4月

2016.04.30 (土)  晴れ

 風もおさまって春らしい一日。夫婦で練馬の渋谷園芸・本店に自転車で出かけ、それぞれ好きな花を買ってきて植える。そもそも庭のラベンダーが枯れてしまった(…というか、昨年の秋に庭の手入れを依頼した庭師が切りすぎたのではないかと私は睨んでいるのだが…)ので、それを新調しようと思ったのである。私はラベンダーを買ったが、富良野産の株と普通の株があって、前者の方が高かったが一つずつ買ってみた。主人はヤグルマギクを購入。帰宅後、さっそく植えたが、うまく育ってくれるとイイのだが。
PROS1019.jpg(これは安い方)
PROS1017.jpg(富良野産)
XT1A3976.jpg(私もかなり好き)
PROS1023.jpg(ミニ薔薇鉢植えも購入)

2016.04.29 (金)  昭和の日 晴れ

 風は強いし、風邪気味でノドは痛いしで、家の中で静かに過ごす。
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 今、私の最も好きな写真家である高橋俊充さんが、FUJI のサイトにカメラに関する考えを披瀝しておられる。まったく同感。添えられている写真も素晴らしいので紹介しておこう。興味のある方は「こちら」から。

2016.04.28 (木)  雨

 午前中は健康診断で、午後から授業。今年は男子内科の担当だったが、例年以上に順調に進んだようで、予定よりも30分くらい早く終了する。おかげで、自分の仕事が一つ片付いた。生徒たちも、余った時間を利用して、体育祭のTを考えたり、星陵祭の演目を考えたりしていたようだ。9942歩。
 帰宅後、Windows10 にアップグレード。そろそろソフトや周辺機器の対応も進んだようなので、うまく行かなかったら連休中に回復すればイイやという気持ちで実施する。およそ70分、簡単かつ無事に終了。ソフトや周辺機器も問題なく動作する。逆に、動作が速くなった感じもなく、ちょっとした見た目の変化以外は、これといった新味はない感じである。
 関係ないが、マックを明るい窓辺におくと、背面にあるリンゴマークから光が入るのか、真っ黒な画面にリンゴがうっすら浮かび上がって可愛らしい。
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2016.04.27 (水)  晴れ

 放課後、進学指導検討会。各学年の進路担当が、模試などの結果分析をもとに、各学年・各教科の課題を報告し、それを教員で共有する会議である。1年生はまだ入学したばかりだが、毎年実施している数学基礎学力テストや英語のTOEIC Bridge の結果などを、ここ数年の新入生の結果と比較しながら分析した報告があった。1割枠がなくなり、男子の入試倍率が例年に比べて低かったことが懸念されていたが、数学も英語も例年以上の結果で、ほぼ例年通りの結果となった女子ともども、これからが楽しみといったところか。10045歩。

2016.04.26 (火)  晴れ

 昨日「大事に至らずに」と書いたが、どうも体調が今一つで、うまく歩けないし、咳が出やすいし、咳をするとノドが痛いしで、ブルーな気分である。
 夜の教育法は、それでも古典の模擬授業をがんばってこなす。結局受講生は16名ということで、まあ、何とかなる規模と言えようか。12893歩。
 オリンピックのエンブレムだが、個人的には没になった最初の案の方がいいなぁ~。

2016.04.25 (月)  晴れ・曇り

 昨日の夜、寝ようと思ったら急に寒気がして来たので、エアリズムからヒートテックに着替え、葛根湯を飲んで寝たところ、大事に?至らずに済む。今日までに原案を完成させなければならない書類が3つもあって、授業の合間になんとか仕上げる。ふぅ~。8951歩。
我が家のカフェ?に、庭の花を飾る)
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2016.04.24 (日)  曇り

 雨の朝はちょっと寒い感じだったが、午後から晴れて春らしい一日に。
 知り合いに誘われて、十数年ぶりにテニスをやることになりそうなので、ラケットは十数年前のものを掘り出してきて、テニス部の顧問の先生にガットを張り替えてもらったが、靴は持っていないし、クレーコートだというので、久しぶりにスポーツ店に出かけて購入する。昔と違って派手なものばかりでビックリ。今日は「慣らし」ということで、一日、家の中でスリッパ代わりに履いて過ごす(笑)。
 テニスシューズを履いたまま、マックの「写真」で遊ぶ。
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(オリジナル。昨日の写真をちょっと補正)
fade.jpg(フェード)
crome.jpg(クローム)
prpcess.jpg(プロセス)
tpranns.jpg(トランスファー)
ins.jpg(インスタント)

2016.04.23 (土)  曇り

 早起きして、掃除をして、洗濯をして、風呂を洗って、Yシャツ(5枚)とハンカチにアイロンかけて…と、今日はだいぶ家事に勤しむ。
 3年間かけて編集してきた新しい教科書が、検定を無事通過し、今日表紙や奥付などもついた「見本本」(つまり、完成品である)となって手元に届く。監修という立場になり、それなりに力を入れたものなのでなかなか感慨深いものがある。でも、装丁(表紙のデザインなど)が今イチなんだよなぁ~(笑)。
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2016.04.22 (金)  晴れのち曇り

 授業4コマの合間に、割と大きな仕事を一つ仕上げ、次の仕事に取りかかり始め、昼休みと放課後は生徒と面談…といわけで、今日はかなりまじめに働いたなぁ(笑)。8065歩。
 九州方面では、まだ余震が続いているようだ。外国の地震のニュースも届いたが、そういう時には必ず「略奪行為」が報じられたりする。それに比べると、(小さな事件などはあるのだろうが)やはり日本は安心できるなぁと思う。今日の朝日新聞(論耕)「災害とコミュニケーション」に、二つ面白い記事があったので引用しておこう。

■専門家と社会、認識共有を                 神里達博さん(千葉大学教授)
 日本では、専門家が危険だと言っていたのに結果的に安全だったオオカミ少年的ケースに対して、社会の評価がかなり厳しいように思えます。本来、専門家が安全だといって、実際は危険だった時の方が問題なのですが、オオカミ少年的な結果を恐れて、専門家はリスクについて語るのをはばかる傾向があるのではないでしょうか。
 地震というのは単純な自然現象ではなく、そこにどのような社会が築かれているかによって被害が異なる社会現象でもあるのです。極論をいえば、みんながテントで暮らしている社会では、家屋崩壊といった被害想定は必要ありません。地震に関する「シロかクロか」ではないグレーな事象については、専門家と社会が相互にコミュニケーションを深めて「どの程度の地震ならどれくらいの備えがあれば耐えられるか」という相場観を共有することが必要です。(聞き手・山口栄二)

■ネット情報過剰、選別せよ                 藤代裕之さん(法政大学准教授)
 東日本大震災では、被災地のニーズとボランティアをネットでつなぐ取り組みに携わりました。当時と今回の熊本地震で全く違うのが、ソーシャルメディアの広がりです。
 東日本大震災の被災地は電気も通信インフラも壊滅的な被害を受け、三陸沿岸ではソーシャルメディアの利用者も少なかった。
 この5年で誰もがソーシャルメディアを使い、情報発信できる時代になった。670万人だったツイッターの国内利用者は今や3500万人です。もうひとつの変化は、ネット上の情報を伝えるまとめサイトやバイラル(口コミ)メディアの拡大です。
 そんなメディア環境の激変の中で発生したのが今回の地震です。ネットを見ていて感じるのは、情報が多すぎる、ということです。
 前震、本震、そして余震も収まらず、不安の中で、現地から地震関連の様々な情報発信が行われています。それらがネットで拡散し、あるいはメディアが取り上げることで増幅されて、“情報爆発”が起きてしまっている。
 中には「動物園からライオンが逃げた」といった意図的なデマなど、不正確な情報も含まれます。それらを転送することで、本当に必要な情報を見えにくくしている。
 ネットで情報が何度も転送され、繰り返し流れるうち、リアルタイムの現地の状況とのタイムラグも生じます。すると、物資が足りない、という現地からの情報発信があっても、救援物資が届く頃にはすでに不足は解消しており、届いた荷物が滞留する、というミスマッチが起きる。
 東日本大震災の記憶がまだ生々しく、何とか被災地の力になりたい、という善意と不安が、情報を過剰に増幅させている面もあるでしょう。ネットの利用者には、安易な情報拡散は控える、というリテラシーが求められます。
 この情報爆発の中で必要なのは、緊急度の高い大事な情報を、確認作業をした上で優先順位をつけていく「情報のトリアージ(選別)」です。
 それは、マスメディアや行政の役割でしょう。
 メディアは、ネットを流れる情報が正しいのか、間違っているのか、対応の必要があるのか、ないのか――そのプロセスも含めて可視化することが重要なのです。

2016.04.21 (木)  晴れのち雨

 大学新1年生となった卒業生が「相談がある」とのことでやってくる。まあ「相談がある」時は、だいたいご本人は自分なりに結論を出しているものである。だから、今日も十分にしゃべってもらって、ご本人の出している結論が見えてきたところで、その背中を押して差し上げた。しかし、そういう相談にわざわざ来てくれるのはうれしいことである。私に話すことで、自分の気持ちに納得できるなら、何よりである。10137歩。
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2016.04.20 (水)  晴れ

 午前中授業で、午後から生徒総会。議案に対する質問が多く出てかなり面白く傍聴したが、議事進行を客観的に見ると(聞くと?)、かなり改善の余地があった印象である。9539歩。

2016.04.19 (火)  晴れ

 3年生の授業の新しいメンバーにもだんだん慣れて、早速佳境に入ってきた。今年は2講座持っているが、片方がよく出来て、もう片方は…といった感じである。しかし、その分「伸びしろがある」ということかも知れないから、今後の展開が楽しみ…かも(笑)。
 昨日、教育長の一行が授業の見学にいらした時に、同僚の先生も2名ほど一緒に授業を見ていたのだが、その先生方から、「一番面白かったのは、ご一行がいた時はまじめだったのに、いなくなった途端いつもの調子に戻った、その落差でした(笑)」と言われ、ある意味納得かも。やれやれ。
 夜の教育法は、現代文の模擬授業。11名とやはり小人数だが、久しぶりに高校生になりきった感じで?、私に指名されて答えたり、まじめに板書を写したりと、楽しそうに授業を受けていた。12048歩。

2016.04.18 (月)  晴れ

 東京都の教育長(及び教育委員会の皆さん17名)が日比谷高校の視察にいらっしゃり、午後の授業を20分ほどお見せする。授業そのものはいつもと変わったことをすることはないのだが、人が見学にいらっしゃる時は、板書だけはキチンと書けるようにこっそり?準備する。というのも、いつもは出たとこ勝負で板書することが多いのだが、さすがにゴチャゴチャするし、後から付け加えたりすると格好悪いからである。まあ、ちょっと見栄をはってみるといったところか(笑)。ということで、生徒諸君、今日の授業はノートがまとまっていたでしょ? 9754歩。

2016.04.17 (日)  曇り・晴れ

 風強し。我が家の庭も、植木が倒れる、物入れのフタが飛ばされるといった被害?にあう。
 今日は女子バスケ部の応援に出かける。しかし、相手が強いというよりは、自分たちのイイ所が出せずに敗退。特に第2ピリオドが0点…。もう少し積極的にシュートに行かないと得点できないし、得点出来なければ負けてしまうのである。第1ピリオド、第4ピリオドは勝っているだけに惜しい結果である。

2016.04.16 (土)  晴れ

 ニュースやその際の映像を見ていると、熊本は余震も多く、被害が広がっているようで心配である。熊本大学の医学部で学んでいる卒業生もおり、どんな風にこの事態を受け止め、また、どんな風に過ごしているのか、聞いてみたい気がする。
 今日は、来週の本格的な授業のスタートに向け、下調べをしたりして過ごす。

2016.04.15 (金)  晴れ

 昨晩の熊本の地震、約400年前に作られたという熊本城の石垣も崩れ、鯱も落下したというのだから、揺れの酷さが想像される。一日も早い復興をお祈りいたします。
 今日は時間割変更で、授業が3種類5時間もあり、結構ヘトヘトである。それでも何とか一週間を乗りきってホッと一息である。10174歩。

2016.04.14 (木)  雨・晴れ

 今日は1年生の2クラスで古典の初授業。授業に持参する教材を紹介したり、ノートの作り方や予習の仕方を解説したりする。3年生の授業だと、基本が身についている前提で(あくまで前提…笑)授業を進められるが、1年生の場合は、すべて一から教えなくてはならず、ちょっと(かなり?)面倒くさいなぁ~というのが正直なところ。しかし、基礎からしっかり身につけていただけるよう努力するとしよう! 10985歩。
 ここのところ引用ばかりなのだが、今日の朝日新聞「耕論」も面白いので引用しておこう。「政治的公正さを巡り、やれ圧力だ、萎縮だ、果ては電波停止だと騒がしい昨今のテレビ。だが同じ放送法のもとにありながら、ラジオでは、わりと自由に政治が語られている。ラジオ番組を持つ2人に聞く。放送法をどう考える?」という特集である。文化放送アナウンサーのよしだてるみさんの論の一部を引用する。(ちなみに、東大の入学式で、総長は「新聞をしっかり読もう」と述べたそうだが、そう言わないと読まないんだろうなぁ…)

 僕の番組のレギュラーで詩人のアーサー・ビナードさんが以前、テレビについて「動かなくていい、そのままで君は幸せなんだというメッセージを送り続けている」と言いました。原発事故の報道で、その言葉の恐ろしい意味を実感しました。テレビを見る人は受け身になりがちだから、権力にとっては都合のいいように操作しやすいんじゃないか――。
 僕が、こんなふうに考えるのは、おやじから聞いた戦争体験があるからです。少年兵として海軍に志願したおやじは戦時中、人間魚雷「回天」をつくる一人でした。人間を兵器の一部にするような非人間的なことを、なぜ日本の権力者はやったのか、できたのか。権力がつくった流れに、国民が乗っかったからでしょう。
 そんな歴史を二度と繰り返さないため、メディアに関わる一人としてできることをする。そう腹を決めて、自分の考えを自由に番組で語っているわけです。
 ラジオの最大の持ち味は個人に対して強く働きかけることができる点です。権力に都合のいい流れをつくらないためには、やっぱり一人ひとりが考えなければなりません。世の中にあふれる情報の中から自分に必要な情報を感知するアンテナを磨くのも個人です。そのお役に少しでも立てればと思いながら、毎日、マイクに向かっているところはありますね。

2016.04.13 (水)  曇り・雨

 1年生2クラスで現代文の初授業。予習・復習よりも、授業時間に集中して頭を使うことの大切さを伝える。
 放課後、新しい科目(総合的な学習の時間)「人間と社会」の一環として、SNSなどとの正しい付き合い方に関する講演会を星陵会館で聞く。参考になった。10331歩。
 今日の朝日新聞の社説から。
TBS批判 まっとうな言論活動か

 TBSテレビが先週、「弊社スポンサーへの圧力を公言した団体の声明について」と題するコメントを発表した。
 この団体は、「放送法遵守(じゅんしゅ)を求める視聴者の会」というグループだ。TBSの報道が放送法に反すると主張し、スポンサーへの「国民的な注意喚起運動」を準備するとしている。
 TBSのコメントは、次のような要旨を表明している。
 「多様な意見を紹介し、権力をチェックするという報道機関の使命を認識し、自律的に公平・公正な番組作りをしている」
 「スポンサーに圧力をかけるなどと公言していることは、表現の自由、ひいては民主主義に対する重大な挑戦である」
 放送法の目的は、表現の自由を確保し、健全な民主主義の発達に役立てることにある。コメントは、その趣旨にもかなった妥当な見解である。
 声明を出した団体は、昨秋からTBS批判を続けている。安保関連法制の報道時間を独自に計り、法制への反対部分が長かったとして政治的公平性を欠くと主張している。
 しかし、政権が進める法制を検証し、疑問や問題点を指摘するのは報道機関の使命だ。とりわけ安保法のように国民の関心が強い問題について、政権の主張と異なる様々な意見や批判を丁寧に報じるのは当然だ。
 テレビ局への圧力という問題をめぐっては、昨年6月、自民党議員の勉強会で「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」などとの発言があった。政治権力による威圧であり、論外の発想だ。
 一方、視聴者が言論で番組を批判するのは自由だ。テレビ局は謙虚に耳を傾けなくてはいけない。だが、この団体は、放送法を一方的に解釈して組織的に働きかけようとしている。
 TBSの「誠意ある回答」がなければ、「違法報道による社会的な負の影響」への「加担」を防ぐ提言書をスポンサーに送ると通告。ネットでボランティアを募り、企業の対応によっては「さらに必要な行動をとる」とも予告する。これは見過ごせない圧力である。
 番組を批判する方法は様々あり、放送倫理・番組向上機構(BPO)も機能している。にもかかわらず、放送局の収入源を揺さぶって報道姿勢を変えさせようというのでは、まっとうな言論活動とはいえない。
 もし自律した放送局が公正な報道と権力監視を続けられなくなれば、被害者は国民だ。「知る権利」を担う重い責務を、メディアは改めて確認したい。

 「この団体」の主張とこの論説の主張を比べれば、どちらの主張がまともなものかは明かである。現政権になってから、「この団体」のような存在が言論・表現の場に登場してきた。憲法学者の批判、そして国民の声を無視して安全保障関連法案を成立させたことといい、一体今何が起ころうとしているのか。我々はしっかりと見守っていかなければならないだろうし、そのためには、報道にそれをしっかりと伝えてもらわなければならないのである。

2016.04.12 (火)  晴れ・曇り

 今日も結構寒い。私は今日が今年の初授業で、3年生の必修古典が3時間でスタートである。1年生の授業は今日はなし。夜の国語科教育法も今日から開講。昨年は受講生20名と適正規模だったのだが、今年は9名しかおらず、後期の模擬授業のことを考えるとちょっと寂しい感じである。ちなみに、去年の受講生が今年の夏に是非東京都の教員採用試験を受験したいということで、論文の添削を依頼してくる。頼ってくれるのは(大変ではあるが)うれしくもあるので、引き受けることに。合格を期待したい。14525歩。

2016.04.11 (月)  晴れ・曇り

 風がなければ爽やかなところだが、風が出ると昨日が暖かっただけに寒い感じである。今日は、午前中に学級タイムで委員・係を決め、その後星陵会館で全体オリエンテーション。教務部、進路部、生徒部の各主任と学年主任からの話、そして、明日からの授業の準備の話などを伝える。昼食休憩をはさんで、午後は数学基礎学力テスト+TOEIC Bridge。おまけに、放課後はまたまた星陵会館で部活動紹介。盛りだくさんの一日であった。明日からいよいよ授業開始。12535歩。
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2016.04.10 (日)  晴れ・曇り

 早起きして、星乃珈琲でフレンチモーニングセットを食べ、そのまま昭和記念公園に遊びに行く。駐車場に入るのにも入園するのにも行列で大混雑であったが、終わりかけの桜にかわってチューリップが見頃に近づいていてキレイだった。午後からは、夫婦ともどもまじめに授業の下調べ。
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2016.04.09 (土)  晴れ・曇り

 午後からPTAの役員総会があったので、午前中から出校してし残した仕事を仕上げる。結構有意義な一日。 
 東工大の入学式の式辞が英語で行われたとマスコミでは話題だが、内容面では京都大(山極寿一総長)の式辞が素晴らしかったようだ。まあ、こういうところにも、単に「英語」というだけで話題にするマスコミ(とそれを真に受ける我々)の悪い面がよく表れているのかも知れないが…(笑)。京都大のホームページから、印象の残った部分を引用してみよう。

(前略)
 日本国憲法にも、これらの精神が謳われています。11章103条からなる日本国憲法のなかに、自由という言葉は11回登場します。前文には、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と述べ、第14条では、「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と明記しています。学問については、第23条で「学問の自由は、これを保障する」と謳っています。では、「学問の自由」とは何でしょうか。それは、「考える自由、語る自由、表現する自由」だと私は思います。京都大学は、「多様かつ調和のとれた教育体系のもと、対話を根幹として自学自習を促し、卓越した知の継承と創造的精神の涵養につとめる」ことを伝統としています。自学自習とは、ただ講義を聞くだけでなく、自分で考えるだけでなく、多くの人々と対話をするなかで自分の考え方を磨くことを意味し、その上で創造性に満ちた新しい発想を世に出すことが求められているのです。まさにこれは、「思考力、判断力、表現力」を自由の名のもとに鍛える学びの場であるということなのです。京都大学はその学びの場を提供するとともに、自由の学風のもと、多元的な課題の解決に挑戦し、地球社会の調和ある共存に貢献すべく、質の高い高等教育と先端的学術研究を推進してきました。これまでに9人のノーベル賞と2人のフィールズ賞をはじめとする数多くの国際賞の受賞者を輩出してきました。これは、京都大学が世界をリードする研究を実施してきた証です。これからも学問を志す人々を広く国内外から受け入れ、国際社会で活躍できる能力を養うとともに、多様な研究の発展と、その成果を世界共通の資産として社会に還元する責務を果たしていこうと思います。(中略)

 本日、京都大学に入学された皆さんのすべてが、この6月から選挙に参加できるようになりました。これまで20歳以上の国民に与えられていた選挙権が、公職選挙法の改正により18歳まで引き下げられたのです。皆さんは自分の置かれている環境に対し、その是非について、その政治的判断について、自ら票を投じて参加できるようになったのです。それはとても大きな変化だと思います。京都大学の時計台にある迎賓室には、「学徒出陣図」と題する須田国太郎画伯の絵が掛けられています。須田は京都大学文学部を卒業後、絵画の道を志してヨーロッパに学び、京都大学の学生が召集されて出陣する場面を描きました。それは1943年11月20日のことで、快晴の比叡山を遠望して学生たちが行進するさまを、須田は実に暗い色調で描きました。この戦争で京都大学から4,500名に上る学生が入隊し、文系の学生はそのうち9割近くを占めました。264名の学生が戦没者として確認されています。当時、選挙権は25歳以上の男子と定められており、多くの大学生には政治に参加する資格が与えられていませんでした。20歳以上の男女に選挙権が与えられたのは戦後1946年であり、日本国憲法が公布されたのはその後のことです。学徒出陣に参加した学生たちは自分たちの意思ではなく、上の世代の決定によって戦争に駆り出されていたのです。このことはしっかりと心に留めておかねばなりません。皆さんはこの6月から選挙に参加するとともに、日本の政治の方向性について大きな責任も生じるということを忘れないでください。皆さんの意思によって、揺るぎなき未来を築くために確かな一票を投じてください。(後略)

(http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/president/speech/2016/160407_1.html)

2016.04.08 (金)  晴れ・曇り

 新入生は、対面式+オリエンテーション+写真撮影+学級タイム+英語基礎学力テスト。ということで、最初のうちは新入生+新入生担任は色々と忙しいのである。やれやれ。学級タイムでは、自己紹介を行ってもらったが、なかなかユニークな?生徒諸君たちで、これからが楽しみ(苦しみ?)である。それでも、学級委員には早速3名が立候補してくれたので、来週からの活躍を期待したい。13043歩。
 夜、埼玉大学に入学が決まった北海道の姪っ子が、入学式に出席したご両親(+高校2年生の妹)とともにやってくる。実家の家族も呼んで新しい門出を祝う。若い人の旅立ちは、本当に素晴らしいかぎりである。

2016.04.07 (木)  雨・曇り

 入学式。あいにくの雨で残念だったが、式そのものは無事終了。今日は生徒諸君と過ごす時間はあまりなく、式後の簡単な学級タイムの後は、最初の学級保護者会。PTAの役員さんも、立候補ですんなりと決まったとのことでホッとする。昨日あまりよく眠れなかった(担任ということで興奮したか?笑)せいか、すっかり疲れる。3時からの担任打ち合わせ会議は、眠かった~。やれやれ。14109歩。
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2016.04.06 (水)  晴れ

 まず、避難訓練+始業集会+着任式。その後、新2年生は新クラス発表と宿題テスト、「総合的な学習の時間」ガイダンスと明日の入学式の式場準備。新3年生は宿題テストと学年集会。初日から盛りだくさんな一日である。おまけに、放課後には職員会議まであって、今日もまじめに働いた感じである(笑)。17137歩。

2016.04.05 (火)  曇り

 今日から日比谷も本格的に始動である。午前中に分掌の会議と学年の会議、午後からは教科の会議と授業に向けての打ち合わせ。その後、明日の始業式に向けていろいろと準備する。まじめに働いた一日。12289歩。

2016.04.04 (月)  曇り

 今日までに報告のあった浪人形の結果をまとめて、次の進路部担当に仕事を引き継ぐ。その後、出席簿を作ったり、閻魔帳を作ったりと、新年度に備える。13420歩。
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2016.04.03 (日)  曇り

 お花見にでも出かけたいところだったが、天気が今一つなので、家で新学期の準備をしたりして過ごす。昨年度は、3年生の古文と1年生の現代文が担当だったので、実は漢文の授業をまったくしていなかったのである。で、漢文のカンを取り戻すために?、漢文関係の本を読んだりしていたのである。半分睡眠学習(泣)であったが、まあそれなりに勉強になった…かも(笑)。
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2016.04.02 (土)  曇り

 今日から2016年度版のホームページの開始である。開始にあたり、共感する考えが述べられているインタビュー記事を引用しておきたい。
世界一貧しい大統領と呼ばれた男  ムヒカさんの幸福論(朝日新聞DIGITAL、20160331)

 質素な暮らしぶりから、「世界で一番貧しい大統領」として注目を集めた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、近く出版社などの招きで初来日する。「清貧の思想」を地でいく農園暮らしの根っこには、いったい何があるのか。いまも上院議員として、国民から熱い支持を受ける政治家の自宅を訪ね、その原点を聞いた。
(中略)
――「世界で一番貧しい」という称号をどう思いますか。
 「みんな誤解しているね。私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」い人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」
 「モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ」
――幸せだと感じるのは、どんなときですか。
 「自分の人生の時間を使って、自分が好きなこと、やりたいことをしているときさ。いまは冬に向けて、ビニールハウスにトマトの植え替え作業をしているときかな。それに幸せとは、隣の人のことをよく知り、地元の人々とよく話し合うこと。会話に時間をかけることだとも思う」
――大都会の生活では難しいですね。
 「人間が犯した間違いの一つが、巨大都市をつくりあげてしまったことだ。人間的な暮らしには、まったく向いていない。人が生きるうえでは、都市は小さいほうがいいんだよ。そもそも通勤に毎日3時間も4時間も無駄に使うなんて、馬鹿げている」
――でも、東京で私たちはそうやって暮らしているのです。
 「効率や成長一辺倒の西洋文明とは違った別の文化、別の暮らしが日本にはあったはずだろう。それを突然、全部忘れてしまったような印象が私にはある」
(中略)
――格差が広がったのは?
 「次々と規制を撤廃した新自由主義経済のせいだ。市場経済は放っておくと富をますます集中させる。格差など社会に生まれた問題を解決するには、政治が介入する。公正な社会を目指す。それが政治の役割というものだ。国家には社会の強者から富を受け取り、弱者に再分配する義務がある
 「れんがみたいに、みんな同じがいいと言っているわけではないよ。懸命に働いて努力した人が、ほうびを手にするのは当然だ。ただ、いまはどうかね。働いてもいないような1人のために、大勢が汗水たらしている世の中じゃないか。これは気に入らない。富の集積にも限度がある」
 「怖いのは、グローバル化が進み、世界に残酷な競争が広がっていることだ。すべてを市場とビジネスが決めて、政治の知恵が及ばない。まるで頭脳のない怪物のようなものだ。これは、まずい
 「いま中南米が抱えている最大の戦略的リスクは、いい関係を保つべき欧州諸国がテロなど自らの問題で手いっぱいになる一方で、中国が日に日に存在感を増していることだ。一国に深入りしすぎると我々が危うい。もっと関係を広げていきたいんだ」
――ご自身を政治的にどう定義しますか。
 「できる限り平等な社会を求めてきたから左派だろう。ただ、心の底ではアナキスト(無政府主義者)でもある。実は私は、国家をあまり信用していないんだ」
――えっ、大統領だったのに?
 「もちろん国家は必要だよ。だけど、危ない。あらゆるところに官僚が手を突っ込んでくるから。彼らは失うものが何もない。リスクも冒さない。なのに、いつも決定権を握っている。だから国民は、国家というパパに何でも指図されていてはいけない。自治の力を身につけていかないと」

2016.04.01 (金)  晴れ

 仕事始め…は、実は4日(月)なのだが、新1年生の4月募集の願書提出日なので担当として出校したが、結局出願はなく、4日の募集試験は行われないことに。合間に、他の先生方の仕事をお手伝いをする。

2016.03.31 (木)  晴れ

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 2016年度版は4月2日(土)からの予定だが、なかなかイイ記事があったので引用しておきたい。(朝日新聞デジタル、20160331)
(論壇時評)「ことば」の復興 壊れた社会をつなぎ直す              作家・高橋源一郎

 舞台の上に、むすうの白い線がひかれている。それは、福島をかたち作っている海岸、道路、線路、河を示したもの。そしてふるさとのまち。その上に、子どもたちが眠っている。音楽が流れ出し、あさが来る。子どもたちが起き上がり、しゃべりはじめる。
 「いつだかのあさ……やっぱりあの日も……あさはおとずれた……なんともない日々のわたしたちのタイムライン……なんともない日々はわたしたちと歩いてゆく」
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 福島県の依頼で、劇作家の藤田貴大らが集まって、音楽劇『タイムライン』が創られた。出演しているのは福島の中学・高校生。テーマは「あの日」。
 「あの日」とは何だろう。5年前の、あの震災の日だろうか。そうかもしれない。そうだとしても、あの時刻までは、穏やかに日常は流れていた。
 藤田は、出演する子どもたちから、彼らの生きる日常の一こま一こまを聞き取り、舞台の上に再現した。「地震」も「原発」も「津波」も出てこないのに、「あの日」が奪っていったものの重さ、大きさが浮かびあがる。けれども、同時に、それまで気がつかなかった日常のいとおしさも、抱きしめるように優しく描かれる。ほんとうに、ほんとうに素晴らしかった。
 『呼び覚まされる 霊性の震災学』は、東北学院大学・金菱(かねびし)清ゼミの学生たちによる、震災の記録プロジェクト。学生たちは、被災地を歩き、マスコミにはあまりのらない、人びとの真率な声に耳をかたむけた。
 ある学生は、石巻のタクシードライバーたちが頻繁に体験している幽霊現象について調査した。そんなものが科学的な調査の対象になるのか。学生たちは先入観をもたず、聞きとろうとする。「幽霊」たちはタクシーに乗り、ドライバーたちと話をした。もし、それが白昼夢なら、残された乗車記録は何なのか。そして、ドライバーたちの内心にあるものが、恐怖ではなく、深い畏敬(いけい)の念であることを確かめた。
 通常は手を合わせて祈るために作られる。けれども、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の中学生のための「慰霊碑」は、遺族がその手で抱きしめるために作られた。膨大な遺体と対峙(たいじ)せざるをえなかった葬儀業者は、どうやって、彼らの感情をコントロールしたのか。学生たちは、夥(おびただ)しい「死」に分け入り、何が起こったのかを、被災者たちと共に掘り起こしてゆく。
 ゼミの主宰者・金菱清はこう書いている……わたしたちの社会は「死」をタブー視し、見えないものにしてきた。だが、暴力的に「死」と向き合わざるをえなかった、震災の当事者たちは、通常と異なったやり方で、「死者」を弔い、「死」を受け入れていった。そこには、わたしたちの社会が忘れかけていたものがあった。彼らは、単に「死者を忘れないこと」ではなく、やがて「死者と共に生きること」を目指すようになった。死を常に意識することで、はかない生の価値を深く噛(か)みしめるために。そこには、よりよい社会を作り出すための重要なヒントがあるのだ、と。
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 オウム真理教信者を描いたドキュメンタリー映画で知られる森達也監督の新作『FAKE』は、「全聾(ぜんろう)の作曲家」として世間を騒がせた佐村河内守を追いかけた〈3〉。彼は、ほんとうに聴こえなかったのか。ほんとうに、自分では作曲しなかったのか。だが、映し出されているのが、この事件の「真実」は何かという問いではなく、ほんとうにこの世界に「真実」などあるのかという問いであることに気づいたとき、観客は、迷宮の中に入りこむ思いに囚(とら)われる。映画が映し出そうとしたのは、社会を騒がせた一つの事件ではなく、この社会の構造そのもののように思えた。
 どんなに真実を探し求めても、たどり着くことなどできないのかもしれない。いや、そもそも、真実などなく、わたしたちはみんな「FAKE」(にせもの)に踊らされているのかもしれない。
 「真実」にもとづき「にせもの」を激しく糾弾する。それが正義だ。だが、どこにも正義などないのなら、どんな権利があって、誰かを、何かを否定し、攻撃できるのか。ついに「にせもの」でありつづけるしかない、わたしたち自身の愚かしさに、それでもそっと手を差し出すようにして映画は終わっている。
 わたしが担当する論壇時評は、震災直後、5年前の4月から始まった。1回目の最後に、わたしは、こう書いた。
 「壊滅した町並みだけではなく、人びとを繋(つな)ぐ『ことば』もまた『復興』されなければならない」
 壊れた社会が「復興」されるとき、それにふさわしいことばが生まれているだろう。今回とりあげたものの中に、その確かな萌芽(ほうが)があるように思える。
 この5年、わたしたちの社会は、大きく、激しく、揺れ動いた。何が起き、その何を見つめるべきなのか。もとより、乏しい能力の持ち合わせしかなかったが、全力で考えつづけた5年間でした。その間、この時評を考え、書くことがわたしの生活の中心になっていました。書きつづけることができたのは、みなさんが読んでくださったからです。ありがとう。また、どこかでお会いしましょう。