1月

2019.01.31 (木)  曇り・雨

 久しぶりの雨+雪になるという日。午前中に仕事を済ませ、午後から私用で休暇をもらう。10231歩。
 今日の教養は「タージ・マハル」。王冠宮殿という意味の墓廟。ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンの后ムムターズ・マハルが第十四子を出産中に亡くなったあと、彼女のために建てられた。

2019.01.30 (水)  晴れ

 一次試験だが、今日初めて35R生徒の合格の報告が届く。おめでとう。このまま第一志望へGO !
 放課後、推薦選抜の選考会議。合格された皆さん、おめでとう…って、発表は明後日ですな。9502歩。
 今日の教養は「『すばらしい新世界』」。1932年に出版されたオルダス・ハクスリーのディストピア小説。名前だけ知っていたが、解説を読んだら読みたくなった。人間の胎児が製造・管理される未来社会の話らしいが、「ディストピア小説の中で最も難解でありかつ重要」とも評されている。

2019.01.29 (火)  晴れ

 今日こそ添削を…と思っていたら、来客などがあって午前中は落ち着いて仕事ができず。国語の場合、文章を読まなければならないので、集中できる環境じゃないと、なかなか仕事がはかどらないのである。午後から、溜まっていた分はがんばって仕上げる。ちなみに、東大志望の諸君は、まだ添削指導を受けていないなどと慌てる必要はない。紹介した本を徹底的に演習すること。あの本に従って、自分で自分の解答を分析することが、そのまま読解力の養成になっているのである。9798歩。
 今日の教養は「ピョートル大帝」。17世紀から18世紀にかけて43年に及ぶロシア統治で、ロシアをヨーロッパの一員とし、大国へと変えた絶対君主。首都をモスクワからサンクトペテルブルクに移し、ヴェルサイユ宮殿にならってきらびやかな宮殿を建設した。現在のエルミタージュ美術館である。身長が2m以上ある大男で、情け容赦がなく、短気で大酒飲みであったと伝えられる。

2019.01.28 (月)  晴れ

 35Rの教室は、推薦選抜の面接会場ということで、机と椅子が片付けられていたのだが、朝早く登校した女子が一人で教室を復元してくれていた。さすが親分! 特別授業がなくなって、いよいよ添削に集中…と思っていたら、思わぬ用事が出て来て予定通りに進まず。やれやれ…。14762歩。
 今日の教養は「イエスの磔刑」。よくイエスがゴルゴタの丘まで十字架を運ぶ絵画があるが、実際に運んだのは横棒だけだったらしい。縦棒は処刑場に固定されていたからである。

2019.01.27 (日)  晴れ

 風が冷たく寒い一日。今年も一番上の孫が「練馬区小中学校連合書きぞめ展」に出展されることになり、練馬区立美術館へ作品を見に出かける。完全なる爺バカ・婆バカであるが、展示されている小2の作品の中では、最も上手な部類に入るのではないかと思われる(笑)。習った「戸」だけ漢字というのも可愛らしい。
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 今日の教養は「時間」。カントは、時間とは、私たちの精神が私たちの経験したことを整理する方法に過ぎない、つまり、私たちの精神の外で、私たちの認識とは無関係にそれ自体で存在する物事は、時間の中には存在しないと考えたそうである。う~ん、分かるような分からないような…。

2019.01.26 (土)  晴れ

 推薦選抜。男子の集団討論と個人面接を担当。いずれも甲乙付け難し。つまり、突出して素晴らしい受検生はいなかったということである。
 大坂なおみ、素晴らしい! ちょうどテレビをつけたら2セット目が奪われるところで、第3セットのファーストゲームも内容がよくなかったこともあり、見ていられずに他番組にしたのだが、再びNHKにすると優勝インタビューだったのでビックリ。第3セットの戦いぶりをニュース番組で見たが、本当に強さを感じる勝ち方である。
 今日の教養は「モーツァルトの『レクイエム』」。作曲中に亡くなってしまったので、自らのレクイエム(葬送用のミサ曲)ともいえる曲で、最後は弟子が完成させた。映画「アマデウス」の中では、サリエリがその作曲依頼者として描かれていたが、実際は別のアマチュア音楽家とのこと。

2019.01.25 (金)  晴れ

 1~2年生は4時間授業+明日の推薦選抜の会場準備。3年生は星陵会館でセンター試験の分析会。ベネッセの方が全体状況を説明してくれた後、個別相談。35Rは6名がベネッセの方と面談し、8名が担任と面談。残りの諸君は、基本的に第一志望を貫くことを確認。12883歩。
 定年前最後の授業で花束を贈ってくれる優しい国語科の先生方であるが、今朝、共通で使うペーパータオルにこのような表示がされていた(笑)。先生方、O先生の落雷に注意しましょう。
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 今日の教養は「ワクチン」。イギリスのジェンナーは、比較的軽くて済む牛痘を使えば、人々を天然痘から守れることを発見した。だから、ワクチンという語は、ラテン語で牛を意味する「ワッカ」から来ているのである。

2019.01.24 (木)  晴れ

 午前中、推薦選抜の書類確認のお手伝い。午後から、河合塾のセンター試験自己採点分析会へ出張。あまり参考になる情報は得られず。学校に戻り、駿台の分析会へ出かけた先生方と情報を持ち寄って、各クラスの生徒状況に関する情報交換会。7時過ぎに終了。その後、明日2年生に教室掃除をしてもらう関係で、余計なものを撤去しておかなければならず、教室の整理整頓。疲れた~。今年は、日比谷の入試とセンター試験関係の日程が重なっていて、どちらの仕事も手を抜くことのできない大切な業務であることから、3年担任団は大忙しなのである。やれやれ…。12961歩。
 今日の教養は「『真珠の首飾りの少女』」。フェルメールですな。ニューヨークのメトロポリタン美術館にある、同じくフェルメール作の通称「ライツマンの少女」という作品と対になるともいうというので、その作品を画像検索して見てみたが、「真珠の~」のイメージを浮かべながら見たせいなのか、こちらはかなり奇妙な印象の作品であった。

2019.01.23 (水)  晴れ

 午前中、日比谷の推薦選抜の願書受付を手伝う。昼休み、センター試験自己採点データをダウンロードして担任用のパソコンに取り込む。午後から、登校している生徒の中で気になる者をつかまえて早速面談。ちなみに、明日は午前中が同じく推薦選抜のお手伝い、午後から予備校主宰のデータ分析会に出張のため、もし面談したい人がいたら、朝7:30~9:00の間に。10270歩。
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 今日の教養は「ポストモダニズム」。1940年代以降の反モダニズムの芸術運動だが、定義が難しいらしい。解説に出て来た作家で知っているのは、カポーティ(『冷血』を読んだ)とかピンチョン(『V』を買ったが読んでない)とかマルケス(『百年の孤独』は最高!)とか。ウンベルト・エーコ(『薔薇の名前』最高!)やサルマン・ラシュディ(読んだことなし)、ナボコフ(読んだことなし)もポストモダニズム作家と呼ばれるとのこと。

2019.01.22 (火)  晴れ

 今日から国公立大学の二次試験向け特別授業。今年はセンター試験が遅かったこともあり、この特別授業は今週一週間のみで、しかも金曜日が出願指導会で3年生の授業がなくなるため、私は今日の授業が正規の授業としては最後となる。で、自分では全く意識していなかったのだが、それはつまり定年前最後の授業ということになるわけで、こっそり国語科の先生方が花束を用意して下さっていた。受験前の大変な時期にもかかわらず、授業の最後に生徒が挨拶とともに渡してくれて、感謝感激。国語科の先生方、また、挨拶をしてくれたM君、そして、その場でこの儀式に付き合ってくれた多くの生徒諸君、どうもありがとう。9513歩。
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 今日の教養は「フランス王ルイ14世」。「朕は国家なり」と、絶対王政を確立した太陽王。アメリカのルイジアナ州にその名を残す(ルイジアナは、かつてフランスの植民地だった)。

2019.01.21 (月)  晴れ

 帰り道、満月がキレイだった。みんな、ちゃんと空を見上げているだろうか。
 センター試験の自己採点日。35Rは体調不良で欠席の者が数名いたが、電話で確認して、提出すべき者は全員が提出する。学年全体としても、ほぼ全員が提出して立派である。1日目は、国語とリスニングが易化したので平穏無事であったが、2日目は、数学と理科が全般に微難化~難化だったので、理系を中心に残念な結果になった印象の諸君もいることだとは思うが、日本全国同じ感想なのだろうから、ココががんばり所である。ぜひ、今日の学級通信(「こちら」)を参照して、「次」に取り組んでほしい。13199歩。
 今日の教養は「最後の晩餐」。イエスが死ぬ前夜にとった食事で、過越祭の正餐だった考えられており、そうすると聖木曜日ということで、イエスが十字架に架けられたのは金曜日ということになる。「このパンは私の体であり、このワインは私の血である」と弟子たちに告げた。 

2019.01.20 (日)  晴れ

 センター試験第2日目。午前中、昭和女子大会場に応援に出かける。テレビのクイズ番組などでも有名な、理事長の坂東眞理子さんがママチャリで通勤する姿を見ることができてラッキー! 午後、家で国語の問題を解く。第二問の問3を間違える(泣)。しかし、正解の「月見草に関心がなく…」は誤りだと思うなぁ。だって、O君が是政に月見草が咲いていることを知っているということは、月見草という花を認識できているわけで、花の名前が分かるということは、少なくとも月見草に「関心がある」のでは? 納得いかないなぁ…(負け惜しみ)。
d0240223_14162562.jpg(Google画像検索より)
 今日の教養は「ライプニッツ」。数学で学んだが、多岐にわたる活躍し、重要な貢献をした。

2019.01.19 (土)  晴れ

 センター試験第1日目。学校待機の係なので出校し、電話のある職員室で過ごす。結局、何の連絡もなし。まあ、今までにも一度も連絡はないらしいが。生徒諸君の出来はどうだったのだろう…。国語に関しては、各予備校のサイトを見るかぎり「取り組みやすい内容だった」という評価になっている。日比谷生にとっては「取り組みにくい内容だった」の方が実は望ましいのだが、基礎力は心配ないので、イイ結果を期待したい。
 今日の教養は「モーツァルト」。モーツァルトは35歳で亡くなったが、未亡人となったコンスタンツェはデンマーク人外交官と再婚した。このデンマーク人外交官の墓碑には「モーツァルトの未亡人の夫」と記されているそうだ。

2019.01.18 (金)  晴れ

 特別授業がないので、会議が一つだけ。でも、空き時間に結構生徒が話しにやってくる。明日に向けて、それなりに不安な部分もあるのであろう。まあしかし、不安は誰でも同じである。不安であることこそが、真剣であることの証拠でもあるので、不安であることを受け止めながら、持てる力を発揮するよう、眼の前の課題に集中しよう。9244歩。
 今日の教養は「重力」。宇宙にある物体は、なぜすべて互いに引き合っているのだろう?答えは誰も分からない。宇宙で生じる「吐き気」「方向感覚の喪失」「頭痛」「食欲減退」などの宇宙酔いは、通常重力に逆らって心臓に戻らなくてはならない血液が、微重力状態故に勢いよく上昇し、脳にまで流れ込むことによって生じるのだそうだ。なるほど。

2019.01.17 (木)  晴れ

 明日は特別授業を入れていないので、私は今日がセンター試験前最後の授業。私自身としてはやり残したことはなく、「一片の悔いもない」のだが(笑)、さて生徒諸君の準備はどうだろう。
 今日の教養は「レンブラント」。オランダ派最高の画家。「解剖学講義」とか「夜警」とか。

2019.01.16 (水)  晴れ

 稀勢の里の引退は残念である。白鵬のインタビュー記事さえ感動的であった。
 一方、江戸時代初期に描かれた「盛安本 源氏物語」の夕顔巻の絵が見つかったという記事もおもしろかったが、絵そのものはいかにも江戸時代風の品のないもので、登場人物も寝殿造りも再現されておらず、文学的な面での収穫はまったくない印象。秋山虔先生の近世文学評価が思い出された。12040歩。
 夜、ガッテンを見ていたら、続いて「探検バクモン」が始まり、そういえば今日は日比谷高校の日だったと思い出して見てみる(うっかり見逃すところだった…)。3年生もたくさん登場していて面白かった。ただし、最後の質問の場面では、もう少しウィットの効いた、ひねりのある質問をしてもらいたかったなぁ。
 今日の教養は「『カンディード』」。既成宗教、貴族制度、および何人かの啓蒙思想家を批判した、ヴォルテールの諷刺小説。バーンスタインは、これを原作としたオペレッタを制作したそうだ。

2019.01.15 (火)  曇り・雨

 いよいよセンター試験が近づいてきたせいか、いつもより欠席が多かった印象。例年よりもセンター試験が遅いこともあって、フラストレーションもたまっていることだろうが、登校している生徒たちの表情はいつも通り明るい感じなのが何よりである。夜の教育法は今日が最終回。レポートを回収して、教育実習に向けての最後のまとめ講義を簡単に行う。14628歩。
 今日の教養は「ウエストファリア条約」。宗教を理由とした争いを終結させるため、国家主権の原則が共有されるようになった。国内で起こることに関する各国の主権が認められた結果、各国間の対立が激化したとも言われるし、他国で起こる人権侵害を無視する口実ともなったと言われながら現在に至っている。

2019.01.14 (月)  晴れ 成人の日

 用事のあるオトーサン・オカーサンに頼まれて、一日、3人の孫たちを預かる。本当はみんなを連れてちょっとだけ遠出をしたかったのだが、一番下が風邪気味ということで、家と近所のいつもの公園で過ごすことに。年寄り夫婦に3人は大変かと思っていたが、上の二人がもうしっかりしているので、時間をもてあますこともなく、楽しく時間が過ぎる。
 ちなみに、遠出しないことにしたので、重いカメラでもイイやと思い、久しぶりに CANON 1DX + EF50mmL を使った見たが、やっぱり1D系はひと味違って気持ちイイし、フルサイズの F1.2L のボケはなんとも言えず味がある印象である。まあ、それでイイ写真が撮れているというわけではないのだが(笑)。
1DX_6935.jpg(公園のサザンカ)
 今日の教養は「マグダラのマリア」。イエスが十字架に架けられた現場にもおり、三日目の朝復活を遂げた姿を最初に目撃した人物でもある。イエスの妻とする仮設もあるが、支持する証拠も否定する証拠もない。

2019.01.13 (日)  晴れ

 午前中、久しぶりに昭和記念公園に出かける。成果?は「こちら」から。さすが、G-Master レンズだけあって、FE100-400mm GM OSS はよく撮れる。最短撮影距離も短いし、比較的軽いしで、すっかり気に入る。
 今日の教養は「アプリオリな知識」。どうも解説が今一つな印象。
 またまた長くなるが、面白い記事なので引用。(朝日DIGITAL 20190111)

(終わりと始まり)三つの統計から見える日本 国の未来を食い物に 
池澤夏樹
 日本が少しずつ衰退してゆくという印象はどこから来るのか。
 平成が終わると聞いて振り返れば、この三十年はずっと微量の出血が続いてきたような気がする。フクシマの汚染水に似ている。
 経済について言えば、最初にあぶく景気があったがそれはすぐにはじけた。余禄に与ってはしゃいだ人は国民の何割くらいいたのだろう。

それ以来、政治は明らかに劣化、格差の拡大を止められなかった。倫理の面でも、現政権ほど虚言と暴言を放出する閣僚たちは記憶にない。これが今も一定の支持を得ているところがすなわち劣化である。
 災害が多かった一方、表立った戦争がなかったことは評価しよう。自衛隊はあちこちで戦場に近づいたけれど、まあそこまで。国内ではオウム真理教がショックだった。
 人々はSNSなどを通じて思いを述べるようになったが、それは思いであって考えではない。その結果、反知性主義が世を席巻し、世論はネトウヨとブサヨの二極に分かれた。
 衰退という印象の理由の一つは高齢化である。出生率が下がれば国民の平均年齢が年ごとに上がってゆくのは小学生の算数でもわかる。しかし日本の政治はそれに対して何の対策も立ててこなかった。
 先進国はどこも似たような状況かもしれないが、出生率を保っているフランスのような国もある。ぼくはあの国に五年住んで、子供二人を学校に通わせ、育児支援の手厚さを実感した。あそこでは子を産んだからといって女性は職場を離れない。社会は女性に育児を押しつけて彼女たちの仕事力を手放す愚を犯さない。
 「公的教育費の対GDP比率」という統計がある。これによると日本は3.47%で、154カ国・地域中の114位!
 はじめ嘘かと思った。
 最上位の北欧諸国は軒並み7%台。
 37位のフランスが5.46%。
 59位のアメリカが4.99%。

いつから、どうして、日本はこれほど子供たちへの出費をけちるようになったのだろう?
 教育費は未来への投資である。江戸時代から日本人は教育に熱心で、それが高い識字率を生んだ。来日した外国人が、こんなに庶民が本を読んでいる国は他にないと驚嘆した。この知力が明治維新以降の文明開化の支えとなり、列強による植民地化を防いだ。教育は長期的な国力を養う。
 今、日本の教師たちは雑務に追われ、残業を強いられ、肝心の子供たちと過ごす時間を削られている。本来は最も創造的であるはずの仕事なのにその余裕がない。
 政府は大学を改革するとて「論文生産性」などとおよそ学問の本質と無縁なことを言う一方で、国立大学への補助金を毎年一%ずつ機械的に減らしている。百年後にはゼロになる。大企業があれば大学など要らないと言わんばかり。
 この教育費と似たような順位表を見た覚えがある。女性の社会進出を測る「ジェンダーギャップ指数」で日本は149カ国の中の110位。
(どなたか、この二つの統計の間の相関係数を算出していただけないか。)
 更に、「債務残高の対GDP比」という統計を見ると、先進国中で日本は236%と断トツの一位。アメリカの108%の倍を超える。
 国債というのはつまり次世代からの借金である。1950年代に月賦という販売法が登場した時、ぼくは不思議に思った。お金がないのにどうしてものが手に入るのか。金本位制がなくなったのと同じ原理で貯金箱がなくなった。信用という概念はわかるが、それが破綻する実例も何度となく知ってしまった。
 『コーラン』は「孤児にはその財産を渡してやれよ」と言う。自分の子供を大事にするのは当然として孤児にも気を配る。
 今の日本のように怪しげな信用の上に立って借金を増やすのは、子供の資産の強奪ではないか。いずれ必ず到来する彼らの困窮を前提にして現世代が浪費を重ねているのではないか。
 以上三つの統計から見えるこの国のかたち――

出産や育児、教育の現場から遠いところに地歩を占めた男どもが既得権益にしがみついて未来を食い物にしている。彼らは日銀短観四半期より先は見ないようにしている。原発のような重厚長大産業に未来がないことを敢えて無視し、女性を押さえつけ、子供の資産を奪い、貧民層を増やしている。
 2016年の「保育園落ちた日本死ね」というブログの言葉はこの異常な国家の姿への呪詛だった。
 事態は変わっていない。

2019.01.12 (土)  曇り・雨

 北海道の叔母と従姉妹たち(一人は北海道在住、もう一人は東京在住)が遊びにやってくる。東京在住の従姉妹の家に送りがてら、愛犬ニコタ(7ヶ月)に会ってくる。また犬が飼ってみたくなる。
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 今日の教養は「ハイドンの『ロンドン交響曲』」。第104番「ロンドン」は、古典派交響曲の最高傑作だそうだ。

2019.01.11 (金)  晴れ

 平和な一日。8028歩。
 今日の教養は「チャールズ・ダーウィンと自然選択」。『種の起源』で発表された適者生存だが、ダーウィンは宗教界への影響を恐れて、発表までに20年以上隠していたそうである。ダーウィンの母が陶芸家ウェッジウッドの娘だったというのは、どこかで聞いた気がする。

2019.01.10 (木)  晴れ

 月曜授業。国語科の教科会の後、冬休みのお土産がたくさんあったせいか、久しぶりに争奪ジャンケンが盛り上がる。生徒たちは、真剣にジャンケンをする我々の姿に驚いたことであろう…笑。9962歩。
 今日の教養は「バロック美術」。イタリアのサン・ピエトロ大聖堂、イギリスのセント・ポール大聖堂など。オランダ絵画のレインとフェルメールもこの時代の代表者。18世紀により装飾的なロココに取って代わられた。
 さて、昨日に続いて長くなるが、示唆に富むインタビュー記事なので引用。(20190110 朝日DIGITALより)

わずか100年前 戦争が適法だった世界を変えたのは

 戦争はいけないことだ、というと常識に聞こえるが、20世紀初めまでの世界は、実はそうではなかったという。17世紀以降の戦争をめぐる歴史を掘り下げ、無名の人々の思いが現代の「戦争を違法とする秩序」につながったのだとする米国の気鋭の研究者2人。戦争なき世界への道や日本の憲法9条について、思いを聞いた。
――20世紀前半に起きた、戦争をめぐる理念や思想の転換を描いた著書「逆転の大戦争史」(文芸春秋)が話題です。私は戦後日本で育った53歳ですが、罪のない人々が犠牲になる戦争が許されないのは当然だと思ってきました。
オーナ・ハサウェイ(以下、H):私たちもそうですよ。でも、かつては国と国の争いを解決する手段として、戦争は国際法上「適法」でした。逆に、経済制裁に加わることは、中立に反し、違法だったのです。(オーナ・ハサウェイ=1972年、米西部オレゴン州生まれ。イエール大教授。米国防総省や米国務省の法律顧問も務めた)。
スコット・シャピーロ(以下、S):わずか100年ほど前までの話です。今では国家間の戦争は許されなくなり、経済制裁が手段となっています。こうした世界の「秩序」の逆転がどう起き、その後の世界をどう変えたのか。そんな疑問が我々の研究のスタートになりました。(スコット・シャピーロ=1964年、米東部ニュージャージー州生まれ。イエール大教授。単著「合法性」は中国語やスペイン語に訳された。)
――1928年に日本を含む15カ国がパリで調印し、「戦争は違法だ」と宣言した不戦条約が、現代世界の「秩序」のルーツだと指摘していますね。
H:とても興味深かったのは、人々の考え、思想がいかに重要で、大きな力を持つのかでした。不戦条約に名前が残るケロッグは米国の国務長官、ブリアンはフランスの外相ですが、戦争を違法化するというアイデアを思いつき、運動を始めたのは企業法務が専門のシカゴの弁護士でした。米国が戦争に巻き込まれないでほしい、自分の子どもを戦地に送りたくない、という一市民としての素朴な思いが原点でした。有名人でも権力者でもない彼の考えや行動が、世界秩序に影響を与えたのです。
S:無名の理想主義者の思想が、現実になりました。この弁護士は、友人の哲学者に働きかけ、一緒に活動します。ちょうど私たちのように、法律の専門家と哲学者のコンビです。ほかにもこの弁護士はイエール大学の同級生だった後の米国の国務長官スティムソンなど、あらゆる国内外のネットワークを駆使。努力と理念と想像力が実を結んだのです。
――不戦条約は私も学校で習いました。ただ、第2次世界大戦を防げなかった「紙切れの平和条約」だったという評価もあるのではないですか。
H:それが常識的な見方でしょう。実は私たちも以前は大学でそう教えていました。重要なのは第2次世界大戦が終わった1945年であり、国際連合の創設であって、いくつかの国の代表が集まって「戦争は違法だ」という宣言に署名すれば、戦争がなくなるとも思えませんでした。でも調べれば調べるほど、1928年のこの条約、そこに込められた理念が、第2次大戦こそ防げませんでしたが、国際社会のその後のありようにどれだけ大きな変化を与えたかがわかりました。
――第2次大戦後に70年以上にわたって世界規模の戦争が起こらなかったのは、理念によってというよりも、核兵器という兵器による「恐怖の均衡」によるものではないのでしょうか。
H:確かに核兵器による平和といった側面はあるでしょう。しかし、例えば植民地が独立した後、また別の国に征服されて植民地になる可能性があったらどうだったでしょう。実際にカリフォルニアやアリゾナなどを米国はメキシコから戦争の末に獲得していますが、もしも、そうした行為が認められたままだったら。実際はそうではなかったために、同様の事態は起こらなかったのです。
 国家の力、資源配分や新興国の台頭といったことが世界の秩序を形成します。軍事力や経済力が大きく影響しますが、世界の秩序はそうした力だけでつくられるわけではありません。ベースになる理念や哲学も重要です。
――戦後に生まれた日本国憲法は、9条で戦争の放棄を定めています。
H:日本の方々にはぜひ、憲法9条の理念がどう生まれたのかを知っていただきたいと思います。不戦条約の理念が、第2次大戦を経てつくられた国連憲章にも、日本の憲法9条にも受け継がれているのです。ドイツやイタリアなどの憲法にも戦争を禁じる規定が盛り込まれています。私たちは2人とも日本の専門家とは言えませんが、憲法改正をめぐる日本国内での議論を興味深く外国から観察しています。
S:憲法9条はそれだけで独立で存在しているのではありません。唐突にマッカーサーが思いついて、特殊な条文が日本の憲法に付け加えられた、というわけでもありません。歴史的な背景と思想的な系譜があり、不戦条約以降に形作られていった、現代の世界に息づく平和に関する法体系の有機的なネットワークにおける、とても重要な部分を構成している、と言えます。
 それを変える、つまり憲法9条を改正することは、ただ言葉を変えることにとどまりません。予期できないような影響を、国内や国外に及ぼす可能性があります。
H:その通りです。憲法9条の文言を変えても、まったく何も変わらないのだ、という保証はだれにもできないのです。憲法改正をめぐる議論にあたり、日本の方にはそれもぜひ、考えていただきたいと思います。
――一方でいま、米国と中国という大国による「貿易戦争」の危機が迫っているとされています。世界は大きな分水嶺(ぶんすいれい)にあるのでしょうか。
H:米国でのトランプ政権の出現はまったく予想外でした。正直言って、今回の本を仕上げているときには、ヒラリー・クリントン政権の誕生を想定し、人道危機などに直面した場合の武力行使のルールなどについて、釘を刺す内容になるだろうと考えていたぐらいです。残念ながら、トランプ氏とボルトン補佐官などの政権幹部は、不戦条約以来の国際的な平和を築こうという思想とは正反対の考えを持っています。
S:国際社会には、中央集権的で強制力のある警察や軍隊はありません。その中で、個々の国が国際的なルール、国際法になぜ従おうとするかを私たち2人は研究してきました。1千年前のアイスランドの自治社会でも見られたそうですが、ルールを守らせる重要な方法は共同体からの「社会的追放」だったそうです。現在の世界秩序では、まず多くの国にとってプラスになるようなルールを多国間の枠組みで決めます。そしてそれを守らない国を経済制裁など非武力の手段を通じて、言い方は悪いですが「仲間はずれ」にすることが、重要な役割を果たしていると考えています。
――どういうことですか。
S:WTO(世界貿易機関)やその前身のGATT(関税と貿易に関する一般協定)が有名ですが、国際郵便に関するUPU(万国郵便連合)などの機能別の国際機構を考えても分かるでしょう。ルールに従わない場合は仲間はずれにされてしまうことによる不利益を考えて、加盟国はルールを守るのです。ところがトランプ政権は、多国間の合意と関係なく、他国の政策を自分の思い通りにするために関税を上げるといった動きを平然と進めています。こうした行為は世界秩序そのものを傷つけます。主権国家は何でもできるのだ、というトランプ大統領らの考えは非常に危険です。
――日本の安全保障をめぐってもさまざまな課題があります。
H:確かに、ロシアなどとの国境問題もありますし、北朝鮮という「仲間はずれ」が最も通じにくい国家との間にも問題を抱えていますね。国際社会、国際経済との関与が非常に低い国に、どうルールを守らせるかは大きな課題です。
 また、世界にとって新たな重要なプレーヤーになりつつある中国が、どれだけ国際秩序の価値を共有する、国際主義の側に立っていくのか。これは悲観も楽観もできませんが、とても重要でしょう。南シナ海の島や岩礁で中国がやろうとしていることを考えると、残念ながら、米国と中国という現代の大国同士が対立する火種を抱えているのも事実です。影響は、近隣の日本などの国だけでなく、世界中に及びます。
S:国家間の戦争は減っても、国家そのものが破綻(はたん)したり、内戦が各地で多発したりしており、世界が完全に平和になったとはいえないでしょう。テロリズムが多くの犠牲者を出し続けていることも忘れてはいけません。
 1928年の不戦条約の調印の際、当時の仏外相は「平和は宣言されたが、平和を形づくる仕事が残されている」と述べました。世界はいまもさまざまな挑戦に直面していますが、それに対応し、暴力を減らし、平和を構築しなければなりません。権力者や有名人でなくても、その取り組みを進める機会と責任があるのです。

2019.01.09 (水)  晴れ

 寒かったぁ~。他の先生の授業を見学にいらした新宿山吹高校の先生が、私と同期で新都した先生が同僚にいらっしゃるとのことで、わざわざ声をかけて下さる(私は授業がないので、見学されずに済んだ…笑)。若い方から声をかけていただけると、なんか嬉しい気分になるものであるなぁ。12203歩。
 今日の教養は「『高慢と偏見』」。オースティンの名作。原作を読んだことはないが、キーラ・ナイトレイ主演の映画を見た。映画も素晴らしい作品である。まだ読んでいない方は、映画から見てもイイのかも。
 今日の記事で印象に残ったものを。(20190109 朝日DIGITALより)

ローラ発言にクルーニー重ね   坂本龍一さんのカナリア論
 初めて沖縄に行ったのは復帰直後の1975年ごろ、20代前半でした。僕はそれまで外国にも行ったことがなく、街の色や米軍基地の存在感の大きさを見て、「これは日本でも沖縄でもない。アメリカだ」という現実に目を見開かされました。
 沖縄との出会いは高校生のころ。民謡にひかれました。インドネシアやアフリカの音楽に興味をもち、大学で民族音楽も学ぶのですが、その中でも沖縄は、一番近いところにあるけれど、日本とは異なる独自の文化圏があって面白いなと思ったんです。
 日本が江戸時代に200年以上鎖国していたころ、琉球王国は世界に開いていて、東アジアの文化と貿易のハブになりました。様々な影響が堆積(たいせき)して、音楽も非常に豊かなものになったと思います。一番近い異国としてリスペクトすべき文化だと思ってきました。
 冷戦が終わって久しい今、沖縄に新たに基地を造る意味があるのかと考えています。
 言うまでもなく、沖縄は日本の一部です。しかも安全保障を一番支えている地域ですから、国家として、国民の意識の面でももっと支援すべきです。でも今の国家は「基地を受け入れるならお金をやる」という態度で、正反対ですよね。
 東日本大震災の被災地を訪ねてきましたが、その中で、原発と米軍基地は別の問題ではないと考えるようにもなりました。そんなに原発や基地が必要だというなら、東京に造ってはどうでしょう。それでも国家は田舎のほうに押しつけようとする。「臭いものは遠くに」という発想が根底にあると思うのです。
 それに対して、自然を守りたいとか、自分の土地や生活を守りたいという人には抵抗する権利があります。しかし国家はいつの時代も、お金と暴力でそれを抑圧してきました。まさに今、沖縄で行われていることです。しかも国家権力の重要な機関である警察の機動隊がそこに供給されている。ということは、供給する側がいるわけです。人間がやった最大の罪は、国家の発明ではないかとすら思えてきます。
 大阪府警の機動隊員が沖縄で抗議をする人に「土人」と発言したのは、この国の現状を表すわかりやすい切断面かもしれません。沖縄に対して、本土の人間が差別意識を持っていることが露呈しました。前からわかっていたこととはいえ、はっきり出てきた。辺野古に基地ができれば自然が壊されて困るという点も重要ですが、沖縄と本土の人との間の差別意識や落差がこんなにはっきりあることにとても驚きました。いま沖縄は「国家と民(たみ)」「ヤマトとウチナー」という二重の差別構造に置かれていると思うんです。
 辺野古の海への土砂投入が始まって、SNSでは停止を求める署名が広がりました。タレントのローラさんが署名を呼びかけていましたが、偉いですよね。日本では「袋だたき」に遭うのが怖くて口をつぐむ人も多い。ただ、ネット上の一部の人間の暴走をまるで社会の空気かのように感じる必要もないし、テレビ番組がその後押しをすることも本当にばかばかしい。僕は気にしません。
 2015年、30年来の付き合いがある沖縄の歌手、古謝(こじゃ)美佐子さんたち4人組「うないぐみ」と沖縄の人々の思いや島々の美しさを歌う曲を作りましたが、その収益を反対運動を支援する「辺野古基金」に寄付しています。沖縄に過重な基地負担という抑圧を押しつけているのは本当に不公平だと思うからです。
 米国では、国民の半分近くはトランプ大統領支持ですから、バッシングは日本の比ではないです。それでも芸能人やスポーツ選手が政治的な発言をすることが当たり前です。立場を表明しない人はかえって愚かだとされ、相手にされません。
 人気俳優のジョージ・クルーニーさんは、ワシントンで人権問題の抗議活動中、警察官の前でスーダン大使館の敷地に平然と入り、逮捕されました。アーティストは、発言や行動に影響力があり、「炭坑のカナリア」のような存在です。彼はここぞという場面でその影響力を使いました。肝が据わっていて、本当に感心しました。
 世界ではいま、「声がデカい人の意向が通る」という政治が横行しています。真実を追求しようとするメディアには「ウソつき」と繰り返すなど、一方的な対応が目立ちます。反対する者とまともに議論しようとしない日本政府の姿勢は、トランプ大統領のマネをしているんでしょう。ひと昔前の政権は野党とも話し合い、曲がりなりにも議会制民主主義を守っていましたが、力で押し切る様は完全にたがが外れていますよね。
 そのことに多くの国民が意識を向けていないことが一番大きな問題です。メディアも懐柔されて言いたいことを言えなくなる。例えばトルコやロシアでは、ジャーナリストが暴力的に消されている。日本もひとごとではなくなるかもしれません。
 僕は一度も会社勤めをしたことがなく自由な身分なので、リスクは背負って立場を明らかにし、これからも言いたいことは言わせてもらいます。

2019.01.08 (火)  晴れ

 始業集会+学級タイム+特別授業。学級タイムでは調査書を配布する。欠席も少なく、元気な顔を見せてくれてホッとする…というか、元気すぎて心配になる(笑)。11582歩。
 今日の教養は「イギリスの北アメリカ植民地」。イギリス人入植者には、事業家グループと敬虔な信者グループの二つがあり、それが現在のアメリカ人のアイデンティティに残る緊張状態の根源だそうだ…が、どういうことか、今一つピンと来ない。

2019.01.07 (月)  晴れ

 午前中、散歩がてら近所の向山庭園でスイセンを撮影(成果?は「こちら」から)。午後からは、ビデオを見たり本を読んだりして、最後の冬休みをのんびり過ごす。
 今日の教養は「使徒」。イエスに死後教えを受け継ぐ者として選ばれた12人。ペトロとかヨハネとかマタイとか。イスカリオテのユダもその一人だった。のち、伝道で活躍した宣教師(その国や地域、民族にはじめてキリスト教を伝えた人)にも授けられるようになったそうだ。

2019.01.06 (日)  曇り・晴れ

 寒い一日、家に閉じこもって、火曜日からの授業の下調べ。
 今日の教養は「バールーフ・スピノザ」。宗教とは道徳的・政治的な統御システムであり、どの宗教もこの目的を有効に果たしていれば正しいと論じたそうだが、話題の「サピエンス全史」で、宗教を想像上の秩序と位置づけているのと同じか。人生の大半をレンズ磨きで生計を立てたとのこと、ちょっと感動。

2019.01.05 (土)  晴れ

 宿題が忙しい姉をおいて、自転車練習中の二番目を連れて交通公園に出かける。天気もよく、暖かくて、しっかり練習できてよかった。家に帰ってからはカルボナーラに挑戦、美味しくできる。充実した一日。
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 今日の教養は「フランツ・ヨーゼフ・ハイドン」。大作曲家としてのイメージしかないが、18世紀の音楽家の身分は低く、他の音楽家の召使いをしたり、貴族に抱えられてからも従僕としての屈辱に耐える生活を強いられていたそうだ。

2019.01.04 (金)  晴れ

 平成27年卒の新年会に出席する。200名を越える出席で、たくさんの懐かしい顔と再会する。ただし、顔は覚えていても、名前がなかなか出てこなくて困る(笑)。挨拶を頼まれたので、平成天皇の新年の挨拶風にやって結構ウケる。皆さんの今後のご活躍を期待したい。
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 今日の教養は「アルバート・アインシュタイン」。天才がなせる技と評された4本の論文は、すべて1905年26歳の時に書かれ、その年は彼の「アンヌス・ミラピリス」(奇跡の年)と呼ばれているそうだ。

2019.01.03 (木)  晴れ

 あけましておめでとうございます。
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 年末から実家の家族とともに広島(特に宮島)に出かける。穴子飯やお好み焼き、焼き牡蠣、瀬戸内レモン蕎麦など、名物を堪能。天候にも恵まれ、よい年越しが出来た。
 今日は主人の実家の家族も集まって新年会。狭い我が家に15名がひしめき、楽しく過ごす。この日のために用意しておいた「ツイスター」でかなり盛り上がるも、体の柔らかい孫たちにはまったく歯が立たず…(笑)。
 駅伝は応援していた東洋大が第三位、明治大もシード落ちとちょっと残念な結果に。明治の第7区を走ったS君は、去年の私の教育法をとっていた学生である。今回の経験をこれからの人生に結びつけてほしい。
 久しぶりの今日の教養は「ラファエロ」。ダ・ヴィンチ、ミケと並ぶルネサンス三大芸術家の一人。プラトンとアリストテレスが描かれている「アテネの学堂」が思い浮かぶ。