勝信官房長官らに提案。自公で協議を続けていたが、自民からは公平性の観点などから疑問視する意見もあり、折り合わなかった。公明としては、次期衆院選や来夏の東京都議選もにらみ、成果をアピールする狙いもあったとみられる。

2020.10.26 (月)  晴れ

 イイ天気、平和な一日、帰りがけ、整骨院にて、針十二本(字余り…笑)。お昼前、今年の東京都の教採に合格した私のクラスの卒業生が顔を出してくれる(科目は物理)。たった2回ではあったが、小論文の添削をしたりしたので、合格を期待していたが、よい結果になってよかった。配置先が決まるのはまだまだ先だが、4月からは同じ教員仲間である。新しい時代の教育をしっかり担っていってもらいたいものである。9704歩。

2020.10.25 (日)  晴れ

 今日もイイ天気で、チューリップの球根を植えるつもりでいたのだが、一昨日からの腰痛が回復途上なので、かがんでの土いじりは止めることにして、来週末に延期。やれやれ…。ただ、来週末も天気は良さそうなので、まあそれだけはよかった。
 写真の加工に Photoshop を使っているので、アドビの月額980円のプランを利用しているが、先週、2021版へのアップデートがあって実行したところ、どうもテキスト入力がうまく行かず困ってしまう結果に。何か設定がマズイのだろうかと色々試してみたのだが結局上手くいかず、ネットで検索してみたら、何とアドビのサイトでバグであることが説明されていた。やれやれ…。対処法としては、現在アップデートを準備中なので、当面2020版(前のバージョン)を使用してほしいとのことであった。アドビでもこんなことがあるんだ…といった感想。文字列が選択できずに困っている方、バグだそうです。

2020.10.24 (土)  晴れ

 昨日のテニスで、足を滑らさないようにとヘンな所に力が入ったのか、腰痛がしていたのだが、今日になっても改善しないので、整骨院に出かけて針を打ってもらう。ジッとしていなさいとのことなので、午後から録画しておいた「鬼滅の刃」を2本連続して見る。初めてだったので、第1~5話で構成した「兄妹の絆」編は面白かったが、第15~21話の「那田蜘蛛山編」は、同じような場面・テーマと大声の繰り返しで、ちょっと辟易という感じ。

2020.10.23 (金)  雨

 なんと今日はテニス教室があったのである。どうせないだろうと思いながら出かけたら、小降りだからやるとのことで開始。いつもなら14名いる受講生が8名で始めたが、雨脚が強くなってきて、女性がお二人リタイア。6名(男3名、女3名)だから逆に練習できると思ってがんばったのだが、一時的に雨が弱くなることがあっても上がることはなく、10時くらいからはかえってひどくなる一方で、とうとうコートに水がうっすら浮き出し始めたたところでお開きになった。いや~、これほどの雨の中でテニスやったのは初めてかも。みなさんびしょ濡れだが、私が一番若いくらいの高齢者の集まり(コーチ陣も…笑)だから、雨にも負けず的な雰囲気であった(笑)。

2020.10.22 (木)  晴れ

 午前中、健康診断。授業がなくなるので気楽な気分で出校すると、いつも私が警戒を解いて鍵を開ける書道室が、すでに開いていて明かりもついている。不思議に思って覗いて見ると、グローバル10の生徒たちが、健診前の時間帯を利用して、アメリカのアスペン研究所の先生方に、Zoomを使って食糧問題に関する自分たちの研究成果の発表をするとのことで、担当の先生がパソコンの準備をしているのであった。書道室がちょっと散らかっていたので片付けたりしていたら、一番早く登校してきた生徒が、早速「何かお手伝いしましょうか」と声をかけてくれて、さすがだなぁと思った。発表までは聞く気はなかったのだが、始まるくらいの時間に覗きに行ったら、知り合いの英語科の若い女子教員に声を掛けられてしまい、結局一時間付き合うこと。立派な発表で(…って、もちろん英語での発表だから3割くらいしか分からなかったが…笑)面白かった。9308歩。

2020.10.21 (水)  晴れ

 午後から生徒会役員選挙。今年は、2年生の現生徒会長も、改革半ば?ということで引き続き生徒会長に立候補しており、1年生からも3名の会長候補がいて、なかなか激戦?である。こういう時は立ち会い演説会もきっと面白かっただろうが、時節柄動画配信という形になってしまったのが残念。9316歩。

2020.10.20 (火)  晴れ

 秋らしい一日、高校は常にマスクを着用している以外はほぼ日常に戻った感じだが、大学の方は運動部でクラスターが発生したり、アルバイト先が一緒の学生がクラスターになったりと、やはりなかなか対面を実施するには厳しい状況である。9608歩。
 今日の記事から。長いので、途中から一部引用。(朝日DIGITAL、20201020)

着実に全体主義への階段上る ~学術会議前会長の危惧~  京都大総長の山極寿一さん
 (前略)
 会員の任期は6年で3年ごとに半数が改選される。会員や連携会員、さらに全国の2千以上の学術研究団体の推薦から選考会議が学術的業績の高い会員候補者を選び、首相に推挙する。首相は推薦に基づいて会員を任命することになっている。これは憲法第6条の「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する」に倣ったもので、任命が形式的なものであることは明らかだ。
 なぜ、今回に限って菅首相は6人を任命しなかったのか。なぜ、理由を述べることをかたくなに拒否するのか。任命しないのは日本学術会議法に違反するし、理由を述べないのは民主主義に反する国の最高権力者が「意に沿わないものは理由なく切る」と言い出したら、国中にその空気が広がる。あちこちで同じことが起き、民主的に人を選ぶことができなくなり、権威に忖度する傾向が強まる。それは着実に全体主義国家への階段を上っていくことになる。
 任命されなかった6人は、第1部(人文・社会科学)の研究者だ。第2部(医学、農学、生命科学)、第3部(理学、工学)と違い、人文・社会科学は過去の現象や思想を現代と照らし合わせて分析する。そこには批判精神が欠かせない。人文・社会科学が批判精神を失えば、単に現象を記述するだけの学問になる。社会の選択肢が狭まり、想定外の事態や不確定性の高い未来に対処できない。
 社会が誤った方向へ進んだ時、軌道を修正するには別の選択肢をなるべく多く持っている必要がある。そのために、現代に行われていることが最上のものではないとする考え方も必要なのだ。人文・社会科学は社会の多様な選択肢を示すことで、レジリエント(強靱で弾力性に富む)な未来をもたらしてくれる。それは戦後、私たちが全体主義ではなく、民主主義を選んできた恩恵でもある。

 学術会議は国の予算で運営されているという議員がいるようだが、国の予算で運営されているからといってすべて国の意向に従わなければならないということにはならないし、そもそも国の予算は我々の税金である。ところで、首相と会談した梶田会長(一部で私に似ていると言われている…笑)だが、ちょっとジェントル過ぎてガッカリである。15分しかなくても、一番大切なメッセージを確実に伝えるべきだったのではなかろうか。

2020.10.19 (月)  曇り・雨

 午後から寒くなった。後期になって添削指導が本格的にスタートしたが、今年は古典全般を担当することになり、早速3名がやってくる。これから忙しくなるなぁ~。10255歩。

2020.10.18 (日)  晴れ・曇り

 午前中、久しぶりにお日様が登場したので、早速?咲き終わった一年草の始末をしたり、伸びすぎたチェリーセージやモッコウバラの剪定をしたり、土を耕して空気に当てたりと、庭仕事に専念する。そろそろチューリップの球根を植える時期になってきた。午後は、授業や講義の準備をしたり、本を読んだりして過ごす。村上春樹の『一人称単数』(文藝春秋)は、既視感のある作品ばかりだが、渋谷でかつての恋人の兄に会う話がよかった。タイトル作は、現厚生労働副大臣がモデルかも(笑)。

2020.10.17 (土)  雨

 今日は、一番下の孫娘の5歳の誕生会。生憎の天気であったが、実家の家族も集合して楽しく過ごす。
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2020.10.16 (金)  曇り・晴れ

 テニス教室が雨で中止になるかも…と昨日は心配していたが、結局晴れ間も見えるくらいの天気になって気持ちよく練習、あ~楽しかった~! 好天に誘われて、午後からは電動自転車で花屋さんめぐり。注文しておいたチューリップの球根が届いているのだが、リフォームの際に庭の一部を通路などに使ったりする関係で、今年はプランターに植えようかと相談しており、カッコいいプランターが無いか探しているのである。でも、カッコいいものは値段もナカナカで(笑)、ちょっと手が出しにくい感じである。
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2020.10.15 (木)  曇り・雨

 今日の新聞から。人文学系の人間には面白いので、長くなるが引用。(朝日DIGITAL、20201015)

■「できない」が基軸の社会へ  ~出口康夫さん(京都大学・数理哲学)が語る未来~
――基本的な人間観を転換すべきだと主張されていますね。
 近代社会は、人間を「できる」ことの束ととらえ、「できる」ことに人間の尊厳を見いだし、自分のことを自分で決めることが「できる」という自己決定を倫理や法の根本に置きました。しかし近代社会のいろいろな限界やあつれきが表面化した結果、哲学でも人間の弱さやもろさに注目する動きが出ています。
 「できる」ことを人間の本質とすると、例えば障害者は本質の一部を欠いた存在となってしまいます。結果として、障害者と健常者との間に暗黙の上下関係が生じたり、極端な場合、障害者の存在意義すら否定する考えが出てくる一因にもなりえます。
 一方、人間の「できる」ことは様々な機械で凌駕されてきました。タマネギの皮をむくように次々に置き換えても知性という芯は大丈夫と思っていたら、人工知能(AI)が登場しました。思考実験かも知れませんが、AIが人間の知性を超えるシンギュラリティーが起きると全て置き換え可能になります。人間のかけがえなさ、尊厳さえ見失われる「人間失業」が起きてしまいます。
――では、どんな人間観を?
 百八十度転換し、人間は「できない」ものと考えるところから出発しようと私は主張しています。人間は自分一人では指一本動かせません。
――どういうことでしょう?
 3日間、体がマヒしていた人が突然指を動かせるようになったとしましょう。医学的に説明がついても、ずっと動かそうとしていた本人にとっては何も変わっていない。逆に言うと、私たちが意のままになると思っている身体が、次の瞬間には動かなくなるかも知れない。社会のインフラも同じで、私たちは様々なものに委ね、支えられた存在なのです。コロナ禍はそのことを実感させました。
 誰もが根源的な「できない」を抱えていて、支えられなければ一日たりとも生きていけない存在です。そこに、人間のかけがえのなさを見いだすべきなのです。
――人間の弱さに着目した福祉の取り組みなど補完的な動きはありましたが。
 基軸と補完の関係を交代させるべきです。人の能力を伸ばしたり活用したりすることも重要ですが、それはあくまで「できない」を基軸にした社会を補完する役割に回すべきです。主客交代です。
――「できない」ことの多い子どもや高齢者、障害者に優しい社会になるといいですね。
 根源的な「できない」は誰もが持っています。それをより多く持っている彼らは人間の「できない」を明らかにしている存在となります。人間は何事も一人ではできないという考えに立てば、例えば犯罪では犯人を支えてきた社会システムも責任の一端を負います。道徳的、法的な責任の考え方も大きく変わるはずです。一朝一夕には実現しないし、日本だけ変えてもしょうがない。それでも誰かが言い出してグローバル化自体のルールを変えていかなければなりません。
 人間は集団で群れてきました。3密回避で物足りなさを感じるのは、3密的な濃厚接触で互いの体温を感じることで根源的な「できない」を認め合ってきたからではないでしょうか。社会の遠隔化の中でも、こうした体験を得る機会を保つ必要があります。
――とはいえ、「できる」の価値観は深く浸透しています。
 「できる」÷コストが効率です。人間のかけがえのなさを「できる」ことに求め、効率のみを追求してきた結果、富める人や地域はますます富み、貧富の格差が広がりました。こうしたコロナ前からの状況が、今回、地震後の断層のようにあらわになりました。どれだけ時間がかかっても価値観の転換を進めるべきです。
――ただ、「立ち止まって、考える」ような余裕はないと思う人も多いと思うのですが。
 強い痛みに襲われている最中は、耐え忍ぶだけで何も考えられないでしょう。でも、ふとしたときに考えてしまうことがあるのではないでしょうか。そんなときに考える手立てを提供できたら、と思うのです。
――政府は大学にすぐに役立つことを求める傾向を強め、5年前には文部科学省が「文系廃止論」とも取られる通知を出しました。
 文科省通知は反対が相次ぎ、事実上撤回されました。その後、京都大学が指定国立大学法人になり、日本の人文・社会科学をリードせよと求められたのはその一つの反動だと思います。今年6月には科学技術基本法が科学技術・イノベーション基本法に改正され、人文科学が対象に加えられました。しかし、これは効率化の一元支配が、イノベーション推進という形をとって、ついに人文学に及んできた事態とも言えます。
 通常、人文学では時間をコストとして意識しません。近視眼的になると大きな発想の転換は生まれません。人文学こそ長期的な視野で研究されるべきなのです。一方、人文学も現状を批判するだけでは不十分で、新たな選択肢を積極的に提案することも重要です。
――とりわけ哲学の役割は?
 人類は言葉を発明し、すべき事柄をその工程表とともに言語化し、集団で共有してきました。哲学の根はそこにあります。今、我々の社会は巨大になり、共有される概念もどんどん増え、抽象的になってきました。「人権」のような新しい概念や価値を生み出し、それを人々の間で定着させることで社会を変えていく。これこそが知的な公共事業としての哲学の営みです。それは哲学者だけでなくメディアや政治家、司法関係者など様々な人々によって担われるべき共同作業です。
 人文学は、よりよき未来、あるべき社会に向けて、効率化の一元支配に反撃する最後のとりでです。日本学術会議の問題と絡めて人文学のあり方が改めて問われているいま、その意義を社会のみなさんに一層訴えていかなければならないと感じています。

 理想論に傾くきらいはあるにしても、こういう視点の転換が大切なのではなかろうか。7956歩。

2020.10.14 (水)  曇り

 今日の学級タイムで、2年生全クラスが来年の星陵祭の演目を決めていた。なるほど、そういう時期になったのであるなぁ…。来年は星陵祭が無事に開催されるとイイなぁ…。9906歩。

2020.10.13 (火)  曇り・晴れ

 大学は後期からハイブリッドということで、対面授業も認められることになったのだが、なんと最大で4回までという制限つきであった。受講生も12名だし、対面の重要性を訴えたのだが、結局4回ということになり、仕方ないので、模擬授業だけは対面で行うことにして、あとは引き続きオンライン授業である。12名で4回の対面授業(模擬授業)だから、一度に3名ずつの模擬授業を実施しなければならないことになり、一人20分ずつとせざるを得ない。また、いつもならグループで教材を担当させることで、他の学生の教材研究のやり方や模擬授業案などを共有することが大きな効果を上げていたのだが、それもできずとても残念である。個々の学生の頑張りの期待しつつ、私のコメントを工夫することで、少しでも効果が上がるようにしていきたい。9795歩。

2020.10.12 (月)  曇りのち晴れ

 午後からは暑くなったが、平和な一日。昨日、オケ部のコンサートだったことをすっかり忘れていて痛恨…。やれやれ。9300歩。
 来年度の非常勤教員採用選考の申込用紙を管理職から手渡される。2022年、つまり再来年から、高等学校の学習指導要領も新しくなり、国語でいうと、例えば「国語総合」という現行の必履修科目(4単位)が、「現代の国語」(2単位)と「言語文化」(2単位)という二つの科目に別れ、前者が「話すこと・聞くこと」「書くこと」といった表現学習中心で実用的、後者が「読むこと」の学習中心ということで教養的になる。実際はどうなるか分からないが、表向きはかなり大きな変化で、これを機に退職してもよいような気もするのである。まあ、とりあえず、来年度は(年金もまだだし…笑)働かざるをえないのであるが、いろいろ考える時期ではある。

2020.10.11 (日)  曇り

 雨の日はヨガということで、3日連続の朝ヨガ。その後、普段着の衣更え。しかし、昨日、一昨日と2日連続で外出もせずダラダラしていたので、午後から1時間ほど近所を散歩してくる。おかげで?帰宅後の読書と明日の授業の準備はウトウト気味…。
雨でスッカリ散ってしまった)
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2020.10.10 (土)  雨

 雨がよく降る。今日は晴れの特異日なはずだが、たまにはこういうこともある…ということか。海外との往来が徐々に再開されたり、海外でのスポーツイベント(テニスやサッカーなど)が大々的に伝えられたり、Gotoが無理矢理始まったりと、来年のオリンピック開催に向けた布石が着々と置かれているようだが、感染者数は相変わらずだし、いったいどうなるのだろう? チケットを持っている人は全員入場できるのだろうか? 声を出して応援することはできないだろうから、間隔をあけた座席で静かに声援といったところか。う~ん、何だかなぁ…。ちなみに、今週のTOPページはヒガンバナだが、例年出かけている高麗巾着田が、今年はコロナの影響を鑑みて、すべて刈り取ってしまったとのことでとても残念である。一方、チューリップの頃には入園できなかった昭和記念公園は、最近は普通にオープンしている。さてはて、日常はいつ戻ってくるのだろう。
 今日も雨の中、外装リフォームの打ち合わせ。工事そのものは来月開始だが、壁や屋根の色を最終的に決めて材料の発注をお願いする。今後は、バスとかキッチンとか壁紙とか照明とか、内装の方を具体的に考えていくことになり、選択肢の多いこれからが本番といったところかも。

2020.10.09 (金)  雨

 今日も雨で寒い。テニス教室も中止なので、家でダラダラと過ごす。
 池袋の交通事故の裁判で、被告が無罪を主張したのは意外であった。被告は、逃亡のおそれがないから在宅であり、それ故逮捕されておらず、「~さん」づけで報道されることになったに過ぎないにもかかわらず、「上級国民」などと揶揄されてお気の毒であったが、今回の主張は、自分自身としては操作を誤ったつもりはないということなのだろうか。私は、ご遺族の活動などについては、ちょっとやり過ぎではといった印象を持っていて、被告に同情的な部分もないではないのだが、今回の無罪主張については、やはり違和感が拭えない印象である。

2020.10.08 (木)  雨

 今日は寒かった~。11559歩。
 学術会議問題について続報が続いている。例えば今日は(朝日DIGITAL、20201008)

■「教養のレベルが露見」 ~任命問題、学者知事が強く反発~
 「日本学術会議」が推薦した会員候補105人のうち6人について、菅義偉首相が任命しなかった問題をめぐり、静岡県の川勝平太知事は7日の定例会見で、「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した。『学問立国』である日本に泥を塗った行為。一刻も早く改められたい」と強く反発した。
 川勝知事は早大の元教授(比較経済史)で、知事になる前は静岡文化芸術大の学長も務めた、いわゆる「学者知事」だ。
 川勝知事は6人が任命されなかったことを「極めておかしなこと」とし、文部科学相や副総理が任命拒否を止めなかったことも「残念で、見識が問われる」とした。
 美濃部事件、滝川事件など戦前の言論統制にも触れ、「政治家が学問に口を出してはいけない。首相に任命権があるから行使したというのは、何も説明していないに等しい。理由を開示すべきだし、学問がなっていないという理由以外は認められない」と批判した。

という記事が出ているし、関連して、

■専門家「学問の自由への挑戦」
 日本学術会議の新会員の「任命外し」をめぐり「学問の自由を侵害した」との指摘が識者から上がった。そもそも何が問題なのか。
 憲法23条は「学問の自由は、これを保障する」と定める。この規定は、単に個人が国家から介入を受けずに学問ができることだけでなく、大学など公的な学術機関が介入を受けずに学問ができることまで保障しているとの考えが通説だ。
 上智大学の江藤祥平准教授は、憲法23条が、京大法学部教授が文部省(当時)に休職処分を受けた戦前の「滝川事件」など、国家権力に学説が害された歴史を踏まえて作られた、と指摘。この自由を守る手段として、大学などの研究者の人事が自主的な判断に基づいて行われることが大切だとする最高裁判例もあり、「今回はこの自主的な判断への介入が問われている」とみる。
 江藤さんは、学術会議法が職務の独立性を強調しているのは大学などと同様、「自主性、自律性を大切にしているからだ」と指摘。理由を明らかにせずに候補者の任命を拒否するのは、「会議の自律性とそれによって守られる学問の自由への挑戦だ」と批判する。「政府に批判的な研究者を狙い撃ちにし、学問の萎縮効果を狙ったとみられても仕方がない」とも話した。

…と、これだけと、これだけ話題になっている。しかし、おそらく管政権(自民党政権)は、結局「総合的・俯瞰的」で済ましてしまうに違いない。一体我々はどうしたらよいのだろう? 民主主義国家である以上、選挙で打倒するしかないのだろうか…。映画監督の森達也氏は、(朝日DIGITAL、20201006)

 私は(映画人有志22名の抗議)声明の中に、ドイツの牧師マルティン・ニーメラーの次の言葉を入れたらどうかと提案しました。
 「ナチスが共産主義者を攻撃し始めたとき、私は声をあげなかった。なぜなら私は共産主義者ではなかったから。次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。労働組合員たちが攻撃されたときも、私は沈黙していた。だって労働組合員ではなかったから。そして、彼ら(ナチス)が私を攻撃したとき、私のために声をあげる人は一人もいなかった」
 この著名な警句が、これほどリアルな意味を持つ時代が来たことに私は驚いています。

と書いておられるが、まったくその通りだと思うのだが…。

2020.10.07 (水)  曇り・雨

 古文では、読みとっている情景がうまく思い浮かべられないため、しっかり理解できないということがよくあるので(…って、例えば、平安時代の貴族の生活の様子などは目に浮かぶはずがないよなぁ…)、なるべく現代語訳をしながら、視覚的に理解できるようにイラストを黒板に書いたり、最近ではプロジェクターで画像を提示したりしているのだが、今日は黒板に書いた光源氏と夕顔を右近の絵がかなりヒドかったようで(笑)、生徒諸君には大受けであった。やれやれ…。8997歩。

2020.10.06 (火)  晴れ・曇り

 今日から後期の授業。9448歩。
 学術会議問題について、10年以上にわたって会員を務めた教育学者の佐藤学・東大名誉教授(教育学・日本教育学会元会長)が語った記事の一部を引用。(朝日DIGITAL、20201006)

――今回の問題はどこにあるのでしょうか。
 三つの点から問題があると考えています。
 一つ目は、任命権の濫用であり、法に反しているという点です。日本学術会議法第7条2項には「第17条の規定による推薦に基づいて」首相が会員を任命するとある。その17条には「優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し(中略)内閣総理大臣に推薦する」とある。つまり、その分野に詳しい会員たちが詳細に公正に審査したうえで推薦名簿をつくり、それに基づいて内閣総理大臣が任命する。この手続きには裁量権がない=拒否権がないということが中曽根康弘首相の国会答弁(83年5月12日)でも確認されています。首相に形式的な任命権はあっても、学問上の業績を評価する能力はないからです。内閣法制局の解釈はその後も変わっていないはずです。
 この原則が踏みにじられました。こんなことが許されたら、例えば国立大学の学長はみな文部科学大臣の任命ですから、この人はダメ、あの人はダメということができてしまう。違法であり、暴挙としか言いようがない話です。
 二つ目に、国際的アカデミー組織の一翼を担う国立アカデミーの会員を、一国のトップが任命拒否するなどという事態は、他のどの国のアカデミーでもありえません。国際的に恥ずかしい学問の冒瀆と言っていいでしょう。
 三つ目は、学問の自由に対する侵害です。権力者が特定の学者や、いまの政権の意向に従わない研究者の意見は排除するという。民主主義の破壊を許してはならないと思います。

 核心をついた論である。「総合的・俯瞰的観点」などという言い逃れは許されないのである。

2020.10.05 (月)  曇り・晴れ

 1年生は通常授業、2・3年生は実力テスト2日目。合間に、先生方は定期健康診断。視力は変わらなかったが、体重が増えていてガッカリ(笑)。朝、雨模様で一駅歩かなかったし、テスト監督しかなかったので、7708歩。

2020.10.04 (日)  曇り

 寒くなってきたのと、リフォームで色々整理したりしたのとで、昔使っていたマメ型のラグを天井裏の物入れから取り出し、ファブリーズ処理をして?久しぶりに敷いてみる。さすがに色あせてしまったが、形が気に入っていて捨てがたい。夕方、またキッチンの実物を見にショールームに出かける。先日、天板や扉の色を決めたのだが、黒を基調とした配色を選んだので、明るいショールームならともかく、狭い我が家ではやなりちょっと暗くなってしまうのではないかという懸念が生じ、相談がてら再度選択しに出かけたのである。結構迷ったけれど、やはり明るめの白基調のものに変更することに(それに伴い、多少予算も上がったが…)。まあ、旅行と同じで、リフォームもこんなことをしている時が楽しいのかも(笑)。
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2020.10.03 (土)  曇り・晴れ

 早起きして、久しぶりに1時間ばかり散歩。涼しくて気持ちよい。リフォーム関係の業者さんがいらして打ち合わせ。色々大変。木曜日にキッチンの実物を見にいって勉強になったので、今度はバスユニットの実物を見に行くことにして、その予約をとったりする。
 今日の記事から、学術会議問題に関する正論を引用。(朝日DIGITAL、20201003)

■9月末まで日本学術会議会員を2期6年務めた明治大学の西川伸一教授(政治学)の話
 学術会議は、政府の施策について独立した学術的な観点から提言する。任命するのは首相だがそれにおもねる機関ではない。その中から特定のメンバーだけを排除すること自体が、学問的な専門性に対する敬意を欠き、研究者の名誉を損ねる行為で、言語道断だ。
 安倍前首相のもとでは、集団的自衛権の行使容認のため内閣法制局長官を交代させるなど、意に沿わなければ、慣例を破ってでも人事に介入して政策を進める手法がとられてきた。第三者的な役割が期待される機関の独立性を保つなど、慣例が持っていた意味を顧みることはなかった。菅政権もその本質が変わらないことがあらわになった。
 今回はさらに、任命拒否の目的や理由さえ説明しようとしない。政府に批判的な人を狙い撃ちで排除したとしか思えないが、あえて不明確にすることで、研究活動の萎縮や忖度を狙っているとも考えられる。「たてつくと不利益がある」という無言の圧力であり、今後への影響も大きいだろう。
■江藤祥平・上智大准教授の話
 「学問の自由」を保障する憲法23条は、明治憲法時代に起きた滝川事件や天皇機関説事件など、学説が国家権力に侵害された歴史を踏まえて作られた。自由を守る手段として、研究者の人事が大学の自主的な判断に基づいて行われることが大切だと、最高裁の判例は明快に語っている。
 今回の任命拒否で問われているのは、この自主的な判断への介入の当否である。日本学術会議は大学ではない。しかし、日本学術会議法が冒頭で「科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とすると明記していることを考えれば、同会議が「学問の自由」の実践と深くかかわる組織として設立されたことは明らかだ。3条で職務の独立性を強調しているのも、同会議の自律性を大切にしているからにほかならない。
 さらに17条は、同会議の会員への推薦の基準を「優れた研究又は業績」という専門家集団でなければ判断しえない事柄に委ねており、そうした知見を持たない内閣の任命拒否を想定していない
 こうした同会議の特質を考えると、理由を明らかにせず候補者の任命を拒否するのは、同会議の自律性に対する侵害であり、自律性を守る盾である「学問の自由」への挑戦といえる
 政府は「広い視野」に立って精査することは当然だと主張するが、具体的な中身を明らかにしていない。これでは政府に批判的な研究者を狙い撃ちにし、学問の萎縮効果を狙ったとみられても仕方がない。

2020.10.02 (金)  晴れ

 今日から後期開始で、先ずは実力テスト…であるが、私は授業がない日で、今日から練馬区のテニス教室である(去年も通った)。コロナで今まで教室が開催されておらず、、今回が今年の最初の回ということもあって、定員いっぱいの混雑であるが、それくらいの方が、運動量が増えすぎなくてちょうどよいのである(笑)。
 おかげで、午後から XF50mm F1.0 を持って昭和記念公園へ出かけ、咲き始めたコスモスを撮影する。その場では素晴らしい写真が撮れたつもりでいたが、帰ってパソコンで確認すると、あまりのピント面の薄さに、ピンがキッチリ来ていない画像が大半で、ほとんどを削除するはめに。やれやれ…ガッカリ。でも、まあその場では楽しかったからよかったとするか(笑)。このレンズ、ピント合わせがかなりシビアであるのと、あまり近くに寄れないところが玉に瑕か。
 それにしても、学術会議問題はヒドい話である。自分と考え方が異なる人物を排除する姿勢には、首相の人間の小ささが象徴されているといえよう。そういう人物がトップにいるということは、(アメリカと同様で)現在の国の度量の小ささも表しているようで、恥ずかしいかぎりである。
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2020.10.01 (木)  晴れ

 かつては東京都民は休日だった「都民の日」。日比谷は、秋休みを兼ねた?「閉庁日」ということでお休みである。昼から秋らしいイイ天気になり、リフォーム予定のキッチンの実物見本を見に、メーカーのショールームに出かける。機能もアップしているし、デザインもカッコいいしで、色々目移り。見積もりをしてもらったら、平日特典ということもあって、耐熱容器がもらえたり、グルメカードをもらえたりしてラッキー。
XF50mmF1.0が届いたので、庭のヒガンバナで試し撮り) 
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