2020.07.31 (金) 曇り・雨・晴れ間あり
パソコンの環境を新しくしたので、そのセットアップなどをして過ごす。
お昼頃は晴れ間が出て一気に夏みたいな感じになり、梅雨明けも近い雰囲気がしてきたが、一方、東京は感染者が463人ということで、コロナ明けはまだまだ先といったところか。日比谷は月曜日から夏休み…というか、補習が始まるのだが、またオンラインになったりするのだろうか。昨日書いたが、私が担当するのは3年生の「東大国語演習」という講座で、生徒諸君と対話しながら記述式の解答を考えていこうと思っているので、オンラインになるとちょっとやりにくいし、効率が落ちてしまいそうである。
2020.07.30 (木) 曇り・雨
明日は授業がない日なので、とりあえず夏休み前のお仕事は今日でおしまい。ついでに、大学院の講義も今日までなので、二つの夜のアルバイトも片がついて(あとは成績を出すだけ…)、ちょっとホッとする。来週の3年生向け補習(東大国語演習!)は、二人ペアで受け持つことになっており、私の担当は水曜日からなので、つかの間お休み気分である。8738歩。
2020.07.29 (水) 曇り・雨
岩手県もとうとう1名、大阪は200名越え…。さて、どうなることやら。報道によれば、感染症対策分科会の会長を務める尾身茂氏は、政府に対して判断に時間をかけるよう事前に提言していたとのことであるが、政府はそれにも関わらずGoTo事業をすすめたらしい。専門家の意見を聞きながら事業をすすめるとしていたことに矛盾する判断であり、大きな問題ではなかろうか。8002歩。
2020.07.28 (火) 曇り・雨
夜の国語科教育法は今日が前期の最終講義。結局、最後までオンラインだったから、選択してくれた学生諸君とは結局一度も実際には顔を合わせないままであった。前期は何とかオンラインでもできる形の演習を行ってきたが、後期は模擬授業をしてもらうことになっているので、オンラインが続くようなら、さらに工夫をしなければならなくなってしまう。もちろん、オンラインでの模擬授業でもよいのだが、やはり対面での実施がイイに決まっているので、早く収束してもらいたいところだが、今日も東京は感染者が266人ということだから、まったく見通しが立っていないといったところか。夏休みもないに等しいし、まったくイヤになってしまいますなぁ~~。10751歩。
ところで、天候不順で心配だった北海道からとうとう届きました!持つべきものは、北海道の親戚!我が家の廊下の香りを、皆さま方にもお届けできたらなぁ~~(香りだけです・笑)
2020.07.27 (月) 曇り・雨
管理職による授業観察。まあ、いつも通りだが、大鏡の「道長と女院詮子」という教材の最後の部分で、「きよきよと」という、ちょっと珍しい(…というか、ここにしか登場しない孤例の語)が登場したので、その話をしたり、そこから発展して、大鏡に犬の鳴き声が「ひよ」と登場することなどを話したら、管理職から「いや~面白かった」とお褒めの言葉を頂く(まあ、生徒諸君の知的好奇心も刺激できたとは思うけれど…笑)。ちなみに、「きよきよと」とは「ぎょぎょっと」の意であり、「ひよ」は「びょ~」という犬の遠吠えを表すのである。平安時代、犬は野犬が多かったので、おそらく遠吠えが擬音語化したのであろう。「ワン」となったのがいつ頃なのかは正確には分からないが、江戸時代の漢詩には「椀椀椀」と出ており、その時代には人間との関係も深まって、可愛らしく?鳴くようになっていたらしい(山口仲美先生の本「犬は「びよ」と鳴いていた」光文社新書による)。7928歩。
2020.07.26 (日) 雨~曇り~晴れ
午前中、やっと晴れたと思ったら、すぐまた雨になったりして、午後も忙しく天気が変わる一日であった。そう感じるのも、東側の窓からは1階も2階も雨が降り込みやすいので、降り出すと大急ぎで閉めに行き、晴れると風を通すために開けて回るということを繰り返していたからである。明日からは夏休み前の最終週、とはいっても、来週は補習が予定されているので、休めるのはまだまだ先。早く梅雨が明けてほしいなぁ。
今日の新聞から一部引用。(朝日DIGITAL、20200726)
(考論)長谷部(早稲田・憲法)×杉田(法政・政治倫理) コロナ対策、「罰則」と「自由」と
■命と経済、専門知で解は出ない=長谷部 / 責任、専門家ではなく政治家に=杉田
*
杉田 目下最大の課題は、感染拡大を阻止しながら社会生活をどう維持するかです。人と人との接触を活発化させれば感染リスクは高まる。接触を止めれば感染リスクは下がるが、経済活動や文化活動もできなくなります。
長谷部 古典的な「二重効果原理」ですね。得られる利益と失われる利益が釣り合うような地点を見いだすしかありません。
杉田 ただ、〈人の命や健康〉と〈経済や文化〉は本来次元の違うもので、同じ物差しの上には乗せられません。
長谷部 その通りです。それでも最後は決めなければいけませんが、専門家が持つ専門知はバランスを取る役には立ちません。感染症の専門家の、経済活動をこの程度再開させるとリスクがこの程度上がりますという専門知と、経済の専門家の、この程度まで経済活動を再開させないと1年後の日本経済はこうなるという専門知を突き合わせても理論的な最適解は出てこない。本来次元が違うわけですから。両者の意見を聞いたうえで、政治が判断するしかありません。
杉田 そもそも、公衆衛生という分野は純粋科学と言うよりも、人間の行動を規律する政策的な学問なので、政治的な配慮がまぎれ込みがちですね。
長谷部 経済学についてもそうした傾向はあります。
杉田 原発の安全対策について、コストがかさむと電気代が高くなるということを原子力工学は意識していました。工学は工期と予算を考え、政策的な配慮をする。東日本大震災で事故が起きたあと、その問題点が指摘されましたが、公衆衛生の専門家も、今、専門知を超えた判断まで求められていないでしょうか。
長谷部 どこまでが純粋な専門知で、どこからが政策的な判断かを区別しづらい分野だというのはその通りでしょう。
杉田 区別しづらいということと、区別しなくてもいいというのは違います。今回、専門家会議のメンバーが前面に立ち、非常に危機感をもって発信した。首相らにリーダーシップが欠けているからですが、専門家が直接人々の行動を指示する形になったことで、結果的に政治の責任があいまいになってしまった面もあります。コロナには謎が多く対策の「正解」もわかりません。しかし、もしも失敗した場合、その責任を専門家に取らせることはできない。政治家が、選挙などを通じて取る以外にありません。
2020.07.25 (土) 雨
いや、本当によく雨が降るものである。午前中、来週の授業と講義の準備。
ところで、12日のところにネック・スピーカーが壊れた話を書いたが、その後、修理されて(無償)戻ってきた。ところが、今度は(やはり3度目か…)、Surface Pen を買ったら、それがパソコンと同期せずという事態になってしまった。仕方なくサポートに連絡すると、つながるのに時間は掛かったが、さすがマイクロソフトの純正品をマイクロソフト・ストアで(教職員割引で)買っただけあって、なかなか丁寧な対応であった。遠隔操作でアレコレやってくれたりしたのだが、結局はうまくいかず、交換ということになった。まったくヤレヤレである。
夜、豊島園の花火を近所から鑑賞する。開会式に合わせたものだそうだが、木曜日から明日まで、4日間連続で7分間ずつ打ち上げているようである。豊島園も今年いっぱい。寂しい限りである。
2020.07.24 (金) 曇り・雨
本当に久しぶりに昭和記念公園に出かける。小雨がちだったこともあり、また、たいした花がある時期でもないせいか、かなり空いていた。昔は3時間でも4時間でも歩き回ったものだが、最近は2時間もすると疲れてきてしまい、たいした花果?もないまま引き上げる。
池江選手が原稿を読み上げる形で東京五輪一年前のメッセージが発表されたが、あれを見ていて有名なサルトルに関する話を思い出した。かつてサルトルは、アフリカで子どもが飢えて死んでいる時に、文学は無力であると語ったのだが、それに対して、現代のある文学者は、いや飢えているからといって文学を必要としていないと決めつけるなら、それはかえって彼らの人間性を否定することになるのではないか、飢えているような状況の中でこそ、人間が人間として生きるために文学は必要となるのではないかと主張したのである。なるほど、この文学者のもの言いはなかなかカッコいいのだが、私はやはりとりあえず文学よりもパンなのではないかと思うのである。池江さんが読んだ原稿には、スポーツが希望の光をともすこともあるだろうというようなことが書かれていたが、そのスポーツにかける予算があったら、今すでに生活が困窮しているだろう子どもたちに、パンを届けた方がよいのではなかろうか。頭のイイ人は、何とでもうまいことを言うのである。
2020.07.23 (木) 曇り・雨
オリンピックが開会されていただろうことを思うと、本当に隔世の感である。東京ではいよいよ300名を超え、まるでGoToを揶揄するかのような数字に、現政権の管や安倍や、小池の陰謀ではないかと疑っているかもしれないが、それはそれとして一体どうなってゆくのだろう。いよいよ「人災」の線が濃くなってきたといったところか。おそらく、GoToを決める際には、まったくその分野の専門家の意見を参考にすることなどはなかったのだろう。国民の税金の意味を、この政策を決めた方々は理解していたのだろうか。
今日の新聞から。(朝日DIGITAL、20200723)
政治家やメディアは連日、「夜の街」という言葉を使い続けています。そこには、歴史への反省が見られません。終戦直後、米兵相手に売春する女性をメディアが「夜の女」と呼んでさげすんだように「夜の……」という言葉には、職業への偏見や賤業視が根深く結びついています。脈々と続く差別の歴史を踏まえれば、「夜の……」という言葉はもっと慎重に扱われなければならないはずです。
女性史研究家の山家悠平さんの論。なるほど。
2020.07.22 (水) 曇り・雨・晴れ
3年生のあるクラスから、星陵祭に担任をテーマにしたビデオを作って参加する予定なので、そのビデオに、インタビューに答える先生方の一人として出演してくれないかと頼まれる。よ~く知っている(前に同じ学年の担任をした)先生なので、引き受けることにする。しかし、今年の星陵祭はどうなるのだろう? 職員会議に出ていないのでまったく様子が分からないが、3年生にとって思い出深いものとなると良いのだが…。9206歩。
2020.07.21 (火) 曇り・晴れ
本当だったら?今日から夏休みである。シクシク…。
GoToのキャンセル補償をするそうだが、その手続きが素人目にはかなり大変そうで、補償を要求するなと言っているような感じである(持続化給付金もそんな感じ)。これでは振り回された観光業関係者はまったく浮かばれないのではないか。このキャンペーンも、専門家(医療関係者だけでなく、観光業関係者など)を交えてきちっと議論してゴーサインを出したのだろうか。8872歩。
2020.07.20 (月) 曇り・晴れ
朝、雨が降っていなかったので、久しぶりに麹町から一駅歩き、気持ちよかった。午後からは暑くなって、帰りがけはいかにも「夏」という感じであった。9378歩。
今日の新聞記事から。(朝日DIGITAL、20200720)
ダークサイドを知ったうえで 社会心理学者・相川充さん
*
感謝を表す言葉といえば「ありがとう」でしょうが、「すみません」もよく使っていませんか。
何かしてもらった時、人はまず「うれしい」と感じます。最初の意識は自分に向いています。でも、意識はさらに相手方に向かい、時間や労力など「こんなにコストを費やしてくれた」という「すまなさ」の感情がわきます。
アメリカ人やスペイン人などと比較したデータでは、日本人は感謝の際、この「すまなさ」の気持ちも感じます。私たちは、欧米人よりも他者を意識して生きていると言ってもいい。心理的な負債を抱えて、「お返ししなければ」と思いがちなのです。
最近、医療従事者などに対し感謝を表す行動が目立つのも、「お返ししなければ」という思いが関係していると思います。普段は「口に出さなくてもわかってるよね」との思いがあるので、胸を張って「ありがとう」と言うことは少ない。それが、ウイルス感染の可能性が現実のものになると、多くの人に支えられていると改めて気づいた。そこで感謝を繰り返すことで「相手に報いたい」という思いを伝えようとしたのでしょう。
ツイッターなどで「ありがとう」が目立つのは、文字にして印象が良いからでしょうが、SNSでの行動も「すまなさ」の意識が表れていると私は捉えています。コロナ禍での感謝のかたちが、以前と変わったとは思えません。
「ありがとう」という言葉による「感謝の行動」は、自分にも他者にも肯定的な変化をもたらします。「ありがとう」と口に出し、その場面を思い起こすと、リラックスして、睡眠状態が良くなることが報告されています。「お返しをしたい」という気持ちが強まると、自分も感謝される行動をとろうと思うようになる。感謝された側も「これでよかった」と認識し、今後も続けようと思います。
トイレに「きれいに使ってくれて、ありがとうございます」と書かれているのを見たことがあるでしょう? 感謝は、「きれいに使え」という命令よりもパワーがある。感謝の行動が、社会参加のきっかけになるかもしれません。
一方で、意図的に感謝を強調することで、苦しい現状に甘んじることを強いるような場合もあります。戦前・戦中には「兵隊さんよありがとう」の歌がはやりました。感謝が自己満足にしかならない例もあるでしょう。感謝のダークサイド(暗黒面)です。
でも、それは社会のあり方の問題であり、感謝の問題ではありません。ダークサイドを承知したうえで、それでも感謝はする方がいい。心が軽くなります。「ありがとう」と口にした方が、みんなが良い方向に動きます。感謝には、それだけの力があります。
2020.07.19 (日) 曇り・晴れ
早起きしてヨガ、お昼前からイイ天気に。久しぶりに洗濯物を外に干す…って、主人が。もう少し早くからだったら遊びに出かけたのだが、ちょっと出遅れた感じで、整理した古本をブックオフに持っていた以外は家で過ごす。2日続けて非生産的な生活を送ってしまったなぁ~。
(↓雨ばかりで色が悪くなったと主人が言っている)
2020.07.18 (土) 曇り・雨
いつも通り早起きしてヨガをやったが、重いモノ(ヨーグルトとか大根とかジャガイモとか…笑)の運搬役として買い物に付き合わされた以外、天気が悪くて草むしりもする気にならず、家の中で本を読んだり、PrimeVideoを見たいして、非生産的な一日を送る。
2020.07.17 (金) 曇り・雨
午前中、大学の講義の準備。午後から、クルマを6ヶ月点検に持っていく。点検の間、新型アコードの試乗をさせてもらう。店の人が同乗するわけでもなく、全く自由に3時間も使わせてもらう。そもそもボディサイズが大きいので、普段走っているアチコチに出かけてサイズ感や乗り味を試してみたり、家の駐車場への出し入れの感覚を試したりしてみたかったのであるが、時間がたっぷりあったのでまずまず検証?することができた。ネットでは、マイバッハに匹敵する静けさとか出てくるが、エンジン音がない分(モーターで走るのである)、足回りからの雑音が耳に入ってくる印象で、それほど静かとは感じなかった。一方、ボディの大きさはそれなりで、走行している分には特に違和感はないのだが、駐車の際などには、やはりかなり気をつかう感じ。3つの走行モードの違いは、街中を普通に走っていても、アクセルに対する反応などが分かる感じで楽しかった。リア・シートの足もとの広さ、トランクの広さもスゴイの一言。ヘッドアップ・ディスプレイも見やすく、サンルーフも気持ちよかったが、内装がプラスチッキーで、今一つ高級感に欠ける(465万もするクルマとは思えない…)ところがちょっと残念かも。総評としては、5段階で3。多分、買わないかな(笑)。販売店の気遣いも今一つで、3時間も借りていたのに、一言も感想を聞かれなかったりと、売る気なしの態度にはいささかガッカリである。
2020.07.16 (木) 曇り
東京都、286名。 藤井聡太、棋聖位。 立憲と国民、合流。 GoTo東京除外… などなど色々なニュースがあった一日。あとは、佐川と安倍(及び関係者)が正しく裁かれるとよいのだが。8879歩。
2020.07.15 (水) 曇り・雨
ちょっと寒めの一日、かつ、頭痛日。やれやれ…。昨日は、大学のオンライン講義が珍しく(笑)長引いてしまい、終わってすぐ食事をしたり、風呂に入ったりしているうちに更新を忘れてしまったのである。いやはや…。
しかし、沖縄の多くの大学は、せっかく対面授業を始めたと思ったら、米軍関係で感染が懸念されるようになり、再びオンライン講義に戻したそうである。何かと大変である。青森のむつ市の市長さんは、Gotoキャンペーンは「人災」と結びつくとしたそうだが、なかなか難しい判断といったところか。観光は、ホテルなどの宿泊業だけでなく、交通や飲食など、さまざまな分野と関係しているだけに、政府としても早く立て直したい気持ちがあるだろうし、期待している地元も多いに違いない。一律に制限するのもどうかと思うし、嫌いな言葉だが、Gotoするかどうかは自己責任ということになるのだろうか。9827歩。
2020.07.13 (月) 曇り・雨
週明けはパソコンのトラブルに見舞われやすいのか、今日も朝から困ることに。今日の症状は、デスクトップそのものはプロジェクターを通じて黒板に写っているのに、パソコン上では見えているアイコンや開いたパワポの画面がプロジェクターの映像に反映されないという不思議なもの。ネット上の画像を見せる予定だったのにできなくなってしまい、仕方ないので生徒個々のスマホで調べさせたりして切り抜けた。授業の後で情報の先生のところに相談に行くと、「誰でもが通る道です(笑)」と言って、対処の仕方を教えてくれた。要は、マルチディスプレイの設定が間違っていたのである…というか、自分で変えたつもりはないのだが、パソコンをプロジェクターを無線接続したりする時に、ヘンな所をタッチしてしまったのだろう。やれやれ…。しかし、こういうことを通して、外部ディスプレイの使い方が分かったりして、ちょっと勉強にもなったから、結果的にはよかった…?8025歩。
2020.07.12 (日) 曇り・晴れ
久しぶりにまずまずの天気だが、その分暑くなった。今日も206名。検査数が増えているからとのことだが、検査数、つまり分母になる数を以前のものも含めて示してもらわないと、どれくらい大変な事態なのかが明確には分からないはずなのに、それをどこも問題にしていないのはなぜだろう。
午前中、晴れたので草むしり。午後から、初めてLINEによるサポートというのを体験してみた。というのも、ウエアラブル・ネック・スピーカーを、オンライン授業の時に学生諸君の声がよく聞こえるようにと思って買ったのだが、その新品のウエアラブル・ネック・スピーカーのボタン類が反応しなくなってしまったのである。早速ソニーのサポートに連絡したが、電話だと受付までに時間がかかるというので、LINEを使ったサポートというのを利用してみることに。確かに2~3分でつながるのはよかったが、文字で症状を伝えたり、質問に答えたりするやりとりは、かなりまだるっこしかった。ちなみに、サポート相手は外国の方のようで、そもそも日本語がヘンということもあり、結局30分以上やりとりしても解決せず、残念な結果に。仕方なくサービス・ステーションをネット検索したら、自転車で15分くらいのところにあったので、持ち込んで修理してもらうことにした。やれやれ…である。今年は、エアコンも新設早々修理だし、家電関係のウンが悪いみたいであるなぁ…。
2020.07.11 (土) 雨・曇り・晴れ
206名。朝のヨガと昼間の素振り以外、家でのんびり過ごす。経済活動を維持しなければならない面の理解できるので、本当に各個人の自覚的行動が求められているといえようか。自分は重症化する危険性が少ないから…いうことではなく、いつ、どこで、だれに感染させるか分からないから…という意識で、自からの行動を律してもらいたいものである(…と、自分にも言い聞かせる)。
2020.07.10 (金) 雨・曇り
243名。しかし、検査数が増えているからだというのなら、前からもっと積極的に検査をしておかなければいけなかったのではないか。症状が出ない人が、つまり検査を受けていないが故に健康だと思っている人が感染を広めているのだとしたら、いつまでたっても収拾がつかないのでは?
ところで、話が変わって古典の話。新学習指導要領に移行することに関連して、古典を必修科目として学習する意味があるのかといった、目先の利益だけにとらわれた(そもそも教育は「人格の完成」を目指して行われるという理想を忘れた)議論がなされたりするわけだが、その中に古典と古文は異なるのだから、古典を現代語訳で勉強すればよいという、一見尤もな主張もある。フランス文学やロシア文学が素晴らしいことを翻訳で知ることができるのだから、古典の素晴らしさも現代語訳で伝わるはずだというわけである。でもね、だからこそイイたいのは、フランス文学やロシア文学を原文で読むのは大変だが、古典は同じ日本語ということで、ちょっと勉強すれば(何も現代語訳など使わずとも)原文で読めるというところが大切なのではなかろうか。繰り返し音読しているうちに何となく分かっているわけで、その基本を小学校・中学校で勉強しているのだから、そこにもう一味付け加えるのも、なかなか味なものだと考えているのだがねぇ~。
2020.07.09 (木) 雨
224名!国立国際医療研究センターの忽那医師は次にように語っている(朝日DIGITAL 20200709)。
――東京を中心に、感染者がまた増えています。
都内の感染者数は一度減りましたが、7月上旬の今、4月上旬と同じ程度に増えています。どこで感染したかわからない例が6月下旬からだんだん増えて「やばい」と感じるようになりました。危険な状態に近づいています。
(中略)
――都内以外でも感染が広がりつつあります。
若い人は活動性が高いので、移動してウイルスを他地域に運びやすい。クラスターが新たなクラスターを生んでいる可能性があります。行動制限がなくなり人の移動が活発になることで感染は広がる。ウイルスが高齢者施設や病院に持ちこまれ広がると、重症化する人が増えて一気に深刻化します。コロナの症状がない感染者が病院を受診し、病院側が感染に気づかずに院内感染を広げてしまうことも警戒されます。クラスターを早めに見つけて抑え込むことが重要です。
――医療提供体制の状況はどうですか。
若い軽症者が多くホテル療養で良いことや、入院しても数日で退院できる人もいるといった理由から、ベッドが埋まる事態は起きていません。ただし今余裕があるからといって、感染者がこのペースで増え続ければ、ずっと大丈夫なわけではない。今のうちに抑え込む必要があります。
――どうしたらいいのでしょう。
多くは3密(密接、密集、密閉)の環境で感染が起きています。こうした環境を避け、手洗い、マスク装着など基本的な対策を皆さんがいかに徹底するかに尽きます。全ての人がしないと感染拡大を防げないのが、この感染症の難しいところ。ちょっとしたほころびから流行が広がってしまいます。日頃の対策を徹底しないと、抑え込むことがどんどん難しくなります。 (後略)
2020.07.08 (水) 雨・曇り・晴れ
雨降りだったが、帰る頃には夏空に。9067歩。
新聞に「そして父になる」という記事があった。同名の映画は今一つの印象だったが、ダウン症の子を授かったある父親のレポートであるこの記事は、とてもイイ記事だった。一部引用。(朝日DIGITAL 20200708)
そして父になる ~「一家心中」も考えた息子との4年間~
(前略)
かつては西村さん自身も、ダウン症の子育てが楽しいという当事者の親のブログを読んでも、額面通りには受け取れなかった。
「当事者が『幸せ』というのは強がりで、『そうは言っても、大変だし不幸じゃないの?』と多くの人が思っているんだと思う。障害者は、なんだか怖い存在なんでしょう。かつての僕がそうだったから」
先日、コンビニのカウンターでコーヒーを買った知的障害者らしい男性が、「すみません、ふたをしてください」と誰ともなく言っている場面に出くわした。店内にいるほかの客が、さっとひくのがわかった。たぶん、昔の自分だったら、ひいていたと思う。
今は逆に、困っている障害者が周りにいないか、よく見るようになった。
「小さい頃から、ダウン症など障害がある友だちと接する機会があれば、そんな風には思わないのではないか。十五(保戸塚注:お子さんの名前)と一緒にこども園で育つ子どもは、僕よりもダウン症への偏見がなく育つのだと思う。だから十五には、特別支援学級ではなく、普通学級で学んでほしい。健常児と障害児が一緒に学ぶインクルーシブ教育が進めば、障害者を特別視しない世の中がもっと進むと思う」
出生前診断を受けた人、結婚しないと決めた人、子どもを産まないと決めた人。すべてにおいてその選択が尊重される世の中であってほしいと考える。でも赤ちゃんの障害がわかったときに、「不幸になるから」という理由だけで、中絶を選ばない社会になってほしいとは思う。
(後略)
2020.07.07 (火) 雨・曇り
七夕だが、それどころではない大雨の被害が出ている地域もあり、心配である。コロナもあるし(東京都は106名と相変わらず100人越えだ…)、被災地支援もあるしで、国のお財布は大丈夫だろうか。8896歩。
2020.07.06 (月) 雨・曇り
授業では、黒板にプロジェクターで本文を投影しながら授業を行っているのだが、今日は途中でパソコンが固まってしまい、結構焦る。生徒たちは、回復させようとアレコレいじっては焦っている姿を見て楽しんでくれているようなので(ああしたら…とか、声を変えてくれたりする・笑)、まあイイか…なのだが、予定通りに授業が進まないので困ってしまうのである。授業を進めながら(…こういうところはプロの技か・笑)再起動して、何とか画面を回復したが、こういうことに神経を使うのは考えものであるなぁ~。9478歩。
2020.07.05 (日) 曇り→雨→晴れ
早起きして散歩、そのまま開場したばかりの投票所で都知事選の投票。オリンピックの方向性に関する考え方に賛同でき、教育についても、オンラインなどという話題ではなく、教員定数を増やすことや少人数学級の推進などについてふれていた候補に投票する。午前中は授業や講義の準備、午後から読書。
それにしても熊本の水害の跡はヒドいもので、報道される映像、特に泥を被った建物・施設や運動場、池などの様子を見るにつけ、被災された方々のお気持ちを想像して暗澹たる気持ちである。くまモンの姿が、少しでも被災された方々の元気へ結びつくことを期待したい。
(↓咲き終わって剪定したバーベナが、また花をつけた)
2020.07.04 (土) 曇り
東京都の感染者が増えていて、自分は大丈夫だろうと思いつつ、それほど心配しているわけではないのだが、医療現場のことなどを考えると、そう安易に済ますわけにもいかないことも想像され、何か気が晴れない感じである。用事があって豊橋の人と会話した主人は、「東京は大変ねぇ~」と心配されたと言っていた。西浦教授の試算通りになっているのではないかということも話題になっているようだし、いったい今後どうなってゆくのだろう。
一方、熊本も大変なことになっている。「経験したことのない…」という表現が盛んに使われるようになっているが、こういうことも新しい日常になってしまうのだろうか。
2020.07.03 (金) 曇り・雨
家で過ごす。レジ袋の有料化が始まって、まあそれはそれで仕方ないとも思うのだが、プラゴミの中でレジ袋の占める割合は小さなものらしい(400万トン中のわずか20万トン)。だから、レジ袋を製造してきた会社の社長さんが、「ペットボトルや使い捨ての弁当箱を規制した方が、よほど廃プラは減る。大企業の食品や飲料メーカーではなく、私たちのような弱小企業をターゲットにした。環境対策のスケープゴートにされた気がしてしようがない。」と発言されているのはその通りだろうと思う。この企業も、新しいレジ袋の開発をしているそうだが、政府は政府で、残り380万トンをどうしていくのか、しっかり道筋を示すべきだろう。
2020.07.02 (木) 晴れ
夏の到来を思わせる一日だが、東京都の感染者は107名だそうだ。いよいよ上手く付き合っていかなければならないようだ。
ところで、面白い記事があったので、長文になるが全部引用。どのご発言ももっともで、なるほどと思われることばかりである。(朝日DIGITAL 20200702)
感染拡大せず「日本スゴイ」…80年前と重なる嫌な流れ
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「遊びに行くなら屋内より屋外を選ぶ」「料理に集中、おしゃべりは控えめに」――。新型コロナウイルスの感染予防対策として、政府が提示した「新しい生活様式」に沿った呼びかけを、街のあちこちで聞くようになった。感染抑止のためなのだから仕方がない。ポストコロナの新生活を始めよう。そんな受け止め方が広がる今の社会の空気について、戦時下文化を研究する大塚英志さん(61)に聞いた。
――大塚さんは「新しい生活様式」が、戦時下の光景と重なると指摘しています。どこが重なるのですか。
「何より、『日常』や『生活』という用語の氾濫ですよ。『日常』や『生活』は、戦時下に盛んに用いられた戦時用語なんですよ。例えば、日米開戦前後を境に新聞や雑誌にあふれるようになった記事が『日常』や『生活』に関するものでした。季節ごとの家庭菜園の野菜を使ってつくる『漬けもの暦』や、古くなった着物でふすまを飾る事例の紹介など、今では『ていねいな暮らし』とでも呼ばれそうなものが、競うように掲載されたのです。戦後「暮しの手帖」の編集長となる花森安治は、当時は大政翼賛会で政治宣伝を担いつつ、並行して『くらし』をテーマにした婦人雑誌を何冊も編集しました。古い着物を再利用してふすまを張り替えようという記事は花森が翼賛会時代に編集したものです」
――手作りや時間をかけてつくった料理など「ていねいな暮らし」を大切にしよう、というのは、「すてきなこと」に見えますが。
「一つひとつは、否定しようのない『すてきなこと』に見えます。しかしその目的はあくまで『戦時体制をつくる』ことです。タテマエは節約や工夫によって、物資不足に備えることですが、目的は人々に戦時体制という「新しい日常」に順化させることです。それを強力に推進したのが、大政翼賛会でした。『新生活体制』として、『日常』のつくり替えを説いたのです。『生活』や『日常』は、非政治的に見えて政治的なのです。軍国色がないから、政治的な批判もしにくい。しかし『生活新体制運動』は『生活』という基盤から、社会を戦時体制につくり替え、統制に人々を動員する、まさに政治的役割を果たしました」
「『新しい生活様式』という言葉を聞いた時、僕はこの『新生活体制』を思い出し、とても不快でした。それは、言葉の上の類似だけでなく、日々報じられたニュースが奇妙に重なり合うからです。ホームセンターの家庭菜園コーナーが人気になったというニュースがありましたが、戦時下、奨励されたのは家庭菜園でした。東京都が断捨離の動画を配信しましたが、戦時中は不用品の整理を説く自治体もありました。あげればきりがありません。図書館によっては当時の新聞記事が検索できるサービスがありますから、自分の目で確かめてください」
――「ていねいな暮らし」自体は、悪いことではありません。
「一つ一つのいい、悪い、が問題ではありません。戦時下も今回も『政治』が人々の生活や日常全体を変えようとしていることが『正しくない』と言っているのです。政治やメディアが率先して、人々の『行動変容』『意識変容』を説く。政治が人をつくり替えようとしているわけです。その実現のために、『日常』のあり方や行動を規範としてあからさまに発信する。理屈をあれこれ言わず、行動による参加から統制を実現するのは、翼賛会以降の戦時下の動員の手法です。実際に生活の中で自ら何かをすることで、人は簡単に動員されます」
――外出できない日々をなんとか楽しもうとするなかで、断捨離や家庭菜園の情報は必要とされていたのではないですか。
「戦時下の新聞の生活記事一つ一つは、『今日、明日、役に立つ情報』です。しかし、ピースの一つ一つが政治的に見えなくても、完成した『新しい日常』は新しい政治的現実、つまり、『新体制』と呼ばれた戦時体制です」
――私も「品薄の商品をどう手に入れよう」とか、「食事をどうしよう」とか、いつも以上に生活のことを考える日々でした。ただ、それは目の前のことに必死になっていただけなのですが……。
「戦時の『新生活』も、実践の担い手の中心は女性でした。当時の女性たちにとっては、『正しい社会の参加の方法』が示されたという充足感もあったのかもしれません。少なくともそう演出されました」
「そもそも『新生活体制』が説かれるのは1940年の翼賛会発足に合わせてです。翌年が日米開戦です。しかし、それより前、1937年の日中戦争をきっかけに行われたのが『自粛』です。対象になったのは、まずは『パーマネント』、それから女性が接客する『カフェ』でした。なんとなく女性の琴線に触れるものを、非常に巧みに自粛の対象に紛れ込ませた印象です。今回も、理美容院を休業要請の対象にすべきかという議論がありましたし、今は『夜の街』対策に熱心です。婦人会などによる自粛警察のような動きもありました。そうやって『自粛』は生活の自発的なつくり替えに向かい、そして『規制』は本格化します。今も、自粛に罰則を付す、つまり『規制』にする議論が始まっていますよね」
――感染予防のため、政府が生活の指針を示したことに安心し、歓迎する声もありました。
「そもそも、コロナに限らず、これまでも『強いリーダーシップ』が政治家に求められてきたわけです。誰かに決めてもらって、自分はただ従いたい、というおよそ民主主義に相反する欲求です。今回は、そういうパフォーマンスを巧みに演出する自治体の首長らが、声の大きさや扇動のうまさで『やっている』ように見えてしまった。そこに喝采する人も少なくはなかった。けれど、こんなふうに『強い力に従うこと』になれてしまったこの社会の向かう先はいささか不安です」
――専門家に言われると、やはり説得力があります。
「コロナ騒動で、専門家会議が冗舌に語ったのは『新しい生活様式』という学級会みたいな『きまり』でしかなく、専門家が専門の言葉を放棄して『ただの人』として発信していることが少なからずありました。そういう、科学という専門性の後退が実は今回起きた気がします」
「例えば、日本の新型コロナによる死亡率が、欧米とくらべて低いことを『日本人の行動様式』や『日本文化』に帰結させる主張が盛んに語られはじめました。時にそれを専門家が語るのも側聞しました。東アジア圏にはもっと死亡率が低い国もあるのに、です。なるほど、『生活』や『日常』は文化の基盤のように思えますから、コロナ感染が悪化しなかったことは『日本スゴイ』的な精神論・文化論に飛躍しやすい。『ジャパンミラクル』といった国会議員がいましたが、コロナ文化論は、ほとんど『神風が吹いた』に近い次元に行きかけている。そもそも、自画自賛的な日本文化論など大抵、眉唾物です」
――コロナに感染する恐怖を前にすると、自粛や新しい生活様式にはあらがいにくい雰囲気があるのも事実です。
「コロナ禍が過ぎ去った時、自粛や新しい生活様式に、『あれは医学的根拠がなかった』とか、『やり過ぎ、無駄だった』という批判が出てくるでしょう。すでに散見します。そして、『あの時、だれがあんな馬鹿げたことを言ったのか』と『戦犯』探しが始まる。その時、『じゃあ、あなたは何で従ったのか』と問われたら、大抵の人が、『反対できる空気じゃなかったからね』と弁明するのでしょう。それは、かつて戦争に向かう『空気』に流され、沈黙し、戦後になされた弁明と同じじゃないですか?」
――では、どうすればいいのでしょうか。
「違和感を感じるのなら、『いやだ』『気持ち悪い』って言えばいいんですよ。僕は『自粛』や『新しい生活様式』や、そこにへばりつく『正しさ』が気持ち悪いから、そう公言しています。けれど、その気持ち悪さを、『気持ち悪い』と言えないような社会が、もっと気持ち悪い。『言えない』時点で、おかしいわけです。疫病対策として最小限すべきことと、そのどさくさで政治が生活そのものを改めることは、『同じ』であってはならないはずです。どういう形であれ、個人の生活の中に公権力が侵入してきたら、『従うのはいやなんだよ』というのは、民主主義の基本でしょ」
――「新しい生活様式」の「新しい」という言葉には、ポジティブな響きがあります。
「『新しい』という言葉によって、批判の対象を『旧』におとしめるというマウンティングの歴史の一つですよ。社会に停滞感がある時、人は『新』に飛びつくものです。近衛文麿の新体制が成功したのは革新運動だったからだし、戦後の「革新」も、『古い自民党』を批判して生まれた小泉政権も、戦後を『古いもの』と見なして否定する安倍政権も同じです。維新の会も同じです。『新しさ』に内実は問われない。問わない側が間違っている」
――いまさかんに、コロナ後の「新しさ」が論じられています。
「僕は『ポストコロナの世界』を論じようとする人を信用していません。問題点が露呈してより悪い世界は確実にきますが、それはコロナがあろうがなかろうがやってくるはずの世界です。何かをチャラにした『新しい世界』なんて来ません。この20年を振り返ったって、『3・11後の世界』とか『9・11後の世界』とか、何回も『これで世界が変わった』『これから来る新しい世界のことを論じよう』と、くり返してきたでしょう。今回だって、きっと、同じ顔ぶれが『コロナ後の世界』を冗舌に語るでしょう。まあ、予算配分が厳しい人文系研究者などは、『コロナ後の世界』をテーマにすれば、結構、研究費が取れそうだなという生々しい話も聞きますが、それを含め、『コロナ後の世界』をいかに政治利用するかという、『新しい』政治が始まるでしょう」
2020.07.01 (水) 雨のち曇り
今日も授業でパソコンを使おうと思ったのだが、なんと授業教室として割り当てられた社会科教室のプロジェクターが旧式のもので、Bluetoothでも接続できないし、ケーブルは大きなHDMI端子用なので、配布されているMICRO HDMI端子搭載のパソコンに接続できないしで、結局パソコンなしで授業を行う羽目に。ちょっと準備(調査?)不足ではないかと叱られそうだが、教室と同じタイプの機器がちゃんと天井からぶら下がっているし、当然社会科の先生方は映像授業をされているので、社会科教室は使えるに決まっていると思い込んでしまっていたのである…と言い訳(泣)。私は3年生三講座持っているのだが、割り当てられた教室でプロジェクターが使えるのは一教室(つまり一講座)のみ。残り二講座のうち、一つは、プロジェクターを使わない先生の教室と交換してもらって確保したのだが、この社会科教室を使う時間帯は他の教室も一杯で、どうしようもないのである。この講座だけパソコンを使わないというのは不公平だろうから、どうしたものかなぁ…。9037歩。