2019.11.30 (土) 晴れ
画像編集ソフトの「Luminar」が新バージョン(Ver.4)になって、いろいろなことが簡単にできるようになった。例えば、AI Sky Replacement は、AI が空の部分を自動的に判断して、そこだけ別画像に入れ替えてくれる機能である。デフォルトで内蔵されている空の画像でも、自分で撮影した画像でもよい。遊んでいるとなかなか楽しい。
(↓元画像。コッツウォルズ地方の街カッスルクーム)
(↓曇った空が、こんな感じに変えられる)
(やり過ぎですな…笑)
2019.11.29 (金) 晴れ
久しぶりのイイ天気だが、出校して考査を仕上げ印刷する。とりあえずホッ!である。
電子書籍が普及し、新しモノ好きな私はKindleも導入しているし、スマホのアプリを使うこともあるが、結局は紙の本を読んでいる。単に今までのやり方に慣れているだけなのかも知れないが、電子辞書と紙の辞書の比較にも似た違い、つまり、一覧性や、実際に手に持つモノとしての相貌が読みに与える影響といったことが背景にあるように思う。朝日新聞DIGITALで「もうすぐ終わる紙の本」という特集が数回にわたって組まれているのだが、昨日(20191128)の記事には大きく頷いてしまった。引用しよう。
藤井聡太のAI超えた一手 紙の本が鍛える脳の「読み」
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△7七同飛成
2018年6月5日、藤井聡太七段が公式戦で指した終盤の勝負手は、東京大学教授の酒井邦嘉(55)にとって「人間の希望の手」だった。のちに「AIを超えた神の一手」と評されることになる。酒井は、AIが人間を超えるという「シンギュラリティー」を根底から疑問視する脳科学者だ。
「藤井さんの一手は、そのはるか前からの読みに支えられていて、コンピューターの数手前までの形勢判断や予測には現れにくい、勝ちを決める妙手だった」
紙の本を読むとき、脳ではこれと似た深い読みが鍛えられている、と言う。言語脳科学が専門の酒井は、アメリカの言語学者チョムスキーの難解な理論を脳科学の立場から平明に解説した『チョムスキーと言語脳科学』を今年出版した。
「みにくいあひるの子」と書いてあるとき、わたしたちは何を読むだろう。「醜いあひる」が、子を生んだのか(a)。あひるの生んだ「子が醜かった」のか(b)。童話の内容を知る者は、bと読む。脳は自動的に「みにくい→子」を結びつける。童話の内容を知らない者は、aかbか判断しようがない。文脈があって解釈が定まる。
紙の本と電子書籍の本質的な違い、人間と機械の根源的な違いが、ここにある。文脈の流れを想像し、適切な展開を選びとる。
「推理小説を読むとき、物語の展開を追い、登場人物の関係、どんな場面でなにを言ったかを、脳は自動的に格納しながら読みます。その記憶は本という実体に対する感覚に、大きく依存しているんです。本の最初か、中ほどか。右のページか左か。そうした手がかりと共に記憶されます」
電子書籍でもネットのブログでも、ブックマークを付けて機械に覚えさせることはできる。「しかし、パラパラとページをめくって読み返したいところがすぐに探せるような紙の本にはかなわない」
「みにくいあひるの子」という、いわば1本の木だけを読むならば、電子書籍も紙の本も変わらない。しかし木が集まった本の森では、文脈を確かめながら行きつ戻りつ読む機能で、紙の本にまさるメディアはない。森を俯瞰し、パラパラッと繰って特定の木を見つける能力こそ、紙の書物の命であり、人間の脳の機能の根幹だ。
「特に教科書が紙の本であるのが重要で、いま学んでいることが全体のテキストのどのあたりにあるのか、どのような位置関係で書かれているのか、それが脳に記憶されることがとても大切。教科書などを安易に電子化してしまったら、取り返しがつかないことになるでしょう。さらに思考や創造力までをAIにゆだねるようになってしまったら、人間の希望である藤井さんの『神の一手』が、もう出なくなるかもしれないんです」
教育がすべて。だから紙の本を取り戻さなくてはならない――。酒井は静かにそう語った。紙の本が消えて、なくなるものの大きさが響いてきた。
2019.11.28 (木) 雨・曇り
今日でとりあえず3年生の正規授業は無事?終了。あとは考査と特別授業である。
帰りがけ、用事があって恵比寿に出かける。ガーデンプレイスまで脚を伸ばして夕食。イルミネーションがキレイだった。11316歩。
2019.11.27 (水) 曇り
久しぶりにK塾の浪人形諸君に会う。それぞれ悩みを抱えているだろうが、みんな久しぶりに顔を合わせた友人や先生方と元気そうに話していた。いよいよこれからだ、健闘を期待する。 11714歩。
「何が起きても「私の責任」 念書を書かされる激辛カレー」という見出しの記事(朝日DIGITAL 20191127)があって、あの神戸の事件の関連か…と思いながら読んでみたら、全然違っていた。
自らの意思と責任においてこれを注文し、いかなる事態が起きても私の責任――。あの原発事故をきっかけに、新しい道を見つけた村が福島県にある。風評被害で売れ残った地元産の食材をふんだんに使い、次々とヒット作を生み出した。めざすは「日本一辛い村」だ。
県南部に位置する平田村。「道の駅ひらた」の食堂である商品を注文すると、まずA4判1枚の意思確認の念書を渡される。通常の約300倍の辛さで体調を崩す恐れもあり、念のために住所と氏名を書いてもらう。
商品の名は「ハバネロ戦隊カラインジャー生地獄カレー」(税込み750円)。地元産の激辛唐辛子ハバネロ7個が入ったルーは一見すると普通だが、ご飯と一緒に口へ入れるとピリリ。次に辛さが舌を包み、水を飲んでも耐えきれない。だが、その極まった辛さが魅力となり、レトルト(同498円)のネット通販を含め、年間2千食を売る看板商品になった。
2011年3月、村から40キロ以上離れた東京電力福島第一原発で事故があった。村の農家は「どうせ作ったって売れねえべ。風評には勝てねえ」と落ち込んだ。実際、放射性物質の検査を通った地元産野菜を道の駅に並べたが、大量に売れ残った。
農家の細川正男さん(82)と貞子さん(76)はこの年の秋、仲間と一緒にハバネロを初めて出荷した。知り合いから種をもらい、育てたものだったが、風評でほとんど売れなかった。
道の駅は、売れ残った野菜を半額で買い取り、併設する食堂で使ったり、加工品として売ったりした。ハバネロも、粉末やみそ、レトルトカレー、さらには辛さ10倍カレーまで作った。だが、売れなかった。10倍カレーを食べた客から、「ちっとも辛くないじゃないか」と言われたこともあった。
転機は2年前。「とことん辛さを追究しよう」。道の駅の高野哲也駅長(58)が考えついたのが、「生地獄カレー」だった。試作品を作る時には、ハバネロの粉末の飛散に備え、顔にゴーグルとマスクを着けて臨んだ。
同じころ、売れ残ったハバネロの粉末を振りかけた、辛さが段階別のソフトクリームも売り始めた。表面が真っ赤になるほど粉末を振りかけた最も辛い「地獄級」(同400円)は、完食すれば無料。これまでに約500人が達成した。在庫の粉末が昨年の黄金週間にすべて無くなり、秋まで販売を止めるほど人気となった。
ハバネロの生産量もこの秋は約1トンと、震災時の6倍以上に。生産農家も12戸に増え、生産組合を新たに作った。道の駅の高野駅長は「特産化を狙ったわけではないし、まったくの偶然。東日本大震災がなければ、ハバネロ関連の商品もできなかったかもしれません」と話す。
ガンバレ! 平田村!
2019.11.26 (火) 曇り
浪人形諸君、明日はK塾の新宿校に応援に出かけます(19:00~)。旧担任団は異動された先生方も含め全員出席予定なので、ちょっと元気が減退気味の人は、ぜひいらっしゃい。塾生でなくてもオッケーですよ!
先週、授業に関する研修があったせいか、今日は数名の先生が授業を見学にいらっしゃる。授業後に、「先生の授業は、古典の味わいを伝えていますね~」と言われて、ちょっとウレシイ。まあ、教材が源氏物語だし、確かに味わいは伝わりやすいかも。
教育法は初模擬授業。残念ながら準備不足で、10分も時間があまる結果に。ただ、逆に、フロアの学生からは改善案などがたくさん出されたりして、議論が(授業そのものよりも?)深まったのはよかったかも。
2019.11.25 (月) 曇り
大阪市の小学6年の女児が行方不明になった事件では、SNSが使われたということである。専門家が、このような事件をなくすためには、「SNSの使い方・内容などに関しても、親子の対話が大事」と言っていたが、親に秘密を持ちたいのが子どもであり、そうやって成長してゆくわけだから、対話などでは簡単には解決しないだろう。その秘密の部分にSNSが入りこんでいるのであり、高校生でさえスマホとの付き合いは難しい現状を考えると、なかなか大変な課題のような気がする。10422歩。
2019.11.24 (日) 雨のち曇り
昨日に引き続き勤労感謝の日? ところで、最近読んで面白かった学術系の本は、小原眞紀子さん(東海大学講師)の『文学とセクシュアリティ~現代に読む「源氏物語」』(金魚屋の文芸評論、2019)。源氏物語のあらすじを辿りながら、現代の文学理論との架橋を試みる本で、厚いが章立てが細かいし、東海大での講義をもとにしてあることもあって、あれよあれよと読み進めることができる。もう一冊は、先日第7回古代歴史文化賞を受賞した、鈴木宏子さん(千葉大学教授)の『「古今和歌集」の創造力』(NHK出版、2019)。和歌に関する本は読みにくいことが多いのだが、引用の量が適当だし、解説も的確かつ分かりやすくてとても勉強になった。鈴木さんは、大学院の後輩で、授賞式の様子をテレビで拝見したが、昔の面影がそのままで懐かしかった。ますますの研究と、その成果を期待したい。
2019.11.23 (土) 雨
ローマ法王(ローマ教皇)が来日したが、彼が注目した「焼き場に立つ少年」の写真は、私の机の横にもず~と飾られていたのである(「週刊金曜日」という雑誌に掲載された写真を切り取ったものなので、紙が劣化してしまい、今はもう飾っていないが…)。あの写真を見て心を動かされない人はいないだろう。で、たまたま雨でのんびりしていた今日、映画「この世界の片隅に」を見たが、これまたイイ作品であった。何の憂いもなく一日一日を大切にして育った子どもたちが、そのまま何の憂いもなく一日一日をかけがえのないものとして暮らしていける世の中にしたいものである。
2019.11.22 (金) 雨
いや~~寒い! 完全に冬になった感じであるが、予報だと明日からはまた暖かくなるとのことだが、さてどうなることや。授業はないが出勤日なので、いつも通り6時半には出校して、後期中間考査の問題を作る。邪魔が入らず集中して作業ができたので、何とか午前中いっぱいで原案を完成。あとは、もう一人の先生の問題と合わせて検討すればイイだけである。仕事がはかどり、気分上々である。
2019.11.21 (木) 晴れ
平和な一日。授業の合間に、若い先生方と協力して、国語科のロッカーに溢れんばかりに溜まっていた過去の実力テストの問題を、5部ずつ残して始末する。ロッカーの棚がガラガラになって気持ちイイ! 128184歩。
夕食時、主人が珍しくボージョレー・ヌーボーなどを買ってきたので、カマンベールと一緒に楽しむ。
2019.11.20 (水) 晴れ
放課後、授業に関する研修会。指名された4名の先生方の授業を見学して、その授業について、特に「主体的・対話的で深い学び」の観点から検討するという会である。私は、国語科の先生の授業を見学したグループにいたのだが、発言を求められたので、その際の発言の主旨をメモしておこう。
「多くの授業で対話的な学習がなされている。一方、そのことで不足する知識部分の学習を補うためにプリントなどが活用されるようになった。そういう工夫がなされるようになったのもイイ点である。ただし、それにともなって、自らの思考をメモしたりするノート指導が(プリントを埋める作業のかげで)疎かになっているのではないか。小論文などは深い学びということに密接に関わるが、その際、自分でノートにメモをつくり、そこから思考を広げ形にするという作業をする。つまり、メモをとり思考をまとめるという作業は、深い学びと結びついているのである。そういう意味で、今後、ノート指導のあり方を再点検するとともに、プリントを作る際にも、ノートを作成させる的な要素を入れていくといった工夫が大切なのではないか」。
まあ、こんなに格好良く発言できたわけではないが、言いたかったことはこういうことである。9373歩。
やはり、こんなニュースが出て来た。(朝日DIGITAL 20191120)
共通テスト、文科省がベネッセに抗議へ「中立性に疑念」
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萩生田光一文部科学相は20日の国会で、2020年度に始まる大学入学共通テストで、記述式問題の採点を請け負う会社を傘下に持つ通信教育大手ベネッセコーポレーションに対し、「採点業務の中立性、信頼性に疑念を招く(行為があった)」として、文科省が今後厳重に抗議し、是正を促すことを明らかにした。
ベネッセが高校向けに配布した資料に、共通テストに向けた記述式の採点基準の作成などで助言事業を請け負っている旨の記載があり、模擬試験や対策講座などのほかの営業活動に利用した疑いがあるという。関係者によると、資料はベネッセが17年、首都圏約2500高校、約300人の教員を対象に大学入試改革に伴う自社サービスなどについて説明した会合で配られたという。
20日の衆院文部科学委員会で、国民民主党の城井崇氏が「現場や受験生から見たら、あの会社の模試がいいんだなと思う」と指摘。萩生田氏は「学校現場に対して、このような資料を配布することは、記述式問題の採点業務の中立性、信頼性に疑念を招く」と認めた。
ベネッセの子会社は、共通テストで新たに導入される記述式問題の採点事業を、文科省が所管する大学入試センターから約62億円で受託。本業務を受託した事実を利用して有利な営業活動をするのは、契約の中で禁じられている。ベネッセは取材に対し、「取引を誘引する意図はありませんでした」とコメントした。
ということで、全国一律の記述式など止めた方がイイということである。国公立なら2次試験で、私立は(必要と判断するなら)各大学ごとに行えばイイのである。
2019.11.19 (火) 晴れ
教育法は、「この教材(太宰治の作品)は難しいかなぁ~」と思い、別の教材にするようアドバイスしようか迷って、結局そのまま担当させたのだが、結論的には別の教材に変えさせればよかったと反省。今日のレポートも、(まじめに準備してはいるのだが)このままでは模擬授業になりそうもないので、フロアの学生にもアイデアを出させながら、新しい指導案を作らせることにする。やれやれ…。前にも書いたが、今まではグループで教材を担当させていたのだが、今年は人数が少ないことなから一人で担当させている。ところが、これが結果的にはうまく行かなかったわけで、来年も少人数だったら、少しやり方を工夫しないとダメそうだ。来週からはいよいよ模擬授業だが、教材研究時のアドバイスを生かした授業が展開されることを祈りたい…(祈っている…)。12227歩。
2019.11.18 (月) 晴れ
私の通勤時間には曇っていたが、生徒たちの通学時間には雨がかなり降り、1時間目が終わるころには青空が広がって空気が爽やかだった。しかし、3時間目くらいからは、教室はむしろ暑いくらい。いったいどうなっているのだろう…って、寒いよりはイイかなぁ。平和な一日。8558歩。
今日の新聞から。(朝日DIGITAL 20191118)
安倍首相、説明しないがヤジ飛ばす 2つの責任を考える
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僚の連続辞任に、首相主催の「桜を見る会」をめぐる疑念や疑惑。繰り返される不祥事にも、安倍晋三首相が進んで国会で説明する様子はうかがえない。議論する、説明する、責任を果たすとは、どういうことなのか。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)に語り合ってもらった。
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杉田敦・法政大教授: 日本が長く「お手本」としてきた英国の議会が、EU離脱をめぐって揺れています。9月には、離脱期限が迫るなか、約5週間にもわたって議会を閉会するという政府の決定の合法性が司法審査で問われ、最高裁が違法と判決した。高度に政治的な問題については判断しないという「統治行為」論に逃げ込む日本の司法を見慣れている身には、新鮮な驚きでした。
長谷部恭男・早稲田大教授: 政府側は、議会をいつまで閉会するかは政治判断で、裁判所が口出しする問題ではない「統治行為」だと主張しました。しかし最高裁は、国政上の重大問題について議会による審議を妨げる決定は、合理的な理由がなければ許されないと結論した。全員一致の判決だったことに、最高裁の覚悟を感じます。
杉田: 国民投票から3年、英国議会はのたうち回ってきましたが、政府の暴走に対して、審議を通じてブレーキをかけてきたのも事実です。与党議員が議場の真ん中を渡って野党席に移るという印象的な場面もあり、与野党が真っ向議論を戦わせています。民主主義は単なる多数決ではない。そこに至るまでのプロセスが大事なので、時間と手間がかかります。一方、日本の国会は、はぐらかしの答弁が横行し、与党議員は政府方針を追認するだけ。議論の場でなく表決だけの場と化しています。
長谷部: 安倍政権は、野党が憲法53条に基づき臨時国会の召集を要求したのに、無視しました。英国最高裁の判断に照らせば、臨時国会の開催拒否にはなんら合理的理由がなく、国会が政府の責任を問うことを妨げた、ゆえに違憲ということになるでしょう。
杉田: 国会軽視ということでいうと、国会承認がいらない「調査・研究」名目で、自衛隊を中東海域に派遣しようとしているのも問題です。攻撃に巻き込まれる可能性があり、外国の船舶が危険にさらされている時に、「見殺し」にしてしまうリスクもある。行政命令だけで派遣していいのか、大いに疑問です。
長谷部: 日本国憲法のもと、武力紛争が起こり得るところに自衛隊の艦船を派遣することは国政上の重要問題です。国民の代表からなる議会で十分審議し、派遣するか否かの決定を得るべきです。これは「重要事項法理」という考え方で、1994年にドイツ連邦裁判所が、NATO域外へドイツ軍を派遣するには連邦議会での審議・決定を経る必要があるとしたのも、この法理に基づくものです。
■自民党内からの批判なぜない
杉田: 安倍政権は、武力紛争が発生しかねないところへの自衛隊派遣は、国政上の重要事項ではないと言うのでしょうか。他方で政権は4年前、近隣諸国との関係で一刻の猶予もならないと、根強い反対を押し切り安全保障関連法を成立させましたが、立法の根拠とされた差し迫ったリスクはありませんでした。
長谷部: その後に提起された安保法制をめぐる違憲訴訟でも、国側は「存立危機事態」の発生はにわかには想定できないなどと主張している。語るに落ちています。
杉田: それが今回は、リスクはあるのにないと言って派遣しようとしている。ご都合主義も甚だしい。
長谷部: 少なくとも国民の代表たる国会が納得する条件の下で派遣するということにしないと、自衛隊員も不安で仕方がないでしょう。議論を通じて国民の支持を取り付けもせず、とりあえず行ってこいというのはあまりに無責任です。
杉田: 議論を避けるという現政権の姿勢は、大臣の辞職をめぐっても見られます。疑惑が取りざたされた2人の大臣は委員会での質疑から逃げるように辞任し、その後、納得のいく説明もしていません。
長谷部: 日本の首相がもつ大臣の任命権は、比較法的にみるとかなり強力です。米国でさえ、政府の高官を任命するときには上院の承認がいる。スイスは政府の構成員を連邦議会で直接選挙するし、イタリアは、組閣後に議会の信任を明示的に求めなければならない。日本の憲法も、「マッカーサー草案」の段階では国会の承認を得ることになっていましたが、最終的には首相に集中させた。だから、任命責任は本当に重いのです。
杉田: 首相は、行政を前に進めることが任命責任を果たすことだと言っていますが、自民党内からもなぜ批判の声が上がらないのか、不思議です。権力に対して皆が従順だから権力がさらに強化されているのか、それとも権力が強すぎてもう闘えない、抵抗できないという状態に陥っているのか。
長谷部: いまの政権が代わるという展望がないからではないか。そもそも、責任はレスポンシビリティー(行為責任)とアカウンタビリティー(説明責任)に分かれます。責任をとって辞めるのはレスポンシビリティー。辞めるかどうかは別にして、なぜこんな事態を招いたか、繰り返さないためにどんなシステムを作るのかを説明するのがアカウンタビリティーです。責任を追及する側は、その二つをきちんと腑分けしないといけない。ごっちゃにして「どう責任を果たすんですか」と聞いたところで、「これから頑張ります」と言われて終わりです。
■説明はしないがヤジは飛ばす
杉田: いまの政権のやり方は、一種のレスポンシビリティーを果たしたような格好をつけることで、ことごとくアカウンタビリティーを棚上げしている。「桜を見る会」も同じです。来年は中止という決定で責任をとったかのように見せかけて、公職選挙法違反などの疑いについては十分に説明していません。しかも、参加者名簿は廃棄したなどとし、これまでの運用実態を隠そうとしている。
長谷部: レスポンシビリティーとアカウンタビリティーはそれぞれ独立した問題です。辞めたから、中止したから説明しなくていいということには当然なりません。官僚は本来、政治家の行動が合法かつ正当な枠内に収まるよう働くべきですが、親分―子分関係に縛られたのか、「桜を見る会」の文書の所在も開催の実態もはぐらかそうとしているように見えますね。
杉田: 首相は説明はしませんが、ヤジは飛ばします。加計学園の獣医学部新設問題をめぐって出てきた文書は文科省が書いたのかと質問していた野党議員に対し、「あなたが作ったのでは」と自席から指をさして言った。質問者が文書を捏造した、あるいは出所不明の文書を使って質問をしているかのように印象づけようとしています。その翌々日にも、別の野党議員の質問中に「共産党」と、質問内容と関連しないヤジを飛ばした。国会を侮辱していると言わざるを得ません。
長谷部: 自分の職責を理解していないのでは。憲法の条文に、国務大臣はいつでも国会に出席して発言することができるとある。政府の政策を説明するために国会に出ているのです。だから、閣僚のヤジは許されない。議員一般のヤジと一緒にしてはいけません。
杉田: メディアの報じ方を見ると、首相が答弁の中で相手を侮辱したのなら問題だが、しょせんヤジだからと軽く捉えている節がありますが、むしろ逆です。答弁する中で侮蔑的な表現をする方が、後で謝罪し撤回しなければならないにせよ、まだマシです。質問にヤジで応じるというのは、自分が説明責任の当事者だとわきまえていないことを示している。かなり深刻な事態です。
長谷部: 国会審議は、目の前の大臣や質問者だけを相手に議論するわけではない。その向こうには主権者たる国民がいます。国民の疑問を明らかにしているか、国民が納得する説明になっているかが問われます。もっとも、出発点は逃げ回らずに問題にまともに向き合うことです。「ぶら下がり」取材などでお茶を濁すのでなく、国会での本格的な審議が必要です。
2019.11.17 (日) 晴れ
家でのんびりビデオ三昧。「ディア・ハンター」は、最初の45分がちょっと退屈だが、最後の45分は並ぶべきものなき傑作である。最後の場面のコーヒーカップが触れあう音が、ナンか心に響くのである。河瀬直美監督の「あん」は、重いテーマで感動的だが、樹木希林の映画になりすぎていて、もう少し脚本に工夫が必要では。
2019.11.16 (土) 晴れ
午前中、買って10年になるガス給湯器の点検。異常なし。その後、昨日の二匹目のドジョウをねらって石神井公園に出かけるも、まったく鳥果なし。ご存知のように、探鳥は目ではなく「耳」で行うのだが、カワセミの声さえ聞けずじまいである。まあ、鳥撮りとはそういうものなのである。
ちょっと前の新聞から。(朝日DIGITAL 20191113)
大澤真幸さんが見た即位パレード 「何となく支持、は危険」
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天皇、皇后両陛下のオープンカーが通過した時間はわずか、数十秒でしたね。「きゃあー」という悲鳴にも似た歓声が一部で聞こえました。
日本国憲法で「象徴」と位置づけられた天皇は政治的には無力な存在。でも、即位礼正殿の儀で、高御座の幕が開いて姿を見せたように、神秘的な存在として世に伝えられてきた。その天皇陛下が目の前に現れ、感極まったのでしょう。ただ、多くの人は静かにスマホを掲げて撮影していた。天皇の神秘性は演出されたものだという冷めた感覚は今や多くの人が持つものだと思います。
平成のパレードでは、爆竹騒ぎなどの事件がありました。当時は、天皇制を打倒して共和制に移行したいという主張が社会の中にありましたが、今回はそうした「異論」が影を潜めた。警備は物々しかったが、天皇が狙われるかもしれないという緊張感は警察官から伝わってこなかった。
車列を待っているとき、警察官が我々群衆に「練習をしておきましょうか」と笑顔で呼びかけ、拍手を一斉にさせたり、国旗を振る練習をさせたりしました。別の群衆からの拍手が聞こえてくると、警官が「負けないで!」と声をかけ、どっと笑いが起きた。近くの女性が「東京ディズニーランドのキャストみたい」と感想をもらしていました。
たしかに、現場には、深い尊崇の思いというよりも、天皇皇后を直接見るという行動を楽しんでいる空気があり、それを感じ取ったからこそ警官はふざけてみせたのだと思います。見学場所には、荷物検査のゲートを通過した人だけが入れたわけですが、ゲートによって世界が二つに区切られているのもディズニーランドに似ていました。
それにしても約12万人が足を棒にしてまで「祝賀御列の儀」を沿道に見にいったのはなぜか。現代の日本には、消費増税や原発政策への賛否など利害が一致しない問題が多数あります。分断が進んだトランプ政権下の米国ほどではないものの、経済格差や根深い政治的対立もあります。そんな中で利害や立場を超えてコミットできる唯一の存在が天皇皇后両陛下なのでしょう。
経済力で中国に抜かれ、少子高齢化時代になり低成長にあえぐ日本人にとって誇りの源泉でもあるのでしょう。『万世一系』という神話も含め、他国にはない独特の文化。富士山のように、我々国民が生まれたときから何となく存在している価値。そんな存在として共感を集めているのが天皇なのだと思います。
でも、その「何となく」支持するという空気は危険です。空気が変な方向に流れたときに誰も責任を取れない。我々にとって天皇とは何か。女性・女系天皇の是非や天皇の「人権」の問題――。こうした議論を避けて通れません。
人口減少が進む中、増加する国内在住の外国人ら、日本人という共同体の「周縁」に生きる人たちも無視できません。語学が堪能な皇后、留学経験のある天皇だからこそ、両陛下には外国人を包摂する力を期待したいです。
将来は天皇制に「選挙」を導入するといった大胆な改革も視野に入れたらどうでしょうか。国会などが皇族方などから候補者をあげ、国民が天皇を選ぶ新制度です。一定期間、日本で暮らした外国人にも投票できるようにすることで、天皇が「統合の象徴」としてより機能するはずです。
任期は10年から20年程度とすることで、天皇になることの負担も減らせるでしょう。
候補者が一人のときは半数以上の支持を得られるかどうかという信任を問うための投票をします。もし候補が見つからなかったら、それでも天皇制を存続すべきなのか、立ち止まって国民全体で考えればいいと思います。
2019.11.15 (金) 晴れ
本当なら今日が七五三であるが、今の世の中、貸衣装や写真撮影のスタジオの関係で、ウチの孫も夏前に撮影がおわり、神社へのお参りは一ヶ月前に終わっている。いやはや、どうなんでしょうな。
テニスは最終回ということで、中級班と上級班合同で試合形式の練習。ゲームごとにペアが変わるようになっていて、上級班の人とも組めて楽しかった。最後は、同じ中級班の女性とペアを組んで、上級班の女性ペアと当たったが、デュースまでいったノーアドバンテージの最後のポイントをボレーミス(私ではありません…笑)で惜敗。残念だったなぁ~。
午後から石神井公園へ。今日はカワセミに出会えてラッキー。成果?は 「こちら」 から。
2019.11.14 (木) 晴れ
今日も昼間は暑いくらいである。で、思い出したのだが、ヴェネチアがまたまた高潮で被害を受けているとのこと。最も標高が低いサンマルコ広場では、70センチくらい水につかってしまい、水が引いても、塩害などで歴史的な建造物にどのような被害が出るか心配されているとのことである。巨大水門「モーゼ」が間もなく稼働するらしいが、それで解決となるのだろうか。(香港もどうなるのだろう…) 8577歩。
2019.11.13 (水) 晴れ
放課後、浪人形諸君の激励会ということで、お茶の水の駿台予備校に出かける。これからいよいよ苦しい時期を迎えると思うが、そういう時こそ、やるべきことを一つずつ丁寧にこなしていくしかないのである。迷うこともあるだろうが、自分が何のために勉強しているのかをもう一度確認して、最後まで努力を継続しよう。健闘を期待する。
その後、異動した先生方も含め、久しぶりに全員が顔を合わせた担任団で近くのビアホールへ。近況を報告しあって、楽しい時間を過ごす。11020歩。
2019.11.12 (火) 晴れ
秋晴れ。夜の教育法は、予習させたことと小説教材であったことから、やっと例年並みのレベルに。やはり教材研究は小説が楽しいのであったよ。13033歩。
2019.11.11 (月) 雨のち晴れ
ポッキーの日も廃れてしまったが、朝は雨に降られて寒いくらいだったのに、お昼前の教室は暑いくらい。こう寒暖差が激しいと、着るものの選択が困ってしまう。
ところで、浪人形諸君、水曜日(13日)には担任団(多分、全員参加できそう)で駿台に応援に出かけます。駿台生でなくても参加できるので、久しぶりに担任団に会ってみたい人は、18:00~ お茶の水の駿台中学部校舎(お茶の水美術学院の手前)にいらっしゃい。お待ちしています。なお、河合塾には27日(水)に出かけます。その際も、河合生以外でもオッケーです。8650歩。
2019.11.10 (日) 晴れ
授業の下調べをしたり、読書をしたり、ビデオを見たり、テレビでパレードを見たりしてのんびり過ごす。でも、まさこさまの涙には、グッと来るものがあったなぁ…。下らない記事を書く週刊誌の記者はどう思ったのだろう。
9日はベルリンの壁が崩壊して30年となる日だったそうだ。なるほど、その後、この壁の崩壊が象徴するかのようにグローバル化が進展したわけだが、30年が経過していまや移民問題などがきっかけとなり、再び(心の)壁が築かれようとしているのが現状のようである。例えば、今年の夏に観光で訪れたオーストリアでは、極右政党が支持を伸ばしていて、スロベニアとの一部国境地帯には実際に壁が出来ているようだし、公園のあちらこちらに網で囲いがしてあるなぁと思っていたら、なんとそれは不法移民が居住したりしないようにしているのだそうだ。難しい問題である。
2019.11.09 (土) 晴れ
昨日のリベンジのつもりで朝から石神井公園に出かけるも、2時間待ってまったく鳥果なし…。仕方ないので諦めて帰ることにしたが、石神井公園の池(三宝寺池とボート池の両方)にいないと言うことは、石神井川方面に出かけているのかもと思って、遠回りになるが川沿いの道で帰ってみた。こちらもまったく姿がなく、すっかり諦めたところ、なんと目白通りにほど近い青果市場の裏手の護岸で発見。アッと言う間にいなくなってしまったが、何とか数枚撮影。いやはや、鳥撮りは大変である。
2019.11.08 (金) 晴れ
テニスは好天のもと、シングルスやダブルスの形式を採り入れた練習で面白かった。今日の個人的な目標は「ダブルフォールトをしないこと」だが、何とか目標クリア! その後、石神井公園へ出かけるも、鳥果はほとんどなし。夜、大鳥神社の酉の市に出かけ、古い熊手を納めて新しいものを購入。神社の目の前のイタリアン酒場で夕食。リーズナブルでまずまず満足。
(↓保戸塚さんの店)
(↓低温調理の和牛と溢れるくらいのグラスワイン)
(680円)
(480円)
2019.11.07 (木) 晴れ
今週から来週にかけては授業研修ということで、昨年までは「見られる側」だったが、今年はそんな役目からもはずれ、のんびり「見る側」である。今日は、若手の先生の2年生漢文の授業を見学させていただいたが、濃い内容がしっかり準備されており、生徒たちの活動をたっぷりはさみながらも手際よく授業が展開されて、すっかり感心してしまった。プロジェクターで本文を黒板に投影し、そこに注意点などを効率的に書き込んでいく様子を見学すると、自分もやってみたくなるなぁ。10425歩。
2019.11.06 (水) 晴れ
今日もあまりよい運勢ではなかったが、昨日に比べると、授業の下調べは進むし、添削も終わるしで、割とまともな?一日。1年生は徒歩帰宅訓練。懐かしいなぁ~。8355歩。
今日の新聞に「「生まれ」で格差、日本の現実~身の丈発言から考える~」という記事があったので引用。(朝日DIGITAL 20191106)
「教育格差」のデータ無視 松岡亮二・早稲田大准教授
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「身の丈」発言の後、萩生田さんは国会で「エールのつもりだった」と釈明していました。おそらく、あの発言に悪気はなかったのでしょう。
発言の背景には、萩生田さんの考える「教育格差」とは、本人の志・能力・努力によって乗り越えられる程度のものだ、という認識があったのではないでしょうか。とすれば、それはデータが示す実態とは異なります。「生まれ」によって大きく人生の可能性が制限されている現実が日本にはあるからです。
身の丈発言に、内心では同意した人もいるでしょう。社会にどれだけ自分の可能性を「諦めた」子どもたちがいるのかを想像せず、「格差はあっても、努力で乗り越えればいい。私はそうしてきた」というように。
親の学歴を含む出身階層や出身地域によって、子どもが大学に進学しようと考えたり、日頃の学習意欲を持ったりすることに大きな格差があることは、多くの実証研究で明らかになっています。
例えば、今年発表した私の研究では、中学1年ですでに、子どもが大学に進学することを期待する割合は両親が非大卒だと23%、一方の親が大卒だと41%、両親が大卒だと60%と明らかな差があり、親が大卒であるほど、子の学習時間も長いことが分かっています。
社会経済的に恵まれない家庭の子どもたちは、ある時点で勉強を諦める傾向もあります。社会構造による教育格差があるのに、「勉強には向いていない」と、自身の可能性を低く見積もり、自分から「身の丈」で生きていこうとしているのだと思います。
大学入学共通テストの導入は、現存する格差の拡大を後押しすると考えられます。テストの仕組みが複雑で選択肢もあまりに多いため、予備校などに相談し、膨大な情報を親と共に消化できる家庭の生徒ほど有利になるでしょう。
英語民間試験では、一部受験生に金銭的な助成をするとも報じられましたが、親の協力を得て申請書を提出するのであれば、これ自体、見えない障壁です。
経済的に恵まれない家庭の子は、自分の親にその申請書を渡すことすら躊躇するかもしれません。まさに自分が思い込んでいる「身の丈」に合わせようとする行動です。個人の選択ということもできますが、一方には、同じ障壁に悩むことなく受験勉強に打ち込める生徒もいるわけです。
問題の根本は、これまでの「教育改革」が、データの蓄積や分析なしに、「これからはグローバル時代だ」といった理念で進められてきたことです。共通テストの国語と数学の記述式問題も、マークシートでは能力が測れないから導入するとのことですが、それはどの研究に基づくのでしょうか。理念先行で、ドーンと制度変更し、検証しない。そんな「改革のやりっ放し」はもうやめませんか。
2019.11.05 (火) 晴れ
今日も山羊座は運勢がよくなかったが、その典型のような一日。
朝:今日から新しいミレーのディパックに変えたところ、なんとお弁当のサンマのマリネ南蛮風のタレが弁当箱から染み出て?しまい、悲惨なことに(泣)。幸い、学校で読もうと思っていた雑誌「學士会報」に大部分が染み込んだので、雑誌はお酢臭くなったが、ディパックの方はよ~く拭いて天日に干したら何とか大丈夫。
昼:朝寒かったので、ヒートテック(しかも長袖)を着ていたところ、昼からすっかり暑くなって教室はサウナ状態に。こちらは茹で蛸状態で頭がボ~~~。
夕:帰りは涼しくなったので、上着の下にベストを着たのだが、なんとボタンが一つずれていた。道行く人には上着で多分バレなかったと思うが、恥ずかしい…。
夜:火曜日の国語科教育法で大学に出かけたら、なんと学園祭で休講…。講師室にいつもいる職員のお姉さんに「出勤簿がないんですけど…」と声をかけたところ、「先生、今日は全学休講日ですよ~」と教えられ、間違って出講してしまったことがバレバレ。いやはや。
ということで、それなりに大変な一日であった。12203歩。
「TODAY'S SHOT」 に、天気がよかった日に撮れた解像感の高いカワセミの画像を掲載中。
(↓大きなサイズで開きます)
2019.11.04 (月) 晴れ
秋らしいイイ天気に誘われて?石神井公園へ。ところが、1時間探鳥するも成果がなく、「山羊座の運勢は最低だったし、こういう日もあらあな…」ということで帰ろうかと思い始めたら、遠くにカワセミ発見(下の写真)。一枚だけ撮ったらもう姿を消してしまい、いよいよ帰ろうと思ったら、その後チラッチラッと姿を現すようになり、後ろ髪を引かれる思いでウロチョロしていたら、とうとう目の前3メートルくらいの木に止まってくれて、大きな姿を捉えることができた。でも、同じ所に10分くらい止まっていたので、同じモデルの同じようなポーズを100枚くらい撮影してしまい、我ながら呆れる。
北海道の親戚から獲れたての立派なサンマが届く。多謝! 早速孫一家にもお裾分けする。
(↓今日、最初の一枚。600mmに1.4倍テレコンをクロップして1.5倍、つまり1260mm相当)
(↓今日、最後の一枚。600mmに1.4倍テレコンをクロップして1.5倍、つまり1260mm相当)
2019.11.03 (日) 曇り
家で本を読んだり、ビデオを見たり、庭をいじったりして過ごす。
2019.11.02 (土) 晴れ
南アフリカ優勝!!…ということは、もしかしたら日本も2位だったかも…(笑)。
石神井公園で鳥撮り。鳥姿を探して歩いていたら、バードウォッチングをしていた年配の女性2名と同時にカワセミを見つけ、一緒にあっち行ったりこっち行ったりしながら撮影する。お二人は双眼鏡を片手にしているだけあって鳥を見つけるのがお上手で、すっかりお世話に?なってしまった。
英語試験の延期については、いくらご本人が否定しても「身の丈」発言が決定打となったのは明らかだが、それとは別に阿部公彦・東京大学教授(英文学)が
4技能という言葉が多用されてきたが、日本語でも「読む・聞く・話す・書く」の力はでこぼこなものだ。4技能を均等に身につける、測るとはどういうことなのか精査する必要があり、「4技能を測る」ことへのこだわりは再考するべきだ。 (朝日DIGITAL 20191102)
と語っていらっしゃる。まさにその通りで、バカの一つ覚えのように「4技能、4技能」ではないのである。
(↓昨日のイタリアンでとったデザート。甘いワインとビスコッティ)
2019.11.01 (金) 晴れ
午前中テニス、午後から石神井公園でカワセミ撮影(鳥果あり!)、夜は友人と新宿のイタリアンで会食。ということで、天気にも恵まれ充実した一日。
その間、マラソンと競歩が札幌になり、英語民間試験導入は延期された。前者は見識ある判断と言えなくもないが、後者は見識も何もない大臣(しかも、延期決定の直接原因となった大臣)の発表で、余計に滑稽感が増した印象。そもそも密室で導入が決まったという経緯もあり、これから透明性のある検証と議論が必要だろう。きちんと準備してきて、大いに迷惑、ふざけるなと言いたい人もいるだろうが、離島の高校生を初め、全国的な視野で実施に向けた状況を冷静に判断すれば、ゴリ押しが通らなかったのは良かったのでは。