8月

2013.08.31 (土) 晴れ

 8月最後の日、私と主人の実家の家族、及び息子一家が集まり、孫(ひ孫)を囲んで楽しく過ごす。いよいよ夏休みも終わりである。やれやれ…。

2013.08.30 (金) 晴れ

 今日は8月で一番まじめな?一日を送った。出校する主人といっしょに6時起床。テレビ体操の後、紙兎ロペを楽しんで、主人が家を出た7:30から勉強開始。その後、10:00におやつでアイスキャンデーを一本食すも、その後14:00までひたすら勉強。昼ご飯を食べて、14:40~18:10まで再び勉強…。こうして、やっと原稿が一本仕上がり、今送信したところである。あ~、疲れた。多分、今日は家の中を100歩くらいしか歩いてないし、一日中クーラーの中で過ごしてしまったのであったよ。

2013.08.29 (木) 晴れ

 仕事を片付けに出校。疲れた~。朝晩は少しずつ涼しくなっているし、日も短くなってきているし、庭では虫も鳴き出しているしで、いよいよ夏も(夏休みも?)終わりであるなぁ~。(原稿がまったく仕上がっておらず、危険な状態である…笑・泣)

2013.08.28 (水) 晴れ

 日曜日から昨日まで、飛騨高山・白川郷(五箇山)・郡上八幡に出かけ、好天のもと、高山の美しい町並みと世界遺産の素晴らしい町並みをバッチリ堪能してきた。たまたま選んだホテル(高山グリーンホテル)も、駅からちょっと離れていたが(それでも徒歩7分…)、温泉はイイし、食事も朝・夕とも満足できるメニューで大満足。朝市から夕方の町並み散歩と、毎日20000歩以上歩いてすっかり高山ファンに(笑)。
 今日は、朝の草むしりの後、明日からの仕事に備えて夫婦ともども準備に勤しむ。
町並み

2013.08.24 (土) 曇り

 今日は駿台予備校の「夏期教育研究セミナー」に出かける。テーマは「センター現代文を完答に導く教授メソッド」というもので、参考にする点が多々あって面白かった。さっそく授業に生かしたい。6428歩。
 明日から夫婦で夏休みをいただきます。水曜日まで更新できませんが、悪しからず。

2013.08.23 (金) 曇り

 全国漢文教育学会の講座3日目。午前中は河合塾の先生による指導法の話だったので期待していたのだが、ちょっと抽象的であまり役に立たなかった感じ。午後は中国の幽霊の話で、気楽に楽しく聞けた。総じて出席しがいのある講座であったが、予算の関係もあり、来年も…というと微妙か。
 昼休み、会場になっている二松学舎大学の准教授をしている知り合いと昼食をともにする。久しぶりに色々と話しができて楽しかった。10739歩。

2013.08.22 (木) 曇りのち晴れ

 全国漢文教育学会の講座2日目の今日は、昨日と打って変わって、午前も午後も大変勉強になる講座で参加した甲斐があるというものであった。例えば杜甫の「春望」(生徒諸君、「望」の意味は分かりますね?)だが、「国破山河在、城春草木深」で語り出される長安の様子を、私は「少年H」さながらの焼け野原みたいなものとしてイメージしていたが、実際は、安禄山が迫る前に皇帝は楊国忠の勧めで長安からこっそり逃げ出しており、多少の略奪などはあったらしいが、町が焼け野原になることはなかったのだそうだ。このような背景知識は、ぜひ今後の授業に生かしたいものである。(昼休みに、一緒に参会しているT先生と、神保町のつけ麺の名店「美空」まで歩いて出かけたので、14486歩)

2013.08.21 (水) 曇り・夕立

 全国漢文教育学会の夏期教育講座に出かける。午前は高校の先生の実践報告、午後はNHK中国語講座講師の先生の中国語と漢文に関する考察。プログラムとしては楽しみにしていたのだが、前者はレベルが低く、後者はレベルが高過ぎ(…というか、中国語が分からなければまったくほとんど意味のない講演)で、ちょっと期待はずれ。ただ、入門教材の復習になったし、色々な漢文に触れられたという点で、漢文が不得意な自分にはそれなりに有益であった。12704歩。
 月曜日から3夜連続で、NHKが東京オリンピック特集をやっていてとても面白かった。あの時の情熱を知ってしまうと、現在の招致活動が茶番に見えてしまうのは私だけだろうか?

2013.08.20 (火) 晴れ

 今年の夏休みも原稿書きがあり、追い詰められまで放っておこうと思っていたのだが、改めて内容を確認したところ、すでに充分に追い詰められていること判明し(泣)、今日から取りかかることに。ただ、自慢ではないが(…って自慢することになるが…笑)、公立の図書館などよりは私の本棚の方がず~っと資料が揃っているので、とりあえず作業に取りかかることができ、なかなか立派なことであるなぁと我ながら感心…。
キバナコスモス
 今日の朝日新聞「オピニオン」欄が面白かったので、後半部分を引用しておこう。タイトルは「安倍政権と戦争の記憶 日本見つめる歴史家、キャロル・グラックさん」。キャロル・グラック(Carol Gluck)さんは1941年生まれ。米コロンビア大学教授。同大東アジア研究所所属。米国における日本近現代史、思想史研究の第一人者。

――安倍首相は終戦の日の全国戦没者追悼式で、アジア諸国に対する加害責任に触れませんでした。
 「安倍首相を含む自民党の右派政治家たちは長い間、戦後問題やナショナリズムに関わることを国内政治扱いしてきました。加害責任を否定することで、国内の支持を得ようとしてきた。彼らはまるで、自分たちの話す日本語は海外ではまったく理解されないと思っているようです。実際はソウルや北京やワシントンにすぐに流れるというのに。これは一種の『地政学的無神経』です」
――なぜ日本ばかりが謝罪しなければならないのか、という疑問を持つ人もいます。
 「この20年ほどで、戦争の記憶に関する『グローバル記憶文化』とでも呼ぶべきものが生まれました。それは、国家が過去に行った行為について新しい国際規範ができた、ということを意味します」
 「戦後すぐは、その規範は存在しませんでした。国家の首脳は50年代、『ごめんなさい』と言って回ったりはしなかった。この『謝罪ポリティクス』につながる新しい記憶文化が生まれた理由のひとつはホロコーストです。欧州連合(EU)が創設される過程でホロコーストはヨーロッパ共通の記憶になりました。多くの国が追悼の日を設け、教育を始めた。EUが90年代以降に北・東欧に広がると、この記憶も広がった。私は『溶媒効果』と呼んでいます」
 「トルコを例にとると、オスマン帝国末期のアルメニア人虐殺をトルコ政府が認めないことを、EUは重大視しています。EUの一員になるにはグローバル記憶文化の共有が要求されるのです。EUがトルコ加入に難色を示す理由として、これは明らかに政治利用されています」
――その新しい規範が、東アジアにも広がったということですか。
 「日本は長い間、戦争の記憶に関して何もする必要がなかった。強固な日米関係に支えられていたからです。中国は共産主義国だから、存在しないのと同じだった。しかし、冷戦が崩壊し、日米関係が唯一の重要な国際関係ではなくなった」
 「アジアと向き合うことを余儀なくされ、90年代になって突然、日本政府は戦争の記憶に対処しなければならなくなったのです。それは世界的な『新しい常識』です。自民党が国内政治として扱おうとしても、それとは別種の国際環境が存在している。米下院が慰安婦問題で非難決議をしたのも、その流れです」

   ■     ■

――一方で安倍首相は、8月15日の靖国神社参拝は見送りました。
 「靖国神社は取り扱いの難しい問題です。戦没者の慰霊施設だからこそ、人々はA級戦犯ではなく、戦死した祖父や曽祖父を思い浮かべる。少なからぬ国民が参拝を支持しているのは理由があります。これは国内問題でもあり、国際問題でもあるから、取り扱うには巧妙な手腕が必要ですが、自民党にそれができるとは思えない。この夏、安倍首相が靖国に参拝していたら、取り返しのつかない失敗となったでしょう」
 「歴史問題は、いまや安全保障にすぐに結びつくのです。取り扱い次第で、すぐに『日本再軍備』反対という声が高まる。竹島や尖閣諸島などの領土問題でも、慰安婦や南京事件が持ち出される。歴史問題が利用されている面は確かにあります」
――「地政学的無神経」以外に気にかかることはありますか。
 「在日コリアンへの悪意に満ちたデモなど、ヘイト・ナショナリズムには懸念を持っています。これは安倍首相よりもはるかに危険です。中韓の若者たちは日本が嫌いだといい、日本でも……。まるでブーメランです。若年層がお互いに憎み合うとしたら、いったい東アジア全体では、どんなシチューができるというのでしょう。軽率な愛国心は、祖国に対する誇りとは違うのです」
 「90年代、世界各国で新しいナショナリズムが生まれました。冷戦が終わり、不確実に変化する世界秩序を前に、経済的な繁栄を譲り渡さなければならないと感じた先進諸国が直面した問題です。このポスト冷戦期、日本にもたらされた最も大きな変化は、アジア諸国の成長、特に中国の台頭でした。東アジアで経済関係がこれほど分厚く広がったことはかつてありません。地政学上の大きな変動は緊張をもたらします。ナショナリズムの矛先が中国、韓国に向かうのは、そのためです」
 「90年代からずっと言い続けているのですが、日本はグローバルプレーヤーになる努力をするべきです。非核国で、兵器も売らず、かつ世界有数の経済大国という稀有(けう)な国です。ノルウェーが平和交渉の仲介役をするように、他国がしない隙間の役割を見つけるべきでしょう。クール・ジャパンだけでは無理でも、もっと多面的なソフトパワーを武器にして、何かできるはずです」
 「それは、台頭する中国にどう対処するか、という問いへの答えでもあります。軍備に軍備で対抗するのは、ばかげていますから」

2013.08.19 (月) 晴れ

 バスケ部の夏季大会だが、家の水回りのメンテナンスを予定してしまったため応援に行けず。きっと勝ったことだろう。
 キヤノン・フォトサークルに屋久島の写真が掲載される。タイトルは「島の午後」。ジャンルマスターの古市智之先生からは「素晴らしいロケーションの牧場ですね。彩度はもう少し抑え気味にした方が自然な感じがしますが、青空を大きく取り入れたフレーミングから、広々とした牧場の空気感が良く表現されています。水平線も気持ちいいほど真っすぐで、傾きが微塵も無いこともこの作品の質を高めています。」とコメントをいただく。この写真は、オリンパスのE-P5(ペン5)で撮った i-Finish 設定のjpeg画像に特に手を加えてはいないので、いわゆる「オリンパス・ブルー」が派手めな印象ということなのだろう。島の午後

2013.08.18 (日) 晴れ

 相変わらず暑いが、それでも夕方から風が涼しくなった。父が退院の練習?ということで、昨日から一泊で実家に帰ってきているが、病院では自分で出来ることも、バリアフリーではない我が家ではうまくいかなかったりと、色々と工夫・改善の余地があることが分かる。このあたりは家族が協力して乗り越えなければならないが、老老介護は大変だろうなと実感。
 朝、あるテレビ番組で、閣僚などの靖国参拝が問題なのは、他国への配慮の問題などではなく、根本的に政教分離の原則に抵触するかであると指摘していたが、まったくもってその通りである。「公人として参拝した、他国が干渉する問題ではない」と発言していた閣僚がいたが、この点について問いただしたいものである。

2013.08.17 (土) 晴れ

 昨日のニュースで以下の報道があった。

 広島と長崎で行われた平和式典について、イスラエル政府高官が自らのフェイスブックに「独善的な式典にはうんざりだ。広島と長崎(の原爆)は日本の侵略行為の報いだ」と書き込んでいた。現地の日本大使館は15日までにイスラエル外務省に抗議した。
 高官は、広報・離散民省元幹部のダニエル・シーマン氏。シーマン氏は「日本は帝国主義や大量虐殺の犠牲になった中国人や韓国人、フィリピン人などを追悼すべきだ」とも書いた。書き込みはすでに削除されている。シーマン氏は、首相府のインターネット広報戦略の責任者への起用が検討されていたが、現在停職処分になっているという。
 首相府は「書き込みは容認できず、政府の立場を表したものではない」と指摘。シーマン氏に厳重注意し、書き込みの即時停止を命じたことを明らかにした。駐日イスラエル大使館は16日に声明を出し「シーマン氏は多くの人の心情を傷つけた」と陳謝した。(朝日デジタルより)

 まったくひどい話で容認できないが、そもそも一度でも広島や長崎の式典を訪れたことがあれば、こんな発言は出るはずはないのだ。しかし、振り返って考えてみると、公表しないにしても同様の感想を抱いている外国人が潜在することは疑いない。それもこれも日本の「政府高官」たち(日本政府)、いや我々自身の中途半端な対外的言動がもたらしているともいえるのである。

2013.08.16 (金) 晴れ

 何とか補習を乗りきる。今日の歩数をみれば、いかに無意識的に動かなかったか分かるというもので、さすがに疲れているといったところか。しかし、内容的にはがんばってやったつもりなので、2・3年とも、それを今後の学習に生かしてくれることを期待したい。7685歩。
東シナ海

2013.08.15 (木) 晴れ

 終戦の日。「不戦の誓いに触れない安倍の挨拶」に批判続出は当然である。その驕りが、どれだけ国益を損ねるのかということに対する想像力の欠如には恐ろしいものがある…などと書かなければならないし、どの先生からも「一日3コマ?やり過ぎでしょ!」という反応が返ってくる通りで、行き帰りや廊下の暑さにやられていることもあり、ちょっとバテ気味。あともう一日、何とか乗りきろう…。8362歩。

2013.08.14 (水) 晴れ

 ちょっと季節がずれてしまうが、「越後屋にきぬさく音や衣更」(其角)。生徒諸君、季語は分かりますか?もちろん「衣更(ころもがえ)」で夏。「句意は、越後屋の前を歩いていると、中から絹地を引き裂く音が聞こえてくる、衣更の季節で店内がにぎわっているようだ、というもの。」と解説してある本は、『人生をひもとく 日本の古典』(第2巻「はたらく」、岩波書店、2013)。さらに「初夏の清涼感や、冬服からの解放感が漲ると言えよう。そういった清々しい季節の到来を意味する季語と、活気溢れる商売のありさまがうまく合致して、生き生きと働く人々の情景が浮かび上がってくる一句になっている。」と解説がある。(この解説は学習院大学の鈴木健一先生…というか、私の後輩の鈴木くん)。ついでに其角をもう一つ。「鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春」。句意は「寺の鐘が売れるなどということはそうあるものではない。しかし、この江戸ではそれすら一つも売れない日はない。そのくらい栄えているのであるということ。「江戸の春」は新年を表す季語なので、繁華なありさまを誇らかに歌い上げるという気持ちと、新しい年を迎えた喜びの気持ちが混じり合っている。」(前掲書) どちらもイイ句で、本日の通勤読書の収穫である。9087歩。

2013.08.13 (火) 晴れ

 昨日に比べると、校舎内の廊下の暑さがだいぶ「普通な」?感じ。もちろん充分に暑いのだが、昨日が酷すぎたということである。講習も順調。2学年の下校当番なので、下校時刻に教室の追い出しに出かけると、暑くてラフな格好をしているせいか、生徒から「先生、珍しく私服じゃん!」みたいな声をかけられる。あのね、私は毎日「制服」を着ているわけではありませんよ(笑)。生徒諸君は、どうもネクタイが似合いそうもない格好を「私服」というようである。8061歩。

2013.08.12 (月) 晴れ・雷雨

 講習の第2週目。3コマだが、間に昼休みが入ることもあって何とか乗りきる。
 しかし、今日も暑い&激しい夕立。NHKのニュースなどで「23区に豪雨 練馬92ミリ」などと出るので心配してくださる方がいらっしゃるが、我が家は区内の主要河川からも離れているし、どちらかというと高台なので、とりあえずは大丈夫そうである。(東電の支社も近いので、停電の心配も少ないかも…)8874歩。

2013.08.11 (日) 晴れ・雷雨

 駿台教育研究所の夏期教育研究セミナーに出かける。テーマは「和歌に関わる入試問題の研究」ということで、センター試験など十題の問題を例に採り上げて指導のポイントなどを考察。なかなか有益であった。割り当てられた席がクーラー直撃で、寒かったのが玉に瑕(笑)。

2013.08.10 (土) 晴れ

 「夏暑くて冬寒い」我が家の2階は、午後2時にバリゴの温度計が40度…。夜になってやっと37度である。書斎のクーラー設定温度は「29度」! 社会的には28度が一般的だろうが、それだとちょっと暑い感じで27度に設定することが多いのだが、今日はこの29度設定でもヒヤッとする感じ。いかに外が暑いかということであろう。
 猛暑の中、我が家の庭の楽園色?
百日紅とノウゼンカズラ
ポーチュラカ

2013.08.09 (金) 晴れ

 長崎原爆の日。補習の第一週目が無事終了。2年生は部活のせいかメンバーの入れ替わりがあったが、3年生は初日からほとんど減ることもなく、熱心に取り組んでいた。しかし、午前90分+午後90分の2コマだが、暑さのせいもあってそれなりに疲労感あり。来週は、午前2コマ(2年生+3年生)、午後1コマ(3年生)と1コマ増えるのだが、大丈夫だろうか…?我ながら心配である。9724歩。
 キヤノンフォトサークルに投稿した屋久島の写真が掲載される。タイトルは「鹿のいる森」。ジャンルマスターの古市智之先生から、「うまい具合にヤクシカが出てくれましたね。周りの環境まで入れ込もうとした事は間違いではありませんが、その結果ヤクシカがちょっと小さくなってしまいました。手前の白い岩もトーンが飛び気味で、目立ちすぎたのが残念です。もう少し長めのレンズで撮影すると良かったと思います。」とアドバイスをいただく。なるほど、確かに手前の岩が気になる。
鹿のいる森
 ちなみに、もう一枚投稿した方は非掲載となったのだが、自分としてはこちらが…と思っていたので、なかなか難しいものである。タイトルが「緑のトンネル」というつまらないものだったせいだろうか(笑)。
緑のトンネル

2013.08.08 (木) 晴れ

 2年生の補習では、究極の?勉強法を伝授する。あとはそれを実行してくれるかどうかである。
 池澤夏樹『セーヌの川辺』(集英社文庫)より引用。

 若い者の方が変化に対する反応が速い。資本主義はモノを作って売ることで成り立っている。新製品を開発し、それを売り出して、使い方を啓蒙し、新しい需要を生み出す。その場合、若い人々を相手にした方が結果が早く出る。そのことによる加速が、日本に本来あった地理的条件としての高密度をいよいよ推進した。
 若い人々に購買力を与えて、彼らに合う商品を開発し、それによって経済を活性化する。そういう戦略を瀬戦後のある時点で日本は採用した。それは一定の効果を上げたけれど、同時に日本の社会の雰囲気を大きく変えた。年齢や経験が権威を失い、新しいものが尊重されて古いものが捨てられ、ぜんたいが幼児化した。伝統的なものはどんどん姿を消した。

 もっともな指摘である。TPPに加入することで、我々はさらなる幼児化を受け入れようとしているのである。9600歩。

2013.08.07 (水) 晴れ

 仕事のあと、主人と落ち合って、まず神保町のつけ麺の名店「麺屋美空」でつけ麺を食す。美味。その後、丸の内見物に出かけ、「KITTE」や「ブリックスクエア」を散歩して、「cafe1894」で一番絞りフローズン生をいただく。おかげで 17840歩!

2013.08.06 (火) 雨・曇り・晴れ

 朝と昼、それに夕方と一時的な豪雨。広島原爆の日。当然のことながら、地球上の生命に対する核使用は全面禁止とすべきだろう。一方、宇宙からの侵略に備える必要はあるのかどうか? ハリウッド映画の見過ぎ?(昨日は「プロメテウス」を見たからなぁ…) 9112歩。

2013.08.05 (月) 曇り・晴れ

 すっかり夏らしくなった今日から補習開始。午前中が3年生で、午後から2年生。どちらも真剣に取り組んでいた。3年生には問題演習の仕方と復習の大切さを、2年生には基本的な文法力と復習の大切さを力説?する。
 しかし、麻生は話題にするだけバカバカしい。本気でそう思っているのだから、表面的に反省するフリをするだけで、いくら周囲が気をつかっても変わりようがないのである。国の品位を守るためにも止めさせるしかない。というか、なんであのレベルの人間が副総理なのかがそもそも不思議である。深みにかける短絡的な考えや信念をひけらかすことが、「率直で分かりやすい」「勇気がある」などと勘違いされる風潮が今の日本にあるのではないかと指摘する人がいたが、まさにその通りだと思う。

2013.08.04 (日) 曇り・晴れ

 6月に亡くなった叔父の四九日の法会に参会する。
うかい亭

2013.08.03 (土) 曇り・晴れ

 夏休み。「恋するフォーチュンクッキー」をBGMにして?、来週の補習の予習をする?

2013.08.02 (金) 曇り・晴れ

 午後から進学指導重点校の教科主任会が予定されていたが、出席しなくてよいことになったので、休みをもらって草むしりをしたり、クルマを洗ったり、読書したりして過ごす。
 以前引用した『逝きし世の面影』(渡辺京二、平凡社ライブラリー)の続きを読んでいるのだが、次のような一節を読むにつけ、深い感慨にとらわれざるを得ない。

 かつてこの国の子どもが、このようなかわいさで輝いていたというのは、なにか今日の私たちの胸を熱くさせる事実だ。モースは東京郊外でも、鹿児島でも京都でも、学校帰りの子どもたちからしばしばお辞儀され、道を譲られたと言っている。モースの家の料理番の女の子とその遊び仲間に、彼が土瓶と茶碗をあてがうと、彼らはお茶をつぎ合って、まるで貴婦人のようなお辞儀を交換した。「彼らはせいぜい九つか十で、衣服は貧しく、屋敷の召使いの子供なのである」。彼はこの女の子らを二人連れて、本郷通りの夜市を散歩したことがあった。十銭ずつ与えてどんな風に使うか見ていると、その子らは「地面に座って悲しげに三味線を弾いている貧しい女、すなわち乞食」の前におかれた笊に、モースが何も言わぬのに、それぞれ一銭ずつ落とし入れたのである。この礼節と慈悲心あるかわいい子どもたちは、いったいどこに消えたのだろう。しかしそれは、この子たちを心から可愛がり、この子たちをそのような子に育てた親たちがどこに消えたのかと問うこととおなじだ。

ポーチュラカ

2013.08.01 (木) 雨のち晴れ

 バスケ部の合宿は大きな成果を挙げて無事終了。全員の愛称まで覚えられてよかった。今年初めて訪れた宿舎は、部屋やお風呂はまずまず立派で快適に過ごせたが、付属の体育館が雨漏りしたり、朝食にカニかまがそのまま2本出たりと結構笑える?部分もあって、来年も…となると微妙であった。
つばめ
 宿舎で読んでいた『セーヌの川辺』(池澤夏樹、集英社文庫)から引用。

 ここ(フィンランドの厳冬期)はまかり間違えば人がすぐ死ぬところだという認識も消えない。この地の自然条件をそういう風に受け止めなければならない。そのためか、ここの空気は精霊が満ちているように思われた。森の木々の一本ごとに、その背後に何かが隠れているような気がする。森は多神教的で、砂漠だけが一神教を生み出せたのではないかと考えてみる。ここでは森に添わなければ生きていけない。
 フランスの家もそうだけれど、暖炉で薪を焚くのはなかなか楽しいことだ。炎の中で精霊が踊っているように見える。いつまで見ていても飽きない。

 多神教と一神教が面白い。暑い季節にこういう文章を読むのもなかなかオツである。