7月

2014.07.27 (日)  晴れ(雷雨あり)

 言っても仕方ないが相変わらずの猛暑である。家で過ごす。
 明日からバスケ部の合宿を引率するため、土曜日まで更新できません。3年生諸君、目指せ400時間!
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2014.07.26 (土)  晴れ

 いや~猛暑、猛暑。昨年末に父が亡くなったが、それに関わる様々な手続きがやっと一段落する。あとは母に孝行するといったところか。
 夜、オーガニックが売り物の隠れ家的なレストランに出かける。
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2014.07.25 (金)  晴れ

 午前中、学校説明会のお手伝い…とは言っても、会場係ということで、ほとんどは生徒が動いてくれるので、ニコニコしながら監督していればオッケーなのである。昨年まで海の日に行っていたが、今年はもう夏休みに入って中学生も夏期講習が始まったりしているせいか、午前中の来校者は昨年よりも少なかった印象である。
 午後の講習も第一期は今日が最終日。伝えたかったことはそれなりに伝えられたのではないかと思う。この講習で学んだ勉強法のポイントを生かして、残りの日々を有意義に過ごしてほしいものである。7385歩。

2014.07.24 (木)  晴れ・雷雨

 連日暑くてグッタリである。小論文の講座では、いよいよ慶応の過去問を取り上げて、基本的な書き方のレッスンに入る。みんな熱心に取り組んでいる。
 夕方ゲリラ豪雨に見舞われたが、降り始めが帰宅直後だったのでラッキーであった。(財布に気をとられて、今日も万歩計をつけ忘れる。)
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2014.07.23 (水)  晴れ

 「食べても死にはしない…」、中国上海の鶏肉期限偽装疑惑の食品会社作業員の言葉。「気にしていたら何も食べられない…」、上海のマクドナルドの客の言葉。まあある意味正しいが、とにかく国際的な良識の基準で測れない国であることだけは確かだろう。そんな国が、経済的な価値の観点だけから国際舞台に登場しているわけである。トホホな時代である。(今日も万歩計をつけ忘れる、オマケに財布まで忘れて昼食代を借りる羽目に。やれやれ…)
 ところで、今晩のNHKスペシャル「祇園祭」はすご~く面白かった。山鉾を飾っているタペストリーが世界的にも貴重なものだとは知りもしなかった。いや~驚いた。見なかった人は、ぜひ再放送を見ることを勧めたい。

2014.07.22 (火)  晴れ

 夏期講習。小論文の講座では一橋の要約問題を、古文の講座では昨年の追試の問題を扱う。それぞれ熱心に受講していたが、古文の方は問題が難し過ぎて(昨年は本試も追試も難しかったのである)初日としてはちょっと酷だったかも。まあ、ショック療法?ということで(笑)。万歩計をつけ忘れる。
 倉敷の女児監禁は、源氏物語若紫のようでビックリ。ちなみに、ネット上では小保方氏の論文に問題ありとしながらも、学位はそのまま認めた早稲田に批判が集まっている。学位を取り上げて(それに憤慨した)小保方氏に記者会見でもやられた日には、小保方氏から他教授たちのコピペ疑惑がバラされてしまいそうなので、仕方なく論文に関しては認めたのではないかというのが大方の批判の趣旨のようである。当否は別として、そこまで言われてしまう大学・研究者は如何なものか?

2014.07.21 (月)  海の日 晴れ・曇り・雨

 海の日なので?孫たちを豊島園のプールに連れて行く。混雑していたが、お昼頃からはお日様も顔を出し、寒くもなく暑過ぎもせずでちょっどよかった。しかし、驚いたのは、場所取りがビニールシートから簡易テントに変化していること。最近は進化しているなぁ…というか、豊島園は入園料高過ぎである(我々は地元の割引券利用)。だから、一日分のモトをしっかり取るためには、その位準備して(飲食物も持参して)、朝から終園まで粘るという作戦なのではなかろうか、と思ってしまったほどである。いやはや。
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2014.07.20 (日)  晴れ・曇り・雨

 主人の実家の家族が遊びにやってくる。息子家族も呼んで笑って過ごす。
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2014.07.19 (土)  曇り・雨

 夏休み第一日目であるが、天気がよくないお陰で(笑)、来週の補習の準備をしたり、昨日の編集会議の原稿を改訂したりと、まじめに過ごして有意義な一日。

2014.07.18 (金)  雨・曇り

 4時間授業+大掃除+学級タイム。大掃除では校舎の引っ越しに向けてロッカーを空にするようにキツく言ったところ、ちゃんと空になっていた。よしよし。
 夜、昨日に続き編集会議。昨日は現代文で今日は古文。昔は(…って、日比谷に異動してきた当時は)、自分の原稿に修正が入ったら、たとえ睡眠時間が2~3時間減りそうでも帰宅後すぐに改訂作業に取りかかったものだが、今ではもうそのような気力もない(明日は休みなのに…)。こういうことが「年を取る」ということなのであろう。生徒諸君、無理が利くのは今のうちである。無理をしてでも勉強しましょう。14126歩。

2014.07.17 (木)  晴れのち曇り

 夜、編集会議。夏休み中の宿題がたくさん出されて「とほほ…」である。しかも、9時半過ぎまでかかったので、ついさっき帰宅したばかり。いつもならもう就寝している時間である。やれやれ。しかし、若いやる気のある先生方ばかりなので、新しい提案もあり、それを実現しようという意欲もあって、「元気がもらえる」(←最悪に嫌いな表現の一つ・笑)楽しい会議である。11111歩(←珍しい!)

2014.07.16 (水)  晴れ

 暑い。午後から卒業アルバムの個人写真の撮影を行う。学級日誌に「自然な顔ではないような気がした」とあったが、なるほど緊張するものである(生徒だけでなく担任も撮られた)。しかし、写真屋さんもプロだから、なんだかんだ言いながらうまい瞬間を捉えてくれるのである。さて、どんな出来になるのやら。10342歩。

2014.07.15 (火)  晴れ

 放課後、第3学年の拡大学年会。生徒の成績データを各教科担当と共有するのが主な目的だったが、その場で出された様々な話題も有益で、担任団・各教科担当ともに役立つ会になったのではないだろうか。
 夜の教育法は前期最後の講義で、とりあえず学習指導案を書き上げるところまで到達する。レポートも回収したので、あとは楽しみながら読んで採点である。12198歩。

2014.07.14 (月)  晴れ

 今日から短縮授業。夏休み前の学年集会では「まず「量」の勉強をしてほしい」旨伝える。生徒は短縮でも、教員は山ほど仕事があるのであった。とほほ…。10438歩。

2014.07.13 (日)  曇り

 午前中、昭和記念公園でハスを撮影。
 午後、父の新盆ということで、息子一家も来てくれる。
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初めての迎え火に緊張する姉妹)
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2014.07.12 (土)  晴れ・暑し!

 昨日に続き暑い一日。3年生はセンターマーク模試。最長の生徒は、朝8:30から(地歴・公民2科目)夜8時(理科2科目)まで。いや~大したものである。教員側は4人の当番制で、私は3番バッター(そういえば、野球部は1回戦コールド勝ち!)で、お昼から午後6時まで。最後のI先生からも特に連絡はなかったので、無事終了したのだろう。標準実施日前なので問題を手渡せないのが残念だが、思い出せる範囲で復習をしておこう。
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2014.07.11 (金)  晴れ・暑し!

 台風が通り抜けたと思ったら、真夏を思わせる暑さが…。仮設3階の国語科はもうグッタリである。
 帰りがけ、読んでいた本(『古典和歌入門』渡部泰明、岩波ジュニア新書)を読み終えてしまったので、久しぶりに本屋さんに寄ったのがいけなかった。ついつい調子に乗って買い込みすぎた。まず、『ヒロシマはどう記録されたか』上(小河原正己、朝日文庫)をカゴに入れ、買う気はなかったのだが新書のコーナーへ。と、石原千秋の『打倒!センター試験の現代文』(ちくまプリマー新書)を発見! しかもそのお隣にはご丁寧にも橋本治の『古典を読んでみましょう』(ちくまプリマー新書)まであるではないか。両方ともカゴの中に。ついでに出口汪の『東大現代文で思考力を鍛える』の続編『センター現代文で分析力を鍛える』(大和書房)もカゴの中へ。さらに通路を進むと選書のコーナーで、そこでは『「言海」を読む』(今野真二、角川選書)と『キリストの顔』(水野千依、筑摩選書)が気になり、迷いながらもカゴの中に。そして、最後に芸術のコーナーを覗くと、なんと『ルイジ・ギッリ 写真講義』(みすず書房、萱野有美訳)があるではないか。これは買わずにはいられないだろう…というわけで、散財しました。さて、一体どれから読み始めたものやら…笑。12087歩。
散在

2014.07.10 (木)  雨・曇り

 昨日グチを書いたせいだろうか、今日は朝から何人かの生徒が「先生、昨日は印刷ありがとうございました」と声をかけてくれる。中には、「先生が刷ってくれたからがんばって満点取りました!」と報告してくれる者もいたりして、単純な私はかなりうれしい。ははは。昨日とは正反対だなぁ~♪
 台風に対する扱いを書いたプリントを生徒に配布したが、明日の朝はどうなるのだろう。夜のうちにスッと通り過ぎてくれるとよいのだが…。8531歩。
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2014.07.09 (水)  曇り・雨

 結論から書くと、今日はかなり疲れた。まず朝登校すると、パソコンは壊れたまま。で、2時間目に大きな荷物を持ったTOSHIBAの修理の方がいらして、昼休みまで修理。最終的には直ったのだが、その間修理の方が私の机を占領しているので、午前中いっぱい自分の机で仕事ができなかった。今日は午前中5時間連続授業の日である。しかも、4時間目には東京都教育委員会の授業見学が予定されていた。その下準備がまったくできない状態だったのである。何とか授業はこなしてホッとしたのも束の間、続くホームルームでは英語のリスニングをやることになっていたにも関わらず、その教材を忘れる者がクラスの半数以上。忘れた者は英語科に行くとのことだったので行かせたところ、あまりの多さにさすがの英語科K早先生もキレて、「忘れた者は聞いてるだけでよい!」とおっしゃるので、必死になだめて開始を遅らせてもらい、その間に裏表印刷5枚の教材の増し刷りをして教室に届ける(スピーカーの音量調節をして下さったM井先生、多謝!)。ギリギリでリスニングも時間内に収まって無事終了できたが、忘れた生徒で「スミマセン…」と声をかけてくれた者はたったの一人だけ。やれやれである。午後からは、直ったパソコンにソフトをインストールしたり、都のネットワークにつなげたり…。こういう不毛な作業にも時間を取られるのである…。
 というわけで、今日はすっかり疲れ切ったが、帰宅後、私の母の田舎から届いた「夕張メロン」を孫一家に届けに出かけ、可愛らしい二人の笑顔を見ることができたので、何とか精神のバランスを取ることができたのであった。11520歩。

2014.07.08 (火)  晴れ

 東京体育館にて体育大会。予想外にも(合唱祭の場合は「予想外に悪く」だが、今回は「エッ、ホントに!」みたいな感じ…笑)3位入賞! いや~、放課後練習していた成果だろうか。しかし、クラスとしては徐々に向上ということでまったくイイ感じである。
 夜の教育法は、さすがに疲れていつもより20分も早めに終了。受講生諸君も体育大会の疲れに免じて許してくれたことだろう…? (万歩計はつけ忘れ)
東京体育館

2014.07.07 (月)  雨・曇り

 七夕なのに雨。天上はどうせ晴れているのだ…という身も蓋もない意見を聞いたこともあるが…(笑)。
 学校のパソコン修理3回目。TOSHIBAの方がやって来て基板の交換だというが、さて巧くいっただろうか? というのも、午後から「センター試験説明協議会」に出張して結果が分からないからである。明後日が(明日は体育祭なので)楽しみである。
 その「センター試験説明協議会」だが、関東甲信越対象ということで、昭和女子大人見記念講堂が高校の教員で超満員(知った顔には二人しか会わなかったが…)。今回から新学習指導要領に沿った試験に変わるせいか、かなり熱の入った説明で参考になった。また、出願書類の不備の事例も面白かった。受験科目の誤りは置くとして、自分の性別や生年月日を間違える事例があるというのだが、どういう理由だか想像がつくだろうか?これは、出願書類を受験する本人が書かずに、保護者が書いているから起こるのだそうだ(保護者が自分の性別や生年月日を書いてしまう…)。お笑いネタのようだが、自分で願書を書かない(書けない)受験生が増えているということだろう。情けない限りである。9715歩。
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2014.07.06 (日)  晴れ

 昨日に引き続き、白黒現像の勉強中。プロの方がよく「仕事から離れて楽しむカメラ」などとおっしゃることがあるが、「dp2 quattro」を使っていると、その意味が何となく納得できるのである。失敗の許されない場面では、やはりC社やN社のカメラが使いたくなるのだろう。その一方で、「dp2 quattro」には捨てがたい魅力があるのである。
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2014.07.05 (土)  雨・曇り

 クルマを6ヶ月点検に持って行ったり、買い物に行ったりして過ごす。
 dp2 quattro で撮ったRAWファイルを、SIGMA PhotoPro6 で白黒現像することに挑戦中。結構楽しい。ただ、ファインダーで撮れない(液晶を見て撮る)ので、目が悪いせいかピントが今一つ。ちゃんとローガン(老眼鏡のこと)を掛けて撮影に臨まないと(笑)。
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2014.07.04 (金)  雨

 東京都から貸与されているパソコンの修理の方が来て下さるが、結果的には直らず、月曜日に再修理ということになる(どうも基板がやられているらしい…)。やれやれ…。ちなみに、TOSHIBA製のパソコンである。昨年まで貸与されていた富士通製のモノは3年間まったくトラブルがなかったのに、TOSHIBA製のものは、替えて一年もしないうちにトラブルである。ちなみに、私のマシンだけの話ではなく、日比谷では先月だけで3台が修理を受けている。仕事で使うマシンとしては富士通のモノの方が信頼感があるのだろうか。11666歩。
 しつこく、今日も安倍の暴挙について引用しておこう。変化球だが亀井亜紀子氏(みどりの風)のブログより。亀井氏の個人的見解はともかくとして、自民党村上氏の見解が一般論としての平均的水準を示していると思われるので引用しておく。
集団的自衛権の行使はなぜいけないのか。 〜村上誠一郎衆議院議員が外国人記者クラブで会見〜

 久々に政治家らしい信念と迫力のこもった話を聞きました。内閣改造を前に安倍政権に対して物が言えない自民党議員の中で、ただ1人公然と集団的自衛権の解釈変更に異論を唱える村上議員は自民党の良心だと思います。カメラはたくさんありましたが、海外メディアはともかくとして、日本のマスコミはなぜ村上議員が解釈変更に反対するのか、何が問題の本質なのか、会見の中身をまともに伝えないでしょう。日本のメディアの罪は、誰が造反するだとか表面的なことだけセンセーショナルに騒いで内容についてはほとんど書かないので、いつまでも問題の本質が国民に伝わらないことだと思います。その結果、世論調査で「よくわからない。」、「どちらとも言えない。」という回答が増え、国民が理解しないうちに政府がするすると大事なことを決めてしまうケースが常態化しています。
 私はこの欄で「安倍政権の大暴走」と題して憲法の解釈変更に対する反論を書きました。村上議員の説明は30年にわたる国政経験に裏打ちされたベテランらしい見識に溢れていて、私の説明より遥かに説得力があるので、ここでは村上議員の会見を忠実に再現したいと思います。以下の通りまとめてみました。
1.憲法の解釈変更はなぜいけないのか。
 日本の国の形である三権分立(司法・行政・立法)を覆す行為である。安倍総理は自分は行政の長だから憲法解釈は自分が責任を持って変えればよいと言っているが、これは間違い。憲法解釈の最終判断は司法(最高裁判所)が行い、行政は最高裁に違憲と言われないように内閣法制局のアドバイスを得ながら法律をつくるのが仕事。その際、内閣法制局には一貫した解釈が求められる。なぜなら政権はコロコロと変わるものなので、内閣が変わるごとに憲法解釈が変わり法律が変わるようでは法治国家でなくなってしまう。歴代の法制局長官は皆、安倍政権の手法に異議を唱えている。
 安倍政権は閣議決定で憲法解釈を変え、それに基づいて法律を作ろうとしているが、これは下位の法律によって上位の憲法を変える禁じ手であり、権力者が暴走しないように憲法によって権力を拘束するという立憲主義に反している。つまり安倍政権の手法は憲法違反である。
 似たような例として1930年代、ヒトラーが全権委任法を可決させ、ワイマール憲法が効力を失ったことが挙げられる。憲法が有名無実化した時、立憲主義は終わる。私は主権在民、基本的人権の尊重、平和主義の三原則はどんなことをしてでも守らなければならないと思っている。
2.集団的自衛権の行使になぜ反対するのか。
 集団的自衛権とは同盟国や関係の深い国が攻撃を受けた時は戦争をするという意味であり、限定的容認などというものはない。安倍政権は重箱の隅をつつくような、あり得ない事例を挙げて、それに対応できないから集団的自衛権を行使するのだと言っている。例えば子供を抱えた母親が第三国から逃げ遅れ、米軍の艦船に乗って帰国するという事例は、外務省が機能せず第三国で避難情報も出せず、母子が逃げ遅れてアメリカの船に乗るということだが、そんなことはまずあり得ない。
 集団的自衛権の行使は国の根本的なあり方を変える行為だから、もし本当に安倍総理が日本の為に集団的自衛権が必要だと考えるのなら、正面から国民に説明して覚悟を問い、憲法改正をしなければならない。日本が攻撃された場合に反撃する専守防衛が憲法9条で読めるギリギリのラインであり、日本が攻撃されていないのに武力行使をする、つまり他国と戦争を始めることは憲法9条ではどうやっても読めない。故に集団的自衛権は行使できない。
 集団的自衛権を行使する場合、国民に対して次のような覚悟を問わなければならない。まず徴兵制も視野に入れなければならなくなる。地元の自衛隊に事情を聞いたところ、今でさえ自衛隊員の確保に苦労しているとのことだった。集団的自衛権を行使すれば、日本を守る為ではなく外国を守る為に地球の裏側まで命を捨てる覚悟で出向くことになる。その覚悟が自衛隊員にあるだろうか。自衛隊員が集まらなければ、必然的に徴兵制の話につながっていく。
 集団的自衛権を行使するかどうかの判断はどうやって行うのか。日本版NSCは作ったが、日本にはCIAもMI6もない。あのパウエル長官でさえCIAに騙されてイラク戦争に踏み切った。だが大量破壊兵器はなかった。アメリカはイラク戦争で80兆円使って4,489人の兵士が亡くなった。イギリスは4兆3,000億円使って179人の兵士が亡くなった。そして何より15万人のイラク国民が亡くなった。この責任は誰がとるのか。日本には戦争する金もなければ判断する体制もない。
3.「アメリカに見捨てられる。」、「国際情勢が変化している。」から集団的自衛権を認めざるを得ないという声への反論
 アメリカに対する思いやり予算ははじめ60億円だったが2,000億円にまで膨らんだ。つまり日本はアメリカに基地を提供し費用を負担することで日米安保条約における義務を果たしている。これをもしアメリカが一から作り上げるとしたらどれだけ大変なことか。日本国内に米軍基地が点在していることは、つまり米軍の防衛ラインがどこであるかということを明確に示している。安倍総理の祖父である岸信介元総理は、日米安保条約は片務条約ではあるが、基地提供によって双務条約に等しいと言った。安倍総理はそのことを理解していない。
 また近隣諸国との緊張は日本が悪化させたものだ。2つの要素があった。1つ目は石原慎太郎元都知事が14億円を集め、本来は国が尖閣諸島を買うべきだと迫ったこと。野田佳彦元総理は着地点も展望もないまま尖閣諸島を買ってしまった。2つ目はバイデン米副大統領に中国とうまくやってくれ、事を荒立てないでくれと頼まれていたにも関わらず安倍総理が靖国参拝を行ったこと。安倍外交は中国、韓国、北朝鮮、台湾、そのどちらを向いてもうまくいっていない。
 私は安全保障(Security)と防衛(Defense)は違うと思っている。安全保障とは日本の敵を(外交努力によって)減らすこと、防衛とは武装して国を守ることである。ヨーロッパでは現在、ロシアより西では戦争は起きないとの予測からNATO全体で2,600億円の防衛予算しか持っていない。対して日本は一国で600億円を持っている。
 日本は憲法9条の平和主義の下で経済発展を優先させた。軍備に金を使わずに済んだ。財政の専門家としてもはっきり言える。日本に集団的自衛権を行使し戦争をする金はない。
 日本は外交によって仮想敵国を減らす努力をすべきであり、特にはじめから敵であると決めつけることはよくない。武士道の究極の目的は平和であるという教えを私は信じているし、その精神を日本が発信すべく外交努力を重ねるべきである。
 以上の通りであり、ものすごく説得力がありました。私が村上議員の話で再確認できたことは、やはりヒトラーと同じだという感じ方をしているのだなということ。そして去年麻生太郎副総理が「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。あの手口学んだらどうかね。」と発言したことを思い出しました。安倍総理は本当にヒトラーから学んでしまったのではないでしょうか。安倍総理と麻生副総理は確信犯ではないか、よく理解した上で戦後積み上げてきた民主主義、憲法に制約された統治体制を壊そうとしているのではないかと思います。それが第一次安倍政権の時から公言している究極の目的「戦後レジームからの脱却」なのでしょう。アベノミクスは順序からすれば二の次、経済の話は国民受けがいいから選挙の時に前面に出しただけなのです。
 もう一つ、徴兵制を覚悟しなければならないという指摘は、「集団的自衛権を積極的に行使するようになれば、必然的に徴兵制にいかざるを得ないと思う。」という民主党枝野幸男議員の指摘と重なります。これもその通りだと納得できました。
 とにかくこれだけ国の形を大きく変えるような話なのですから、到底憲法解釈の変更で変えられるような問題ではないのです。私のような考え方を共産党みたいだと非難する人もいるでしょうが、私は共産主義者でも社会主義者でもありません。戦後、自民党が作り上げて来た民主主義は村上誠一郎議員が示している路線です。私から見れば村上氏が保守本流、安倍総理は保守傍流です。安倍総理は保守というより石原慎太郎衆議院議員が掲げる新保守と同じだと思います。
 集団的自衛権の行使には憲法改正が必要であり、私達はその覚悟があるのか自問しなければなりません。これは国民が決めることです。自分自身は絶対に戦場に行かない長老議員や学者たちが安全なところから「集団的自衛権を行使すべきだ。」と決めることではありません。これからまだ生きていく世代が、日本以外の国を守る為に自分や家族の命を捧げる覚悟があるか、そのために税金を負担する覚悟があるかということです。
 それにしても平和を捨てた公明党はどこにいくのでしょうか。「修正で一定の歯止めがかかった。」などと言うのは自分達にしか通用しない慰めです。まるで政権にしがみついて壊れていった国民新党を見ているようです。

2014.07.03 (木)  曇り

 中学生の学校訪問があって、20名の中学生に向けて国語の特別授業を行う。みんなまじめに取り組んでいた。
 調子の悪いパソコンは、再インストール用のDVDが届いて復旧作業をしたが結局回復せず。ヘルプデスクの電話指示で2回も再インストールに挑戦してこの始末である。やれやれ。結局はハード側の問題だろうということで修理をしてもらうことに。いったいいつになったら仕事ができるようになるのだろう(…って、仕事しなくてイイのならそれが一番助かるが…笑)。9692歩。
 今日も安倍の暴挙に関する分かり安い記事が出ていたので引用しておこう。(朝日新聞デジタルより)
「やさしい言葉で一緒に考える 自衛の措置」

Q 「自衛の措置」ってタイトルだから、自衛権のことが書いてあるんだよね?
A ここに書いてあるのは、日本が攻められた時に自分で守る個別的自衛権に加え、深い関係にある他国を守り、戦争する集団的自衛権のことも。さらに、侵略した国をみんなでこらしめる集団安全保障(集団安保)も読み取れる。
Q なのになんで「自衛」とだけしか書いてないの?
A 公明党が集団安保に反対したから。それから、自衛といえば国民が理解してくれると安倍晋三首相が思ったからじゃないかな。
Q 「したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある」って、意味がわからない。
A 「憲法9条がこれまではこう読めたという範囲で、新たな結論を導き出す必要がある」といえるね。
Q 難しいなあ。なぜ、そんな言い方をしているの?
A 今回、集団的自衛権を認める根拠に1972年の政府見解(注〈1〉)を引用しているから。
Q それって、集団的自衛権は使えないという見解だったよね。何で使える根拠になるの?
A 政府は、日本を取り巻く安全保障環境が変化したからと言っている。北朝鮮や中国の軍拡のせいで戦争の危険が高まったと。日本のエネルギーに欠かせない、石油を運ぶタンカーが通る中東の海でも戦争があるかもしれない。そういう変化を考えると、72年の見解から、異なった結論を導き出せるというんだ。
Q 憲法解釈の一部を、自分の都合の良いように切り取って、無理やり結論に結びつけている感じだなあ。
A この文章で一番大事なのは、集団的自衛権も含め、戦争する時の3条件が書いてある。
Q 新3要件ってやつだね。
A さっき説明したような、安全保障環境の変化で日本が滅亡するような明らかな危険がある時にだけ、というのが第1要件だね。
Q 中東でタンカーに危険が迫れば日本は滅びるの?
A 石油不足でとても困るからという理由だね。
Q あれ? 「根底から覆される《明白な危険》」のところ、前は「《おそれ》」じゃなかったっけ。
A その通り。自民党と公明党の協議のなかで、公明が「おそれ」だと拡大解釈されるかも、と主張してこう変わったんだ。
Q 違いがよくわからないな。あとの二つの要件は?
A 外交交渉や話し合いはもうできず、戦争するしかほかに道がない時に、というのが二つ目。三つ目は、必要最小限の反撃。
Q 最小限ってどの程度?
A 客観的な基準はなく、ときの政権が判断することになる。相手を滅亡させるほどではないと、政府は言っている。
Q 「国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する」って? どういう意味?
A 集団的自衛権などの行使に、歯止めをかけようという意味がある。各国が認める国際法上は、個別的・集団的自衛権の行使や集団安保は認められている(注〈2〉)。でも、日本がそれらを使うときには、憲法の解釈に合わせ、判断しなければならないというんだ。
Q 次の文「憲法上許容される……」に至っては、まったく理解できないよ。
A 憲法上許される日本の戦争は、国際法上は、集団的自衛権の考えに基づく場合がある、ということだ。
Q 基づかない時もある?
A 首相や政府・自民党の人たちは集団的自衛権に加え、集団安全保障の考えに基づく場合もあると言いたいんだろうね。海外の戦争に加わる、集団安全保障は公明党の反対で先送りにしたから、どちらも可能と読める表現にしている。
Q 普通の人たちにそんなふうに読めないよ!
A 自民と公明の折り合いがつくように、政府の官僚が文を書いたからだよ。
 【注〈1〉】1972年見解=田中内閣が国会に提出した資料。「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に「国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置」として「自衛の措置」を容認。結論で「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」とした。
 【注〈2〉】国際法での集団的自衛権=歴代内閣は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と定義。国連憲章は「個別的または集団的自衛の固有の権利」、日米安全保障条約も「両国が国連憲章に定める個別的または集団的自衛の固有の権利」をもつと明記。ただ日本はこれまで憲法9条の制約から、集団的自衛権を「もっているが使えない」と解釈してきた。

 ついでに、今日の「オピニオン」欄の「大学生は英語で学べ」も面白い。国際教養大は就職が最もよい大学の一つで、就職だけに関して言えば東大を超えているかも知れない。その学長が論者の一人として「英語で教育を」と主張する。まさに即戦力のほしい企業の代弁であって目も当てられない。企業は自分たちのことしか考えていない。決して日本の将来や日本の若者の将来のことなど考えていない。この先生にはそれが見えていないのである。(ちなみに国際教養大の英語教育そのものは素晴らしいものらしい。だから、やりたいことが分かっている学生は、そのイイ教育を利用すればよいのである。)

2014.07.02 (水)  晴れ

 晴れると暑い。10587歩。
 「日本の立憲主義の歴史において、最も不名誉な日として残るだろう」と朝日新聞に言わしめた昨日の安倍の暴挙については、今日の新聞に読むべき記事が多い。その中から日本史や世界史を学習している諸君にとって参考になるのではないかと思われる、慶応大学教授片山杜秀さん(日本政治思想史)の「論理の暴走、戦前と同じだ」を引用しておこう。(朝日新聞朝刊より)

 「時務(じむ)の論理」という昭和10年代の日本で好んで使われた言葉がある。日中戦争が始まる。ナチスが台頭する。米は世界大恐慌で低迷。すぐ第2次世界大戦になるかもしれない。
 危機の時代に対処するのは政治の務め。緊急事態への即応力を高める。法律なんぞ後回し。それが時代の求める論理。時務の論理とは目先の都合にあわせて法解釈も何も変えてゆく論理だ。国の存立に関わる。この決め台詞(ぜりふ)で無理を通す。
 閣議決定で憲法解釈を変更。集団的自衛権は合憲。時務の論理の復活ではないか。平和憲法と集団的自衛権にはやはり矛盾がある。改憲の手続きが不可欠だろう。現政権は改憲する余裕なしと考えているようだ。明日にもアジアで有事があるかも。米が中東かどこかで協力を求めてくるかも。そのとき日本が即応できることが第一義なのだ。
 集団的自衛権の議論はかつてもあった。そこで抑止力となったのは歴史の記憶だった。敗戦の不幸な記憶だ。その記憶を血肉にし、この国の身の程をわきまえた自民党の長老が、党内のタカ派を抑えた。平和憲法の理念を信奉した社会党などの存在も大きかった。
 でも来年で敗戦から70年。記憶はいよいよ風化する。そして別の記憶が取って代わる。対米依存の「幸福な記憶」だ。日米安保体制を堅持してきたからこそ戦後日本はうまく運んできた。その記憶と、危機の時代の時務の論理が手を握る。米が弱ってきた。世界の危機だ。日本の出番だ。ここで日本がやる気を見せれば、より対等な日米関係を発展させうる。幸福は持続しうる。平和憲法は二の次。集団的自衛権容認の根幹思想ではあるまいか。
 だがこの幸福な記憶は今後もあてになるだろうか。20世紀初頭の日英同盟が思い出される。日英が手を結べば東洋平和は守れるつもりだった。けれど、やがて日英だけではアジア太平洋地域を仕切れなくなった。米が台頭したからである。日英同盟は終わり、米などを入れた多国間の安全保障体制に切り替わった。もちろん日米同盟は現時点で大切だ。が、集団的自衛権容認は平和憲法の精神にふれる。平和や自衛という言葉の意味の、異次元的緩和だ。拡大解釈だ。そこまでやらねば本当に国が危ういのか。
 時務の論理は危機の時代ならではの究極のリアリズムのつもりで展開される。が、あとから考えると近視眼的に興奮しての選択ミスということも多い。かつての日本は危機に負けない強い政治力を求めて大政翼賛会を作った。日本の独立自衛のため大東亜共栄圏を構想した。失敗に終わった。
 まだ遅くない。時務の論理の暴走を食い止めねばならない。声をあげよう。(聞き手・渡辺哲哉)

2014.07.01 (火)  曇り

 明治の教え子のO先生が日比谷に授業見学にいらっしゃる。見学後、わざわざ国語科まで挨拶に来てくれたのだが、私は会議で不在だった上に、ちょうどI先生のパソコンの修理屋さんがやってくるタイミングと重なってしまってその修理屋さんと誤解され、国語科の部屋に入るなり有無を言わさずI先生のパソコンの前に座らされるという、本人にとっては訳の分からない状況に投げ込まれたらしい。おまけに、I先生の机の汚さは折り紙付き。まったくお気の毒なことであった(笑)。
 夜の教育法は、いよいよ指導案の作成に入る。14339歩。