7月

2019.07.31 (水)  晴れ

 今日は講習の中休み。で、夏らしい昼ご飯を食べに出かけてきた。
P7310088.jpg(こんな所に行ってきた)
P7310093.jpg(カボチャの冷製スープ)
P7310100.jpg(桃とトマトの冷製パスタ)
P7310101.jpg(七種の野菜の温パスタ)
P7310113.jpg(ラズベリーシャーベット)
 ちなみに、これは「レディースコース」なのだが、男性も注文できるのであった。(冷製パスタは主人が、温パスタを私が注文。あと、サラダとコーヒーが付いたのだが、撮るのを忘れた)
 今日の教養は「ホロコースト」。この事実はもちろん重いのだが、それにつけても、そのような体験をしたはずの人々が行っているパレスチナでの蛮行は、一体どうなっているのだろう…と思ってしまう。

2019.07.30 (火)  晴れ

 昨日よりもさらに暑いです。今日はうまく時間内に終了。ちなみに、今週も勤務日ではないのだが、3年生の皆さんのために奉仕しているのである。エライ! 10025歩。
 今日の教養は「カルマ」。道徳的な因果の連鎖のことで、ヒンドゥー教の中核をなす考え方。仏教の因果応報と異なるのは、仏教が因と果との結びつきを完全に自然法則的に捉えるのに対して、ヒンドゥー教では、ブラフマン神が来世でのあり方を決めると考えている点である。
 ところで、この本ではキリスト教の次にイスラム教のことが大きく取り上げられているが、日本ではあまりイスラム教のことは知られていなかった。それが日本でも広く(浅くではあるが…)知られるようになったきっかけは、例の9・11なのだそうである。だから、日本ではあまりイスラム教のイメージがよくないのかも知れない。

2019.07.29 (月)  晴れ

 暑いです。今日からセンター試験対策の講習が2コマ。1時間目の方は、昨日の疲れが残っていたせいか?今一つ思い通りにすすまず時間不足に。明日からは気をつけよう。8214歩。
 丸山議員のN国入党はちょっとどうかと思う。もちろん、丸山氏はそういう人間だろうし、行き場がないのだから驚かないが、問題はN国の方である。戦争…発言で、議員にふさわしくないと国会で決議された人物を党勢拡大のために入党させるとしたら、極論すれば、党勢拡大のためには戦争もいとわないということになりかねない。そもそもN国の主張とはまったく関係のない人物だろうし、N国に投票した人はこの入党をどう考えるのだろう。この人を入党させるなら、投票しなかったという人もいるのではないだろうか。選挙の結果に浮かれて、選挙制度そのものを貶めてしまっていることに気づかないのだろうか。
 内田樹編『街場の平成論』(晶文社、2019)に収められている、政治学者白井聡さん(京都精華大学講師)の論考「ポスト・ヒストリーとしての平成時代」が面白いので一部引用。なお、途中に斎藤(環)氏の引用があるが、斎藤氏の論はそもそもよく分からない論なので無視して結構。

 そして、疑いなく、平成時代は「成熟の拒否」が全面化に至る過程でもあった。そのことは、今日の大学のキャンパスの風景を一瞥するだけで了解できることだ。政治的・社会的メッセージを伝える媒体が消え、「成熟の拒否」の典型であるオタク文化的表象(ロリータコンプレックスを露骨に表出するもの)が「あられもなく」氾濫するようになった光景がそれを物語っている。筆者の知る限り、成熟の拒否がかくも大っぴらに(恥ずかし気なく)謳歌できる文明は、日本以外にはあるまい。(中略=ここで、百田尚樹『永遠の0』がいかに奥行きのない作品であり、それ故に読まれたという現象をもとに、他者性の理解という感情の成熟過程の欠如が、感情の劣化に結びついていることが論じられる)
 感情の劣化は、いわゆるネトウヨの増殖といった攻撃的な人格の大量――しかし、少数者にすぎない――発生についてつとに指摘されるが、こうような逸脱的な事例と異なり一見無害なかたちで、はるかに広範に広がっている。例えば、マツコデラックスはティーンエイジャーのカリスマである(らしい?)西野カナ(歌手)に関して、次のような辛辣だが正論と言うほかない言葉を投げ掛けている。
  「「ありがとう、君がいてくれて、本当よかったよ…」なんて詞をどう解釈しろっていうのよ。どこに心の機微があるの? 「ありがとう」ということを自分なりの言葉に代えて表現することこそが、作詞活動じゃないの? あのボキャブラリーでよく歌詞なんか書こうと思ったものね。あんな3歳児でもわかるようなフレーズじゃないと、今の若い人たちは共感できないの? そんなに想像力がなくなっているの?」                        (『世迷いごと』双葉社)
 重要なのは、「心の機微」の表現が稚拙なのではなく、そもそも「心の機微」が存在しない、ないものは表現できない、ということだ。他者の感情の複雑な動きを感知して読み取ることは、訓練なしにはできないし、その読解能力を持たない者は、自らも複雑な感情を持つことはできない。昭和から平成にかけてのヒット曲の歌詞を検証してみれば、国民の文芸的リテラシーの崩壊的低下(「3歳児でも分かるようなフレーズ」の増殖)は明白であると思われるが、それは音楽産業の栄枯盛衰などよりもはるかに重大な事態、すなわち、日本人の感情を表現する能力が低下をきたしたことではなく、感情そのものの質の低下を示唆するものであろう。水村美苗がベストセラー『日本語が亡びるとき』(2008年)において主に警鐘を鳴らしたのは、グローバル化(英語化)のなかで知の媒体としての日本語が衰退する事態であったが、状況はおろらくより一層深刻である。「日本語が亡びる」という事態は、日本人の感情の活動そのものが劣化することをも意味している。
 かくして、斎藤が言うようにポスト・ヒストリカルな主体の全能感・万能感は、その反対物、完全な空虚さへと転化するのであり、それは最近の日本人の言語活動の端々に明瞭に表れている。例えば、「業平橋」という駅名を「スカイツリー」に気軽に変更し、山手線の新駅に「ゲートウェイ」なる語を平気で充ててしまえる感性の登場は、資本による生活世界の全面包括・植民地化の一端を示しているだけでなく、「歴史」の許を去った人間の自由(万能性)とかかる人間の空虚性を表している。

 今日の教養は「実存主義」。サルトルやカミュという名前(そして、それぞれの作品)は有名だが、その思想の実態を説明するのは難しいらしく、例えば「人間は、自分の運命を自由に選ぶことができる」といったところか。

2019.07.28 (日)  晴れ・曇り

 上の二人がおとーさん・おかーさんと水泳の練習ということで、一番したの孫を預かり、光が丘の夏の雲公園に遊びに行く。水遊び場が楽しかったが、すっかり晴れ上がって暑かった~。その後、家でブロックをしたり、本を読んだり、お絵描きしたり。じーじ・ばーばは、暑さにやられてグロッキー気味…(笑)。
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 今日の教養は「新ウィーン楽派」。シェーンベルクとその弟子であるベルク、ヴェーベルンの3人。無調性の合理的システムである「十二音技法」とか「全セリー技法」などが解説されているが、聞いたことがありません。

2019.07.27 (土)  晴れ・曇り

 台風が来ているらしいが、合間をぬって庭の手入れ。午後からノンビリ。
毎食ごとにコレ! 幸せ!)
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 今日の教養は「円周率」。簡単な定義でありながら、正確な値が計算できないところが面白い。2005年に日本人の男性が8万3431桁まで暗唱したそうだ。現在、スパコンによって1兆2411億桁まで求められている。

2019.07.26 (金)  晴れ・曇り

 届きました! 持つべきものは北海道の親戚であるなぁ…(笑)。狭い我が家は「天然メロン」という芳香剤に満たされてウットリである。早速、孫たちにも届けよう。
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 とりあえず、講習が2つ終了。終了後、理系の生徒が「先生に○○(理系科目)も習いたいです」と話しかけてきたが、どうもその生徒は○○が苦手らしく、今回の古典の講座が分かりやすかったので、そう言ってくれたらしい。なかなかウレシイ。8329歩。
 今日の教養は「キュビズム」。数学的な遠近法を排除し、人間や物体の形を幾何学的なフォルムに還元した。
セザンヌ、マティス、ピカソ、ブラックらである。

2019.07.25 (木)  曇り・晴れ

 昨日と同じで90分×2講座で消耗。おかげで、今期の体重最軽量!を達成(笑)。7873歩。
 今日の教養は「『これは世界に宛てた私の手紙だ』」。アメリカが生んだ最も優れた詩人の一人、エミリー・ディキンソンの詩のタイトル。もちろん、読んだことはないが、スタイロンの『ソフィーの選択』(映画にもなって、若き日のメリル・ストリープが素晴らしい演技を披露した…)にも登場したのが印象に残っている。

2019.07.24 (水)  曇り・晴れ

 今週は夏期講習の週で、私は「東大の国語」担当。月・火は現代文担当のS先生が講義し、今日から金曜日までの3日間で私が古文と漢文を講義する。90分2回で、難しい問題でもあり、かなりくたびれる。帰りの電車では、図書室で借りた『夢判断』の新訳を開いたまま居眠りであった。11066歩。
 今日の教養は「アドルフ・ヒトラー」。民主的な選挙を通して総統となったことは肝に銘じたい。

2019.07.23 (火)  曇り・晴れ

 午後から蒸し暑くなった。新聞に京都大学山中伸弥先生のインタビュー記事が載っていて面白かったので、かなり長くなるが途中から引用。研究者を目指す人は読んでみて。(朝日DIGITAL 20190723)

山中伸弥さん「人はモンスター」   令和、運命決まる時代

――科学の進歩で寿命が延び、社会的な弊害も指摘されます。
 「私たちは平均寿命と健康寿命の差を1年でも短くすることを目指しており、ただ寿命を延ばす研究はしていません。30代の初めのころ、留学先の米国の指導者がこう言いました。『シンヤ、一生懸命研究すると、心筋梗塞(こうそく)で亡くなる人は減るだろう。個人にはいいことだが、社会として本当に幸せなのか』。当時、そんなことは政治家とかに考えてもらえばいいと思い、一生懸命研究することしか考えませんでした。それから25年。医療技術の発達もあり平均寿命は延びました。教授の定年も65歳になり、将来は70歳になるかもしれない。若者の職を奪うことになりかねません。どこの組織でも同じです」
――iPS細胞研究所も9割以上が有期雇用だそうですね。
 「有期雇用が多いのは、研究所の財源のほとんどが期限付きだからです。でも研究成果を実用化して患者さんに貢献するには、長い期間がかかります。そこで、長期支援をしてくださる応援団が必要になるのです。寄付を募って、長期雇用するための財源や、若手研究者の育成、知財の確保や維持に使っています」
――若手とシニアの研究者の役割分担をどう考えますか。
 「これまで日本は人生が1サイクルという考え方が中心でした。教育を受けて会社に入り、終身雇用で、定年後に20年ぐらい生きる。でも、気づいたら100歳まで生きる人が増え、定年後も元気な時間が長くなりました。単に定年を延ばすと、若い人にしわ寄せがいき、ゆがみが生じます。シニアは2サイクル目の人生を考えるべきでしょう。同じことを続けて若い人と競争するのは、マイナス面の方が大きいです。日本はアイデアや発想より、人脈とかが重視されるから、研究費の獲得でも年長者が有利になります。若い人と競争するのではなくサポートにまわり、メンター(助言者)的な役割を果たしていきたいと思います。同じ業界でなくてもよいのです。人生経験は生きますから」
――日本の研究開発力の低下が深刻な問題になっていますが、その解決にもつながりますか。
 「研究力の低下は、非常に大きな問題です。研究はアイデアや想像力が非常に大切です。この能力は若い方が非常に高く、年を重ねると減ります。特に基礎研究で新しい概念を打ち出すなら、若くて優秀な人に早く独立した研究室を持たせ、自分で自由に差配できる研究をしてもらう必要があります。しかし、独立したもののサポートが受けられないと、研究以外の雑事に忙殺され、才能がつぶれる危険性が高くなります。経験やマネジメント能力は年齢を重ねることで得られますから、シニアがサポートして若い人が研究に集中できる組織や体制を作ればいいと思います」
――学者が研究に使える時間の少なさも問題ですね。
 「日本は研究者に高い事務能力が求められますが、研究能力とは必ずしも比例しません。米国では研究者にそこまでは求めない。事務仕事をサポートする人がおり、その分、創造性が求められます。米国の研究者は一見、暇そうに見えます。夕方5時、6時になると帰り、夏に2、3週間休みます。成功したら、いい家に住み、ポルシェとかに乗っている。学生が研究者に憧れる雰囲気にあふれています」
――研究者を魅力ある職業にすれば、優秀な若者が増えますね。
 「ただ目利きが難しいのです。大きな可能性がある研究者かどうかは、短い申請書ではわからない。過去の業績は評価できても、新しいアイデアや人となりは評価できません。しっかりした人は5年間成果がなくても支援する価値があります。研究には作法があります。失敗や予想外の結果もしっかり記録に残して解析している研究者であれば、その繰り返しにより驚く成果がでることがあります。そういった努力は書類だけではわからないので、組織が日常的に客観的な評価をしないと、埋もれている才能を発掘できません」
 「例えば大学院生の時に有力科学誌に論文が載った人は、書類上は素晴らしい評価となります。でも運良く研究室が蓄積した成果が出る時期だっただけかも知れない。地味な雑誌にしか論文がなくても、きちんとしたビジョンを持ち、自らアイデアを考え、実験した成果がある人の方が、将来活躍する可能性が高いのです」
――働き方改革の時代、研究者の意識改革も必要でしょうか。
 「先日、大学院時代の恩師にお会いして『山中君、あんまり無理するなよ、体に気をつけなあかんで、適当に手抜きや』と言われ、すぐに『あっ、心配せんでも、あんた昔から手抜くの上手やったな』と続けられました。ばれてた。研究においても、ワーク・ライフ・バランスを考えることは非常に大切です。大学院のころ言われたのは、普段はいいけれど、ここっていう時があるんや、そこでがんばれるかどうかで人間の価値が決まる、と。科学の世界は競争ですから、そういう場面が必ずあります。研究者はプロです。スポーツでも、将棋や囲碁、芸術でもプロの世界は、ここという時に頑張れなかったら負けます。遅くまで職場にいても、見せかけの頑張りでは、健康にも家族にもよくないと思います」
――「プロ」から見て、近年の科学の進歩をどうとらえますか。
 「生命科学は、研究が飛躍的に進み、遺伝子の書き換えもできるようになりました。全人類の知能を上回るAIも登場するでしょう。原子力はすでにできてしまっています。私たちは、地球の40億年あまりの歴史において、クリティカルな時代にいるのではないでしょうか。人間はわずか数十年で深海にも宇宙にも行けるようになりました。地球が始まって以来のモンスターです。科学技術に携わる者として、今を生きる人々の幸せも大切ですが、長い目でみて、地球の運命を左右する大変な時代にいると自覚しています
――令和はどんな時代になるでしょう。
 「いまは山頂で、どちらかに転がってもおかしくない状況だと思っています。科学技術は両刃(もろは)の剣です。iPS細胞の発見もパンドラの箱と言われることがあります。これからが幸せになるのか、とんでもないことになるのか。令和は、どっちに行くかが決まる時代になると思います。いったん決まると逆戻りはとても難しいでしょう。1万年後、今を振り返る知的生命体が地球に残っていれば、『2030年、2040年くらいがターニングポイントだったね』と思うかも知れません」

 今日の教養は「禅」。520年ころ、ボーディダルマ(菩提達磨)が洛陽校外の寺院で面壁九年の瞑想の後、弟子を集めて始めたと伝えられる。仏教の経典よりも禅の実践を重視し、また、師から受け継がれてきた教えを大事にする。

2019.07.22 (月)  曇り・雨

 雨というほどではないが、細かな雨に包まれた一日。参院選は、自分が投票した人物は当選したが、全体としては既存野党の魅力不足が露呈し、その結果「とりあえず他よりはよさそうだから…」という選択になってしまったといったところか。しかし、安倍首相が「憲法改正議論への民意が示され…」と発言していたが、それなら沖縄の民意はどうなのだと言いたい。前に引用したが、「他人を指さす時は、残りの指が自分をさしていることを忘れるな」である。今の政権はすべてがこの調子であり、そこをしっかり見極めなければならないだろう。
鉢植えのバラだが、切り戻ししたら花がついた。ツボミもあって楽しみ)
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XH101015-2.jpg(Lightroom Classicで加工)
 今日の教養は「美学」。芸術についての哲学。「文学とは何か」が難しいように、「芸術とは何か」もまた難しい問題である。(上の写真は芸術か…笑)

2019.07.21 (日)  曇り

 選挙のあと、45リットルのゴミ袋3個分の草取り。昼ご飯を食べた後、庭の空きスペースに植える花を買いにいつもの花屋さんに出かけ、植えつける。
例えばコレを買いました)
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 今日の教養は「調性と無調性」。音楽の話で、聞きなじみのあるものはすべて中心音のある調性である。現代音楽とか、違和感(さらに言えば不快感…)のあるのが無調性。現代の音楽家は、中心音が二つ以上ある多調性という技法に挑戦しているそうだ。

2019.07.20 (土)  曇り

 昨日と同じように、蒸し暑い一日。午前中、昭和記念公園でダリアを撮影。午後からノンビリして、夕方、久しぶりに実家の家族と阿佐ヶ谷のイタリアンへ。
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R0002778.jpg(枝豆のリゾット)
 今日の教養は「素数」。「博士の愛した数式」ですね。1とその数自身でしか割り切れない1より大きな正の整数のこと。1より大きな整数は、すべて素数の積として表現できる、つまり、素数は正の整数の基本単位ということになる。素数を求める方法はまだ見つかっておらず、最大の素数の記録は今も破られ続けている。

2019.07.19 (金)  曇り・晴れ

 暑くなって夏らしい雰囲気の一日。とは言うものの、何もしないでダラダラ過ごす。昼寝までしてしまった。今『ダンス・ダンス・ダンス』の下を読んでいるのだが、まあハワイでの休暇みたいなものである?
 今日の教養は「グッゲンハイム美術館」。収蔵品よりも、フランク・ロイド・ライトによる建物の説明であった。説明を読むと、画像検索したくなったが、なるほど…といった感じの建物である。そういえば、ベネチアにはグッゲンハイムの別館がある。ニューヨークにも行ってみたいものである。

2019.07.18 (木)  曇り

 今日も午前中授業で、午後からは総合学習。2・3年生が訪問体験学習やキャンパス見学に出かけて不在なため、静かな午後である。来週から始まる夏期講習の準備をして過ごす。昼寝をしていたら、夏の部合宿のコーチとして参加する卒業生が、顧問との打ち合わせにやってきたついでに顔を出してくれる。充実した学生生活を送っているようで何よりである。14322歩。
 さて、とりあえず今日で夏休み前最後の授業も終わり! 大学・大学院の前期講義も今日でおしまい! 解放感があるなぁ!
 今日の教養は「メタフィクション」。「メタ」は、ギリシア語で「後の」とか「超越した」といった意。もちろん、最大のメタフィクションといえば、ジョイスの『ユリシーズ』である。私も丸谷才一訳を持っているが、当然のことながら?読み切れていない(笑)。この本によると、最初のメタフィクションは『ドン・キホーテ』だそうである。

2019.07.17 (水)  曇り

 午前中授業、午後から各学年総合学習。8450歩。
 今日の教養は「スペイン内戦」。1936~39年。ドイツとイタリアに支援されたフランコと、ソ連が支援した共和国軍の戦いはフランコの勝利に終わり、フランコは死を迎える1975年までスペインを支配した。ドイツの空爆に怒ったピカソは「ゲルニカ」を制作し、共和国軍に従軍したヘミングウェイは「誰がために鐘は鳴る」を書いた。この内線を通して、ヨーロッパ諸国はいずれ枢軸国と戦わざるを得ないことを覚悟し、また、自国の利益を優先させて十分に共和国軍を支援しなかったソ連に対する幻想を捨てた。

2019.07.16 (火)  雨・曇り

 昼間、筑波大に行った卒業生が二人(医学部と工学部)、遊びにやってくる。田舎のだだっ広いキャンパルに苦労?しているようである。しかも、前期・後期とも3つの学期に細分されていて、来週から始まる夏休み前のテストを含めると、前期だけでも3回も期末テストがあることになるらしく、1ヶ月に一回くらいテストがあるとボヤいていた。まあ、しかし、しっかり勉強することだ。その後、一橋に行った卒業生が遊びにきて、こちらは今週からすでに期末テストとのこと。今日はこれからドイツ語のスピーキングの口頭試問だと言っていた。一方、夜の教育法は、レポートを集め、後期の準備をして早めに終了。終わったあと、何人かの学生と雑談をして楽しかったが、こちらも来週から8月にかけて期末試験やレポートで大変らしい。最近の学生さんはまじめですなぁ…。12428歩。
 今日の教養は「四諦八正道」。四諦の4つ目は、煩悩を脱した涅槃に至る道があるという真理だが、その道が八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)である。四諦とは基本的な教義であり、八正道が信仰を実践する際の基本方針である。 

2019.07.15 (月)  海の日 雨・曇り

 新聞にOECDによる国際教員指導環境調査の結果が報告されていたが、それによると、日本の中学校の先生方は「仕事に満足(日本81.8%、世界90.2%)」としつつも、「また教員になりたいか」については、世界75.8%に対して54.6%と低い結果になったそうだ。ちなみに、私たち夫婦は高校教員であるが、主人は「また教員」と言っているが、私は理系の勉強もしっかりやって建築家を目指したいかなぁ…。
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 今日の教養は「マルティン・ハイデッガー」。アーレントと愛人関係にあったとか、ナチを支持したとかの話題ばかりが先行しているが、この本によると、彼は「存在(存在するということ)」と「存在者(存在する具体的な実体)」とを区別し、また、世界を自分たちが使える資源と見なす考え方(技術)を批判したそうだ。

2019.07.14 (日)  雨

 家で読書。ちなみに、今読んでいるのは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』。
 来週は選挙だ。今日の新聞から。(朝日DIGITAL 20190714)

日曜に想う                           編集委員・福島申二

 他人を指さす時は、残りの指が自分をさしていることを忘れるな、と言った人がいる。まさにそのとおりで、人に向ける非難や誹りは、しばしば自分自身にもあてはまる。私もそうだが、自省の苦い思いとともにこの警句にうなずく人は結構多いに違いない。
 参院選が公示された4日、安倍晋三首相は第一声でこう訴えた。「私たちのように議論する候補者、政党を選ぶのか、審議をまったくしない政党、候補者を選ぶのか……」。国会で憲法議論が進んでいないことを述べたくだりだが、これなどは、残りの指が自分をさしている一例だろう。
 政府与党こそ国会を軽んじて、議論に背を向けてこなかったか。モリカケ疑惑など都合の悪いことや、年金など国民の関心事の質疑応答からは逃げてきた。そうした一切を棚に上げて自分の関心事については議論か否かと迫るのだから、相当丈夫な棚をお持ちである。
 公示の前日、日本記者クラブでの党首討論会では、こんな一幕があった。
 質問者がテーマごとに挙手で賛意を示すよう求めた。選択的夫婦別姓制度などを「認めるか」と問われて首相は手を挙げなかった。そして「単純化してショーみたいにしないほうがいい。政治はイエスかノーかではない。あんまり印象操作するのはやめた方がいい」と不快感を表した。ごもっとも。でも、それらは政権のいつもの手法ではなかったですか――とブーメランは返ってくるだろう。
     ◇
 「令和」の発表や米大統領訪日などでは、政治ショーめいた場面を随分見せられたものだ。数を恃んだイエスかノーかの採決強行には何度もため息をつかされてきた。批判や疑問の追及に対して「印象操作だ」と言い返す印象操作は、首相周辺の常套手段といっていい。
 私感を述べれば、安倍首相は他人に指先を向けることが目につく人だ。
 秋には歴代最長の総理大臣になろうという人にして、いまだに相手をさげすむことで自身を誇るようなふるまいが止まぬのは不思議である。そうした人は往々に自分への批判には敏感なものだ。ヤジを嫌っての選挙演説日程の非公表などはその表れとも言えるだろう。
 見えてくるのは、首相には、反対者をも含めて国を代表していく姿勢が乏しいことだ。「自分の支持者、賛同者しか代表できない人間は、どれほど巨大な組織を率いていても『権力を持つ私人』以上のものではない」と、思想家の内田樹さんが一般論として述べていたのを思い出す。そうした狭量に権力全体が忖度して染まり、民主主義を傷めているのが今の政治の光景ではないのだろうか。
     ◇
 大正から昭和の川柳人だった前田雀郎に〈磨く他ない一足の靴である〉という一句がある。くたびれた一足きりの靴しかない貧乏暮らしのボヤキのように読めるが、別の解釈もできる。
 一足の靴とは作者自身であって、自分という靴を脱ぐことはできない。磨き続けて生きていくのだという覚悟として読めば、味わいはいっそう深い。
 国民にとっては、国の政治も、民意によって磨き続けるほかない一足の靴といえる。他国の政府に履きかえるわけにはいかない。汚れたら泥をぬぐい、傷んできたら革を張り替える。人を選び政党を選ぶ国政選挙は民主主義の靴磨きのときだ。良い靴を履けば、より多くの人が安心して遠くまで歩いていける。
 与党だけでなく野党もだが、私たちがいま目撃しているのは、政治家と政治の小児化に思われる。たるんだ人、うわついた人、思い上がった人を緊張感に漬け込んで国政にふさわしい成熟をもたらすのは、民意のまなざし以外にない。
 「暮しの手帖」の伝説的な編集者、花森安治が言っていた。「国家とか日本というものは、ぼくたちのはるか上空にひらひらしているものではないのだ。ぼくたちみんなが、こうして毎日必死になって、まともに暮している。そのより集りが日本だ、日本の国だ」。大勢の思いを代弁するように今も響く。政治家が思いを遂げることが政治なのではない。

 今日の教養は「印象主義のクロード・ドビュッシーとモーリス・ラヴェル」。「月の光」と「ボレロ」です。

2019.07.13 (土)  曇り

 連休中は今日だけが曇り予報(あとは雨…)なので、昭和記念公園へ。アジサイも終わってしまい、あまり写欲をそそる花がない時期だからだろうか、空いていた。
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 今日の教養は「実数」。自然数+整数+有理数+無理数。つまり、数直線で表せる全ての数。反対は虚数かと思ったら、虚数は「実数ではない複素数」であった。吉田武さんの『虚数の情緒』を買い、12桁の電卓まで買ったのに、まだ読んでいないなぁ…。

2019.07.12 (金)  雨

 午前中、家の用事を済ませ、午後からはクルマの6ヶ月点検。合間に読書。夜、テレビで「未来のミライ」を見る。大方の評価通り、くんちゃんの声と「好きくない」の連呼が酷すぎて見るに(聞くに?)耐えない。場面には面白い設定もあるのに、主要登場人物の設定がブレがありすぎたり甘かったりして全く感情移入できず。細田監督は、ストーリーメーカーとしての才能はないのかも。
 今日の教養は「アンリ・マティス」。私は、デッサンとか切り絵も含めてかなり好きである。

2019.07.11 (木)  曇り・雨

 午前中、管理職による授業観察。「EDUCATION」に掲載した「和泉式部日記」の和歌を解釈する部分をやったが、生徒たちも観客(笑)がいると張り切るので、いつも通り楽しくできた。放課後、3学年の学年検討会があったのだが、すっかり忘れていて(泣)出席できず。授業中気になる生徒に関する情報を得ようと思っていたので残念。夜の教育学は、唯一教育実習に行っていない院生が担当だったので、ちょっと心配していたのだが、先週までの他の院生の授業を参考にしながらキチンと準備がしてあり、しかもその院生の個性が表れていてとてもイイ授業であった。14467歩。
 今日の教養は「オスカー・ワイルド」。西洋文学史上、最も鋭いウィットに富んだ一人で、芸術のための芸術を信奉した。「ドリアン・グレイの肖像」「まじめが肝心」などが有名だが、読んだことはない。

2019.07.10 (水)  曇り

 今日も涼しく平和な一日…と書こうと思っていたら、「TODAY'S SHOT」を載せている無料ホームページが突然調子悪くなり、「Archives」ページがエラー表示になってしまった…と思ったら、直っていた(20:00現在)! なにせネット上の無料ページなので、何かあった時に自分では対処できないのである。まあ、直ったから「良い」といことにしておこう。9150歩。
 今日の教養は「ウィンストン・チャーチル」。第二次世界大戦の経緯を描いた『第二次世界大戦』でノーベル文学賞を受賞している。戦時指導者として成功した彼も、政治家としての評価は低く、戦後すぐに労働党の党首アトリーに首相の座を奪われた。

2019.07.09 (火)  曇り

 涼しい日が続いていて、生徒たちの集中力も高い感じ…というか、自分も授業がしやすくて良い感じである。夜の教育法は、学習指導案の作成も2回目で、だいぶ筆が進むようになった。11967歩。
 今日の教養は「ブッダ」。イスラム教に関する記事があれほど多いのに、やっと今ごろ(294日目)になって仏教が登場するところがアメリカの本といえようか。シッダールタがさとった4つの真理を「四諦」といい、①この世は苦である ②苦の原因は欲望である ③苦がない涅槃という境地がある ④涅槃に至る道がある の4つである。 

2019.07.08 (月)  曇り

 個人的な用事があって、午後から休暇をもらう。用事は割とスンなりと済んだが、その分、月曜日に授業のない主人の庭いじりに付き合うことに。とはいっても、天気も晴れ間が見えたりしたし、庭もそれなりにキレイになったしで、まあ良かったといったところか(笑)。7798歩。
 今日、面白かった記事。(朝日新聞DIGITAL 20190708)

 なぜ左派やリベラルは共闘下手なのか。
 著述家の浅羽通明さんは「左派やリベラルは知識人。頭でつながっている人たちです。自分が一番頭がいいと思っているので、いつか衝突する」と手厳しい。逆に「政権支持派は胃袋でつながっている。権力についていることが目的化しているので、いや応なくまとまる。自分を殺せる」
 じつは頭vs胃袋。左派対右派、リベラル対保守の構図にさえなっていない、というわけだ。
 冷戦中の米国で、肉体労働をしながら在野の思想家として書き続けたエリック・ホッファーは、当時の左派知識人が仲間うちでたたきあうのを念頭に、「知識人とは人に自分の意見を傾聴されたい人のこと。無視されるよりは迫害されるほうを望む」と書いた(「Working and Thinking on the Waterfront」)。
 「権力の側は、権力についていることじたいが至上命令」(立命館大学の松尾匡教授)であるのに対して、左派やリベラルは、「格差を小さくして平等な社会を実現する」(慶応大学の井手英策教授)という理想を胸に抱く。多様化した時代に、理想は人の数だけある。その多様さを多様なまま大事にするのが左派、リベラルの「理想」であり、また難しさだろう。
 反体制活動でたびたび逮捕され、1989年の民主革命でチェコ・スロバキア連邦大統領になった劇作家のハヴェルは、かつてこう語った。
 「知識人とは、もともといつでも、戦う前からすでに敗北しているもの、いわば、永遠なる敗北を宣告されたシジフォスのごときものであり、勝利している知識人なんぞというものがうさんくさいのです」(『ハヴェル自伝』)
 多様な理想を掲げる。そうした者は多数派になり得ない。常に少数者であるはずだ。「自己の敗北によって勝利する」。ハヴェルは、そう、語ったのである。負けたがどうした、風が吹く。

今年の初タマスダレが咲いた)
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 今日の教養は「現象学」。フッサール。自分たちの意識経験を体系的に記述しようとする哲学らしいが、解説が難しくてよく分からない。

2019.07.07 (日)  雨

 雨の七夕。午後から、テーブルフォトのセミナーに出かける。光の使い方とか、色々勉強になった。
(↓席が真ん中でなかったので歪んでいるが、光の特色の講義中)
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 今日の教養は「グスタフ・マーラー」。あまり聞いたことがない。指揮者として人気を博し、指揮者に名誉と敬意を捧げる習慣を確立した人物とのこと。

2019.07.06 (土)  曇り

 家でビデオを見たり本を読んだりしてのんびり過ごす。
我が家のバラも最後の一頑張り)
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 今日の教養は「アイザック・ニュートン」。『プリンキピア』には、運動の三法則と、アインシュタインが一般相対性理論を構築するまで正しいとされてきた万有引力の法則が発表されている。死後、遺体からは大量の水銀が検出され、おそらく錬金術の実験をやっていたのではないかと目されているらしい。

2019.07.05 (金)  曇り

 午前中、再び「ところざわのゆり園」へ。期待したほどには太陽が出てくれなかったが、前回よりも丁寧に撮影したつもり(笑)。成果は「 こちら 」から。

 「源流は橋下徹氏? 政治家の過激発言次々 選良は死語か」という見出しの記事(朝日DIGITAL 20190705)があった。「「戦争で北方領土を取り返す」「震災復興以上に議員が大事」……。最近、国会議員の無分別な言動が目立ちます。議員の代名詞である「選良」はもはや死語になったのでしょうか。」という問いかけに対する3名の方のご意見が掲載されているのだが、その中から、戦史・紛争史を研究してきた在野の研究者山崎雅弘さんの意見を引用してみよう。

「強い側に付く」姿勢 山崎雅弘さん(戦史・紛争史研究家)
 良識に照らしたら許されないはずの振る舞いを国会議員が堂々と行い、批判されても誤りと認めない。こんな現象が目立ってきたのは権威主義が社会に広がりつつある表れだ、と私は見ます。
 ここで言う権威主義の広がりとは、「強い側に付く」という姿勢の広がりです。強い側に付くことで自分自身もその強い側の一部になったと認識する。力をバックにすることで、1人だったら出来なかったような傲慢(ごうまん)な振る舞いを臆せずできるようになる――。権威主義に支配された場所では古今東西を問わず観察されてきた現象です。
 たとえば中世の十字軍は、聖地奪回という崇高な理念とキリスト教という権威を背景にする軍隊でした。しかしそこに加わる兵士の間では、「自分の行いは神のご意思だ」と暴行や略奪を正当化する現象も相次ぎました。
 戦争をけしかけるような発言をした議員、同性のカップルについて「生産性がない」と書いた議員。昨今の問題発言に共通するのは、平和主義や人権といった戦後の価値への対抗心だと思います。
 本人たちが自覚しているかどうかは別として、その人たちが強気に振る舞える背景には「自分は強力な政権と価値観を共有している」という感覚があるのでしょう。戦後民主主義や日本国憲法を公然と敵視する安倍政権です。
 権威は人々の尊敬の対象になるものであり、うまく機能すれば人間の行動を正しく律する役割を果たせます。しかし他方で権威は人間の判断を狂わせる力も持つので、取り扱いには細心の注意が必要です。自分は免罪符を得たと思っている状態では、人は傲慢になってしまいがちです。
 権威主義の特徴は、力に対する信仰です。領土を戦争で取り戻すという発想にも、それがうかがえます。また力が信仰される社会では、裏返しとして弱者への冷酷や無慈悲が広がります。力がないことが軽蔑の対象になるのです。批判された議員が誤りを認めないのは、誤りを認めて弱さを見せれば地位を失うという恐怖があるからでしょう。
 退場させられるべき議員が居座れるのは、選ぶ側の人々の間で「あの人は強い側にいる人だから敵対しないほうがいい」という打算的判断があるからかもしれません。短期的にはそれで安泰を得られるかもしれませんが、中長期的に見れば保身にはつながらないはずです。「議員にこんな言動を許していたら将来、私たちの社会が壊れてしまう」と考えるべきです。
 いま社会で、どのような権威がどのように作用しているのか。そして、強い側に自身を組み入れることで自分は本当に守ってもらえるのか。それらを点検するような考え方が必要だと思います。

 安倍首相問責決議案の際の、三原じゅん子氏の完全自己陶酔型演説も想起されるが、まさに今の政権を支えている状況が見事に分析されていると思うがどうだろう。
 今日の教養は「『叫び』」。ムンクはバージョン違いを50枚以上描いている。中央の男はムンク自身で、叫んでいるのではなく、叫びが聞こえないように耳をふさいでいる。

2019.07.04 (木)  雨・曇り

 夜の院生による模擬授業は、題材が『紫式部日記』という難物であったが、しっかりと準備がしてあり、しかもまじめな人柄の感じられるイイ授業であった。ただ、いかんせん、難しい教材だけに、不安げな部分が生徒たちに影響してしまう部分も見られたのは反省点か…といっても、難しい教材だからねぇ~。12477歩。
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 今日の教養は「『ゴドーを待ちながら』」。ベケットの不条理劇。名前だけは知っているが見たことはない。事件もおこらず、ゴドーも登場しない。そもそもゴドーが何者かも分からない。現代生活の単調さと無意味さを描き出しているのだそうだ。ベケットはノーベル文学賞受賞。

2019.07.03 (水)  曇り・雨

 校内のビブリオ・バトルが始まっていて、今年は図書部でもあるし見学に出かけているのだが、予想していたよりはレベルが低い印象。火曜日~木曜日の3日間が予選で毎日3名ずつが出場しているのだが、昨日も今日もミステリーを紹介した生徒が勝って、う~んといった感じ。別にミステリーが悪いということではないのだが、ミステリーはちょっと紹介すれば読みたくなるわけだから、どうなんだろう…。9451歩。
通勤途中には、まだバラが咲いている)
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 ある雑誌を読んでいたら、一票の格差についてふれた投稿があって、それを解消する一案として、「議員定数ではなく、議員の権能を見直す改正案も考えられる。例えば、議員が法案に賛否を投ずる際の投票数を選挙における得票数とするのである」とあった。つまり、A議員が獲得した得票数が10万票で、B議員が20万票だったとすると、国会での法案審議での投票の際に、A議員もB議員を一票ずつ投票するわけだが、それを集計する際にA議員の1票は10万票と換算し、B議員の1票は20万票と換算して、その各議員の換算値の総計で結果を判断しようというのであろう。なるほど、なかなか面白い。こうなると、過半数割れしている野党にもチャンスが出てくるのではないだろうか。もちろん、「落選議員の獲得票及び比例区選出議員の扱いは新たな課題」と投稿者自身も書いているし、他に新たな課題があるのかも知れないが、自分の一票が国政に直結する感じがするし、なかなか面白いアイディアのように感じるが如何? 欠点も含めて議論してもよいのでは。
 今日の教養は「ヴェルサイユ条約」。第一次世界大戦を終わらせ、国際連盟が生んだが、平和の理想よりもドイツによる現実の賠償を求めたイギリスとフランスの存在によって、結果的にはヒトラーを生み出すことになった。

2019.07.02 (火)  曇り

 九段中等教育学校の先生方と教育委員会の方、合計6名が授業見学にいらっしゃる。『蜻蛉日記』(鷹を放つ)を使って和歌の読みとり方について、また、『和泉式部日記』(帥の宮からの便り)を使って作品の全体像の捉え方と「なり」の識別について、そして、日記文学の特質について考える授業を行ったが、参考になっただろうか。夜の教育法は、いよいよ学習指導案の作成。『羅生門』を題材にして作成した指導案を5名の学生で互いに回し読みしながら、書き方の疑問点や改善点などについて話し合った。12197歩。
 今日の教養は「天使ガブリエル」。イスラム教にもガブリエルが登場するとは知らなかった~。クルアーンは、ガブリエルが神からムハンマドに伝えて暗唱させたもの。キリスト教では、受胎告知ですな。サン・マルコ修道院のフラ・アンジェリコの絵は素晴らしい。

2019.07.01 (月)  曇り・雨

 いかにも梅雨らしいが、ちょっと涼しめな7月の初まり。東京はシトシトだが、九州や四国などの大雨はどうなっているのだろう。昨日のNHK特集で、いかに人の「避難スイッチ」を押すことが難しいかということが報告されていたが、災害と結びつかないことを祈りたい。10298歩。
 今日の教養は「プラグマティズム」。パース、ジェイムズ、デューイ。ちなみに、ジェイムズが小説家ヘンリー・ジェイムズの兄だとは知らなかった~。 
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