雪の道

2012.12.31 (月) 曇りのち晴れ

 午前中はあまり天気がよくなかったが、私は窓拭き、主人は洗濯と、やらなければならないことを済ませて買い物に。午後から主人は料理三昧、私はネット三昧。では、皆さま、よい年の瀬を!
デイドリーム)
デイドリーム

2012.12.30 (日) 雨

 掃除をしようと思っていたが、あいにくの天候なので、できるところだけを済ませ、昼から主人の正月向け買い物につき合った後は、部屋でウトウトしながらのんびりと過ごす。

2012.12.29 (土) 晴れ

 スキー教室より無事帰宅。初日午後は寒くて風も強く大荒れの天候だったが、2日目はピーカンの晴れ、3日目は薄日の射す曇り、そして、最終日の今日も晴れと、天候に恵まれて予定していたメニューを全てこなすことができた。参加した生徒諸君も、冬山を堪能できたのではないかと思う。
横手山頂より
 キヤノン・フォトサークルに今年最後に投稿した写真が掲載される。タイトルは「まぶしぃ~!」。ジャンルマスターの杉山宣嗣先生から、「少女のまぶしそうな表情の横顔と大口径標準レンズの独特のボケ感がすばらしい。半逆光もとても美しく、子供を写した秀作です。」とご講評いただく。自分でもとても気に入っている写真なので、「秀作」と言っていただけてとてもうれしい。
まぶしぃ~!

2012.12.25 (火) 晴れ

 年内最後の授業が3時間、やれやれである。
 無事に誕生日を迎える。主人が職場の忘年会なので、家で一人ケーキ?を楽しむ。13764歩。
地元Youのケーキ
 明日から29日(土)まで志賀高原・熊ノ湯&横手山にスキー教室の引率。雪はたっぷりあるようなので、後は好天を祈るばかりである。30日まで更新できませんが、あしからず。

2012.12.24 (月) 晴れ

 今読んでいる藤井貞和『文法的詩学』(笠間書院、2012)に、「時枝理論のすぐれた理解者だった三浦つとむは、絵画や写真が、主体的表現と客体的表現との切り離しえない「統一体」であるのに対し、そこが言語と違うのだと指摘する。言わでものことと思えても、確認しておきたい基本としてある。」とある。日本語テクストは、「主体的表現(=概念過程を持たない機能語・関係語=非自立語)」と「客体的表現(=概念過程を持つ意味語=自立語)」とによって成り立っているのであるが、その対比として「絵画や写真」を持ってきているところが面白いと思った。絵画はもちろんだが、写真も決して「客観的」なものではないということである。
 ニコンのビデオサイトにアップされている「Kuba」、ジャズピアニスト野瀬栄進さんの演奏と、ジャージーな映像がマッチしていて素敵である。特薦。ちなみに、「Kuba」とは、沖縄市の市の木にもなっているビロウ(ヤシ科の常緑高木)のことと思われるが不明。

2012.12.23 (日) 曇り・晴れ

 スキー教室の荷造りを終える。年賀状を発送する。
孫が貼り付けたジェル状の飾り。角度によっては浮いてるように見える)
孫の名残
空に浮く

2012.12.22 (土) 雨・晴れ

 スキー教室の荷造りを始める。年賀状の原案を完成する。
ファンタジックフォーカス)
12月のアレンジメント

2012.12.21 (金) 晴れ・曇り

 昨日今日と、熟成された?浪人形たちがやってくる。なにせ3年モノである。今年こそは思い通りの結果を出してくれることを期待したい。
 日直のK先生が、下校放送の時に「これからは雪になるそうです、みなさん早く帰りましょう~」とアナウンスしていたのは、なんとなくほのぼのとした感じでよかった。
 キンドル・ホワイトペーパー導入。9792歩。

2012.12.20 (木) 晴れ

 スキー教室の障害保険やバス代金などの振り込みが始まり、再度スキー教室の会計をチェックする。参加生徒から振り込まれた約400万円について、一人ずつレンタル品と対応させながら金額を確認して最後に合計。通帳の数字とピッタリあってホッとする。
 雑誌「ユリイカ」(青土社)の1月臨時増刊号を買う。総特集は「百人一首」。学問的な雰囲気に触れてみたい諸君は、ぜひ購入してみよう。巻頭論文の久保田淳先生は私の大学時代の恩師、論文「万葉伝承歌から六歌仙の新風へ」の鈴木日出男先生は仕事関係でお世話になっている先生、論文「百人一首選歌の謎」の渡部泰明先生は大先輩、論文「描かれた百人一首の世界」の鈴木健一君は後輩、そして、論文「百人一首の魅力」の谷知子先生は飲み?友だち。顔を思い浮かべながら読むのも楽しみである。
 知り合いから、「ソーテルヌ・ジェネリック」の2004年ものをいただく。多謝。13235歩。

2012.12.19 (水) 晴れ

 3年生の成績会議、無事終了。あとは受験である。一方、15Rの成績は「無事」とはいきそうもない。明日から該当生徒の呼び出し指導を敢行である。10150歩。

2012.12.18 (火) 曇り・晴れ

 後期中間考査の結果が集まってくる。で、今日の通信にも書いたが、かなりヤバイ者が数名。さて、どうなることやら…。
 スキー教室で実技を担当してくれる雪陵会のメンバーと、スキー教室に向けて最終打合せを行う。気になっていたことがかなり解決する。卒業生に協力をあおぐ行事なのだから、引率する我々としては、何かあった時に(…って、何もないように準備しているが)しっかり対応できる体制と、責任の所在をしっかりと整えておけばよいのであって、あとは信頼できる卒業生に任せればよいのである。10505歩。

2012.12.17 (月) 曇り・雨

 昨日と打ってかわってすごく寒いが、空気の乾燥が和らいでイイ感じ。
 選挙の結果、原発は再稼働の方向だし、TPPは一層不透明だし、中国・韓国との関係悪化は必至の模様だし、公共事業が拡大する一方で、「共助より自助」の世の中になろうとしている、しかも、次期日銀総裁には自分たちの考えと同調する方を選ぼうと画策中…。自民党に投票した方々は、いったい日本の「未来」をどうお考えになったのだろう?14025歩。

2012.12.16 (日) 晴れ

 日差しの暖かい一日、息子一家も父の一家も集合して、12月生まれの我が家の誕生会。
誕生会
 選挙速報にはガッカリだが、前回の選挙で変化が感じられなかった人々が、「だったら…」ということで、(いい加減な第三極に入れる気にもなれないから何となく)自民党に入れたのだろう。その感じさせた民主党も悪いが、原発にしても国防軍にしても改憲にしてもお札の増刷にしても、自民党に投票する理由があるとは思えないのだが…。

2012.12.15 (土) 雨・曇り

 選挙について考える。年賀状の原案を考える。

2012.12.14 (金) 晴れ

 粛々と仕事をこなす。11084歩。
 ところで、近ごろ私のお気に入りは「マイケル・ケンナ」の写真である。長時間露光による現実離れした現実の表現は、もう美しいの一言。そのマネをしたのが「Italy Black&White」であるが、長時間露光ではないので足下にも及ばない…。

2012.12.13 (木) 晴れ

 後期中間考査の成績処理の一日。詳しくは書けないのだが、生徒個々の成績も、都のシステムを使って一元管理するやり方は、個人的には極めてバカらしいシステムであると思う。何にせよ、個別現場の責任感を無視した「一元化」は、一見安全・合理的なように見えて、最も脆弱なシステムと化する危険性を持ち得るからである。こういうところで、一般企業と同じような体制を持ち込むセンスが私には分からない。8902歩。

2012.12.12 (水) 晴れ

 12年12月12日と、珍しく「12」重なりとなった本日は、12月生まれの我が dec.family メンバー最初の誕生日で、主人の誕生日である。高級ケーキ?を購入して無事に切り抜ける。8137歩。
GIOTTOのイチゴショート

2012.12.11 (火) 晴れ

 1年生は、全クラス新教材に入る。古典が「平家物語」で現代文が「富嶽百景」である。 
 夜の教育法は、『羅生門』の老婆の論理展開部分(「生きるため悪は許される」)の模擬授業。具体から抽象へという流れができており、一方で抽象を分かりやすい具体例で説明したりと、よく工夫された授業であった。とりあえず全グループの模擬授業が終了したが、今年の学生は教材研究をかなりしっかりこなし、その上で練習も積んで模擬授業に臨んだようで、レベルの高い後期だったと思う。イイ成績を期待してOKよ!11234歩。

2012.12.10 (月) 晴れ

 寒い一日。スキー教室の準備も本格化。9274歩。

2012.12.09 (日) 晴れ

 我が家で夏休みに一緒にイタリアに行った仲間に集まってもらって反省会?を催す。撮り合った映像を流したりしながら、ワインとともに一週間を振り返る。やっぱりイタリアは魅力的であるなぁ!

2012.12.08 (土) 晴れ

 午後から進学相談会。昨年よりも来場者数が少し減ったとのことで、相談する側としては多少余裕があったが、校舎の改修などが影響しているのだろうか。
 夜、BSで映画「八甲田山」をやっていた。私はこの映画がかなり好きである。自然の(厳しさも含め)美しさが、夏と冬の対比を通してよく描かれていると思う。東北の自然を捉えているというだけでも、充分に価値のある映画といえるのではないか。

2012.12.07 (金) 晴れ

 今日から3年生は特別授業。85名相手にセンター試験の予想問題の演習を行う。イイタイコトがいっぱいあって時間が足りず。次回は、もっと時間の使い方を工夫しなければと反省。午後からは1年生の授業で答案返却。まずまずの出来だが、この時期になると当然上位と下位の格差も拡大傾向となり、下位層に対する補習の要望が高まったりする。しかし、こと国語に関しては、スパイラル学習を展開しているわけで、大切なことは繰り返し繰り返し授業で採り上げているのだから、先ずは授業を生かすことから始めてほしい。11279歩。

2012.12.06 (木) 晴れ

 後期中間考査最終日。考査終了後、「奉仕」の授業で、憲政記念会館の落ち葉掃除に出かける。天気がよくてよかった。その後、スキー教室の第1回ミーティング。コーチとの顔合わせや、実際にブーツを履いたり板を履いたりと、楽しそうな会であった。
 今日の朝日新聞「衆院選を迎えて ニッポン前へ委員会」もとても面白い。引用したいが、これは2面にも及ぶため省略。その骨格たる論を自分なりに要約すれば、「人口減少・高齢化という課題先進国の我が国は、簡単な処方箋があるという幻想、特に、成長が全ての問題を解決するという発想から抜けだす必要がある。我々は我が国の現状を負の面も含めて正しく認識し、情報が氾濫する中、自らが考え参加する姿勢を持ち、自らの選択の結果を長い目で見守らなければならない。」といったところか。受験生諸君、参考にして下さい。13111歩。

2012.12.05 (水) 雨のち晴れ

 後期中間考査第3日目。1年生の古典の答案が出る。採点はこれから。9723歩。
 朝日新聞朝刊の「選ぶ〈乱流総選挙〉長谷部恭男教授×杉田敦教授」は面白かった。全文引用(太字は私)。
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 ひとたび「戦」が始まれば、勝ち負けばかりに目がいって「そもそもなんのための戦いなのか」がわからなくなってくる。政権の枠組みといわれても、経済政策といわれても、いま一つピンとこない。いったい何が問われているのか。何を選ぶのか。憲法学者の長谷部恭男さんと、政治学者の杉田敦さんが語り合った。
■不満あっても支え続ければ、社会に役立つ政党が育つ 長谷部氏
 ――政治的混迷が深まる中での総選挙です。
長谷部 この混迷した政治状況は、選挙をいわば自分のうっぷん晴らしに使ってきた有権者の側にも責任があります。民主党政権が期待通りじゃなかったことはその通り。私もそう思います。しかし、期待通りじゃなくても、支持層として長い目で見てちゃんと支えていこうという人が一定数いなければ、民主的な政治制度はうまく機能しません。
 政治的な指導者を育て、今後の日本の将来を決めていくのは政党です。しかし、これだけ頻繁に行われる選挙に毎回100%のエネルギーを注がなければならないような現状で、将来を見据えた政策を立案しろとか、有望な政治指導者を育てろといっても無理です。政党が社会に役立つものになるためには、そういうことがちゃんとやれる余裕を、有権者の側が政党に対してつくってあげないといけません。
 しかし日本では「支持政党なし」という人が非常に多いため、小選挙区比例代表並立制の下では揺れ幅が大きく、今日の勝者が明日は大敗する。このままだと、本当にどの政党も魅力のない政党になっていかざるを得ません。気に入らないところがあっても我慢して、特定の政党を支え続けるということがあってはじめて、その政党は魅力のある政治指導者をたくさん抱える政党になり得る。「不満はあるでしょうが、どこかコミットできる政党を見つけて支持し続けてください」。私の言いたいことはこれに尽きます。
杉田 福沢諭吉の言うとおり、政治とは詰まるところ「悪さ加減」の選択です。限られた選択肢の中からより悪くない方を選ぶしかありません。100%満足のいく政党でなくても。しかし今は有権者が消費者化していて、「既成政党にいい政党がないからうまくいかない」「自分たちを真に代表してくれる政党があるはずだ」と、2大政党がダメなら第三極、それもだめなら4番目、5番目……と、次々に支持を変えていきます。2大政党の間でスイングするのならともかく、既成政党を全部食い潰していくという「焼き畑」的な形になっています。
 長谷部さんのおっしゃるように政党を支えることが大事だという面はありますが、私たちは、テレビを買う時にそのメーカーを支えようと思っては買いませんよね。それと同じで、ごく短期的に自分の生活が良くなったか否かで政党を判断しがちです。それでいいとは思いませんが、政治以外の行動様式は全部消費者的なのに、政治に関してだけ違う振る舞いを求めるのは難しい。そこは、歴史や文化に根ざした形で政党が存在しているヨーロッパとの違いです。
 1990年代の政治制度改革では政治システムをいじることに主眼を置きすぎて、有権者の側の問題を置き去りにした面があります。マニフェストを眺めて投票し、結果だけチェックしようという、レストランのお客にも似た消費者的な行動様式が強調され、自分たちの政治家であり政党なのだと説くことはなかった。政治家を選ぶまでが有権者の役割で、あとは「お任せ」でいいという考え方がはびこりましたが、問題です。状況は絶えず動いており、有権者は自分たちが選んだ政治家に対してもさまざまな回路で意見をぶつけていく権利と義務があります。
 長谷部 選挙の際に「誰を支えるか」ではなく、「誰の首を切るか」ということを有権者の大部分が考えるという現状は、民主政治の円滑な運営にとっては悪条件です。
 杉田 そうですね。日本では、権力は拒否していればいいという考え方が強すぎます。権力は危険だということは踏まえなければいけませんが、その権力は自分たちが作っていくものでもあるのです。選挙の棄権について、政治学者はこれまで擁護してきた面がありますが、本当はもう少し批判すべきだったのかもしれません。
 長谷部 憲法学者も、権力のやることは全部批判していればいいと考えてきた面があります。批判していれば、そのうちいいこともしてくれるかもしれないと。反省する必要があると思います。
 杉田 今回の選挙でこうすればうまくいくという妙案はありません。長期的に考えるなら、自分自身が政治に何を期待するかをもう少し自分に問うてみることでしょう。政党に裏切られたと思うのはいいですが、そもそも何を想定していたのか。政権交代さえすれば自分の懐具合がよくなると単純に期待していたということなら、そう思っていた方にも問題がある。経済成長が政党政治のあり方ですぐに実現できる時代ではありません。
 この国の政治はどうあって欲しいか。全部実現できそうな政党はないかもしれないけれど、比較的それに近いのはどこかということで選ぶしかない。出されたメニューを比べて「どれも気に入らない」と言っていても仕方がない。自分が何を食べたいのかというイメージがなければ選べません。メニューを見てから食べるものを決めるのではなく、自分が何を食べたいかを考えてからメニューを見て、自分が食べたい料理に一番近いのはどれかを選んでくださいと。陳腐な結論ですが。
 長谷部 自分が気に入る政党、政治家になってもらえるように、手紙を書くなり、メールを送るなりすればいいんです。手間もかけず寄付もせず、自分の言うところを聞いてくれそうな政党がないと嘆いていたって何も変わりません。
 杉田 そうですね。「自分の意思は政治的に代表されていない」と思いたくなる気持ちは分からなくありませんが、選挙、デモ、いろんな機会に意思表明していけば、いずれはもう少し代表されるというふうに考えるしかないと思います。「自分を十分に代表してくれないから参加しない」となれば、結局まったく代表されなくなるだけです。
■疑似争点に振り回され、世代・地域間格差なおざり 杉田氏
 ――何を問う選挙なのか、判然としていません。
 杉田 今回の選挙戦で違和感があるのは、昨年3月11日に東日本大震災があり、東京電力福島第一原発事故の問題もまったく解決していない、それどころか数十万人の人が難民状況になっているのに、それをどう解決していくのかを前面に出して争う選挙になっていないことです。
 これは、現在の有権者だけで物事をどこまで決めていいのかという問題とも関わってきます。後世に負担を残す放射性廃棄物の問題をどうするか、将来世代に借金をつけ回す国債を乱発していいのか……。有権者は20歳以上の人に限られ、まだ生まれてきていない人はもとより、子どもでさえ有権者ではない。だったら彼らに負担を押しつければ一番楽なわけで、実際にそういう傾向があった。しかし3.11を受け、多くの人が「国土が汚染され、これから何十年も先まで大変な負担を残すことになった。これでいいのだろうか」という視点を持ったと思います。
 この世代間負担の問題、あるいはいろんなリスクを一部の地域に集中させていいのかという地域間格差の問題について各政党はどう考えるのか、それが問われるべき重要な論点でしょう。人々がせっかく気づきを得たのだから、それを政治的に織り込んでいくのが政党の役割です。それなのにいつの間にかウヤムヤになってしまっている。
 長谷部 憲法43条には「全国民の代表」という概念が出てきます。「国会議員は全国民の利益を考えて行動しないといけない」ということなのですが、「全国民」というのは、過去から現在、将来の世代を含む包括的な日本国民のことです。そういう観念が前提になっていないと、世代間の負担や便益の公平を考える視点自体が生まれてきません。選挙で選ばれた政治家は、そういう視点を持たなくてはいけない。
 昨年3月に最高裁大法廷が、「一票の格差」訴訟の判決で、地方にあえて議席を手厚く配分する「1人別枠方式」について「合理性があるとは言い難い」とした根本的な理由の一つは、「どの県から選出された国会議員であっても、全国民の利益を考えなければいけない。過疎の県に有利な条件を与えなければいけないという議論は根本的におかしい」ということです。
 杉田 いま偏狭なナショナリズムの政策を唱える人が出てきていますが、真のナショナリストであれば、これから生まれてくる人々に対する責任や、地方が疲弊していることについて考えるべきでしょう。別に「ナショナリズムにかえれ」というつもりはありませんが、世代や地域の問題が等閑視される一方で、「日本を守る」といったたぐいの言葉がせり出してきている現状には首をかしげざるを得ません
 政党政治が十分に代表機能を果たさず、疑似争点ばかりが浮上している印象があります。今回いろんな新党が出てきているのも有権者が「議論したい」と思っていることを既成政党が十分に争点化できていない、だからそこをマーケットにしようとしているわけです。
 長谷部 日本のように宗教や民族で分断されていない社会で、これほど政党の数が増えているのは異常事態ですが、「この政党は次の次の選挙まで残っているか」をまず考えて投票すべきだと思います。たとえ自民が大勝ちしても、参議院では自民、公明両党合わせても過半数に達しないので、円滑な国政運営はできない。結局、来夏の参院選を意識して投票しないとかえってねじれがこうじて、有権者がフラストレーションをため込む結果になる可能性が高いでしょう。
 杉田 そうですね。ただ、私たちは先ほどから、政治を前に進めるためにはどうしたらいいかという視点から議論してきましたが、現状への不満が高まる中で、一部とはいえ、生産的でない考え方も出てきているんですよね。公務員をはじめ、身分が安定していて既得権層と見なされやすい人たちを痛い目にあわせてやりたい、自分の利益にはならなくても他人に不利益が生じるならそれでいいという、一種の破壊的な願望が見られます。それを止める方法はあまりないかもしれない。経済状態が悪くなると人心はここまで荒廃するのかと感じます。
 選挙では、政党は勝たなければいけないので負担増の話はあまりしない。しかし選挙後は持ち出さざるを得ず、有権者にしてみれば「裏切られた」となり、次の選挙でまた与党が不信任される。こんなことを繰り返していても仕方がないでしょう。むしろもっと正面から、政治は経済成長を約束できない、これからは利益より負担配分を議論せざるを得ないのだと有権者に語りかけた方がいいのではないでしょうか。
 長谷部 その意味では、野田首相は消費増税を決め、もはや政治は利益を配分できない、負担を分かち合ってもらわなければいけないというメッセージをおぼろげながら出しているのではないでしょうか。
 杉田 あくまでも経済成長を追い求めるのか。大きな成長は難しいという前提にたって社会を設計し直そうと考えるのか。原発、中央と地方、社会保障の問題もそこに関わってくるでしょう。大きな争点です。3.11で新たな視点を得た有権者は、そういう根本的な問題について議論をし、選択をしたいと思っている。しかし政党政治の側が十分に応えきれていないと思います。
■「対立のための対立」超え、協力し合える政治目指せ
 ――これからの政党政治のあり方についてどう考えますか。
 長谷部 小選挙区比例代表制の導入の狙いは、「相対多数モデル」の政治をつくることでした。調整を重ね、コンセンサスをとりながら運営していくのではなく、選挙で相対多数をとった方が、少なくとも一定期間は「総取り」で政治を運営する。その方が政策本位、政党本位の民主政治を確立できるということだったと思います。しかし実際は非常に強い参議院があり、しかも衆院選と参院選の時期がずれているため思っていたような二大政党制にはなっていない。さらに杉田さんがおっしゃる「人心が荒廃している」状況では、「総取り」型政治の弊害の方が目立ってしまうように思います。
 杉田 「国対政治」と批判されつつも、ある程度少数意見も取り入れるというコンセンサス型の政治が行われていたのに対して、自民か民主かという対決型の政治に変えようとしたのが90年代の政治改革です。しかし、その改革のタイミングは不幸だったと、後知恵になってしまいますが言えると思います。
経済のグローバル化に伴って政策的な選択肢が狭まっている。対立軸がぼやけてくるので、世界的にみても、二つの党がはっきり違う政策を掲げて対立するような状況にはありません。しかし日本はそういう時期に対決型の政治を新たにつくり出そうとしたため、政策的な対立というよりは足の引っ張りあい、「対立のための対立」をするように追い込まれてしまった。無理が生じていると思います。すぐに選挙制度を比例代表制的に再改定し、コンセンサス型の政治にするわけにもいかないとすれば、現制度の下で工夫していくしかないでしょうね。
 長谷部 憲法の制度自体は権限を両院に分割しているので、中長期的に見ると、肝心なところでは政党間のある程度の協力がないと、政治制度、憲法制度が回っていきません。権力の分立とはそういうことです。
 ところが日本は「支持政党なし」層が膨大な上に小選挙区制が基本になっているため、選挙結果の揺れ幅が大きい。今回の選挙で相手を弱体化させたと思ったら、次回の選挙ではこっちが弱体化する。しかもそれが参院選、衆院選、非常に短期的に来る。そうなると相手を「協力をすべきパートナーだ」と真剣に受け止められなくなってしまいます。次の選挙では相手を無力化できるとどちらの政党も思っているから、協力して政治を動かそうという意識自体が生まれなくなってしまう。
 しかし協力すべきところは協力する行動をとらないと、全体としての利益の適正化がはかれず、みんなが不幸になってしまう。この3年間で民主、自民両党はさすがに少し気づいたのではないでしょうか。(構成・高橋純子)
長谷部恭男さん(東京大教授)=はせべ・やすお 56年生まれ。専門は憲法学。「憲法のimagination」「法とは何か」「Interactive憲法」など。
杉田敦さん(法政大教授)=すぎた・あつし 59年生まれ。専門は政治理論。著書に「政治への想像力」「境界線の政治学」「デモクラシーの論じ方」など。

2012.12.04 (火) 雨のち晴れ

 後期中間考査第2日目。1年生の現代文と3年生の答案が出る。1年生は、「完璧(壁)」「懇(墾)切」「気概(慨)」「擬制(犠牲)」など、間違いやすい書き取り(( )内が間違い)を出したら、見事に引っかかってくれていて、うれしいやら残念やら。3年生は、まだ採点を始めたばかりだが、下二段の活用語尾「るる」と、受可自尊の「るる」、さらには存続完了の「る」が区別できていなかったりして、ちょっと心配である。
 一方、夜の教育法の模擬授業(伊勢物語「芥川」)は、細かな改善点はあるとしても、今期最高の出来といってもイイ素晴らしい授業で感服。目標を明確に示し、そこに到達する学習ステップが用意されていて、それを時間内に適切に実施する、骨格の通った見事な授業であった。「指導過程の研究」ということを講義してきたわけだが、こういう形で結果を出してくれると大変うれしい。9226歩。

2012.12.03 (月) 曇り・雨

 後期中間考査第1日目…にもかかわらず、クラスで「とほほ」な事件が起きてやれやれといった感じである。一緒に指導してくださった学年生徒部の先生も、「とても日比谷生のレベルではない!」とお怒りのご様子。ご尤もである。
 昨日、偶然つけたテレビで、国際大会で優勝したという有名パティシエが勧めるコンビニ・スウィートというのをやっていて、何気なく見ていたのだが、その和菓子部門で第1位に推薦されていたセブンイレブンの「みたらし団子」を、昼のお弁当を買うついでに買ってみた。ところが、団子もたいしたことないし、タレに至っては何の感動もないという代物で、大いにガッカリであったよ(詠嘆の「けり」)。ロールケーキ部門はファミマの製品だったので、それでリベンジ?してみたいところである。10439歩。

2012.12.02 (日) 曇り

 昨日に引き続き、家の中でおとなしく過ごす。
紅葉のもと

2012.12.01 (土) 雨・曇り・晴れ

 風邪気味。家で静かに本を読んだり、教材研究をしたりして過ごす。
うつろい