2021.03.28 (日) 曇り・雨
頭痛日。低気圧のせいで頭痛が起こる人がいると聞いたことがあり、今日の天気を考えると、もしかしたら自分もそうなのかも知れないという気もするが、単に昨日のワインの飲み過ぎのような気もする…笑。
ところで、年度末になり、ちょっとだけ更新をお休みしようと思います。4月1日からの再開を予定していますので、ご興味のある方はまたよろしくお願いいたします。
2021.03.27 (土) 晴れ
早起きして、石神井川沿いのサクラを見にサイクリング。天気もよく、人出が増える前なので気持ちよかった。夜、実家の家族を招いてリフォーム後の部屋のお披露目会。牛蔵(富士見台で有名な焼き肉屋さん)のお弁当を囲んで楽しく過ごす。
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↓庭のチューリップもすっかり見頃に)
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↓今後の開花が期待される我が家の花たち)
2021.03.26 (金) 晴れ
リビング・キッチン用品の買い出しに吉祥寺に出かける。店が開く前に井の頭公園によって花見。朝早くなので、人通りもまばらで満開のサクラを楽しめた。その後、6軒の店をハシゴして買い物を済ませたが、お昼前にはもうすごい人出となっていたので、吉祥寺でのランチは諦めて阿佐ヶ谷まで戻り、駅周辺でピザのランチを頂く。帰宅後、業者さんから引き渡しを受け、リフォーム後の整理整頓をして、なかなか充実した一日であった。
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↓井の頭公園にて)
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↓ランチ)
2021.03.25 (木) 曇り
クラスごとの教室でオンライン修了式と離任式。久しぶりに、配信する側としてではなく、参加する立場で Zoom のミーティングに参加して、「なるほど、こんな感じだったなぁ…」とオンライン授業をしていた頃のことを思い出す。その後、国語科では、歓送迎会ができないことが予想されるので最後の科会を行い、異動される先生方からご挨拶を頂く。4月から育休明けで復帰される先生も顔を出して下さり、楽しい時間を過ごす。明日から4月4日まで春休みである。バンザ~イ! 12180歩。
帰宅後、片付けが残っていた荷物を屋根裏部屋に運び込んだりして、リフォーム前の生活に完全に?復帰する。明日、最終的な引き渡しである。
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↓日比谷からの桜の眺め)
2021.03.24 (水) 晴れ
午前中授業で、午後から新1年生の進学説明会。暖かくイイ一日だが、感染者数の増加にはビックリである。一体、誰がどこで罹患するのだろうか。10368歩。
リフォームは、新しいロールスクリーンがつき、電気設備も一新されて無事終了。ただし、正式の引き渡し日は最終点検が終わってからとのこと。昨日設置された本棚に、早速アルバム類を収めてみる…といいつつ、古いアルバム(高校や大学の卒業アルバムとか、息子の保育園時代の写真とか…)を覗いたり、貼りきれていなかった写真を新しいアルバムに貼ったりしながらの作業なので、あまりはかどらなかったが、思っていた通りの感じになって来たので、とりあえず満足といったところか。
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↓日比谷の桜)
2021.03.23 (火) 晴れ
リフォーム当番で休暇を頂く。今日でほぼ完成。養生してあった部分も取り除かれ、普通の?生活に戻る。明日、窓にロールスクリーンをつけたり、電気設備を更新したりして、作業終了・引き渡しの予定。
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↓壁だったところに本棚を作ってもらう。アルバムやCDなどを収納する予定。
右横の棚と面一になるはずだったが、エアコンの配管があってできず残念…。)
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↓リビングの天井に、空調の効率も考えてこんなものをつけてみる)
2021.03.22 (月) 晴れのち曇り・雨
今日から自粛解除だが、変わった感じは特になし。
二浪で医学部進学が決まった卒業生が訪ねてきてくれる。4月からは基本対面の授業が予定されているとのことで、一浪生がオンライン授業だったことを考えると、二浪生としてのハンデも少ないといえるのかも。やっと自分のやりたい勉強ができるということでやる気満々だし、今後の飛躍を期待したい。8727歩。
2021.03.21 (日) 雨
久しぶりに雨らしい雨の一日。午前中、キッチン周りや浴室周りの整理整頓に必要なモノを買いに近所のニトリに出かけ、午後から整理整頓作業。まずまず片付いた。
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↓庭のチューリップがもうすぐ咲きそう。雨にやられないとイイのだが…)
2021.03.20 (土) 曇り
午前中、実家の家族と墓参り。帰りがけ、地元(練馬)の野菜を生かした料理を出すことで有名な中華料理店で昼食。我が家は家族での外食は今年はじめてだが、お彼岸で集まった家族が多いのか、入店待ちができるほどの大盛況。緊急事態宣言の解除は明後日だが、もはや「日常」といったところか。
午後から屋根裏部屋の片付け。45Lのゴミ袋8袋分の過去の遺物?を始末する。疲れた~。
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↓お寺さんの桜は、数輪が開花していた)
2021.03.19 (金) 晴れ
リフォーム当番は主人に任せ、近所にカタクリを撮影に出かける。成果?は「
こちら」から。カタクリって群生していると、とても可愛らしいのである。
リフォームは、壁がキレイになると、そこについている照明のスイッチなどの汚れが思いのほか目立ってしまい、追加でスイッチパネルやコンセントなども交換してもらうことにする。思いがけないことが色々とあるものであるなぁ。
2021.03.18 (木) 晴れ
緊急事態宣言解除の是非はなかなか判断が難しいが、厳しい状況に置かれている業界のことを考えると、このまま中途半端な状態を続けていても…という気もする。高齢者のカラオケによるクラスターがつい最近発生したことなどを考えると、何も若者だけがバカ者ではないことがはっきりしてきているし、今後はワクチンを活用してコロナとともに生活していくことになるのだろう。ただ、この解除にしても、どうしても「オリンピック開催」という点が影響しているような気がして、素直に受け入れがたいところがある。クリエーティブディレクターも不祥事で辞任したし、イイ加減中止にして、コロナ対策に注力したらどうなのだろう。
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↓ヤマザクラが咲き始めた)
2021.03.17 (水) 晴れ
今日と明日は球技大会だが、私は授業がないので休暇をもらい、リフォーム当番。
ところで、出ました! 何がって、SONYのEマウント50mmF1.2 GM である。とうとうG-Masterの50mmF1.2が登場するのである! イギリスで昨日発表になったとのことで、わざわざSONY UK のサイトまで覗きにいったが、とにかくサンプル画像が素晴らしい。かつてCANON EF50mm F1.2L を使っていて、ずいぶん孫写真の傑作(←もちろん自己満足・笑)を撮らせてもらったが、このレンズはさすがに設計が古く、ユルユルの画像はそれが味だからイイとしても、AFが遅かったり、フリンジがスゴかったりで気になっていた。ところが、この G-Master レンズは最新型ということで、これらの点がまったく気にならないレベルになっているらしいし、最短撮影距離が短く、大写しが可能になりそうなところも私にとってはうれしい点である。日本では4月23日発売、予想価格25万とういことになっているが、これは多分買うだろうなぁ~。ちなみに、私が YouTube で登録して視聴している写真家 Julia Trotti さんが早くもレビュー動画を投稿してくれているのだが、彼女のハイテンションぶりからも、このレンズのスゴさが伝わってくる。ポートレイトに興味があってお時間のある方はどうぞ。
→「
こちら」から。
2021.03.16 (火) 晴れ
午前中、数学100題テストの試験監督。午後から卒業生4名が遊びに来る。大学生生活の様子などを聞いて楽しい時間を過ごす。心配していた二浪人形からも医学部合格の連絡が届き、これで卒業クラス全員の進路が決まったことになりホッとする。10744歩。
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↓素敵なお土産も持ってきてくれた)
今日のリフォーム当番は主人だが、給湯器をはじめとする水回りの入れ替えと、壁紙の張り替え準備などが行われた模様。網戸の修理もお願いしていたのだが、他にも破れているところがあったので、ついでに直してくれないかと主人がお願いしたところ、近所のホームセンターまで材料を買い足しに行って直してくれたとのこと。多謝!
2021.03.15 (月) 晴れ
主人が用事があるため、今日は私が休暇をもらって工事を見守る。システムキッチンが設置されて、浴室も使えるようになった。
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↓一番に入った!)
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↓キッチンはコーキングが乾いてないので使用はまだ)
朝日新聞の特集「(東日本大震災10年)何が残り、何を遺すか」の第5回として、作家の川上弘美さんが寄稿しており、その文章がとてもイイので一部引用。見出しは「生きている申し訳なさ」となっている。(朝日DIGITAL、20210313)
震災のことを思うたび、申し訳ない、と思う。けれど、いったい何に対して?
もちろん、すべてに対してだ。震災と原発事故で傷を負った方々に何もできない自分に対して。同時に、自分が何の役にも立たないと嘆く自己憐憫ともいえる気分に対して。どこまでいっても、自分は当事者の方々の傷を真に理解できないことに対して。そして何より、傍観者として今ここで生きていることに対して。
自分をそんなに責めること自体、自意識過剰だし、自分のことを「なにさま」と思っているのか、である。けれどやはり今も、わたしは「申し訳ない」と思わずにはいられない。
いつでも、生を享受している者は、「申し訳ない」のだ。亡くなった友を思う時、難民として生まれた土地を離れた人を思う時、戦火のもとにいる人を思う時、病に苦しむ人を思う時、悩みにおしひしがれている人を思う時、つねにわたしは申し訳なく思う。
申し訳ない、という心もちは、たいへんに居心地が悪い。なぜならその心もちは、明らかに「申し訳ない」と自分が感じている相手やものごとよりも、自分の方がめぐまれているために起こってくることだからだ。めぐまれている、といったって、偶然だけが、今いるこの境遇をつくってきたのだ。自分が努力を積み重ねた結果で、めぐまれたのではない。おおかたのことは、たまたま、なのだ。たまたま、そこにいたから。たまたま、そこにいなかったから。
考えてみれば、人生の中で自分で差配できることなんて、ほんのわずかしかない。たとえ自分で刻苦勉励努力に努力を重ねてきた結果何かを得たのだとしても、そこにはそもそも「努力を重ねる」ことのできる幸運が与えられていただけだったのではないだろうか。努めてきたつもりのことでさえ、偶然の幸運がもたらしてくれたものの一部なのだと、年を重ねるごとに強く感じる。
ここに書かれていることにはまったく同感。だからこそ、「解決できないことをこまぎれに考えつづけること。たぶんわたしにできるのは、それだけなのだ。」と川上さんは記している。これにもまったく同感というほかない。
2021.03.14 (日) 晴れ
今日は工事がないので、すっかり工事現場化している我が家の様子を孫たちに見せてみようということで、午後から孫一家を招待する。「え~、隠れんぼやり放題じゃない!」という長女の言葉通り?、家の内外で楽しく過ごす(笑)。
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↓一番下を連れて近所の公園へ。二重跳びを披露してくれる)
2021.03.13 (土) 雨
久しぶりに本格的な雨となった一日。キッチンの工事もだいぶ進む。
昨日の『ことばの危機 大学入試改革・教育政策を問う』(集英社新書、2020)に次のような一節がある(…というか、ここを紹介したくて話題にしたのであった)。
このように言葉遣いや表現の点で人間関係に配慮することを、言語学では「対人配慮」とか「politeness」という用語を使って表しています。『論語』を読むと、孔子は言葉遣いの上でポライトネスに相当敏感であったことが分かります。皆さんも固有名詞や聞きなれない言葉を裸の形で振り回す人には注意した方がよいでしょう。そういう人は自分の知識が他人も知っていて当然だと思う、知識の強要が好きなポライトネスに鈍感な人なのです。(同書、p156より)
皆さんは「ポライトネスに鈍感な人」としてどんな人を思い浮かべますか? 私はズバリ現在の都知事ですけどね(笑)。
2021.03.12 (金) 晴れ・曇り
今日は新しいバスユニットが設置され、続いてキッチンの解体が始まった。
『ことばの危機 大学入試改革・教育政策を問う』(集英社新書、2020)という、2019年の東大のホームカミング・ディに文学部が開いたシンポジウムの記録を読んだ(司会を務めた安藤宏教授は私の友人)。で、そこで語られている内容は「まったくその通り」というものであるのだが、同時に、そんな尤もなことを主張していても、この改革は止められないだろうな…というのが正直な感想である。『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた』(文学通信、2019)という本でもそうなのだが、否定論者(改革論者)の論点に対して、文学者たちはストライクな反論が出来ないのである。そもそも「ストライクな反論=曖昧さを残さない反論」といったものが、白・黒ではなく灰色を大切にする文学とは相容れないものなのかも知れない。もちろん私にもストライクな反論など出来ない。ということは、困った事態になってしまったというほかないのだろうか…。
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↓まだ使えない)
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↓棚と調理台が撤去された)
2021.03.11 (木) 晴れ
腰痛や雨模様で、ここ二週間くらい、朝の通勤時に麹町から永田町まで一駅歩くのを止めていたのだが、今朝久しぶりに歩いたら、天気がよかったこともあってすっかり明るくなっているし、モクレンやチューリップが咲き始めているし、すっかり剪定されていたバラにも若い葉が元気に出てきはじめているしで、春の気配が嬉しい感じであった。授業が午前中だけだったので、午後は早めに帰宅する。
東大・京大・一橋・東工・国立医学部の現役合格者数が95名と過去最高だが、地方公立高校の優秀な諸君が、コロナなどの影響もあって地元大学を受験することにした影響もあるのではないかというのが進路部の分析の一つである。そういう面は確かにあるのだろう。8704歩。
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↓今日の進捗状況。押し入れが解体されて、2階踊り場と和室が素通しに…)
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↓照明入れ替えで、脚立設置&天井が剥がされる)
2021.03.10 (水) 晴れ
東大の発表日だが、授業も何もないので、休暇をもらってリフォームを見守る。ちなみに、今日の集計では東大合格者は63名・8位だそうで、一橋や東工大などの合格者数もほぼ去年と同じ、早慶上理の合格者数の合計は全国1位だそうだから、3年生は頑張ったと言えるだろう。
一方、リフォームだが、実際に作業を始めると、図面から予定されていたこととは違うことが出て来たりして、その場で判断しなければならないことも結構あり、それなりに大変であった。
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↓ユニットバスが解体されて何もない空間に)
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↓照明や壁紙などを新しくするリビングは養生中)
2021.03.09 (火) 曇り
保護者も来賓もいない、生徒と教員だけの卒業式。シンプルでよかったが、歌が歌えないので、君が代はイイとしても、校歌を聴くだけになってしまったのが残念。答辞が素晴らしく、さすが日比谷生といった感じだった。10107歩。
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↓朝、黒板がキレイな教室を2つ見つけたのでiPhoneで撮影)
2021.03.08 (月) 雨・曇り
2浪人形の一人から、医学部合格の嬉しい知らせが届く。おめでとう!
今日の新聞(朝日DIGITAL、20210308)に、女性蔑視発言の森氏のことを「話の長いおっさん」とコラム「多事奏論」に書いた記者が、「「おっさん」呼ばわりは、どうだったろうか。ぎりぎりセーフの線ではないかと、わたしは思って書いた。じじつ、何人かの読者から「うけた(笑)」という反応をもらった。しかし、うけりゃいいのか、という問題は、ある」として、次のように述べている。
米国のトランプ前大統領が、どんなに批判されても女性や少数者に対する蔑視的な言動を慎まなかったのは、大衆のある部分には、この放言こそが「うける」と分かっていたからだ。日本のポピュリスト政治家も同断である。
移民、女性、生活保護受給者ら、社会の一部に“敵”を作りだして、粗い言葉で批判する。そうしたポピュリスト的言動に、わたしは激しく抵抗していくつもりだ。しかしその抵抗の言葉が、人を傷つけ相手を不快にする言葉、いわば「逆ポピュリスト的うけ狙い」でいいのか。問題はそこだ。
磨くべきは、一刀両断にする正義の剣ではない。声高でヒステリックな主張でもない。気の利いたやじ、揶揄や冷笑はいらない。読んだ論敵も一瞬静まるような、恥じ入るような、少しは納得するような、できればどこかで照れ笑いしちゃうような、そんなユーモアの言葉を、必死こいて探すべきではなかったか。
一流紙のコラムに範をとるほどのレベルではないにしても、こんなdairyを書いている我が身としては、大いに反省させられる一節であった。7403歩。
2021.03.07 (日) 曇り
なかなか腰が本調子にならず、ちょっと気が滅入る感じである上に、花粉もひどい一日。
昨日から3・11震災に関する色々な検証番組をやっていて、もう10年経ったのだなぁという感じである。ただ、原発に関しては、かつて能天気な首相が「アンダーコントロール」などと発言したことがいかに欺瞞に満ちたものであったかといった現状のようである。当時、被害の現場には十分なマニュアルも用意されていなかったという。一つには、日本の技術に対する信頼があるのだろうが、同時に、イヤなことには目を向けない体質のようなものも連綿としてあるのだろう。また、かつてはマニュアルがなくても現場で培った経験が役立って危機を克服することが可能だったのかも知れないが、現場というものがどんどんヴァーチャル化している現代では、危機的な状況を迎えた時に、それに経験値で対処するようなことができなくなりつつあるのかも知れない。我が身を振り返っても、そんな気がしてならない。
2021.03.06 (土) 晴れ・曇り
午前中、整体&針治療。やはり自粛宣言は解除しない方がいいのかもといった感じのイイ天気で、それにともなって人通りも多い印象。というのも、私も近所に一本だけ咲いている桜を撮影に出かけたのである(スミマセン)。千川通り沿い(富士見台~桜台)は練馬区の桜の名所になっていて、その中に一本だけ早咲きがあるのである。色が濃い目なので、おそらく河津桜系か。すでに散り始めているし、ヒヨなどの餌場になっていることもあって、いくつかツボミが残ってはいるものの、すでに「見頃過ぎ」といった雰囲気であった。
SONY の Xperia5 Ⅱ のコマーシャルに使われている BGM が印象に残っていて、YouTube で「Anonymouz」「eyes」で検索したら出て来たが、いや~これがなかなかグッドである。特に、Live Session の方の歌声が素晴らしいので、お時間があれば是非。
…などと書いていたら、修学旅行の中止が決まった。色々と対策を立てながらきめ細かな準備をしてきただけに、学年の先生方や生徒諸君は遣り切れない気持ちだろう。察するに余りある…。
2021.03.05 (金) 晴れのち雨
午前中、整体&針治療。帰宅後、確定申告の準備を終えてあとは送るだけにする。午後から読書&Prime。ディカプリオの「REVENANT」、素晴らしい~!
フェリス女子大の谷知子先生から、フェリス創立150周年記念ということで日本語日本文学科が制作した本を頂く。フェリスヴァージョンの非売品(一般ヴァージョンは花鳥社から「和歌・短歌のすすめ」として発売中)ということで、感謝感激! 『徒然草』にもあるが、持つべきものは「物くるる友」であるなぁ。
2021.03.04 (木) 晴れ
昨晩寝ていて、何年かぶりに右足のふくら脛がつるという事態に遭遇。それも、今まで経験したことのないくらいの激しい痛みで、これが海でだったら絶対死んだなぁみたいな感じであった。主人が目を覚まして、あまり同情していない感じながらも(笑)足首を反らせてくれてその場では回復したが、朝から腰痛とふくら脛痛でやれやれであった。おかげで6400歩。今日は3年生の登校日で、久しぶりに3年生の教室がにぎやかだった。早慶の合格状況もまずまずのようで、何よりである。
2021.03.03 (水) 晴れ 雛祭り
今日は試験監督も入っているので、がんばって出校する。着替えに時間がかかりそうな気がして、いつもよりも5分早めに目覚ましをかけておいたが大正解。靴下やズボンをはいたりするのがいまだにつらい。行きは電車の揺れが腰に響いて怖かったが、何とか無事に一日を過ごす。帰りがけ、いつもの整体によったが、だいぶ回復した感じ。7194歩。
緊急事態宣言が2週間ほど延長されそうだ。現状では仕方ないといったところか。今月末に、本来だったら新年会の形で開催されるはずだった、20歳になる(なった)卒業生の同期会が予定されており、担任団も招待されていたのだが、この状況下、特に花見や送別会などの自粛が求められている現在の状況では、オンライン参加も含め、出席は立場上遠慮しなければならず残念である。
昨日、中学校に勤務する教え子から、自分が今勤めている学校から日比谷への合格者が出たという連絡がきたが、こういう小さなつながりは嬉しいものである。別の教え子は、孫が通うかもしれない中学校に勤めていたりするので、これまた楽しみ?である。
2021.03.02 (火) 曇り・雨
試験監督がないので休暇をもらい、午前中に整体へ。今日も針治療を行ったが、明日になったら身体が普通に動くか、まったく自信がない。
午後から東大の問題を解く。第一問は、いかにもコロナ禍といった出題だが、(一)タイの例、(二)イタリアの例、(三)傍線部の後の要約、(四)全体のまとめと、解答の根拠とすべき部分が明確になっていて、文章も読みやすく、きちんと準備した諸君なら「いつも通り」といった印象だったのではないか。第二問は、現代語訳が求められている前半部分は難しくなく、後半部分の主語をきちんと捉えられたかが勝負の分かれ目だろう。設問に「報復する場面である」とあるので、もっと明確な報復が描かれているのかと思ったらそうでもなく、今一つモヤモヤ感の残る出題で、受験生にとっては昨年より難化した印象かも知れない。第三問も、一読ではうまく内容がつかめず再読・三読が必要だったが、(一)(三)の訳は基本的な句型と漢字の力があれば大丈夫。内容を説明する問題では、(二)が書かれている内容を裏返ししなければならず、難しいかも。第四問は、いつも通り「採点が大変だろうなぁ~」という感じで、どういう採点基準になっているのか教えてもらいたいものである。特に(四)は、最後に「追慕する思い」とか「哀惜する心情」をつけて傍線部の段落を要約するだけの解答ではつまらない印象で、何が求められているのかが分からない感じであったが、河合塾が「「拙」という新たな可能性を切り拓き、それを様々な面で開花させてほしかった」とまとめているのは流石~という感じであった。
(補足)代ゼミと河合塾から模範解答をダウンロードして読んでいたのだが、よく見ると河合塾の第二問問四の答えは誤っていると思う。実はここは注釈書で解釈が分かれている部分のようで、河合塾は新全集の解釈、代ゼミ(後から調べたら駿台も)集成と新大系の解釈をとっているのだが、切り取られたあの部分だけを素直に読めば、私は集成と新大系の解釈になると思う。しかし、解釈が分かれているところを出題しても良いのだろうか。
2021.03.01 (月) 晴れ
無理せず休んでしまおうかなぁ~と考えているところである…と昨日書いたのだが、その通りに明日まで2日間年休をもらう。今日は試験監督が1コマ入っていたので申し訳なかったのだが、前かがみが痛くてまったくできないし、歩くのでさえゆっくりにしか進めない状態なので、お許し願ったといったところ。朝一で整体に出かけ、針まで打ってもらってきたが、すいていたせいか、1時間半近く診てもらえてラッキー。午後からは、読書したりしてジッとして過ごす。(まだ東大の問題をやっていない…)
ところで、山田広報官が辞任して入院だそうであるが、彼女はなかなか評判のよい人物だったらしく、菅政権にさえ関わらなければ、優秀な官僚として名を残しこそすれ、こんなみっともない事態に陥らなかったのではないかと思うとお気の毒である。官僚主導を改善するとして安倍政権下で始まった内閣人事局は、森友・加計問題をはじめとして、学術会議問題など、そもそも政治家が官僚以下の人材でしかなかったが故に、民主主義の劣化を決定づけてしまう結果となった。制度の趣旨が素晴らしいものであっても、それを運用する人間がダメダメなら、制度は(その趣旨とはおよそ正反対に)悪影響を及ぼすものとなってしまうということがよく分かる事例として、歴史に記憶されることだろう。