2015.02.28 (土) 晴れ
学力選抜採点第4日目。疲れた。もうこの方式では二度とやりたくない。倍率が高い学校、つまり採点枚数の多い学校、さらに言えば、受検生があきらめずに答案を埋め、その受検生の真剣さに同じ真剣さで採点者が立ち向かわなければならない学校は、他校と同じ日程・内容で入選を実施しろというほうが無理である。ちなみに、そんな窮屈な日程であることが分かっていながら、その日程に対応した採点計画を立てない教科もどうかと思う…と書きたいところだが、なにせ初めての採点方式だから、良心的にやろうとすればするほど、どれだけ時間がかかるか見通した立たないというのが現実であったといえるだろう。やれやれ。とにかく「疲れた」の一言である。12570歩。
2015.02.27 (金) 晴れ
学力選抜採点第3日目。昨日「勝負」と書いたが、勝負に負ける(笑・泣)。まだ採点終わらず…といっても、採点と点検まではなんとか終わらせて、明日得点合計とその確認・点検をすることにする。ミスの許されない作業とレベルの低い記述答案とのにらめっこで、もうヘトヘトである。10388歩。
2015.02.26 (木) 曇り・雨
学力選抜採点第2日目。共通問の理・社にも一部問題が生じたようで、どの教科も進捗状況の管理には苦しんでいるようである。国語も記述式の部分が思った通りには進まず苦戦中。やれやれ。それでも、とりあえず見通しは立ってきたので、明日が勝負といったところか。9528歩。
国立の前期が終わった諸君、私立の結果も出ていることだろう。2日の登校日が楽しみである。ただ、最後まで力を抜かないことが大切。後期を視野に入れている人も大勢いるのだから、そういう人たちを存在を念頭において節度ある最後の日々を過ごしてもらいたい。
2015.02.25 (水) 曇り・晴れ
学力選抜採点第1日目。昨年までは生徒が登校して授業と併行しながらの採点であったが、今年からは生徒は登校させないことになり、採点に専念できる環境が整えられた。ところで、今朝の新聞に発表された都立高校の入試問題のうち、国語の漢字の問題はかなり易しめであったが、独自入試実施校の漢字はそれなりに難しい問題である。さて、みなさん、できますか?
1 機嫌をソコねる。
2 立てフダを読む。
3 子供にはトウイ錠が飲みやすい。
4 ボクヨウ犬を飼う。
5 万緑の中にコウ一点の花が咲いている。
受検生諸君は3・4番が壊滅状態である。笑えるのは「投胃」。まあ1点あげてたいくらいである。「牧羊犬」はもう中学生の語彙にないのだろうか。「牧用」「牧養」がほとんどであった。
ところで、国公立の第一日目はどうだったろう? 「難しかった・出来なかった」と感じている人がいるかも知れないが、君たちが出来ない問題は、他の受験生もまず出来ないのだから心配することはない。明日また全力を尽くそう。12129歩。
2015.02.24 (火) 曇り・晴れ
学力選抜。全体的には何事もなく無事終了(個別的には、熱を出す生徒なども若干名いたが…)。本日のお弁当もおいしゅうございました。同僚会の先生方、ありがとう! さて、明日からは採点である。昨年度の都立高校の採点ミスを受け、今年からは新しい採点方式が導入されている。大変ではあるが、受検生のことを第一に考えて的確な作業を実施したい…と、採点責任者は思いを新たにするのであった(やれやれ)。
ところで明日から国公立大学の前期試験である。35R諸君、そして3学年の諸君、いつもの調子でいつもの力を発揮し給え。今までやってきたことに間違いはない。「4月からの自分の姿」を強く念じて、「時をかける少女」のように、自分の道を力強く切り拓き給え! 9648歩。
ところで、曾野綾子氏のトンデモ発言については、わざわざ触れる必要もないと思っていたら、そのことに関連したおもしろい記事があったので引用しておこう。(2月24日朝日新聞朝刊)
(表現のまわりで)差別発言、キャラで免責 寄稿・斎藤環(精神科医)
日本の言論界を妖怪が徘徊(はいかい)している。「キャラの立った高齢者」という妖怪が。
いきなり何事かと思われたかも知れないが、とりあえず曽野綾子氏は間違っている。彼女が2月11日付産経新聞に記したアパルトヘイト容認コラムのことだ。彼女はこう書いたのだ。「南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」と。
彼女はその後のインタビューなどにおいても「差別ではなく区別」などと弁明しているようだが、これが差別主義者の常套句(じょうとうく)であることは論を俟(ま)たない。よって、その間違いぶりの論証はここでは控える。むしろ残念だったのは、この発言へのまともな批判が、おおむね海外発だったことだ。
日本ではこのコラムがツイッター上で“炎上”したが、日本のマスメディアはすぐ報じなかった。まず記事にしたメディアは2月12日付の「ジャパンタイムズ」、ついで「ニューヨーク・タイムズ」「ウォールストリート・ジャーナル」などの大手紙が追随し、2月13日には南アフリカ大使が産経新聞に抗議する事態にまで発展した。
しかし、その後の朝日新聞の取材に曽野氏は「ツイッターで興奮する人々」「安倍総理のアドヴァイザーだったことはない」「チャイナタウンはいいものだ」等のとぼけた反応を返すばかりだった。
なぜ日本のマスメディアはすぐに反応しなかったのか。これも現政権による言論統制の成果なのか。おそらくそうではない。今回のコラムは「あの曽野綾子氏」が、いかにも「あの産経新聞」に書きそうな内容だった。つまり“平常運転”なのでニュースバリューはなかった。もし曽野氏が「格差解消のために累進課税の導入を」などと発言したら一大ニュースだ。人が犬を噛(か)んだらニュースになる、とはそういうことだ。
曽野綾子氏は自他共に許す保守論客だ。しかも、たいへんキャラの立った言論人だ。過去にも「性犯罪に遭った被害者にも落ち度がある」「(震災直後に)放射線の強いところには高齢者を行かせよ」などの語録が知られており、まともな言論人なら、たとえ思っていても口に出せない“ホンネ”を代弁してくれる貴重な存在である。ついでに言えば保守論壇には、曽野氏に限らず、けっこう「濃いキャラ」の論客が多い印象がある。
そして、ここに陥穽(かんせい)があるのだ。
私たちは世界にもまれなキャラ文化の住民だ。キャラの立った保守論客のトンデモ発言すらも、「ああいうキャラだからしょうがない」と笑い、「ツッコむだけ野暮(やぼ)」と免責する程度には寛大だ。しかしこれは、「立ったキャラ」の言動については責任能力を問わない、という意味で差別であり、キャラの人権の否定にほかならない。保守論壇人といえども人権は尊重されなければならない。私は曽野氏の人権の回復のためにも、メディアが彼女をキャラとして差別し消費することに、強く反対するものである。
ちなみに、こういう「皮肉」を書いてほくそ笑んでいるだろう斎藤環氏(繰り返すが精神科医)は、私はかなり嫌いである。が、確かにこの指摘は「ご尤も」。ちなみに曾野綾子氏は「保守論客」でいいのだろうか。保守論客にも良識的で論理的な方はいるに違いない。「論客」にも値しないということでイイのではないか。
2015.02.23 (月) 雨・曇り
午前中3時間授業をした後、明日の学力選抜の会場作り。昨年の3年生は汚い教室も多く、結構我々2年が苦労して掃除したこともあり、今年は金曜日に登校した生徒に掃除をさせておいたのである。そのせいか、机・椅子の整理整頓とゴミ捨てくらいで準備完了であった。教室の時計も最近は電波時計なので、電池さえ替えれば時間調整も自動。便利になったものである。早・慶の合格報告もあり、気分のイイ一日であった。11393歩。
2015.02.22 (日) 雨・曇り
午前中、録画しておいた山田洋次監督「小さいおうち」を見る。去年、タイに出かける途中の飛行機の上で見たのだが、改めて見るとなかなかイイ映画である。午後からいろいろ家の用事を済ませる。夜、久しぶりに夫婦で約35分間ウォーキング。身体が温まるし、ちょっとはストレス解消?(笑)
(新しいパソコンです)
2015.02.21 (土) 晴れ
午前中、クロッカスの開花が進んだという情報を信じて昭和記念公園に。確かに開花が進んでいたが、まだ撮影するには…といった感じで残念。かわりに、ヨウズイセンを撮影。ただ、ニホンズイセンに比べると魅力が感じられないなぁ。ところで、今日は初めて自転車を借りてみる。3時間410円也であるが、かなり気分爽快でイイ感じ。おまけに、当然のことながら歩くよりもずっと時間短縮ができる。また借りてしまうかも(笑)。
2015.02.20 (金) 晴れ
クラスから早稲田合格の第一号が出る! ご本人には悪いが意外な(笑)結果で、これからますます期待がもてるといったところか。7212歩。
キヤノン・フォトサークルに写真が掲載される。タイトルは「日差し」。7日のところに掲載したものである。ジャンルマスターのいだよう先生から「前後のボケに挟んで小さく捉えたことで、スノードロップの小さく可憐な姿がうまく表現されました。冬の澄んだ光も感じられますね。」とご講評いただく。なるほど、スノードロップって、なかなか可愛いでやんすね。
2015.02.19 (木) 晴れ
添削に明け暮れる。その合間をぬって、午前中、教職を目指している教え子が訪ねて来る。東京都の島嶼の学校について話したリ、私立学校の採用試験で行われる模擬授業に向けたアドバイスをしたりする。午後、雑誌『文学界』(文藝春秋社)の編集長が、ある特集記事の企画について相談したいということで来校する。なかなか面白い企画なのだが、さてどうなることやら。9385歩。
内田樹『街場の戦争論』(ミシマ社、2014)読了。最近のISIL問題と関係する部分を一カ所だけ引用。
二〇二〇年東京五輪招致決定のときにもあちこちで書きましたけれど、マドリード、イスタンブールと東京を比べたときの東京の相対的優位の第一の理由は「テロに対する安全性の高さ」ということです。(中略)
日本でテロのリスクがきわめて低いのは、日本が海外の紛争に軍事介入してこなかったからです。そして、軍事介入しなかったのは、日本国憲法第九条がそれを禁止していたからです。招致成功の最大の理由は「憲法九条」の効果です。でも、招致派の人たちは誰も憲法に対する感謝を口にしません。それどころか、招致の成功の理由に「自分たちのプレゼンがうまかったから」というようなばかばかしい理由を挙げた。ご存じのとおり、安倍首相をはじめ招致派のほとんどが改憲派です。自分たちが否定している当の平和憲法から恩恵を受けながら、それをまるで自分ひとりの手柄であるかのような顔をして、招致の「成功」の勢いを借りて平和憲法を廃絶しようとしている。大恩ある日本国憲法に対するこの「忘恩」の態度に僕は我慢がならない。
本当にその通りで、今の政権がやろうとしていることには「我慢がならない」のである。
2015.02.18 (水) 雨
今日も寒い一日、午後から白百合女子大に出かける。長らく教科書編集をともにしてきた先生から、教職希望者に対する模擬授業を依頼されたからである。ご恩のある先生だし、それ以上に「女子大!」なので(笑)、即OKする。教職の資格を取得するには(私の頃とは大違いで)多くの単位や実習参加が要求されるから、今時はまじめでしっかりとした学生さんがほとんどである。しかも、大学の通常講義が終わっているこの時期の集中講義に(雨の中?)出てきている学生さん方(26名)だけあって、たいへん熱心に模擬授業に参加してくれ、授業をする方としてもなかなか楽しかった。授業というものは、(1)授業者だけがつくりあげるものではなく、授業者と学習者との間に成立するものであること、(2)それ故、発問を中心とした考えさせる授業を目指したいこと、(3)そのためには、教材研究が何よりも求められること。これが今日の模擬授業を通して私の伝えたいことであったのだが、うまく伝わっただろうか。7055歩。
2015.02.17 (火) 曇り・雪
寒い一日、添削に親しむ。早慶の入試が始まったこともあり、3年生の姿は少なめである。東北で地震があったが、大丈夫だろうか? 6843歩…と、今日も少なめであった。
今日の朝日新聞「リレーおぴにおん」(金継師、黒田雪子さん)は、あまりにも素朴で当然すぎる内容なのだが、自分もこういうことを常々感じているところなので引用しておきたい。
学校を卒業後、グラフィックデザインの仕事に就きました。稼いだお金で好きなものを買えることが誇らしく、ブランドの服を買ったりもしました。バブルの時代でした。
でも次第に、心の中が殺風景になってきた。デザインの仕事も「速く安く」という要求が強まってきていて、のんびりした性格のせいか、自分には向いていないと悩み始めたんです。
そんなころに出会ったのが保存食です。きっかけは、大家さんが庭の梅の実を下さったこと。図書館で本を借りて、生まれて初めて梅干しを漬けてみた。家にあったアルミの寸胴鍋でね。そしたらなんと、梅の酸で鍋の底が溶けてしまったんです。びっくりすると同時に、がぜん興味がわいてきた。
人の思うとおりにならない世界にひかれたんだと思います。みそ、漬物、いろいろ挑戦しました。どれも、自然の力を信じて待つしかない時間が長い。同じ分量で作っても毎回味わいが違う。それが、何とも楽しいのです。
世の中のスピードはどんどん速まり、効率性はますます重視される世の中です。でもそればかりに目を向けていると、別の豊かな世界を見逃してしまうのではないでしょうか。便利や効率を手放すことの中に、何か大切なヒントが隠れている気がするのです。
例えば、便利なものって人の持っている能力を肩代わりするものですよね。すごい製品が開発されるにつれ、人は衰えていく一方になりませんか。冷蔵庫や炊飯器に頼らなくなると、においや音に敏感になります。腐っていないか。おいしく炊けているか。本来の五感がいきいきと働き始める。生きる力が高まっているのを感じます。
2015.02.16 (月) 晴れ
クラスで最初の進学先決定者が出る。第一志望への進学が決まったとのことで、うれしい限りである。自分の夢の実現に向けて、より一層の飛躍を期待したい。
今、内田樹『街場の戦争論』(ミシマ社、2014)を読んでいるのだが、政治家たちが「経済成長に特化した国づくり」をしたがっているという分析は興味深い。内田氏が述べているように、この予想が外れることを祈るばかりである。
授業がなくて添削ばかりしていたせいか、6683歩。う~ん、もう少し歩かないとね。ちなみに、赤の水性ボールペン2本目を使い切る。
2015.02.15 (日) 晴れ
Windows8.1のガイド本を買ってきていろいろ勉強する。年をとると、新しい作法に慣れるのも大変……で、結局フリーソフトを使ってWIndoows7風にして使うことにしたのであった。ちなみに、今年の年末に発売されるらしいWindows10は、キーボードに回帰した感じのWindows7風に戻るそうな。これだけタブレットばやりだが、やはりキーボードは偉大な存在なのだろうか?(というか、パソコンとタブレットを融合した使い勝手を目指したのだろう)。
2015.02.14 (土) 晴れ
パソコンのCドライブが、いくらクリーンアップしても1Gを切ってしまう状況になったので、とうとうパソコンを新調する(1Gないと、画像の編集もままならないのである)。基本的に仕事用なので、なんの変哲もないWindows8パソコンだが、メモリだけは16Gにした。午前中に届いたので、データの引っ越しなどを一日かけて行う。とりあえず、快調である。
2015.02.13 (金) 晴れ
寒い一日。明日はバレンタインデーだが、今日は「13日の金曜日」である。登校している生徒たちと教室でおしゃべりしていたら、運良く義理チョコ?をゲットする。生徒たちの間では、手作りしてもあまり美味しくはならないチョコよりも、手作りすると美味しくなる(可能性がある?笑)クッキーの方が流行っているらしい。ハロウィンとの区別がつかなくなりつつあるようで、何となく残念な気がしないでもない。9725歩。
2015.02.12 (木) 晴れ
国公立の第一段階選抜の結果が昨日発表されたが、今日顔を合わせた諸君は、全員が選抜ラインを突破したということで何よりである。(ただし、顔を合わせていない諸君はどうだったのだろう…?)
午前中、椅子に座って仕事や添削をしているうちに、徐々に腰が重くなってきた。特にヒドイと言うのではないのだが、席から立ち上がろうとする時などに腰に大きな違和感を感じるのである。仕方ないので、帰りがけに行きつけの整体に寄って身体をほぐしてもらう。
そんなこともあって、あまり歩かなかったせいか、7221歩。
2015.02.11 (水) 晴れ
2015.02.10 (火) 晴れ
京都でお花屋をやっている浦沢美奈さんという方の本をある機会に知って、それを図書室でも購入してもらったのだが、本当に美しい花の写真が満載のステキな本なので、ついつい自分でも購入してしまった。『なはのいろ』『FLEURS A Kyoto』(←この2冊が図書室にある)のほか、『HARMONIE』『お花屋さんのノート』『花の楽しみ方ブック』など、どれもイイ感じである。ただし、最後の2冊は古本屋でないと手に入らない。美しい写真で、添削の合間の休憩である。
*万歩計はやはり電池切れであった(電池切れの表示が出ていた…)。早速ボタン電池購入。
2015.02.09 (月) 晴れ
午前中、学力選抜に向けて提出された書類などの点検作業。3時間以上の作業でクタクタ。ただ、かつて自分がこの入選担当をしていた時のことを考えると、この作業がしっかり済まない限り次の作業に取りかかれないこともよく分かっているので、新担任予定者が文句の割には働かないのを横目で見ながらできる限り協力する。
午後からは、ひたすらたまった添削をこなす。土日にやりためる生徒が多いから月曜日は提出数が多く、その上今日の午前中は作業でつぶれてしまったから地獄なのである。やれやれ。
ところで、今、タイのプラユット・チャンオーチャー暫定首相が来日していて、その様子がニュースで伝えられているが、彼の隣にいて通訳をしている丸顔の若い女性は、なんと私たちが昨年の夏休みにタイに行った時、タイ外務省の中を色々と案内してくれたお嬢さん、つまり、附属高校の卒業生で主人の教え子の一人である。こんな形で活躍している姿を見るのはうれしいものである。
*万歩計が調子悪いのである。今日は3402歩となっているが、朝学校に着いた段階で2302歩だったのだから、帰りのことを考えるとこんなはずはないのである。とりあえず、電池でも替えてみる予定。
2015.02.08 (日) 晴れ
今日の朝日新聞の朝刊の「(考論 長谷部×杉田)社会を揺さぶるテロ、どう向き合うか」から。
■国には国民保護の義務がある 杉田/判断尊重してこその自己責任 長谷部
杉田敦・法政大教授 邦人人質事件を受けて、まず原則としておさえておきたいのは、近代国家には自国民を保護する義務があるということです。
長谷部恭男・早稲田大教授 はい。これは国民国家である以上「ある」としか言いようがなく、あり方は国によって違います。
杉田 後藤健二さんに対し、外務省は3回、注意喚起をしていたそうです。ネット上などでは、危険を知りつつ行ったのだから自己責任だ、家族が国家に助けを求めるのはおかしいという言説が根強くあります。
長谷部 自己責任ではあるでしょう。後藤さん自身もそう言いのこしています。ただし、自己責任であろうと、国民国家は自国民を保護しないといけない。
杉田 火事が起きたら、失火でも放火でも原因に関係なく消防は消火活動をする。それと一緒ですね。
長谷部 そうです。急性アルコール中毒になった人がいたとして、自分の意思で飲んだのだから救急車は出さないという話になるのか。ならないでしょう。
この部分は私には説得力がない。火事は放っておけば被害が広がるから消火するのであろう。救急車は要請があるから出動するのであろう。(それでも緊急でない場合にも要請する人が後を絶たないが故に、無制限な救急電話は止めようという話になっている。本来必要な人が使えないからである。) あの二人に関して、本当にこの喩え話の範囲にあるのだろうか。
ちなみにこの対談はおもしろく、イスラム国のそもそもにイラク戦争があり、それに対して日本も支持した事実を明確に指摘している。一方、長谷部氏のフランスの事件に対する見解(自由に対する見解)には、私は大きな疑問をいだく。特に「日本では『表現の自由は大事だが節度は必要』という言説が広がっている。誰の気にも障らない表現だけを認める自由なら北朝鮮にもあります」という発言は、あまりに大雑把にすぎると思うがいかがだろう。
2015.02.07 (土) 晴れ
今日の朝日新聞「be」は面白い記事がいっぱい載っていた。「再読」のコーナーには、小西甚一先生の有名な参考書『古文の読解』(もともとは旺文社、現在はちくま学芸文庫から)が紹介されていたし、「DO科学」のコーナーの「ハチミツはなぜ腐らないの?」もおもしろかったが、ここでは「サザエさんをさがして」のコーナーの「青信号 色名の歴史をさかのぼれば」を一部引用しておこう。というのも、私の尊敬する小松英雄先生の説が紹介されているからである。
「なぜ緑の信号を青と呼ぶのか」という本題だ。1930年、日本で初めて東京・日比谷の交差点に自動式交通信号機が導入された。以来、なぜ「青信号」が定着したのか。警視庁のHPの「なんでもQ&A」(04年5月)では、日本語では青菜や青物など緑色のものを「青」と呼ぶ場合が多く、色の3原色「赤・黄・青」からもそう呼ばれた、と推測している。
この問題を、「青と緑」ではなく、青信号と、その反対を意味する赤信号を加えた「青と赤」の視点から分析するのが、『日本語の歴史』の著者で筑波大名誉教授の小松英雄さん(85)だ。同書の副題は「青信号はなぜアオなのか」である。
私たちには想像しにくいが、古代の日本語にはそもそも色彩(カラー)を表す語がなかった。「アカ」(明るい)、「アヲ」(淡い、ぼんやり)、「シロ」(くっきり)、「クロ」(暗い)の4種類の色合いの名だけがあった。小松さんは、COLORに対して、HUE(トーン、色合い)という語で、ニュアンスの違いを説明する。この4語は密接に関係し、アカ・アヲ、シロ・クロなどは、グラデーションでつながる対語(セット)だった。
時代が下り、色彩を表す語が必要とされ始めた。先の4語がそれぞれレッド、ブルー、ホワイト、ブラックをも表すようになり、色合いより色彩の意味が優勢になった。
だが、色合いの意味も残った。小松さんによれば、「顔が真っ青になる」とは「青色に変化する」のではなく、「血の気がひいて淡い色になる」意だ。また、赤紫蘇・青紫蘇、赤カビ・青カビや素人・玄人などは色合いのセットの名残で、信号についても「赤」に対して「青」と呼び始めたのは、日本人にはごく自然な対の命名だったという説明だ。
2015.02.06 (金) 晴れ
「国語科の机の上のノートらに我泣きぬれてペンと戯る」(白墨)
歌意=国語科の私の机上に山と積まれた添削希望のノートたちを見るにつけ、涙を流しつつ赤ペンを握っては笑える解答たちと格闘するのであったよ。オソマツ…。 参考歌=「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」(啄木 『一握の砂』)
2015.02.05 (木) 雨と雪
学力選抜の願書受付。私は、受け付けた願書のデータ入力係。朝9時過ぎから4時近くまで、4人ずつの2チームが1時間交代で入力する。
放課後、最後の補習。『東大のディープな古文・漢文』(田中照彦、KADOKAWA)にも取り上げられた問題を使って、残りの日々の勉強法のポイントについて伝授?する。最後まで出席した諸君には、きっと素晴らしい結果がついてくる…かも知れない(笑)。
2015.02.04 (水) 晴れ
卒業認定会議もあるので、いよいよ出校する。「風邪なのに飲みに行くからだよ~」とこの日記を読んでおられるらしい先生方からからかわれる。やれやれ…。
しかし、2日も休むと容赦ない添削の山(16冊…)である。朝から放課後まで格闘しても終わらず。東大が憎い!(笑) しかし、添削を引き取りに来たり、依頼に来たりする生徒から、「先生、風邪治った?」とか「声がヘンですね~」とか言われているうちに、聞こえにくかったはずの耳もだんだん聞こえてくるようになったりして、なるほど、教員にとって生徒とは偉大でありがたい存在なのであったよ。8402歩。
2015.02.03 (火) 晴れ
熱はないのだが、ノドの調子が悪い上に、耳に水が入ったみたいになってしまったまま治らないので、今日も休暇をもらって耳鼻科に出かける。自分のことで耳鼻科に出かけるのは、たぶん人生で二度目かも。耳管狭窄症ということであるが、名前に割には大したことがないことが分かりホッとする。吸入をしたり、鼓膜に圧力をかけたりする治療を受け、薬をもらって帰宅する。午後いっぱいのんびり読書して、やっと回復傾向である。
1月28日に行われた国際シンポジウム「中東崩壊の抑止」(同志社大学高等研究教育機構など主催、朝日新聞社後援)での、トルコのヤクシュ元外相の基調講演から引用。(朝日新聞デジタルより)。
いま、イラク、シリア、イエメン、リビアの人々の安全や人権は深刻な状況にある。これらの国々に共通するのは、外国の介入を受け続けたということだ。
まず混迷が続くイラク。原因は2003年の米国による侵攻にある。多くの人が命を落とすなど犠牲が払われたが、イラクがより安全になったとは誰の目にも映らない。
シリアも外国が介入した不幸な例だ。アサド政権は専制で、武力で民衆を弾圧したのは確かだ。だが、外国が反体制派に武器を与えたために、政権側の兵士も容赦なく反体制派を攻撃するようになり、多くの人命が失われた。「死者を減らすために武器を与える」という論理は成り立たない。
各国が抱える問題は複雑で、簡単な処方箋(せん)はない。各国が自身で解決しなくてはならない。外部からの内政干渉は最低限に抑えるべきだ。干渉が民主主義を改善するものでなければ、結局は対立をあおり、「イスラム国」のような勢力が支配地域を広げるだけだ。
イスラム国のそもそもの原因を作った「米国による侵攻」を、当時の小泉自民党政権は支持したのである。
2015.02.02 (月) 晴れ
ノドの痛みと咳、頭痛が治まらず(熱はない)、休暇をもらって午前中再び病院へ。注射を打たれ、新しい薬をいただく。その後、家でじっとしている。昨日から横になることが多かったせいか腰がいたくなってきたので、ストレスレスチェアをリクライニングしてその上で過ごす。先日、映画「ハンナ・アーレント」を見て面白かったこともあり、本棚から『イェルサレムのアイヒマン』を引っ張り出して読もうとしたが、ウトウトして5ページしか進まず。咳はだいぶ治まってきてはいるものの、相変わらずの頭痛で体調もどうもスッキリしない。やれやれ。
2015.02.01 (日) 晴れ
夫婦ともども風邪の調子が今一つ、家に引きこもって治療中。(ところで、今月のビルボードのニホンズイセンの写真はキレイでしょ?←自画自賛・自画爺さん)
テロとの戦いと言うが、いったい何がゴールなのだろう? 例えばイスラム国が求めるモノとはそもそも何なのだろう? それが分からなければ、そして、分かったとしてもそれが受け入れられないことなのだとしたら、いったい日本は、そして国際社会はどうしたらよいのだろう? 人質事件の背景にある課題は、グローバル化した世界だからこそ突きつけられた、極めて困難な課題だといえよう。