5月

2013.05.31 (金) 晴れ

 ニューオータニで歓送迎会。久しぶりに懐かしい顔に出会え、それなりの料理(量が少なく、味も普通レベル、つまり、場所代を払う料理…)ではあるが、懐かしい顔とともに楽しい時間を過ごす。11672歩。
 キヤノンフォトサークルに写真が掲載される。タイトルは、「Lavender in the setting sun」。ジャンルマスターの江口慎一先生から「爽やかな空気感を覚える逸品ですね。バックの光のボケ味が効果的でした。でもその下の黒い帯は、人工的なイメージが強いので外してほしかった。」とご講評いただく。
Lavender in the setting sun
 ちなみに、自分としては同時に投稿した「寄り添う」もよく撮れていると思うのだが、こちらは不掲載。「人工的なイメージ」がないのはこちらだが、写真はなかなか難しいのである。
寄り添う

2013.05.30 (木) 曇り・雨

 このホームページを作るのに使っているソフトはdigitalstage社の「BiND6」というもので、カッコイイデザインのサイトが簡単にできるというのが「ウリ」である。私もそこが気に入って使っているのだが、残念ながら「信頼性」ということに関しては疑問符がつく。昨年のサイトも突然修復ができなくなってしまい、1週間近くすったもんだした挙げ句の果てに、結局修復を諦めざるを得ない自体となった。サポート(メールのみ)はそれなりに対応してくれるのだが、結果として修復できなかったのだから、ナイスなサポートとは言えないと思う。今日もアップデートがあるというので試してみたが、早速動かなくなって再インストールを余儀なくされてしまった(おかげでかなりの時間が無駄になった…怒)。原因は、私が使っている「Norton360」というウィルス対策ソフトにアップデータが引っかかって、本体の実行ファイルともども隔離されてしまったからである。ノートンといえばかなりメジャーなソフトであり、アップデータがこれに引っかかるというのは、デジタルステージ社の怠慢であると私は思う。問い合わせが相次いだのだろう、早速トラブルシューティングに対処法が出ていたが、それが「再インストール」というのだから、ちょっとお粗末過ぎるのではないだろうか。他に使いたいソフトがないから我慢して使っているが、もっとしっかりした(安定した)ソフトに育ててほしいものである。
 今日は『知の逆転』(NHK出版新書)がおもしろいという話を書こうと思ったのだが、つい怒り心頭で別のことを書いてしまった。9505歩。

2013.05.29 (水) 曇り・雨

 2年生の古典の問題を完成させる。これを解かされる諸君は大変だろうなぁ…とご同情申し上げたい(笑)。今日一日寝かせてから点検し、その後印刷の予定。9069歩。

2013.05.28 (火) 晴れ

 考査前なので、ほとんどのクラスで大急ぎの授業である。ふぅ~。放課後、土曜日の模試に欠席した生徒のために追試験会場を準備して試験に付き合う。にも関わらず、5名が無断欠席。定期考査前で大変なのは分かるが、「無断」はいけません。13960歩。

2013.05.27 (月) 晴れ

 月曜は会議が多い日なのだが、昨日の夜、原因不明の吐き気のせいでよく眠れなかったせいか、ず~と眠くて困った。(ちなみに吐き気は正露丸を飲んですっかり回復…)。放課後は、考査問題を作りながらウツラウツラしている始末であった。やれやれ。9338歩。

2013.05.26 (日) 曇り・晴れ

 撮りためたWOWOWのビデオを見たり、本を読んだりして過ごす。「M.I.B-3」が楽しめた。
 ラベンダーの写真をアップしようと思ってラベンダーの花言葉を調べたところ、「あなたを待っています」「期待」「疑い」「不信」だそうである。へぇ~。
あなたを待っています

2013.05.25 (土) 晴れ・曇り

 第1回校内模試の管理・監督で出校。体調不良による欠席が10名と、ちょっと多い感じ。国語の問題は(標準実施日前なので詳しく講評できないが)力を試すという意味ではなかなかイイ問題であった。10932歩。
 商売っ気があまりない代わりに、とてもおいしいし、こじんまりとしてイイお店だったいきつけの阿佐ヶ谷のイタリアンが閉店…。ショックである。

2013.05.24 (金) 晴れ

 授業の合間に、2年生の夏期講習一覧をまとめ、すでに公開している3年生に続き、月曜日に連絡する準備をしたり、前回の進学検討会での話題に対する国語科の対策案をまとめたり、中間テストの素案を考えたりして過ごす。割と充実?(笑) 9286歩。
 リニューアルのためしばらく投稿できなかったキヤノン・フォトサークルに久しぶりに3枚投稿したところ、そのうちの2枚が掲載される。「花」ジャンルに投稿したのは「母の日色(ははのひいろ)」。ジャンルマスターの江口慎一先生から「絵作りの上手さが光った作品ですね。カラフルな彩りの背景処理が巧みでしたし、主題の表情も実にシャープにとらえられバランス良くまとめられています。」とコメントをいただく。
母の日色
 「人」ジャンルに投稿したのは「森の歌を聴く」。ジャンルマスターの横木安良夫先生から「50mm1.2の実力。背景は完璧です。逆光もよく、ポートレイトの王道です。もう少し顔の表情が見えたら完璧。素敵なモデル、もっともっと撮りましょう。」とコメントをいただく。横木先生は私の大好きな写真家のお一人なので、(たとえレンズのみの実力であったとしても…笑)とてもうれしい。
森の歌を聴く

2013.05.23 (木) 晴れ

 庭のラベンダーの花が開く。もう可愛らしいったらありゃしない! 今のデジタル一眼は高感度に強いので、暗くなってもそれなりに撮影できるのであった(Photoshopでレベル調整)。それにしても、日も延びたなぁ。9854歩。
ラベンダーの花

2013.05.22 (水) 晴れ

 職員会議で、2学年の国語の勉強時間が少ないことがバレる。ははは…やれやれ。9119歩。

2013.05.21 (火) 晴れ

 放課後、進路主幹の話をメインにした学年保護者会。私は学年進路担当として2学年の学習状況を説明することになっていたのだが、全体会にはそぐわない個別的な質問に時間が取られて時間不足になってしまい、話を圧縮してポイントだけ伝えたつもりだが、それでも丁寧な説明とは言いがたく、ちょっと申し訳なかった感じである。その後、PTA会報用に担任団の写真撮影。
 夜の教育法では、偉そうに(笑)教育関係法規について解説する。ついでに、今年東京都の教採を受けたいという昨年の受講生の論文添削を引き受ける。それなりに責任重大。13521歩。

2013.05.20 (月) 晴れ

 朝、学校に到着して万歩計を確かめると、何と電池切れ。帰りがけに電池を買おうと思い、ボタン電池の型式を確かめるために実習助手のM先生にドライバーを借りに行ったところ、ドライバーを貸してくれただけでなく、ちょうど使わないボタン電池が余っているとのことで、入れ替えまでしてくれたのである。M先生、ありがとう! ということで、朝の分(毎朝おおよそ2600歩)を足して、10825歩。
 放課後、W先生と一緒にネチケットをわきまえない生徒を指導。

2013.05.19 (日) 晴れ

 女子バスケ部のインターハイ予選の2回戦、今日も快勝。ただ、余計なファールが多かったことと、思い切りの悪いプレーが時折見られた(ベンチから「行け!」の声がしばしば…)のが反省点か。
 水俣病の最高裁判決が出たことを受けて、石牟礼道子の『苦海浄土』(講談社文庫)を再読しているが、感動は深まるばかり。宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)とともに、日本人の姿を知る必読の一冊として生徒諸君に勧めたい。

2013.05.18 (土) 晴れ

 午前中、土曜講習。今年は仮設校舎で大教室が少ないため、もう一人の担任と2講座展開とし、私が基礎クラス、もう一人の担任が応用クラスの担当である。今日は基礎クラスは12名が参加(応用は38名参加)。
 夜、前任校で一緒に担任をしたりした先生がご退職ということで、その先生を囲む会に出席する。久しぶりに懐かしい前任校の仲間が集まって、昔話に花を咲かす。

2013.05.17 (金) 晴れ

 体育大会。東京体育館は、トラックの全周が160mということで、校庭で実施する場合よりも40m短く、そのためコーナーがちょっときつくて追い抜くのが厳しいというマイナス面はあるものの、オリンピック招致のために張り替えたという床は最高で、怪我人や熱中症といった体調不良も一切なく、環境的には素晴らしい会場であった。来年も会場として確保できるとイイのだが…。
 クラスの方は、可もなく不可もなくといったところか(笑)。しかし、コンデジしか持参しなかったのは失敗で、いくら照明があるとはいっても室内はやはり暗く、まったくイイ写真が撮れなかった。
アリーナ
(↓女子「棒引き」のスタート)
棒引き

2013.05.16 (木) 晴れ

 午前中授業で、午後から明日の体育祭準備。今年も例年通りの得点板係だが、会場を借りることもあって、簡単な設置で済ませることになっており、今日も用具運搬トラックへの積み込み作業(それもほとんど体育祭実行委員の諸君がやってくれていた…)のみで終わる。11299歩。

2013.05.15 (水) 晴れ

 学級タイムで、星陵祭のクラス対抗写真コンテストの「逆カップル2組」「マッチョ」「めがねが似合う人」「スマイル」の各部門エントリー予定者を決める。結果も含め、かなり笑えて楽しかった。
 ところで、昨日の学級通信第201号)に「新聞を読んでほしい」ということを書いたが、今日の朝日新聞の社説などはその代表である。長くなるが二つとも引用しよう。
その1 橋下市長―これが政治家の発言か

 橋下徹大阪市長が、戦時中の旧日本軍の慰安婦について「必要なのは誰だってわかる」と語った。
 橋下氏はさらに、沖縄県の米軍普天間飛行場の司令官と会談した際に、合法的な範囲内で風俗業を活用してほしいと進言したとみずから明かした。
 発言に批判が広がると、今度は「貧困から風俗業で働かざるを得ないという女性はほぼ皆無。皆自由意思だ。だから積極活用すればいい」などとネット上で繰り返した。
 こんな強弁が、通用するはずはない。
 橋下氏の理屈はこうだ。
 命がけで戦う兵士を休息させ、軍の規律を維持するには慰安婦は必要で、世界各国の軍にも慰安婦制度があった。それなのに日本だけが非難され、不当に侮辱されている。それは国をあげて強制的に女性を拉致したと誤解されているからだ――。
 だが、いま日本が慰安婦問題で批判されているのは、そこが原因なのではない。
 慰安所の設置や管理に軍の関与を認め、「おわびと反省」を表明した河野談話を何とか見直したいという国会議員の言動がいつまでも続くからだ。
 戦場での「性」には、きれいごとで割り切れない部分があるのも確かだ。だからこそ当時の状況は詳しくわからないし、文書の証拠も残されていない。
 それでも、多くの女性が自由を奪われ、尊厳を踏みにじられたことは、元慰安婦たちの数々の証言から否定しようがない。
 橋下氏は「意に反して慰安婦になった方には配慮しなければいけない」とも語っている。
 ただ、橋下氏の一連の発言は、元慰安婦たちの傷口に塩を塗るばかりでなく、いまを生きる女性たち、さらには米兵をも侮辱するものだ。
 「風俗業を活用したら」と言われた米国から、「我々のポリシーや価値観からかけ離れている」(米国防総省の報道担当者)といった強い反応が出てくるのは当たり前だ。
 橋下氏とともに日本維新の会の共同代表を務める石原慎太郎氏は「軍と売春はつきもので、歴史の原理みたいなもの」と橋下氏をかばった。
 維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事も「そういう問題を建前でなく、本音で解決するために言ったと理解している」と話した。
 この党には、橋下氏をいさめる政治家はいないのか。百歩譲って本音で解決するためというのなら、何をどう解決するのか示してほしい。

その2 高市氏発言―海外でも語れますか

 自民党の高市早苗政調会長が、戦後50年の「村山談話」に疑問を示した。
 「侵略という文言を入れている村山談話は、私自身はあまりしっくりきていない。自存自衛のために決然と立って戦うというのが当時の解釈だった」というものだ。
 安倍首相も先に「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べている。高市氏の言葉はこの延長線上にあるようだ。
 首相と政権党の政策責任者の発言だ。中国や韓国をはじめとする国々が、敏感になるのは当然だろう。
 だがそれ以前に、政治家からのこうした発言があとを絶たないのは、日本国民に対する背信にほかならない。
 談話を読み返してみよう。
 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」
 村山談話は、このことを「疑うべくもない歴史の事実」として明確に認め、謝罪した。
 日本にとってこの談話は、かつての過ちに区切りをつけ、周辺諸国と未来志向の関係を築いていくための礎として大きな意味があった。
 その後の歴代政権は、この談話を引き継ぎ、踏襲するといってきた。菅官房長官も、安倍内閣として「談話全体を引き継ぐ」と言っている。
 ところがこの18年間、一部の政治家はその精神をないがしろにする行動をとってきた。
 A級戦犯が合祀(ごうし)される靖国神社に集団で参拝する。侵略を否定するかの発言をする。
 こんなことが繰り返されれば、あとでどんなに釈明しても日本の政治家の本音はこちらにあると各国から受け止められても仕方がない。
 それは、多くの日本人の思いや利益に反する。
 高市氏は、95年の戦後50年の国会決議をめぐる議論の中で「私は(戦争の)当事者とはいえない世代だから、反省なんかしていない」と語り、波紋を呼んだこともある。
 もし高市氏が政治家としての信念で、反省の必要はない、「侵略」という言葉がしっくりこないというなら、近隣諸国や米国を訪れ、その考えを主張してはどうか。
 その覚悟もないまま語っているのだとしたら、政治家として無責任もはなはだしい。
 どうですか、高市さん。

 いやはや恐れ入るお二人の認識である。こういう人たちが政治をやっているのであるからして、いかに政治家が劣化しているかが分かる。これでは国益もなにもあったものではない。やれやれ。10246歩。

2013.05.14 (火) 晴れ

 体育祭の応援練習の居残り(19:00まで)に付き合っていたため、大学の講義に遅れそうになる。おかげで夕ご飯を食べ損なう。シクシク…。15121歩。

2013.05.13 (月) 晴れ

 今日から教育実習。国語科には今年たまたま実習生は来ないのだが、倫理の自習生(東京大学文学部)がホームルーム実習ということで25R担当に。担任代行として是非ともがんばってもらいたい(笑)。
 ところで、橋下の「慰安婦制度が必要」発言は、政治家として失格だろう。そのような制度が必要となる状況(=例えば戦争)がそもそも間違っているのだという認識がない政治家が、憲法改正(改悪)を話題にしているのである。恐ろしい倫理観の欠如である。10582歩。

2013.05.12 (日) 晴れ

 今日からバスケ部はインターハイ予選。1回戦はかつて勝利したことのある相手で、今日も充分に力を発揮し、後半の3ピリは2年生のみ、4ピリは2年生+1年生で快勝する。2年生は、今日の試合で全員が得点できて嬉しそうであった。

2013.05.11 (土) 雨

 午前中、学校で仕事。午後から、バスケ部の保護者会。帰宅後、傘をさしながら庭でラベンダーを撮影。
まだまだこれから。)
つぼみ

2013.05.10 (金) 晴れ

 今日もイイ天気。午後から外回りの仕事で出かける。おかげで15807歩。
ヒメウツギ

2013.05.09 (木) 晴れ

 仮設校舎(プレハブ)は1階と3階の温度差が激しく、今日などは3階は暑いくらい。窓を開けると、アンツーカー(テニスコート)の砂で机はザラザラになるし、ちょっと厳しい環境である。冬は冬で足元が寒そうだし…。体調管理に気をつけなければ。10062歩。

2013.05.08 (水) 晴れ

 夜、国語科の歓送迎会。異動された先生の笑顔を久しぶりに拝見する…にも関わらず、居眠りをしている同僚(しかも同学年…笑)がいたりして、呆れかえるばかりである。やれやれ。12244歩。

2013.05.07 (火) 晴れ・寒い!

 またまた北風ピープーの寒い一日。久しぶりの学校で、授業のプリントを用意したり、教科の会議の準備をしたり、突然依頼された文書を作成したりと、何となく慌ただしく一日が過ぎる。
 夜の教育法は、今日からいよいよ本格的な講義開始ということで、学生諸君もすっかり受講の雰囲気ができてきたが、なにせ今年は12名と人数が少ない上に、どちらかというとおとなしめの学生が多いので、仕事が少なくてイイ分、ちょっと寂しい感じである。14462歩。

2013.05.06 (月) 晴れ

 孫姉を連れて石神井公園へ。ボートに乗ったり、駆け回ったり、おやつを食べたりと、好天のもと、楽しく過ごす。
カルガモ親子

2013.05.05 (日) 晴れ

 入院中の父と叔父を「はしご」でお見舞いする。叔父は横浜市の病院なので簡易ドライブといった感じであったが、都内の道はすいていてよかった。しかし、病院(お見舞い)は何となく疲れるなぁ…。
壁の色がよい

2013.05.04 (土) 晴れ

 午前中、久しぶりに洗車。父の車と併せて2台であるが、ケルヒャーのおかげでかなり楽チン。
 午後、飯間浩明『辞書を編む』(光文社新書)を1冊読了。なかなか面白かった。続いて石川九楊『日本の文字』(ちくま新書)に取りかかる。

2013.05.03 (金) 晴れ

 安倍の姑息な策動のせいか、憲法記念日の今日の新聞は読み応えがあった。96条改正に関する社説、

 首相は「国民の手に憲法を取り戻す」という。改正のハードルが高すぎて、国民から投票の権利を奪っているというのだ。これは論理のすり替えだ。各国が高い壁を乗り越え、何度も憲法を改めていることを見ても、それは明らかだろう。改めるべき条項があれば、国民にその必要性を十分説く。国会で議論を尽くし、党派を超えて大多数の合意を得る。そうした努力もせぬまま、ルールを易(やす)きに変えるというのは責任の放棄ではないか。

の指摘ももっともだし、オピニオン欄に寄稿された憲法学者・石川健治さん(東大教授)の「96条改正という「革命」」が面白かった。かなり長くなるが引用しておきたい。

 日本国憲法のもとに、立法権と行政権と司法権があり、国会と内閣と裁判所がある。それは誰でも知っている。たとえば立法権は国会に分配され、国会は立法府として単純多数決(つまりは過半数の賛成)で法律をつくっている。これも常識だろう。ところが、それらとは別に、憲法改正権という、もうひとつの「権力」がある。このことについて、深く考える機会はなかったかもしれない。
 国民主権をかかげる憲法では、憲法改正権も、立法府に分配されることが少なくない。立法府は「全国民の代表」とされるからだ。そして、憲法改正に関して、立法府に特別多数決(たとえば3分の2の賛成)を要求する定めをおくと、その憲法は硬性憲法に分類される。ドイツ連邦共和国の憲法は、連邦制特有の事情もあって戦後60回近く改正されていることで有名だが、上下両院の3分の2の賛成が必要であり、典型的な硬性憲法である。
 この点、日本国憲法の場合、憲法改正の発議に関して、通常の立法手続きよりも高いハードル(各議院の総議員の3分の2以上の賛成)が課せられている。このハードルの高さゆえに、日本国憲法は硬性憲法に分類されるわけである。これに対して、憲法改正の場合にも、立法府が単純多数決で済ませてしまう憲法がある。これが軟性憲法であり、そこでは、憲法と法律を区別する意味が、事実上なくなってしまう。
 日本国憲法の改正手続きに特徴があるとすれば、国会が憲法改正を企てた際には、必ずレファレンダム(国民投票)にかけることを求めている点にある(96条)。憲法前文には、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とあることから、憲法改正権も国会に分配されてよさそうなものだが、憲法はそうはしなかった。これは、国会が特定の地方自治体を狙い撃ちにする法律をつくった場合に備えて、必ずレファレンダム(この場合は住民投票)にかけなくてはならない仕組みにしたのと、同様の発想である(95条)。
 しかし、憲法改正について実質的な審議を行うのは、国会であることに、変わりがない。硬性憲法であることの本質は、国会に課せられたハードルの高さにこそある。
    ■     ■
 いきなり堅苦しい書き出しになってしまったが、大して難しい話ではないと思う。ところが、現在の日本政治は、こうした当たり前の論理の筋道を追おうとはせず、いかなる立場の政治家にも要求されるはずの「政治の矩(のり)」を、踏み外そうとしている。96条を改正して、国会のハードルを通常の立法と同様の単純多数決に下げてしまおう、という議論が、時の内閣総理大臣によって公言され、政権与党や有力政党がそれを公約として参院選を戦おうとしているのである。
 これは真に戦慄(せんりつ)すべき事態だといわなくてはならない。その主張の背後に見え隠れする、将来の憲法9条改正論に対して、ではない。議論の筋道を追うことを軽視する、その反知性主義に対して、である
 第一に、良き民主政治にとって、「代表」は必要不可欠か、というのは真剣に問う必要のある問いである。もちろん賛否両論であろう。
 有権者は日頃自分自身の利益を追求するので手いっぱいだから、国民全体の立場からしっかりと議論をし、公共の利益を追求する「代表」なしには、良き民主政治にはならない。これが、日本国憲法が採用する、間接民主制(代表民主制)の論理である。中央政治・地方政治を問わず、旧来の自民党政治家に、「代表」を飛ばして直接「民意」に訴える、国民投票や住民投票の導入に懐疑的なタイプの人が多かったのは、その意味では首尾一貫していた。そして、憲法改正手続きから国民投票をはずすことを主張するならば、その当否は別として、議会政治家として筋が通っている。
 ところが、今回の改憲提案では、直接「民意」に訴えるという名目で、議会側のハードルを下げ、しゃにむに国民投票による単純多数決に丸投げしようとしている。議会政治家としての矜持(きょうじ)が問われよう。衆愚政治に陥らない民主政治とは何であるかを、真摯(しんし)に議論する必要がある。
 そして、目下の改憲提案に従い、改正手続きのすべての局面を単純多数決にそろえるとすると、第二に、これまで単純多数ではなく特別多数による議決を求めてきたのはなぜか、を問わなくてはならなくなる。もちろん、単純多数決が本当に民主的な決定だと言い切れるのか、疑いがあったからである。
 構成員全員が納得して従える、正しい意味で民主的な決定は、全員一致による決定であろう。徹底的に議論し、異論があるなら説得をする。内閣は、戦前も戦後も、したがって今日も、この方式で意思決定をしているのである。しかし、このやり方は、決定に時間がかかる。また、メンバーにいわば同調圧力がかかり、異論をもつものは、「窒息」させられるか、脱退を余儀なくされる。
 満洲事変の後、国際連盟から日本が脱退をせざるを得なかったのは、連盟が全員一致方式をとっていたからである。松岡洋右全権代表が議場から退場するシーンは有名であろう。最近では、鳩山連立内閣で異論を唱えた社民党党首、福島瑞穂氏の例が、記憶に新しい。はじめは強い同調の圧力がかかり、途中からは排除の圧力がかかった。日本国憲法は、戦前の反省に基づき、内閣の決定力を補うために、異論をもつ閣僚を罷免(ひめん)する権限を内閣総理大臣に与えている。当時の鳩山由紀夫首相は、福島氏を罷免することによって、内閣の決定力を回復したのであった。
 そこで、決定力の強い多数決方式が、検討されることになる。あたま数をかぞえるだけですぐに結論を出せる一方、異論をもつものが脱退しなくてよいという利点がある。しかし、その反面で、多数決は、少数者の抑圧を、原理的に予定している。多数決をするたびに、半数近くの者が抑圧され、服従を強いられている。それが本当に民主的な決定だといえるのか。これは古くからある難問であり、「強行採決」が非難される理由はそこにある。だからこそ、できるだけ丁寧に議論をし、多数派と少数派はできるだけ歩み寄り、お互いが納得できるコンセンサスをめざすのである。
    ■     ■
 特別多数決も、多数決には違いないが、単純多数決に比べ、討論とコンセンサスの制度的条件を提供して、民主的決定の質を高めると同時に、異論の余地も残せる利点がある。その分、時間的なコストは、覚悟の上である。具体的には、日本国憲法はつぎの五つの局面を想定している。衆参それぞれの議院で行われる、議員の資格を争う裁判で、議席を失わせる結論を出す場合。会議を非公開(秘密会)にする場合。院内の秩序をみだした議員に対して、除名の議決をする場合。衆参両院で結論が食い違った法律案を、衆議院で再議決して国会全体の議決とする場合。そして、憲法改正の発議をする場合。これらのうち、はじめの四つについては、「出席議員」の3分の2で議決できるのに対して、憲法は、憲法改正についてだけは、さらに「総議員」の3分の2にハードルを上げている。
 それは、五つの局面のうち、憲法改正の発議が一番重たい問題であるからにほかならない。その際、衆議院だけでなく参議院の賛成が要求されているのも、五つの局面のうち憲法改正が格段に重要であり、決定に熟議を要するからである。これに対して、現在高唱されている憲法96条改正論は、ほかの四つの局面は放置したまま、憲法改正についてだけ、通常の立法なみの単純多数決にしようというのである。問題の軽重に照らして、いかに内容のチグハグな提案であるかは、これだけでも明らかであろう。
 それだけではない。96条改正を96条によって根拠付けるのは論理的に不可能だということが、第三の、そして最大の問題である。それは、硬性憲法を軟性憲法にする場合であっても、軟性憲法を硬性憲法にする場合であっても、変わりがない。
 たとえば、法律が法律として存在するのは、何故か。法律を制定する資格や手続きを定める規範が、論理的に先行して存在するからである。同様に、立法府である国会が、憲法改正を発議する資格をも得ているのは、憲法改正手続きを定めた96条が、論理的に先行しているからである。特別多数決による発議に加えて、国民投票による承認が必要、と定めたのも96条である。憲法改正が憲法改正として存在し得るとすれば、96条が論理的に先行して存在し、96条によって改正資格を与えられたものが、96条の改正手続きに基づいて憲法改正を行った結果である。
    ■     ■
 それでは、憲法改正条項たる96条を改正する権限は、何に根拠があり、誰に与えられているのだろうか。これが、現下の争点である。結論からいえば、憲法改正権者に、改正手続きを争う資格を与える規定を、憲法の中に見いだすことはできない。それは、サッカーのプレーヤーが、オフサイドのルールを変更する資格をもたないのと同じである。
 フォワード偏重のチームが優勝したければ、攻撃を阻むオフサイド・ルールを変更するのではなく、総合的なチーム力の強化を図るべきであろう。それでも、「ゲームのルール」それ自体を変更してまで勝利しようとするのであれば、それは、サッカーというゲームそのものに対する、反逆である。
 同様に、憲法改正条項を改正することは、憲法改正条項に先行する存在を打ち倒す行為である。打ち倒されるのは、憲法の根本をなす上位の規範であるか、それとも憲法制定者としての国民そのものかは、意見がわかれる。だが、いずれにせよ、立憲国家としての日本の根幹に対する、反逆であり「革命」にほかならない。打ち倒そうとしているのは、内閣総理大臣をはじめ多数の国会議員である。これは、立憲主義のゲームに参加している限り、護憲・改憲の立場の相違を超えて、協働して抑止されるべき事態であろう。
 なかなか憲法改正が実現しないので、からめ手から攻めているつもりかもしれないが、目の前に立ちはだかるのは、憲法秩序のなかで最も高い城壁である。憲法96条改正論が、それに気がついていないとすれば、そのこと自体、戦慄すべきことだといわざるを得ない。

 ついでに、お願いですから麻生さん、外国には行かないで下さい。あのような品のない態度では、日本人全体の品性が疑われかねません。やれやれ…。

2013.05.02 (木) 雨のち晴れ

 水俣の最高裁判決が出たが、ちょうど読了した本(小熊英二『社会を変えるには』講談社新書)に水俣の事例が紹介されていたり、たまたま今読んでいる本が『ユージン・スミス 水俣に捧げた写真家の1100日』(山口由美、小学館)だったりして、何となく感慨深い。石牟礼道子の『苦界浄土』(講談社文庫)が水俣との出会いであったが、もう一度読み返したい気分である。9507歩。(ちなみに、『ユージン・スミス 水俣に捧げた写真家の1100日』は、ノンフィクションでも泣けてしまうとてもイイ本です。特薦!)

2013.05.01 (水) 晴れ

 5月というのに薄ら寒い一日、今日も地道に勉強である。ちなみに、今日は月曜日授業なので会議が二つ。何となく忙しい感じになってしまうのである。10642歩。
春の小川