1月

2016.01.31 (日)  晴れ

 早くも1月も終わりである。今日は、家族の色々なこと(内緒です)に付き合って過ごす。

2016.01.30 (土)  雨・曇り

 撮りためた写真のバックアップなどをして過ごす。これが結構時間がかかるのである。
 ニュースを見ていると、甘利大臣の地元では「たった百万円で…」といった発言をする支持者がいるようだが、報道されていることに基づくなら、少額のように見えてもやったことは「口利き」という完全なルール違反で、検察が動くレベルの話、つまり、大臣を辞職するだけではく、議員辞職をすべきレベルの話である。自分の矜持を貫くというなら、そこまでやるべきではないだろうか。
 木曜日の「論壇時評」が面白かったので、引用しておこう。(朝日新聞より)

SMAPの謝罪 暗黙のルールが潜む社会     作家・高橋源一郎
 SMAPという「国民的」アイドルグループが、所属する事務所からの独立をめぐる大きなスキャンダルに巻きこまれ、テレビで「謝罪」をすることになった。その画面をわたしは見た。
 沈鬱(ちんうつ)な表情の5人が並んで立ち、思い思いに、ときに口ごもりながら、「謝罪」のことばを述べた。いったい、彼らは、なんのためにそこにいて、誰に、どんな理由でそのことばを口にしているのか。どれもよくわからないことばかりだった。同時に、これは、わたしたちがよく見る光景であるようにも思えた。
 この「事件」に関して、即座に、おびただしい意見が現れた。たとえば。
 「SMAPの解散は昨夜までしょうもないゴシップだったのに、昨夜の会見を境に雇用者の圧力で被雇用者の意思が曲げられるとか、批判検証をしないマスコミとか、個人を犠牲にして感動を消費する社会とか、日本が抱える複数の問題がクローズアップされて一気に社会問題へランクアップしてしもうた」
 ツイッター上に現れた、この呟(つぶや)きは、多くの共感を呼んだが、それほどに、人びとの関心は深かったのだ。
     *
 米ロサンゼルス在住の映画ジャーナリスト猿渡由紀は「こんな騒動は、アメリカでは絶対に起こり得ない」と書いた。それは、「人気グループの解散も、タレント事務所の移籍も、本人たちがしたいならするだけのことで、当たり前に起こる」からだ。
 「日本の芸能界がサラリーマン式なら、ハリウッドは完全なる自営業式。タレントは、自分のキャリアを自分でコントロールし、その代わり、責任も、全部自分で持つのだ」
 「アクターズ・スタジオ・インタビュー」は、アメリカの人気テレビドキュメンタリー番組でDVDにもなった。名優を輩出する演劇学校へ赴いたスターたちが、そこの学生たちの前でインタビューを受ける。ポール・ニューマン、ロバート・デニーロ、メリル・ストリープ、等々。彼らの、ことばの多彩さと表現の巧みさに、いや、単なる俳優のことばを超えて、ひとりの生身の人間の人生の重みを伝えることばを持つことに、いつも驚かされた。それは、「自分のキャリアを自分でコントロール」し「責任も、全部自分で持つ」ことから生まれるものなのだろうか。
 神林龍は「解雇」をめぐる西洋と日本の違いについて、こんなことを語っている。欧州では、「解雇」というものは「ソーシャル」なものと考えられている。つまり、「社会」に認められたルールに反してはいけないのだ。そして、その、認められたルールの下では、極端なことをいえば、「解雇」は「犯罪に近い行為とみなされる」のである。
 それに対して、「日本では解雇も基本的にプライベートな問題とされます。双方が和解したのなら問題がなかったことになってしまう世界」であり「こうなると第三者は何が起きたのかも分からず、その解雇がどのような規範に基づいてなされたのかを客観的に判断することが困難」になるのである。
 その上で、神林は、他の会社で起こった解雇であっても、自分たちとつながった同じ社会の問題、と考える欧州に比べ、しょせん他人事(ひとごと)と考えるわたしたちの国では、組合活動が沈滞するのも無理はない、とした。
     *
 SMAPの「謝罪」会見を見て、どこか同じ境遇を感じた会社員は多かった。華やかな世界に生きる彼らも、実は「事務所」という「組織」が決めた暗黙のルールに従わざるをえない「組織の中の人」だったのだ。
 雑誌「SWITCH」で藤原新也が、現代の若者たちの写真を撮り、インタビューをしている。見応えも、読み応えもある特集だったが、とりわけ、福田和香子のものに、わたしは惹(ひ)かれた。
 「周りの友達と上手(うま)く馴染(なじ)むこともできないし、無理して合わせるのも変だよなと感じて」いた福田に、事件が起きる。「中学の家庭科の先生が『君が代』不起立をやって」左遷されたのである。その処分の後、校門の前に立ってひとりで抗議をしていた先生に「頑張ってね、応援してるよ」と声をかけられなかった福田は、その悔いを残したまま、やがて国会前のデモに行くようになる。けれども、そんな彼女の周囲にいた、以前からの友人たちは、離れていった。
 それもまた、「謝罪」のために立ち尽くすアイドルグループのように、わたしたちにとって馴染み深い風景なのかもしれない。どちらも、この社会が隠し持っている暗黙のルールに違反したから起こったことなのだ。
 自分の「正義」に疑いを抱きながら、それでも、「危ういバランス感覚」で活動をつづける自分について、福田はこういっている。
 「下手に正義を掲げて突っ走ってしまったら、すごく偏った人間になってしまうから。半分靴紐(くつひも)がほどけていて、全力では走れなくてダラダラ歩いているぐらいのほうがいいのかなとも思う」
 自分の足元を見つめること。そして、それがどれほど脆弱(ぜいじゃく)な基盤の上に置かれているかを知ること。それでも自分の足で歩こうとすること。そんな場所から生まれることばを、わたしたちは必要としている。「組織」や「社会」にしゃべらされることばではなく、「自分の」ことばを。

2016.01.29 (金)  曇り・雨

 3年生の特別授業は今日が最終日。まとめにふさわしく?『源氏物語』の問題演習を行う。最後までがんばった諸君に、どうかイイ結果が訪れますように!
 推薦選抜は、小論文の採点・点検も無事終了して選考会議。あとは粛々と発表準備である。9604歩。

2016.01.28 (木)  晴れ

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2016.01.27 (水)  晴れ

 国公立の二次出願も始まり、浪人形たちの受験先データベースの作成に取りかかる。今年卒業した8クラスの浪人生全員分(+2浪以上に方々の分も…)だし、現役の時と違って少し多めに受ける諸君が多いしで、たいへんな作業量である。しかも、調査書申し込み時に記入してもらった大学・学部・学科コード番号が抜けていたり誤っていたりで、その確認作業だけで目がショボショボ…(泣)。今日は4時間かけて、何とか4クラス分の途中までこぎ着けた。10223歩。

2016.01.26 (火)  晴れ

 推薦選抜。今年は女子の面接係だったが、どの受検生も甲乙つけがたく、できれば全員合格でも…といった印象であった(実際はそうはいかないが…)。二酸化炭素やエネルギー問題を扱った小論文は、なかなか解答をまとめるのが難しかったのではないかと思ったが、けっこう書いているようで立派である。8348歩。

2016.01.25 (月)  晴れ

 明日の推薦選抜に備えて4時間授業+会場準備。午後から生徒諸君は完全下校で、先生方で会場設営と打ち合わせ。天気は心配なさそうだ。3年生(と浪人形)は、国公立の二次にいよいよ出願である。9607歩。

2016.01.24 (日)  晴れ

 写真印刷用の EPSON PX-5V の黒インクが吐出されなくなってしまったため、引き取り修理を依頼したところ、木曜日の夜引き取りに来て、今日直って戻ってきた(修理工場は長野県松本市)。結構早いのでビックリ。保証期間を過ぎているため、修理代15000円+引取料1500円に税がかかり、安いとは言えないが、A3対応の大型機種なので、早くて手軽は引き取り修理は結果としてありがたかった。もちろん故障しないに越したことはないが、機械である以上故障が起こることは仕方ない。そういう際の対応で、次もそのメーカーにするか決めることもあるだろう。
 クリスティの『アクロイド殺し』『そして誰もいなくなった』に続いて『ゼロ時間へ』を読んだが、これが一番面白い印象である。それ故、邦訳のタイトル(”TOWARDS ZERO”)をもう少し工夫できないものかと思ってしまう。確かに「0時間」を描くことがテーマなのだが、タイトルだけ見ると魅力が感じられない気がしませんかね?
 本日の天声人語より。タイトルは「逆石油ショック

 小さな出来事が、やがては地球規模の変動につながることを「バタフライ効果」という。蝶(ちょう)の羽ばたきが気流を変化させ、ひいては大きな嵐を起こすという例えから来る。四半世紀ほど前、米テキサス州の荒れ地で一人の企業家が悪戦苦闘していたのも、その類いだったかもしれない▼故ジョージ・ミッチェル氏が、岩と岩の間にある天然ガスを取り出して商売にできないかと試みていた。失敗の連続で、彼の右腕だった男性によると、同業者たちから「クレージーだ」と言われた。まさにギャンブルだった▼賭けは1990年代末に吉と出た。ガスだけでなく石油もとれた。採掘方法は全米に広がり、岩の名からシェール革命と呼ばれた。原油価格は大きく下がって産油国に打撃を与えた▼余裕を失ったサウジアラビアがイランと対立する。産油国が世界の市場からお金を引き揚げ、そのために株価が急落する。いま起きている混乱は、テキサス男の最初の「羽ばたき」抜きには語れない▼「逆石油ショック」という言葉も聞かれる。原油が高騰した70年代の石油ショックは、日米欧をひどいインフレに陥れた。逆回転は、何をもたらすのか▼数年前に米国で会ったシェール開発反対派の人たちは、再生可能エネルギーの普及に水を差すのではと心配していた。石油やガスが安く手に入るのに、風力や太陽光の発電施設をせっせと造るだろうかと。この嵐、最後はどこを襲うのか。ガソリンが安くなったと、喜んでばかりはいられない。

2016.01.23 (土)  晴れ

 雪で傾いてしまった庭木があるのだが、たいした木でもないから掘り出して、ゴミ出しできるようにノコギリで小さく切って束ねたりする。おかげで腰痛(泣)。
 今日の新聞各社は、教科書会社による教員などへの教科書内覧・謝礼について報じており、私が編集に関係している教育出版も登場している。ただし、あれは小・中学校の教科書に関する問題で、高等学校の教科書にはいっさい関係がない。その背景には、高校では使用する教科書を各学校ごとに決めるのに対して、小・中では地域一括で使う教科書を決めるという仕組みがある。一括採用となると採用部数が大きくなるわけで(高校なら一つの高校の1学年で320冊くらいしか売れない…)、営業にもつい「力」が入ってしまうということなのであろう。義務教育の質を担保するということでの仕組みかも知れないが、文科省は今回の件の実態調査を進めると同時に、この構造そのものについても検討を加えたらいかがなものか。

2016.01.22 (金)  晴れ

 授業の合間に、浪人形が3体(笑)ほど相談にやってくる。もちろん相談に来るくらいだから、センターで自分が思っていたほどの結果が得られなかったのである。現役の時には本人の気持ちを第一にアドバイスするわけだが、浪人ともなると、やはり基本的にはデータの方に重きを置いて安全志向のアドバイスとならざるを得ない。それぞれどう受け止めてくれたのだろうか…。
 夜、編集会議。いよいよ大詰めであるが、原稿が刷り出されてくるとまだ細かい調整が必要なことが分かってきて、仕上げに向けてもう一頑張りといったところか。12341歩。

2016.01.21 (木)  晴れ

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2016.01.20 (水)  晴れ

 平和な一日。7629歩。
 昨日の記事から。タイトルは「18歳選挙権「賛成する理由、何一つない」」。インタビューに答えているのは、精神科医の斎藤環さん。私は視点の一つとして説得力があると思う。

18歳って大人?
 選挙権年齢の18歳への引き下げに伴い、民法上の成人年齢などほかの基準も18歳に、という議論が出ている。だが、引き下げていい理由は何一つない、むしろ上げるべきだ、と若者たちを多く診てきた精神科医の斎藤環さんは主張する。なぜなのか。何歳ならいいのか。そもそも大人になるとは、どういうことなのか。
――選挙権年齢が18歳に引き下げられます。若者が政治に参加するいい機会になりそうです。
 「私は反対です」
――どうしてですか。みんな賛成してますよ。
 「賛成する理由がほとんどないからです」
――ほとんどない!
 「選挙年齢を下げることで、若者の政治参加が促されるというのはファンタジーです。最初はお祭り的に盛り上がるかも知れませんが、平常運転になれば元の木阿弥(もくあみ)でしょう。そうならないことを願ってはいるんですよ、私も。でも彼らの多くは自分たちには年金は回ってこないと思っています。政治になんか関心ないんです。まぁ、わずかにいいことがあるとすれば、引き下げに伴って、学外での高校生の政治活動が解禁されることでしょうか。そもそも学内と学外を分けることは無意味だと思いますけどね。一部の関心のある高校生はデモを始めてますし」
――若者に政治参加の意識を持ってもらうのはいいことでは?
 「今回の引き下げは、憲法改正の手続きを定めた国民投票法改正が始まりです。投票年齢を18歳と改める際、選挙権も引き下げようという議論になりました。改憲のために若い人を動員したいという、不純な動機が見え隠れしていました。とはいえ、安保法制の強行採決が国民に対しては強力な『改憲ワクチン』になったので、これでもう改憲自体は半永久的に不可能になったと私は考えていますが。むしろ18歳選挙権が、成人年齢の引き下げにつながりかねないと大いに懸念しています」
――選挙権年齢引き下げに伴う改正公職選挙法の付則に、民法の成人年齢などについても「検討を加え、必要な法制上の措置を講ずる」と盛り込まれています。
 「成人年齢はむしろ引き上げるべきだというのが、私の年来の主張です」
――なぜですか。
 「逆にいうと、引き下げに賛成する理由が何一つないからです」
――今度は何一つない!
 「今の18歳から、選挙権や成人の年齢を引き下げて欲しいという声が出ましたか。私は聞いたことがない。引き下げるのは、自立を促し、責任感を持たせたい、ということでしょう。でも、やたら自己責任論がいわれ、生活保護はたたかれる。こんなに個人がないがしろにされている国で、18歳で自立しろなんてちゃんちゃらおかしい。権利を与えるというなら、まず徹底して個人を尊重することです。それなしに公共の利益とか言いだすからうさんくさいんです」
 「段階的に自立を促す器なりが用意されていれば、私も反対しません。でも、日本は伝統的に若者対策が遅れていて、専門の省庁がないほぼ唯一の国です。厚生労働省、文部科学省、内閣府と、縦割りで膨大な無駄をやっていて効率も悪く、まじめに取り組もうという人も少ない。これでは、大人なんだから自活せよという、まさに暴力的とも言えるプレッシャーが高まるだけです」
――欧米では18歳が常識というのも論拠になっています。
 「欧米には担当省庁を設けて若い人を弱者としてしっかり支える体制があり、18歳を大人扱いすることと共存しています。欧米並みというならまず、公的扶助の総額と普及率でしょう。再分配の仕組みに手をつけず、ただ自立せよ、活躍せよと発破をかけるのは極めてヤンキー的な気合主義でしかない。引き下げにかける莫大(ばくだい)なコストを彼らの支援に回すべきです」
――では、何歳で成人とみなすのが適当ですか。
 「人が大人として成熟する節目は、実質的には就労と結婚、子どもを持つことだと思います。日本では34歳までの未婚者が親と同居する率は70%以上です。イタリアや韓国なども同様で、いわゆるパラサイトシングルはOECD(経済協力開発機構)諸国すべてに存在してそれぞれあだ名がついています。同居率の高まりは世界的な傾向なんです。20代のほとんどが親がかりの生活を送っている中で、経済的に自立し、行動に責任を負える18歳がどれほどいるでしょうか。引きこもりの平均年齢は32歳という調査結果もあります。大学院進学率の高まりも考慮して25歳がぎりぎりですね」
 「実は日本でも、厚労省の若者の就労支援の上限は39歳です。もっとも、高齢者に対する支援などと比べてもその内容は貧弱で、欧米の仕組みとは比べるべくもありません。それでも、同じ政府内で彼らを支援が必要な弱者と認めてもいるわけです。むしろこれに合わせろと言いたいくらいです」
――大人扱いすることで、自覚も出るのではないですか。
 「そもそも人を早く大人として扱う社会がいいのか疑問です。大人としての成熟が早く求められるのは、発展途上地域が典型です。少年兵としてかり出され、10代で結婚させられ、労働力として使役される。飢えを知らず、親がかりで生活できる日本は、大人にならずにとどまれる社会です。社会と個人の成熟度は反比例するというのが持論です」
 「私が今、最も懸念しているのは、子どもの虐待件数がどんどん増加していることです」
――といいますと?
 「児童虐待防止法の施行で実態が透明化されたこともあり、児童相談所での相談件数は施行前の5倍以上です。親子だからといって、無条件に子どもを可愛がるわけではない、という現実が身もふたもなく露呈しています。団塊世代の親は、まだ無条件に我が子を可愛がる傾向がありました。しかし臨床の現場では、親がひどい目にあうくらいなら、子どもは捨ててもいいくらいの認識が一般化してきている印象です」
 「日本は世界でも例外的に若いホームレスが少ない国です。家族が見放さないからです。そうした『優しさ』の代償として引きこもりが多くなるという問題はありますが……。成人年齢の引き下げは、18歳は大人だから出ていけ、と格好の口実を与えることになりかねません。もともと学校や社会にとけこめなかった若者が路上にはじきだされたら、ホームレス化するしかありません」
――やっぱりセーフティーネットが必要だと。
 「日本人の国民性、とは言いたくないけど、貧困対策はバッシングを受けやすい。ホームレスは自己責任だと言いたい人が多数です。家族が面倒を見ている分には引きこもりもたたかれませんが、国が対策を始めると、あんなやつらに税金を使うな、という声が必ず出てきます」
――ではどうすれば?
 「社会から排除された若者を再包摂する場所を作り、就労支援を手厚くすること。社会保障の対象を減らし、納税者を増やしたければ、それしかありません。彼らの支援を家族にゆだねることで対策を先送りにしてきたけれど、ホームレスが増えたら、そうも言っていられなくなるでしょう」
 「若者といえば、アンケートに今が幸せと答え、ハロウィーンで仮装して街に繰り出す姿を思い浮かべるかもしれません。でも、それはおおよそ3分の2を占めるアクティブな若者たちです。定職もなく仲間もおらず、自分自身を承認できないまま絶望している若者は、ますます声を上げられず、見えない存在になりつつあります。もちろん、結婚して子どもを持つという人生など描きようがない。彼らを救うのに成人年齢の引き下げは有害でしかありません」
――深刻な問題ですね。
 「法務省法制審議会の民法成年年齢部会に呼ばれたときも、引き下げに反対しました。これまでのところ、全くの孤軍奮闘ですが」 (聞き手・辻篤子)
    ◇
 61年生まれ。筑波大教授。専門は思春期・青年期の精神病理学。著書に「ひきこもりのライフプラン」「ヤンキー化する日本」ほか。

2016.01.19 (火)  晴れ

 今日から3年生の授業は2次向け記述問題の演習。
 夜の教育法は、最後のレポートを集めて、その後神保町で打ち上げ。あ~楽しかった!12202歩。

2016.01.18 (月)  雪・晴れ

 朝起きたら予想外の大雪でビックリ。慌てて駐車場の屋根に支えの棒を設置する。その後、5時40分に駅についたら、すでに電車が10分遅れ。その10分遅れの電車に乗って(つまり、いつもよりは10分早い電車に乗って)、ほぼいつも通りの時間に永田町に到着。しかし、生徒諸君の中には、混んだ電車に乗れず、駅のホームの上に1時間半近くいたという者も。特に、京王線がひどかったようである。
 さて、今日はセンター試験の自己採点。進路部の係なので校内のデータを処理したが、まずまずの結果である。各予備校の予想では、だいたい昨年と同じくらいの数字になっているが、校内では昨年の数字よりも文・理とも20点近くよくなっている。ただし、問題の難易度によって上位校ほど伸びが顕著なのかも知れず、油断大敵かも。9970歩。

2016.01.17 (日)  晴れ・曇り

 午前中、センター試験の問題を解く。大方の分析の通り、今年は易しかった。新聞の小さな活字を老眼で追いかけなければならないし、集中力はないしで、いつもは100分くらいかかるのだが、今年は大問を解き終わるごとに答え合わせをしながらやっても90分かからなかった。評論は、迷う問題は一題だけ、小説は、迷う問題はなかったと思う(切ない話であったなぁ…)。古文は、本文・問題ともかつての国語Ⅰレベルで、迷わず答えられたのではないか。漢文は、一度読んだだけでは話の筋が追い切れなかったと思うが、落ち着いて読めば例年レベルといったところだろう。
 午後は、NHK-BSでやっていた番組に影響されて、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を読み始める。やはり面白い。

2016.01.16 (土)  晴れ

 イイ天気の一日、3年生諸君はセンター試験だろうが、こちらは久しぶりに昭和記念公園へ出かける。シソロウバイがすっかり咲いてるということなので、その香りを嗅ぎに行ったわけである。梅は、花そのものはあまり好きになれないのだが、清々しい香りは格別である。
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 夕食は、パエリア…のようなご飯。
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2016.01.15 (金)  晴れ

 3年生はセンター試験前最後の授業。天気は大丈夫そうだから、持っている力をきっちり発揮してくれることに期待したい。8625歩。
 SMAP騒動に関連して石破氏が「キャンディーズの解散に匹敵」と述べたそうだが、石破氏がキャンディーズの熱烈なファンだとは知らなかった。そこだけ好感度が増した感じ(笑)。

2016.01.14 (木)  晴れ

 今日は出張日なのだが、印象に残るインタビュー記事があったので、長くなるが引用しておきたい。このように人間を愛せる方を、私は心から尊敬するのである。(朝日新聞、オピニオン欄より)

(インタビュー)親子になる 
家庭養護促進協会大阪事務所理事・岩崎美枝子さん
 多くの人にとって最も大切で、かつ面倒くさい人間関係のひとつが「親子」ではないだろうか。親子関係の本質とは何か。複雑に絡んだ関係の糸をどうほぐせばよいのか。実の親が育てられない子の育て親を新聞を通じて募集し、血縁のない人同士が「親子になる」ことを50年近く支援してきた岩崎美枝子さんに聞いた。
――実の親子でも悩みの種は尽きません。血縁のない人同士が親子になるには、並々ならぬ苦労があるのでは。
 「確かに、実の親子なら小さなトラブルで済むようなことが、大ごとになる場合もある。だけど、意識的に親子になろうとする分、逆に親子関係の本質が見えてくる面もあります」
――どういうことですか。
 「だいたい1歳半以降の子どもたちが、施設から育て親の家庭に移った際に、共通して見られる行動パターンがあります。引き取って1週間ぐらいはみな聞き分けのよいお利口さんで、私たちは『見せかけの時期』と呼んでいます。だけど、その後は豹変(ひょうへん)する。赤ちゃん返りをしたり何かを激しく求めたり、様々な形がありますが、親が嫌がったり困ったりすることを執拗(しつよう)に繰り返すのが特徴です」
 「例えば、お母さんが女の子を引き取るのでじゅうたんを新調したのに、子どもがその上でお漏らしをしてしまった。その時に『せっかく買ったのに』と顔をしかめたらそれを見て、おしっこをする時に必ず同じじゅうたんの上に行って『おしっこ出る出る、出たあ』とやるんです」
 「スナック菓子しか口にせず、食べ残しを床いっぱいにばらまく子。色とりどりのビーズをひもに通すよう親に求め、それができると、バラバラにしてはまたひもに通させる、ということを延々と続ける子。私たちはそれらを『試し行動』と呼んでいます。個人差はありますが、平均すると半年ぐらいはそれが続きます」
――言葉もまだ十分にしゃべれない子どもたちが、大人を「試す」のですか。
 「どこまで意識してやっているのか分かりませんが、弱点を見抜き、そこを的確に攻め込んでくる。親の嫌がる雰囲気は子どもに確実に伝わっていると思います。その上で『嫌がることを繰り返す私を、あなたはどれだけちゃんと受け止めてくれるのか』を確かめようとしている。子どもたちの中には、『そこまでやらないと大人を信じられない』という何かがあるのではないか」
――それは、子どもたち自身の経験が影響しているのですか。
 「そうだと思います。大多数の赤ちゃんは、生まれてまもなく親に抱きとめられ、母親の胎内で感じていたであろう安心感がそのまま引き継がれる。だけど、何らかの事情で生まれてすぐに親から引き離された子は、自分が守られるべき世界が突然なくなった恐怖を感じたはずです」
 「乳児院で育てられても、何人もの保育士が赤ちゃんをケアするから、特定の大人と信頼関係を取り結ぶことはなかなか難しい。そんな中で、子どもたちは『誰かに心の底から受け入れられたい』という欲求をあきらめてしまう。育て親になろうという人が現れ、『この人なら受け入れてもらえるかも』という思いが芽生えた時、受け入れへの欲求が再び目覚め、試し行動が始まるのでしょう」
     ■     ■
――たとえ血がつながっていても、心の底から親に受け入れられることを、あきらめてしまった子どもも多いのでしょうね。
 「確かに、うちで世話する子どもたちは、関係が固まってしまった実の親子よりも、試し行動という形で育て親に素直に欲求を出しやすいとも言えます」
 「試し行動をやめさせようとすると、かえってひどくなる。最近のケースでも、2歳の女の子が『いやや、いやや!』と泣きわめくばかりで、おしめも換えられないし、お風呂にも入れられない。親御さんは『そんなにつらいことがいっぱいあるねんな。ごめんな、何もできなくて。あなたがどれだけ泣いても付き合うわ』と話しかけ、待ち続けた。その対応がよかったのか、泣き続けるのは3日ほどで終わりました」
 「泣きやまずに近所から虐待を疑われたり、施設に戻されたりするケースもあります。逆に片時も親から離れようとせず、トイレに行く時までくっついて、親を疲れ果てさせる子も多いです」
――試し行動を受け入れ、終わりを待つしかないのですか。
 「待ち方にも色々ある。いくら泣きわめこうと『私はあなたの親になるつもりで付き合っているねんから、それを分かってよ』というくらいの覚悟が親にあると、子どもはその覚悟を読みます」
 「高い所に立って『こっから落ちて死んでやる!』と言った5歳の男の子に、『あんたが死んだらお母ちゃんも死ぬ!』と叫んだ親がいる。そしたら『お母ちゃんは死んだらあかんから、僕も死なない』と。そういうことをとっさに言えるのが覚悟の表れでしょう」
――頭で考えた生半可な言葉では子どもは納得しない、と。
 「誰にもなつかない子、神経質で難しい子ほど、本当は育てがいがある。ひとたび心を開けば表情が柔らかくなり、ほおずりをしたり、顔を見つめて何度でも『かあちゃん』と呼んでくれたり。かつては試し行動に疲れ果てていた育て親が『抱きしめると、ふわーっと体にもたれかかってきて、本当にかわいいんですう』と報告しに来たりもします」
     ■     ■
――一方で、思春期に育て親との関係がこじれてしまう子も少なくないと聞きます。
 「血のつながりがあってもなくても、思春期は『第二の試し』の時期です。『私はそれなりに親に愛されてきたから、自信をもって世の中に出ていける』ということを確信するため、親にもう一度揺さぶりをかける。それまでの子育てで手抜きがあると、親子関係が壊れてしまうこともあります」
――家庭養護促進協会編の「親子になろう!」という本には、3歳の時に引き取った中学2年の娘に対する、母親の嘆きが紹介されていますね。「自己確立がなく、周囲とのトラブルが際限なく起こります。1歳なら1歳、2歳なら2歳の時に刷り込んでおかないといけないことは、後年になってどんなに努力しても、その子自身の血や肉にはならない」と。
 「生まれてからの3年分を取り戻すのは大変です。このケースでは、子どもが試し行動として赤ちゃん返りを起こしましたが、母親が十分応えられなかった。子どもは『この人なら自分を受け入れてくれるかも』という期待を裏切られた。思春期になり、その揺り返しが出たという見方もできます」
――親自身も、自分の親から受け入れられて育ったとは限らない。親に厳しすぎませんか。
 「確かに100%の親はいません。逆に『親のどこが悪かったんやろう』と私たちが首をひねるケースもあります。親が逃げようとしたり、自分を正当化したりすれば、子どもはますます反抗する」
 「子どもに『こうあって欲しい』と望み過ぎる親や、子どもが本当は何を求めているのか理解できない親は、子どもにとってしんどい。『お母さんは自分の中の弱さを認めてくれなかった。それがすごくつらかった』と、大人になってから話してくれた子もいました。だけどたいていの子どもたちは、親が子を見捨てさえしなければ、いつか親のところに戻ってくる。そう信じさせてくれる子どもたちを見てきました」
     ■     ■
――なぜ、しんどい仕事を50年近くも続けているのですか。
 「20代後半からこの仕事をして、色々な人に出会って、『人ってそんなにえらくもなければ、どうしようもないぐらいひどいものでもないな』と思うのです。その人たちのそれぞれの思いのこもった生き方を、とても『いとおしい』と感じるようになりました」
 「親子と一緒に七転八倒して苦しんだり、泣いたり怒ったりもしていますが、私たちは基本的には楽しくやっています。それは良さも悪さも、強さも弱さもひっくるめて人間の色々な生き様にしっかり向き合いつつ、子どもの人生に影響を及ぼす仕事だからだと思います。子どもの育ちは私たちの喜びであり、子どものつまずきは私たちのつまずきでもあるんです」
 「周囲に対して、バリアーを張っている強情な子がいる。そういう子がちらりと見せる笑顔や、ちょっとした時の目つきに、しびれるぐらいの魅力を感じます。その子の奥に何があるのか、私は見たい。人間が好きだし、人間がおもしろいからです」(聞き手・太田啓之)
       *
いわさきみえこ 1940年生まれ。63年大阪市中央児童相談所に入り、67年家庭養護促進協会に。著書「子どもの養子縁組ガイドブック」(監修)など。

2016.01.13 (水)  曇り・晴れ

 職員会議で、推薦入試の業務分担が発表されたり、4月からの人事の一部が発表されたりと、来年度に向けた準備が着々といった感じである。ちなみに日比谷の志願者数は、特別入試(調査書を参考にしない1割入試)がなくなったせいか、昨年度よりも100人以上減っているとのことである(代わりに、都心の進学指導重点校では●高校と●高校が志願者増)。迷っている方は、もう一度お考えになったら如何か。8397歩。

2016.01.12 (火)  曇り

 朝、家を出たら雪がちらついていた。初雪である。3年生は、今日がとりあえず「最後」という講座もある。週末には、ぜひ持っている力を遺憾なく発揮してもらいたいものである。
 夜の教育法は今日が模擬授業の最終回。今年はフロアからの発言が十分なまとめになるクラスで、楽で(楽しく)あったなぁ~。教材研究の大切さを確認して、一年間のまとめとした。来週はレポートを集めて、その後は学生諸君が打ち上げを用意してくれるとのことである。14756歩。

2016.01.11 (月)  成人の日・晴れ

 今日もまじめに授業の準備と読書。
主人がケークサレに初挑戦。かなりの成功を納める…笑)
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2016.01.10 (日)  晴れ

 暖かい一日。家事を済ませた後、今日の朝日新聞の書評欄に載っていた『ゲルダ~キャパが愛した女性写真家の生涯』(イルメ・シャーバー、祥伝社)を買いに行って、午後から読書三昧。1910年にユダヤ人として生まれた彼女の前半生を語る章では、ナチスが政権を手に入れ圧政を布いていく様が、今の安倍政権の姿と二重写しになるようで恐ろしい限りであった。
 夜、久しぶりに家族で蕎麦176に出かける。鴨ワサと自家製薩摩揚げがおいしかったなぁ…。

2016.01.09 (土)  晴れ

 来週から始まる授業に備えて、かなりまじめに教材研究。
 数日前の記事だが、1月5日の朝日新聞朝刊「考2016」の第1回に内田樹さんが登場していた。その発言の一部を引用しておこう。

 民主主義というのは実は危険な仕組みであって、一時的な激情に駆られて暴走しやすい。現に、20世紀の独裁政権の多くは、ドイツでもイタリアでもフランスでも、民主的な手続きを経て合法的に成立したのです。だから、一時的な大衆的熱狂で議席を占有した政党が国の根幹に関わる制度や原理を簡単に変えることができないように、憲法があり、三権分立があり、両院制があり、内閣法制局があった。けれども、小泉政権以来、そうした行政府の暴走を阻止するための『ブレーキ』に当たる装置がひとつずつ解除されている。
 いまの参院の機能不全には明らかにメディアも加担しました。衆院と参院が『ねじれ』ているのは両院制の本義からすればむしろ望ましい事態。けれども、衆院で決まったことがただちに参院でも通過するのが『効率的』だというのなら、そもそも参院は要りません。
 その理屈でゆけば、長い時間をかけて国会で審議しても最後には与党が採決を強行するなら、野党がいるだけ非効率だということになる。それなら野党は要らない。いや、法律は行政府が起案するのだから、そもそも国会審議自体が時間の無駄なのだということになる。『ねじれ国会』の解消から独裁制までは論理的には一本道なんです。

 このようにわざわざ指摘されなければならないようなことを、現安倍政権(自由民主党と公明党)はやっているわけである。こういう事態について、ぜひ「政治経済」の学習の中で考えてほしいものである。若い世代が参加する選挙に期待したい。
 NHKスペシャル「激動の世界」は面白かった。グローバル化が進む中で、むしろナショナリズムが高揚し始めている現状(ISやテロ、難民問題がその露頭である)、そして、そもそもEUが「人間よりも経済」を重視したシステムであったことの破綻が明らかになりつつある現状のレポートは、考えさせられるものである。

2016.01.08 (金)  晴れ・曇り

 始業集会+宿題テスト+進路適性検査など(1年生)。1年生は授業はなかったが、2年生は宿題テストの後、3年生はホームルームの後、早速授業開始である。しかし、昨日一緒に仕事をした先生の学校(進学指導重点校)では、7日(木)が始業式+宿題テスト、8日(金)から平常授業、しかも9日(土)は授業日!とのことであった。その先生曰く、「3連休3連休って、うるさいのよ!」…まあ、分かる気はしますなぁ(笑)。10682歩。

2016.01.07 (木)  晴れ・曇り

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2016.01.06 (水)  曇り

 明日からの本格的仕事始め(…とは言っても、木曜日なので内緒の仕事)に備え、やり残した他の仕事を片付けるなどして、かなりまじめに過ごす。まあ、天気もあまりよくないので、遊びの虫が騒がなくて助かった。
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2016.01.05 (火)  晴れ

 1日に奈良の春日大社に初詣を済ませてはいるのだが、昨年の破魔矢を納めて今年のものを購入するために、いきつけの(笑)地元の神社に夫婦でお参りする。天気が良いこともあり、オシャレな花屋さんを訪ねて散歩したりする。その後、運ばなければならない荷物や本などを持って初出勤。2時を過ぎていたせいか、あまり生徒諸君には会わなかったが、机の周辺を整理整頓したりして始業に備える。
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2016.01.04 (月)  晴れ

 天気予報でも話題になった暖かい一日…ではあるが、世の中の仕事始めに合わせて?家にこもって仕事。

2016.01.03 (日)  晴れ

 主人の実家の家族が遊びに来る。息子夫婦と孫たち、私の実家の家族も含め、最大15名が我が家の(狭い)リビングにひしめく(笑)。開始早々、予想外のアクシデントもあったが、大人数だけに何とか事なきを得る。暖かい陽気が部屋にも満ちあふれて、楽しい一日を過ごす。

2016.01.02 (土)  晴れ

 主人は明日の来客に備えて料理に余念がないが、私の方は寝正月(笑)。
 ところで、奈良旅行で印象に残ったのが、近鉄奈良駅の側の TRATTORIA piano というイタリアン。奈良まで来てイタリアンですか?という感じかも知れないが、ピザ生地やパスタそのものが美味しい上に、外食の料理は塩味が気になることが多いのだが、ここのはほどよい味付けで、やっぱり関西は薄味だから?みたいな感じで美味であった。次点は、帰りの車内用に買った梅守の「わさび葉寿司」。奈良は柿の葉寿司が有名だが、柿の葉の代わりにわさびの葉が使われており、柿の葉と違ってそのまま食べることができ、軽いわさびの香りがしめ鯖や穴子、エビ、鮭などにマッチして、これまたすごく美味しかった(JALファーストクラス御用達だそうな)。
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2016.01.01 (金)  晴れ

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
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 30日から、実家の家族とともに奈良で年越し。30日は東大寺参拝、31日は法隆寺を中心に西の京の薬師寺、唐招提寺などを参拝、そして、今日は春日大社に初詣をした後、寺町を散策…。年末年始の人出があるとはいっても、奈良はそれほど混雑している印象はなく、むしろ落ち着いたよい雰囲気であった。3日間とも天候にも恵まれて、すがすがしい新年を迎えることができた。